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対談 2


 博士に案内された私室は、テオがよく出入りしていた研究所にあった博士の部屋をまるごと持ってきたみたいだった。


 机の上に広がる書類が床にまで散らばっている。こんな常態でどうやって必要な物とゴミとを判別できるだろうと、テオはよく考えていた。


「よく来たね」

 博士にそう迎えられると、まるで時間を巻き戻したかのように感じた。


「さてさてと……」

 手を擦り合わせた博士は早速コーヒーを淹れ始めた。博士のカフェイン中毒(ジヤンキー)も変わっていない。


「どうだろう、君も試してみないかい?」

 カップを傾けて博士が訊ねてきた。

 カフェインか。

 中毒性のある有害な成分。眠気を覚ます目的ならもっと健康的で、効果を得られやすい嗜好品がいくつもある。

 にも関わらずそんな物を愛飲するなんて偏屈な証拠だとみんなが思っている。だからテオも、研究所で博士に誘われる度に即断で首を振っていた。


 バカみたいだ。

 社会に同調して、みんなと同じをやればきちんとした人間になれると信じていた。

 マイノリティは悪で、私心を表に出すことは愚かしいことだと、そう妄信していた。

 みんなと同じをやったって、テオの心はずっと一人っきりだったのに。

 触れてみなければ賢くなれない。本当の意味での人間らしさを手に入れることは出来ないのだ。


「……いただきます」

 そう、テオが答えると、博士はちょっぴり目を丸くしてから嬉しそうにテオの分の準備を始めた。


 ぽこりぽこり、泡が弾ける音と一緒にカフェインの香りが部屋に漂う。

 鼻腔に凝るようなこの匂いは嫌いじゃない。

 博士が準備している間に、テーブルと椅子の上の書類を片付ける。置き場所は分からないが、仕事用デスクに置いておけば良いだろう。


 散らばった書類の上にテオが四辺をきっちり揃えた書類が載っかっているのは、どこか滑稽だった。

 ふと、研究所の仮眠室にあったフォトスタンドを見つけた。写真の中の髭の生えていない博士は自然な笑顔を浮かべている。

 女性の方はちょっぴり不機嫌そうだ。腕を組んでレンズに向いてもいない。本当に渋々撮ったと言わんばかりの一枚だった。


「彼女は写真が嫌いでね、その一枚もけしかけた勝負に勝ってやっと撮らせてくれた一枚だったんだ」

「恋人ですか?」

「まさか! ……いや、うん、私はそうなりたかったのかもしれない。もう、分からないかな」

 テーブルにカップを並べる博士を見ていて、なんとなく分かった。

 博士はこの女性を理解したかったのだろう。


「どっちにしたって、もういない人だ」

「……」

 掛ける言葉が見つからず、テオは写真から視線を切って博士の対面へ腰掛けた。


 カップから昇る湯気。

 博士がずずっとやったのを見て、テオも思い切ってカップに唇をつけた。


「――にがっ」

 テオが舌を出して悲鳴を上げたのを聞いて、博士は「はははっ」と笑った。


「いや、ごめんごめん。馴れるとこの苦味も愉しめるんだけどね。テオ君はシロップを使うと良いよ」

 はじめっから言ってくれれば良いのに。

 恨みがましく思いながら二つ開けて、おそるおそるもう一度口を口をつける。

 ……うん、幾分がマシだ。


 ほんとのところ、まだちょっぴり苦いけれど、あんまり甘くするのもかっこうわるい気がして我慢した。

「ツクモには会わせてもらえないんですか?」


 カップを両手で包んだままテオが切り出す。

「会えるよ。もうすぐここに連れてきて貰うことになっている」

「ほんとですか!」

 立ち上がる勢いのテオに、博士はテーブルにカップを戻して「本当だよ」と頷いた。


「うれしいなあ。私が君に望んだこととはいえ、テオ君は本当にツクモのことを大事に思ってくれている。あの娘はたくさんな思いをずっとしてきた。『誰かに触れたい』という無邪気さを持っていたが為に誰よりも痛みを知ってしまった」

 何を他人事のように。

「博士だって、ツクモをいじめたひとりでしょう」

「……そうだね。それどころか私は主犯の一人だ。彼女の実験の草案とスケジュール提案をしていたんだから」

「ッ!」

 危うくカップの中身を顔面に向かってぶちまけてやりそうになった。


「なんで、なんでツクモがあんな悍ましい目に、博士も、ここにいるヤツらも、みんなみんな、おかしいんだ!」

「そうだよ、おかしいんだ。人類という生物はその殆どが限界化しておかしくなっている。技術発展と相互監視社会が進んだことで過密化した人口が、生物としての共生本能を著しく低下させた。とっくに人類という種の繁殖本能は満たされてしまっているんだ。もはや人類は他者を求めず、理解できなくなっている」


 それはあまりにも歪な状態だ。

 繁栄の欲望を失った生物に、どんな意味があるだろう。


「だが、ここに来て、人類はその生命を次のステージへと進めようとしている」

「……論文にあった新しい生命」

 物として停止する衝動、死を克服するということは物理世界に存在するための肉体に依存しないということだ。

 生物の至上目的である、繁殖し、繁栄する本能を克服すると言い換えることも出来るが。

「そうだよ。あの論文を書いたから、私はこの組織へスカウトされた」


 生きる精神だけを抽出した純然な精神を持つ存在。それが、博士が論文の中で取り上げた新しい生命。


「博士は人間が本気でそんな存在になりつつあるって思っているんですか?」

「その根拠と仮定は既に定義されている。私たちの身体は信号の交感によって動いているのは知っているね。身体はそれぞれが光が通る回路の部品に過ぎない。それぞれのパーツに信号が走り、特定の経路を経て私たちは活動を得る。それは私たちの感情、心ですら例外ではない」


 益体のない無機質な表現だ。

 だが、科学は心を再現出来ない。高度なAIを作ることが出来ても技術では人間の複雑さの神髄を理屈づけることは出来ないのだ。


「生物の進化の中、人類という脳機能を大きく発展させた存在が生まれてから六〇〇万年以上。その間、常に人類の身体の中を光を走り続けた。種で継いできた光を闇の中の胎児に渡し、次の世代へリレーして光を走らせ続けた。長い時間の中で、光は規則(パターン)を得る。右腕を動かすパターン、足を動かすパターン。匂い、音、それぞれを脳で認識するためのパターン。そして、()()()()()()もまた」


 とんとん。

 博士がこめかみを突いて言う。


 光が、心を手に入れる?


「いや、だって、そんなのおかしい」

 苦しいも、嬉しいも、楽しいも、脳を使わず、その中を走る光だけで()()()? そんなことは突拍子もない。


「だが、すでにそうなりかけている者たちが出現している」

「……ツクモや患者達がそうだって?」

「第二種新人類、光子意思体(Lux Animus)。精神を光に持つ進化を遂げつつある彼らが自失状態なのは、()()()()()となることで得られる情報過多が原因だ。彼らの知覚している世界は、肉体というフィルターを通して情報を得ている我々とは比較にならない。彼らはその特性上、光が運ぶ情報をダイレクトに受けとることになるのだから。しかし、思考する光である彼らであればこそ、その圧倒的な情報の中で(しるべ)も無しに自我を保つことなど不可能だ。彼らは処理しきれない情報の海に溺れ続けているんだ」


 物体は静止を求める。

 故に()()とは矛盾している。

 物体として停止したいと願いながら、生命として生きようという欲望を持ち合わせてるのだから。

 だが博士の言うように生物の生きようとする精神が、心が乖離したならば、脱け殻に残るのは静止()への衝動だけだ。


「じゃあ、人類の進化こそが、『自壊衝動精神疾患』の正体……」

「そう、まだ症状が出ているのは全人類の数パーセントだが、現代人はもうこの素養をみんなが持っている。人類史を繋いできた光は全人類に身体の中を走っているのだから」


 「だから」と、

 

「このままでは人類は、自分で自分を殺すだろう」

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 そんな言葉をどうやって受け止めれば良い?

 

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