花束
What can you see?
ねえ、なにが見える?
ヒヤシンス ガーベラ アイビー ラベンダー デイジー スノードロップ スズラン ダスティミラ―― ……。
画像データは何種類もの花で埋め尽くされていた。
色とりどりとはいかない、画像はモノクロだ。
モールの事件の後に有効になったのは、あの悍ましいツクモの過去の記録へのアクセスファイルだけだった。新しいファイルが有効になったのは、テオがデヴァイスにとあるデータをダウンロードしてからだった。
ポップアップをタップして進んだ先で表示されたのが例の文字列だ。
バイタルデータの参照では無く、わざわざ文字列の入力を要求するなんて前時代的だ。
もし素直にこの文字列の意味を受けとめるとして、入力するべき回答は『Flower』ということになるのだろうが、もちろんそう単純であるはずが無かった。
レスポンスは、『ERROR』。
「調べろ、ってことか」
『精神の所在がもたらす肉体と生存欲の結着性問題』
ファイルが有効となるキーとなったデータ書籍のタイトル。著者は、現在行方不明となっているナラバ博士。
今さら驚いたりしない。
博士がツクモと、ツクモを送りつけてきた連中と関係していることに、いまさら動揺なんてするものか。
テオが見てこなかった、博士の数多い知らない一面のひとつに過ぎない。
その知らないを一つずつ埋めていくためにこうして調べることを決めたのではないか。
データの閲覧を再開しようとしたところで、浴室へ続くドアが開いた。
出てきたのはもちろん、唯一の同居人だ。
ぺたん、ぺたん。
裸足の足音が近づいてくる。
ツクモの自我が目覚め始めてからは、シャワーもトイレも、テオが面倒を見ることは止めた。
理由を説明しろと言われても、テオ自身分からなかった。
気が引けた、そうするべきだと感じた。最後には、必要がなくなったからだと納得することにした。
ツクモは、最初はぐずった。
どんな言葉を使えばいいのか分からなかったのだろう、喉をぐるぐる鳴らして赤い目を向けて訴えてきた。
不満を覚えると言うことは、理解していると言うことだ。
テオが譲らずに言い聞かせたら、ツクモは逃げ道を探すように眼球を右と左に動かしてから、最後には、とぼとぼ、一人でテオが言ったことをやりだした。
一人で出来るんだ。
どうしてテオが手伝ってやらなくちゃいけないのだ。
気にする必要なんて無い、テオだってやることがあるのだから。
隣に座るツクモは放って置いてデヴァイスのデータの閲覧を始める。
ぴとり、と。
腕に冷たさが伝った。
「いっ」
悲鳴を上げそうになって振り向くと、ツクモがテオのデヴァイスを覗き込んでいた。
はたして、その赤い目で見ているものを、ツクモは理解しているのだろうか。
長いまつげに、水滴が光る。
もう一度、ぴとり。
きちんと拭いて乾かしてから出てこなかったらしい。ツクモの髪はびっしょり濡れていた。
まったくだ。
考えるまでもなかった。
自我が芽生えたばかりのツクモが学術書なんて理解できるはずもない。文字が読めるのかさえ怪しいのだから。どうせテオの歩いた後を従いてくるみたいに、テオのマネをしただけだろう。
仕方がない。
「こっち来て」
「ん、うう」
腕を取って、洗面所まで戻り、タオルで頭を拭いて世話をしてやった。
「これだって、その内にちゃんと一人でやってもらうんだからな」
「うぅ、んぅ」
分かっているのだろうか。
ちゃんと首を固定しといてくれないから頭が揺れて拭きにくい。まさか遊んでいるんじゃあないだろうな。
苦い顔になりながら、長い髪を包むように髪先まで拭き取る。また頭の上に戻り、髪先までタオルをずらしていく。
自分の髪を拭くときはいつも適当だった。こんなお姫様を整えてやるみたいなやり方を覚えたのはツクモのためだ。
手で梳きながら風を送ると、長い白髪がひらりと広がる。
長いと手入れに手がかかる、短く切ってやれたらどんなにいいだろう。試みようとしたことは実はこれまでにもある。
だけれど、やらなかった。
本当に癪だけれど、ツクモの端正さを、認めてしまっているらしい。そんな彼女をテオが変えてしまうことは気が引けた。
それから、もう一つ。
あの光景。
モールで見た、彼女の慟哭。
画像で見た、彼女の流した血。
テオの勘違いで無ければ、ツクモはテオに信頼の目を向けている。
涙を貯めた怯えの目ではなく、だ。
そんな彼女にどうして刃物を向けられる?
「ほら、終わったよ」
タオルをランドリーボックスに放り込んで言ってやると、こっちの苦労なんて知りもしないで、ツクモは「ん」とだけ言った。
お気楽なものだ。
いっつも彼女はこれだけで済ませる。
「たまにはありがとうくらい言ってみろよ」
呆れて愚痴ってしまったが、別に彼女から見返りが貰えるなんて無駄な期待はしていない、どうせテオのリクエストだって彼女は理解しないだろうから……。これは、ちょっと言ってみただけだ。
さあ、面倒は終わった。早くソファに戻ろう。やることがあるのだ、博士のデータから『花束』の答えを見つけ出さなければならない。
パネルを操作してランドリーを動かし、踵を返した。
「あり、がとう」
ドアを開こうとしていた手が止まる。
振り向く。
ツクモがテオに赤い目を向けたまま、こてんと首を傾いだのだ。
「ありがと」
そう言ってから、ツクモはぺたんぺたんと裸足で近寄ってきて、止まった。
「ああ、その」
期待していなかったとは言え、言ってみろなんて要求した手前だ、無視するのは違う気がして……、だけれど気の利いたぴったりな言葉も出てきやしない。
バツが悪くなったテオは、ごまかすように、彼女の白髪を撫でたのだ。
「べつに」
素っ気ない一言を付け足してしまったのは、気恥ずかしくなったからだった。
「ん、べつに」
そのセリフもツクモはマネした。
急にそんなに勉強熱心にならなくたって良いのに。
これからはツクモの前でうかつな言葉は使えないなと思った。
だって、もしも彼女がテオに向かって『マヌケめ!』なんて言う日が来たら、いったいどうしてやれば良いと思う?




