変化 2
いくつかの画像データを一つずつ閲覧した。
今日び、恐怖を宣伝するシアターでだってお目にかかれないスプラッタがいくつも表示された。
それらの画像は本来、ネットにあってはならない。
ネットリテラシー法に抵触するからだ。AIはそれらをフィルタリングし、然るべき場所へ問答無用で報告する。そんなものを掲示するけしからんサイトの管理者には直ちに違反による規制、罰金が科せられることになるだろう。
にもかかわらず、テオのデバイスのAIは警告文を出そうとはしなかった。よく見ると見慣れない拡張子だが、関係しているのだろうか。
画像データには貫頭衣のような粗末な服を着た人間が写っていて、スワイプすると次の画像では死体に変わっていた。
その次も、そのまた次の画像も同様だった。
テオはリビングでソファに座ってそれらの画像をスワイプする作業に没頭していた。
別にスプラッタに興奮したわけじゃない。そんな変態的な趣向は持ち合わせていない。
ただ、目が離せなかった。
現実味が無かった。
テオが見ている世界にそんな過去が潜んでいたことが、まるで信じられなかった。しかし、疑ってかかるような威勢もなかった。
よく出来たコラージュ画像に感心する気持ちが近い。
心の根底で、嘘っぱちを前提にしているからの余裕。
それくらい、画像は常識外の代物だった。
でも、それでも、徐々に、徐々に、画像の『真実』がテオの心の根底を侵していった。
全身真っ白の少女が何度も現れた。
はじめは焼き増しにしか見えなかった彼女は、そのうち苦しそうに僅かに唇を歪め、玉の汗で白髪を濡らし、赫い瞳から涙を流すようになった。
それは静かに流れるようなものでしかなくて、とても人間的な慟哭とは呼べない。
カトラリーナイフを手首に当てようとしたところを取り押さえられる少女。
その時も、少女の目からは静かな涙が流れていた。
同じような画像が繰り返した。
ついに少女は刃を見ても自分に当てようとはしなくなった。彼女は、また、泣いていた。
テオは大きく息を吸って吐きだした。
この画像のフレームの外側では何人もの人間がガッツポーズでもしているのだろう。
やった、うまくいったぞ、やった!
そう喜んでいるのだ。
それが、そう、とてつもなく、気色が悪かった。
彼女と自傷行動が可能なシチュエーションの画像が続いた。
いずれも彼女は一人で写っていたが、テオには彼女の傍らに死神が見えるような気がした。
画像は、大きく変わる。
荒れた部屋。自殺の痕跡。うつろな目をする何人もの人間が拘束されている。
また、器具やらなにやらの画像が続いた。
少女がまた写った。
周囲には何も見当たらない場所で、大腿からの出血で真っ赤に身体を染めて、頭を抱え、蹲って、泣いていた。
テオは、嘔吐いた。
跳ねるようにソファから立ち上がり、シャワールームへ駆け込み、洗面台に顔を突っ込んだ。
「ぅえ、あっ、くおえ……」
胃が跳ねるくせに、なんにも出てこない。
つま先立ちになって、唾液ばかりをだらだらと排水溝に垂らす。
力が上手に入らない手で探り、ボタンに指を押しつける。
蛇口から勢いよく出た水が唾液を流し、跳ねた水がぺちゃぺちゃとテオの頬で弾けた。
RURURU
デバイスがコールし、お決まりのバイタルの異常がどうだこうだと叫き出す。
「る、さい」
絞り出すように言って、デバイスの側部のロックを弄り、外して床に投げた。
手首の肉が一回り減ったみたいだ。すーすーする。
デバイスを外すなんて、ずいぶんと久しぶりのことだ。
膝の力が抜けた。
洗面台をかろうじて掴みながら、テオはその場にしゃがんだ。
濁った呼吸を繰り返す。
「なんで……」
ぎゅうと瞼を閉じる。
こんなことで逃げ出せたら、どれだけ良いだろう。
目蓋を開けたら、博士が戻って来ていて、ツクモなんかとは知り合わない日常が続いていたら、どんなに良いだろう。
ぴとり、洗面台の冷たさが額を伝う。
「はあ、はあ、はあ」
ようやく呼吸が落ち着いてきた。
瞼を開いていく。
照明の明るさに慣れていく。
現実は、変わらずにそこにある。
つい数時間前にモールであったことは事実だし、ツクモはテオの指示を守って寝室のベッドに座っていることだろう。
本当は、連れて帰りたくなんて無かった。
あのままモールに置き去りにして一人だけで帰りたかった。ツクモの異常さを目の当たりにしたあのとき、テオはツクモに恐怖した。
明確に、ツクモのことを異質で相容れないものであると区分けして、不気味さを感じた。
置いていったってツクモがどうにかなるなんてことは無かったはずだ。どこからか様子を見つづけているこの実験を仕組んだ者たちが回収するはずだから。
あの狙撃が証拠だ。
可哀想な時計盤の下で倒れた患者の彼。
監視員はどんなときでもテオを見張っていて、必要なら殺すことを厭わない。
どういう意図があったかは知らないが、開示されたファイルの内容からも分かるとおり、彼らはマトモじゃない。
創作じゃ無いんだ、殺したら、終わりにしてしまうんだ。
そんな重責を、簡単にやってしまうだって?
そんな連中に四六時中見張られているなんて、とても生きた心地がしない。
大金に目が眩んでいた。
ちょっと女の子を預かって面倒を見るだけの簡単な仕事のつもりでいた。
こんな訳の分からない事態を許容しようとしていたなんて、自分自身に腹立たしい。
「ほんと、なんで連れて帰ったんだ」
独りゴチる。
ツクモはモールに置いてくるべきだった。そうしていたら、もしかしたらテオを監視する者は、実験は失敗したと判断して、これ以上はテオを放って置いてくれたかもしれない。
テオがツクモを連れて帰ってしまったのは、あのとき、ツクモに止められたからだった。
置いていこうとしたとき、今までテオに対して受動的に過ごしてきた彼女が、服を掴んできた。
『おにいちゃん』と、テオを求めて、庇護を求める目で訴えてきたのだ。
そのお願いを、テオは無碍には出来なかった。
ツクモがマトモな人間じゃない証拠を目の当たりにしたばかりだったのに、テオは彼女の腕を掴んでマンションへ向けて走っていた。
本当に、どうかしている。