表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/39

ハウリング 4


「ここ、だよ」

 

 ―― ra rara rara  ――


 口ずさみながら、瞳の輝きを揺らしながら、ツクモは一人で歩き出した。

 テオは自分の体を何かから守ろうとすることにいっぱいいっぱいで、何処かへ行ってしまおうとする彼女を止めることが出来なかった。


 待って!

 その一言すらも発することが出来なかった。


「つ、くも」

 ようやく絞り出した彼女の名前は、もはや、彼女を引き留める言霊を持ってはいなかった。


 ―― わたしは、ここに、いるよ ――


 か細い声が、テオを揺らす。

 ツクモは離れて行ってしまうのに、どうしてこの声はこんなにも近いのだ。

 頭痛がヒドイ。

 吐き気もある。

 

 RURURU!


 ああ、うるさい。

 デバイスのコールが耳障りだ。

 耳を塞いでしゃがみ込む。


 やめてくれ、侵さないでくれ。

 瞬きのたびに、窓の向こうの闇が顕れる。

 

 そら、行ってしまえ、飛び降りろ、終わってしまえ。

 やめろ、やめてくれ、そんなことは望みじゃあない。


 矛盾思想。

 相反摂理。


 とっくに克服したはずの衝動がテオの腕を動かし、硬い指先が喉に宛がわれる。


 ―― ここにいるよ ――


 頭の中に走るノイズに誰かの呼び声(コール)が混じる。


 やめろッ!


 理性の叫びがテオを世界へ引き戻した。

 あやふやに感じていた世界が実態を帯びる。

 ショップの鮮やかな看板、空調の作動音、空気の温度、タイルの硬質、唾液の生臭さ。


 この場所にテオが存在する証左。


「わたしは、ここ、だよ」

 今度はしっかり距離感を持って聞こえたツクモの声。

 彼女は、天使と果実の意匠を凝らした時計盤の足に立ち尽くす、一人の患者の前に居た。


「ねえ、――」

 声は平坦に、ただし、叫び散らすような悲痛さで。


 はたして。


 ツクモに呼び掛けられた彼は、ゆっくりと、不出来な機械仕掛けみたいに首を回し始めた。


「――ッ!」

 理由も知れず、テオはその光景に魅入った。

 奇跡を間に当たりにしている、確信があった。


 タンッ


 そう大きくはない音だった。


 続いた破裂音、破砕音、ガラス片がばら撒く響音。

 

「はっ?」

 落胆では無かった。

 絶望とも違う。

 空白だ。

 テオは目の前で起こったことに、ただただ追いつけなくて、マヌケになった、それだけだった。


 ツクモが呼び掛けた彼のヘルメットから、レッドが消灯し、AIのガイダンスが沈黙した。

 

 どさり、と。


 ツクモがたったいま、触れようとしていた彼は、横向きに倒れて伏した。


 ヘルメットの内側を真っ赤に染めた、()()がタイルを濡らして広がる。

 

「なんなんだよ」

 喉がカラカラだ。

 眼球が乾いて痛い。

 体中の毛穴が開いて、汗が噴き出している。

 開きっぱなしの唇が、荒息に合わせて揺れる。


「うおえッ!」


 腹の底が突き上げられたみたいにこみ上げる吐き気。

 口を押さえた。

 耐えきれず、堰を切って指の隙間からレストランで食べた食材が、どろどろ流れ出る。

 鼻の奥が酸っぱい。

 苦い、臭い。

何度も腹の奥がせり上がった、痛くて苦しい。

 突いた膝が吐瀉物で濡れる。

「ぁはあ、ぅくはあ!」

 呼吸すらままならない。

 ゴクリと飲めば、それ以上の大きさで戻ってくる。


 涙でじんわりと滲んだ視界に、ツクモが立っている。

 いつも通り、半目で気怠げ、意思を感じない表情で倒れた患者の彼を見つめている。


 ぴとり


 ふと、白く細い指先で頬をなぞる。

 沿うように彼女の美貌には赤が引かれ、指先が濡れる。

 飛び散ったヘルメットのガラス片が彼女を傷つけたのだった。


「ああ、ああッ!」

 自身が損なわれたことを認めたツクモは、次には、限界まで眼を見開いた。


 ――――――――――――――ッッツツツ!!!


 悲鳴。

 ばたりばたりと、いままで立ち尽くしていた患者たちがその場で倒れ始める。



 瞬間で、テオの視界が真っ白に染まった。



 声が聞こえる。

 いくつもの、何人もの声。

『君は素晴らしい! ああ、まさしくは、君こそは救世主(メサイア)だ!』

 知っている声が、その中には混じっていた。



 鏡張りの部屋。

 在るのは何の特徴も無い椅子が一脚だけ。

 全裸の少女が一人だけで座っている。

 終わりの無いドロステ。

 ひたすらに少女だけが続いている。



 一人が闇夜の屋上の縁を蹴った。

 一人が流れる水流に身を投げた。

 一人が回転する刃に飛び込んだ。

 一人が括られた縄に首を通した。

 一人が電気椅子の電源を入れた。

 一人が自らに当てた銃を引いた。

 一人が……

 一人が……

 一人が……

 一人が……


 一人、一人が、死に続けた。  



 やめろ!


 叫んでも景色は止まらなかった。

 逃れる術は無い。

 永遠に、繰り返される、誰かの死。



 少女がいる。

 髪も肌も白無垢。

 瞳ばかりか煌々と赫色を灯す、ともすれば、人外染みた容貌。

 椅子に座って、鏡越しに自らの完全を観測し、目測し、確認し続ける、たった一人だけの少女。


 

 世界が黒く染まった。



 遙かに輝く頭上の星々。


 ああ、そうだった。あの日は星が綺麗だった。特にオリオンのベルトがよく見えたんだ。


 ひんやりと冷たい空気。


 ()()()は空調が快適ではなかった。当時は気にしていなかっただけで、肌だって荒れていた。


 吐いた息が薄弱なライトを頼りにうっすら影を作り、宙に呑まれていく。


 いつも体をベッドに留めていた拘束帯が、その日は解かれていた。だれも、なにも、少年を留めてはおかなかった。


 周囲は静寂だった。


 それがとても素晴らしいものに思えて、魅力的だった。

 たった一つだけが、うるさかった。

 自身だ。

 血が流れ、肉が律動し、鼓動するこの体。

 それが不満で、煩わしく思えた。

 だから、停止することを望んだのだ。

 静寂な世界の溶け込もうと、たった一つの音をこっそり消してしまおうと。

 そうとも、少年が一人消えることなんて、誰も構いやしない。


 荒れた肌を刺す冷気に逆らい、ご褒美を求める動物のように歩く。

 

 風すら吹かない、静かな夜。

 少年の体が窓縁から前のめりに傾ぐ。


 そのときは、確かに『死』を望んでいた。

 縁を掴む指の力を抜いて、眼下の闇に飛び込むつもりだった。

 それが、在るべきカタチだと疑わなかった。


 だけれど、少年は、最後の一歩を踏み越えなかった。

 窓縁に引っかけた指は感覚がなくなりつつあった。

 外気の冷たさのせいで、頬にひりひりと痛みを覚えていた。

 もう離してしまえば楽になれるのに、自分の体が打つ鼓動を手放せずにいた。


 ―― ここに、いるよ ――


 はあっ?


 どういうことだ。

 あの日、部屋には間違いなく誰もいなかった。

 じゃあ、どういうことだ。


 ()()()()()()()()()()()()()()()


 過去と今のテオの意識が乖離する。


 あの日、そこにいたのか?


 部屋の中を振り向こうとしたその時、テオの視界に現実が落っこちてきた。


 BUU BUU BUU


『応答がありません。救急センターへ位置情報とバイタルデータの送信を行います。エラー、送信に失敗しました。……応答がありません。救急センターへ位置情報とバイタルデータの送信を行います。エラー、送信に失敗しました。……応答が……』

 デバイスが周囲に助けを呼ぶように無力な叫びを繰り返している。


「ツクモ……」

「あああぁぁぁぁぁぁあああああっ!」

 赤い瞳からは、しとどに涙が流れていた。

 自分の指先に着いた血液を瞳孔の開いた眼で凝視し、彼女は悲鳴を上げていた。


「ツクモ!」

 見ていられない。

 体がヒドく気怠い。みぞおちの奥に、胸焼けに似た気持ち悪さを感じ、ふらつく。


「いま、行くから」

 数メートルの距離がままならないなんて!

 奥歯を噛み締めながら、やっとの思いで辿り着いたテオは、ツクモを抱きしめたのだ。


「だいじょうぶ、だいじょうぶだよ」

 なにから彼女を守ろうとしたのか、そもそも、なぜハグしてやったのかさえ、明確にはわからないまま、テオはだいじょうぶを繰り返した。


「――あああぁぁっ、あああぁぁ……」

 

 時間を掛けて、彼女の悲鳴は尻すぼみになった。


「だいじょうぶ、おちついて」

 言い聞かせてやると、ツクモは腕のなからテオを見上げてきた。


「……おにい、ちゃん」

 初めて呼ばれた様な気がした。


「うん、そうだよ……」

 テオが応える。


 一人残らず倒れた患者たちのヘルメットのレッドと、AIの緊急コールとエラーの繰り返しが、そこら中で踊っている。

 時計盤の足元では、ヘルメットから散ったガラス片が、血だまりの中でぬらりと光っている。


 すべてがテオの理解の範疇を超越している。

 ただ、今のテオにあったのは、このかわいそうな娘を自分が助けてやらなくてはという、独占欲にも似た感情だった。


 腕の中にある体躯のなんと華奢なことだろう。

 彼女は依然、か弱く、庇護を必要とする小さな存在だ。テオが守ってやらなくてはならない。


「おにい、ちゃん」

「だいじょうぶだよ、ツクモ」

 安心させてやりたい。

 自然と、手が伸びて、頭を撫でてやろうとしていた。


「えっ?」

 ぎょっとした。

 さっきまでの庇護欲はすっ飛んでいた。

 すべてを忘れるようなことが、密着しているツクモの体に起きた。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 瞬きを二つもすれば、もはや、形跡は血痕のみとなり、元の柔らかい肌と美貌が出来上がっていた。


「なんなんだよ、それ……」

「おにいちゃん……」

  

 テオを求めるツクモの赫い瞳は涙で濡れていて、いつもの不変さを忘れてしまうほどに、儚く見えた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ