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ハウリング 3


 テオの目からはモール内に目立った異常は見当たらなかった。

施設で起きたような大火事はおろか、ツンと鼻の奥を刺す煙たさすらもなかった。


 デバイスには機械トラブルの勃発が避難理由と表示されているが、詳細は開示されていない。どうしてこのようなことに巻き込まれなくてはならないのか。

 腹立たしさが腹の底に燻って、頭をかき毟る。

 そんなテオを、同じく避難誘導に従う男が、さも、卑しい者に向ける目を向けてくることにも怒りがこみ上げた。


 何にも知らないクセに。

 彼はどうせ、自分だけの生活をなんの障害もなくやってきただけだろう。


 施設のテロで博士と会えなくなったり、一人じゃ生きていけない人間の面倒を見るハメになったテオとはまるで違うクセに。


 睨んで視線を返してやると、彼はびくりと肩を上げ、それから、付き合ってられないとばかりに大袈裟なため息を吐いて、早足になった。

 そんな態度をとったって、テオの悪意に怖じ気づいたのは丸わかりだ。


 ざまあみろと内心でほくそ笑んだ。

 ほくそ笑んでから、大きな自己嫌悪に襲われた。


 なんてくだらないことをしてしまったんだ。

 他者に悪意を向けるなんて、不健全だ。テオの不幸を彼が理解していないことなんて当たり前だ。それなのに、彼を貶めたことを喜ぶなんてもってのほかだ。


 『自壊衝動精神疾患』から回復したテオは、健全な人間性を遂行する必要がある。もうどこもおかしいところはなくて、社会の一員を全うできるということを証明し続けなければならない。

 他人の目がある限りだ。

 だれも彼もが、博士のように自分の都合だけに夢中であるはずがないのだから。


「ごめんね、ツクモ」

 振り向いて、手を引かれるままの彼女に謝罪する。


 さっきまでの行動は横暴だった。まるで彼女の人格を無視した行為だ。

 一体どうしてしまったというのだ。

 さっきのこともそうだが、らしくない。

 研究所でも学校でも、もっとテオは上手にやれていたはずだった。


 きっと疲れている。

 博士のことも、ツクモのことも、大きく変わってしまった生活は思っていた以上にテオに負担を掛けていたのだろう。

 家に帰ったら、少しだけ一人になれる時間をとろう。

 そういえば、マンガもゲームも最近はからっきしだった。またリメイクされる前のアンティークを漁ってみてもいい。


 ツクモが自傷行動をとらないことはもう明らかだ。何かあるといけないからずっと放置するわけには行かない。でも、少しの間だけ、寝室に入っておとなしくしていてもらうくらいなら大丈夫なはずだ。


 そうと決まれば、こんな面倒ごとからはさっさと失礼被るに限る。

 手を優しく握り直し、今度はツクモのペースを慮りながら歩く。


「ねえ、ツクモ、家に帰ったら少しだけ一人になりたいんだ」

 彼女は返事をしないだろう。

 それでもいい。大事なのは、テオが同居人である彼女に配慮の姿勢を見せることだから。

 そしたら、テオもまた彼女の配慮を受け取る資格を得られる。  


「だから少しだけ部屋で待ってて欲しい」

 体裁を取っただけの『良いよね?』は呑み込むことになる。

 


―― 落っこ(fallin')ちた(down)落っこ(fallin')ちた(down) ――


 ツクモが歌ったのか?

 まるで耳元で囁かれたかのように、いや、そんな()()じゃあない。もっと、中心を、脳幹を直接揺らされたみたいだった。


 額から汗が噴き出す。

 モール内の温度は快適に保たれているはずなのに、寒気を感じた。

 共振するみたいに震えたテオは、いつの間にか握ったばかりのツクモの手を離してしまっていた。


 RURURU


 デバイスがアラートを鳴らす。

 いつも染みこむように奏でられる機械の音色は、まるでテオに響きはしなかった。


「はあ、はあ、はあっ」


 誰の息づかいだろう。

 体育授業や、博士の実験に付き合って、走らされた後くらい、苦しそうな呼吸だ。


「はあ、はあ、はあ」


 いやに近いじゃないか。

 あっちへ行ってくれないだろうか。

 いくら疲れているからって、パーソナルスペースは考えてもらいたいものだ。他人の口臭が混じった息なんて誰だって吸いたくは無いだろうに。


「はあ、……んっぐう!」

 唾液を飲む込むのと息を吸うタイミングが重なり、喉頭の振動で、他人事に思っていた荒い息づかいが自分のものだと自覚した。


 じゃあどうして、こんなに息が上がっているのだろう。


 分からない。


 理由を探して自分の体をかき抱いたテオが顔を上げると、ツクモが、その胡乱な瞳にモールの景色を映していた。

 間もなくに、テオはその視線の相手に気づいた。

 いつの間にか、モール内のあちらこちら、一人、二人、ポツポツと、ただ立ち尽くすいくつかの影があった。 


 モールを飾るオブジェに変わってしまったみたいに、レストランにいた彼と同じ無骨なスーツ姿の社会福祉への従事を命じられた患者らが、みんなして動作を放棄し、停止していた。


 点灯したヘルメットのレッドが目に痛い。

 彼らを促すためのAIのガイダンスが、やる気の無い素人バンドみたいに下手くそな合奏をしている。


 不気味だった。

 まるで、皆揃って白昼夢に感染してしまったかのようだ。


「ツクモ……」

 彼らを見つめるツクモの瞳はいつも以上に、妖しい輝きを湛えていた。

 


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