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ハウリング 2

 

 かたり


 ツクモが食事を終えて、カトラリーを下ろした。

 またソースをみっともなく顔に付けてるものだから、テオはしょうが無いとため息を吐いてナプキンで拭ってやる。テオが手を伸ばしている間も、拭いてやっても、彼女は微動だにしない。


 テオが代替がいくらでも利く仕事をする将来で、彼女は一体どうしているだろう。

 疲労し、老いていく自分を想像する一方で、彼女はいつまでもその不変さを失わないような気がした。


 彼女との時間はいつ終わるとも知れない。

 現在(いま)あるテオとツクモの生活は、顔を見せない誰かの気まぐれで一秒後にでも終わるかもしれない。テオにとってのツクモは永遠にこの姿で終わるのかもしれない。

 それを思ったときに、テオは拭う手を止めて、ツクモの顔を見ることに夢中になっていることに気づいた。


 胸の内に、ちりりと、気持ちがざわついた。

 自分を観測する思考が、そっと戸惑いの正体を囁き、テオは得心した。


 テオはツクモに、『執着』しようとしている。

 『実験』という枠組みを取っ払い、ツクモに対して感情を持ってしまっている。


 罪悪感、愛着、はたまた憐憫。

 根拠はあまりにも不確かであった。


 拒絶を顕にするように、テオはナプキンを皿に投げて席を立った。

 白い生地が、じんわり、ソースに侵されていく。


 「……行くよ」

 その手を引くことを躊躇して、やっぱり掴んだ。


 ツクモへの立ち位置を変えることがなんだというのだろう。不都合なんて無い。少なくともイヤイヤに面倒を見るよりは、博士が望んだ『関係』に近づけたはずだ。

 大人ぶった視点を気取り、実利から肯定を促す一方で、すべてを台無しにする不変を望む本心も確かに存在した。  


 揺らいでいる、ままならない。


 このアンバランスさは、不快だ。


 もう病気は克服したはずだ、無意味に死ぬことを望むなんて馬鹿らしい衝動はテオの中の何処にも残っていない。


 そのはずなのに、


 ――瞼を閉ざしたそこに、あの日の闇が広がっていた。

 

「――ッ!」


 背中の毛が逆立つ。


 現実に帰ったテオの目の前には人形が居る。

 整った顔に、はめ込んだかのような怪しい虹彩の瞳。


 鏡のように、狼狽するテオのそのままを映している。


 虫の知らせというのであったか。

 頭蓋の裏側を爪で掻いたような、()()


 RURURURU


 アラートだ。


 ドクドクドクドクドクッッ!!

 

 不自然な動悸を感知したデバイスが安静を促す音声を読み上げる。


「大丈夫、何にも心配いらない」

 デバイスに指示を出したのか、それとも自分に言い聞かせたのか。


「う、ん」

 小さく喘ぐように、ツクモが息を漏らした。


「ツクモ?」

 瞠目したのは、ツクモが何かを見ていたからだ。

 こんなことは初めてだ。

 ツクモの視線を追い、テオは自分の右肩の向こうを振り返った。

 そこに在ったのは、無骨なスーツの労働者だった。 

ただし、彼も今はタイルを磨く手を止めてその場に立ち尽くしていた。


 奇妙なことがあるものだ。

 彼らは自分を省みない存在だから、サボタージュするなんて自主性を持ち得ないのに……。


「こ、こに、いるよ」


 はっ?

 耳を疑った。

 消え入りそうだが、確かに聞こえた。

 それでも疑わしくて、テオはツクモを凝視した。

 テオが見ている前で、ツクモは再び、その淡い色の唇を開いた


 ―― ra rara rara ――


 オルゴールのように、静かな音色。

 デバイスのコールに似た、体に染みこむHz。


「ここに、いるよ」

 

 そのいつもと変わらない平坦な声が、まるで哀願に聞こえた。


 がったんと、背後でタイルが打たれた。

 モーターが作動したままのクリーナが制御主を失い、のた打っている。


 商売道具を落とした彼は拾おうともしない。

 ついにそのヘルメットがレッドを灯して、けたたましい音をかき鳴らした。デバイスのそれとは違い、使用者の配慮をしない騒音が、たった今、あのヘルメットの内側では反響している。

 AIガイダンスが『直ちにクリーナーを拾い、業務を遂行しなさい』と繰り返している。


 『自壊衝動精神疾患』の患者は呼びかけに忠実だ。

 止まりなさいと言われれば停止し、手を放しなさいと言われれば危険物を手放す。だからこそ、AIによる休み無い監視と適切な指示さえあれば、労働者としてつつがなく業務を熟す。


 そのはずなのに、彼は指示に従わなかった。

 立ち続けることこそが、なによりも重要なこととでも言うように、その場から動かない。

 明らかなイレギュラーが起きている。


「ツクモ、行こう!」

 離れるべきだ。

 テオが連れ出そうとしても、ツクモの視線は様子がおかしい彼に固定されたままだ。


「ツクモ!」

 怒鳴りつけることは褒められたことでは無い。

 相手を萎縮させて言葉を聞かせる行為は、文化的なコミュニケーションとは言えない。世間的に白い目を向けられる。


「見ちゃだめだ! 行くんだよ!」

 手首を掴んで乱暴に引っ張る。

 これだって、本来やっちゃいけないことだ。拐かしでもあるまいに、こんなことをすれば誤解されかねない。


「ここに、いる」

 ツクモが呟く。


「ツクモッ!」

 言うことを聞こうとしない彼女に苛立ちが抑えきれなくなった。

 彼女はそんなのでは無かったではないか。


 なのに、どうして!

 大事にしていたモノを台無しにされた気分だった。


 ツクモは一人で生きる力を持っていない。テオが見ていて、保護してやらなくてはならない存在だ。

 テオが面倒を見てやらなくちゃあ彼女は死んでしまう。テオには彼女を危険から遠ざけてやる役割がある。

 ツクモが躓きそうになるのもお構いなしに、テオは早足でその場を離れようとした。


 モール内に、ブザー音が劈いたのは、その時だった。

        

 空いてる手で耳を覆う。

 ツクモを掴んでいるせいで塞げない、反対側の耳から頭の中に侵入した大音量に、クラクラする。

 遅れてガイドアナウンスが流れた。


『施設内にトラブルが発生しました。しかし、心配には及びません。私たちが適切なサポートで安全にお客様をご案内いたします』


 同じ内容のアナウンスが、テオのデバイスからも繰り返された。

 AIは現在地から検出したエリアネットから、リアルタイムの情報と同期している。緊急モードに移行したデバイスのAIは、モールの統括AIが開示する情報を元に、避難経路を提示してくれる。

 ツクモのデバイスにも緊急避難のアナウンスが流れているはずだが、その指示に従う様子はない。清掃員の彼もだった。


「チッ!」

 つい舌打ちなんてしてしまった。こんな下品で陰湿な主張は、いま時、初等部の子供だってやらない。 


「こっちだってさ」

 言うことを聞こうとしないツクモを、テオは強引に誘導した。



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