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フリジッド 3


 ツクモのことをもっと知ろうと思った。


 いつでも止められるように隣に座り、食事と一緒にカトラリーを置いてみたが、ツクモはスプーンを選んだ。形状を見て、『食事をしろ』と言うテオの言葉を実行するのに最も適していると判断したのだ。

 ツクモには最低限の状況把握能力と解決能力が備わっており、ステージ2から顕著になる死への欲求がそれらを凌駕する事態は起こらない。


 やはり、ツクモには能動的な自傷行為への衝動は無いのだろう。

 ただし、状況の変遷に応対して自衛する能力は乏しいように思う。


 ステージ1の患者のような、突発的な危機に対しての抵抗力が無いのとは少し違う。ステージ1の患者は継続的な不快さには抵抗をする。苦しさ、冷たさ、息苦しさ、そういったストレスの継続を解消する努力をする。ツクモのように、止めてやらない限り、いつまでも冷水を浴び続けたりはしない。


 垂れ流しになっていたこともおかしい。『自壊衝動精神疾患』の患者は死に対しての抵抗力が無く、自己表現も希薄だが、生理欲求にまで無頓着になるのはステージ3の中でもほんの一部の重傷者にのみ散見される状態のはずだ。


 これでは『自壊衝動精神疾患』の症状というよりもただの廃人だろうと思ったが、それもやはり違う。

 ツクモは自立して咀嚼と嚥下が出来ている。冷水を出していたが、シャワーの扱いも、体を洗えというテオの言葉も理解し実行していた。

 言い含めておけばトイレもきっと一人で出来るだろう。


 ツクモの欠陥の範囲が、いまいち計りかねる。

 確かなのは、彼女は危うく、一人で生存する能力が無いと言うこと。彼女の病気のステージがいずれにしろ、テオの庇護を必要としている弱者だということだ。


 スプーンを動かし顎を上下して飲み込むを、淡々と繰り返すツクモの腕を止めて、口端についたソースを拭ってやる。

 死にたいヤツは死なせてやれば良いなんて言葉を、彼女にも言える気がしなかった。冷え切った彼女の体から感じた臨死の気配はあまりに生々しく、その延長にある結果を肯定してやることが正しいことだとは、今のテオには口が裂けても言えない。

 テオに抑えられた手を停止させたままにしている彼女に「食べて良いよ」と言ってやってから、テオも自分の分に手をつけ始めた。


 食事が終わると、テオはツクモの手を引いて、部屋を案内した。

 間取りの説明と、一人で入って良い場所と入っては行けない場所をひとつ言い含めた。彼女にリアクションは無かったが、理解はしていると思う。引かれるままだった手を立ち止まって引いたツクモは「トイレ」と呟いて、自分で案内したばかりのトイレへ行って用を足した。

 扉は開放したままだったから、そう教えられたのだろう。

 彼女に人間的な排泄手順が備わっていたことを、テオは喜んだ。


 今さらだが、ツクモとテオとは異性である。今日日、性別の相互理解は重要な生育基準の一つに数えられており、テオの年齢になればとっくに男女の体の違いについて充分な知識を得ている。

 幼い内に知識を根付かせることで、体の違いという男女間に生ずる分かりやすい精神的ハードルを下げるという教育理論に基づく方針らしい。しかし、実物を目の当たりにしたことが無く、ましてや排泄行為など、自分以外に見る機会などそうそう無い。

 介護と分かっていても気恥ずかしさはもちろん感じるし、きちんと教えられる自信もあるはずが無かった。


 このようにツクモの自発的な行動を見るに、スーツの中身が垂れ流しになっていた原因は、排泄設備の場所が分からなかったからではないだろうか。

 ツクモは十分な情報を提示してやれば大抵のことは一人で出来ると思われる。

 プロフェッショナルではないテオが何処までフォローできるのかと懸念していたが、思っていたほどではないのかもしれない。

 確証を得るには、しばらくの様子見が必要だ。


 彼女のバイタル情報が無いから、新しい服を用意できない。いつまでもテオの服を貸しておく訳にはいかないし、有事に備えてデバイスが無いのも心許ない。いずれは外に連れ出さなくてはいけないが、今すぐに実行するのはあまりにリスキーだ。しかし、彼女の自立状態によっては、その日はそう遠くにはならないだろう。


 仮眠を取ったせいで、まだ眠気は訪れないが、時刻は遅い。

 ツクモは、テオのベッドで眠らせることにした。

 シングルだが、二人が並んで横になる余裕はある。まさか、ツクモを一人で長時間放置するわけにはいかない。

 テオには誰かと同じベッドで寝ていた記憶はない。心地の悪さはあるが、それらは時間を掛ければきっと拭えるものだろう。


「ツクモ、おやすみ」

 ベッドライトの光を絞り、彼女を横に寝かせて、そう言ってみたが、ツクモの妖しい虹彩が落とされることは無かった。

 彼女は『おやすみ』を言われたことがないのだろうか?

「眠るんだよ、ツクモ」

 そう言い直すと、ツクモは今度こそ、瞼を閉ざした。


 改めて、その端正さがよく分かった。

 初対面で彼女を人形のようだと思ったが、それは決して主張の一切を感じない無機質さだけが理由では無かったと思い知る。

 まるで理想を煮詰めて成形したかのようだ。

 誰かのためだけにあるその美貌は、喜ばしいものだろうか。

 ショッキングなことがあったとは言え、共有した時間はまだまだ少ない彼女に、根拠も不確かなまま同情的になっているのは、どういうことだろう。テオは体を回し、ツクモに背中を向けて瞼を閉じた。


 微睡むまでには暫しの時間が必要だった。 


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