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フリジッド 2


 癌や火傷、あらゆる病気には適切な医療行為をするために、患者には重症度(ステージ)が割り当てられる。

 『自壊衝動精神疾患』にもそれは存在する。


 日常生活上でさらされる、ふとした危機に対する生理反射動作に、機能障害が認められるステージ1。これは、例えば重い物を落とした際に咄嗟に足を引くような、自己防衛行為がきちんと行えないということだ。


 ステージ2の患者は、外的な切っ掛けによる自傷行為に積極的になる。

 高所に立った際には飛び降りを、張った浴槽を見れば溺死を、刃物が手にあればそれを自分の首筋に当てる。


 そして、ステージ3。

 この段階に分類された患者は能動的な自傷行動に積極的になる。

 死の機会を自ら作り出してしまう彼らの安全と健康を管理するためには、最先端の看護AIのアシストが必要だ。


 ツクモに自傷行動は見受けられない。

 この時点でステージ1の患者に分類するべきなのだろうが、それにしては彼女の生態は受動的だ。

 生理欲求の解消にさえ、意欲的ではない。

 彼女が着用していたスーツの中身は糞尿によってヒドいことになっていた。青い顔になったテオは彼女を風呂場に引っ張っていって世話をしてやらなければならなかった。


 服を脱いで体を洗えと言っておけば自分で始末を始めたから、テオはスーツを指定のゴミ袋に詰めてマンションの収集小屋に放り投げに行った。小屋の中には溶液を張ったボックスがあり、指定のゴミ袋はその溶液に浸かることで圧縮し、底に沈む。これにより、悪臭も無く、清潔が保たれる。


 部屋に戻ると、まだシャワーの音が聞こえていた。

 自分だけの物だったはずの部屋に、テオじゃ無い人間の生活音がしていることに、違和感を感じる。

 へにょり、唇を尖らせ浴室に続くドアを通るときに、少しだけ止まって、ふんっと鼻を鳴らしてリビングのソファへと腰掛けたテオは、モニターの電源を付けた。


 考えるべきことがたくさんある。

 ツクモの面倒のこと、博士のこと、ファイルのこと。

 巨額と一緒にテオのデバイスにインストールされたファイルだが、閲覧することは出来なかった。どうやら、サーバーのどこかに保存しているファイルへのショートカットらしいのだが、リンク先が有効になっていないという表示が出てしまい、アクセスすることが出来ないのだ。

 テオにツクモを差し向けた誰かは、少なくとも今は、情報を与えるつもりが無いと言うことだろう。


 答えの得られない思考作業はテオが自覚することもできないほどに、緩やかに霞がかっていった。

 モニターに映ったコメンテイターの発言に、わざとらしくどよめく出演者のリアクション。テオは薄ら目になりながら、その意味を理解できなくなっていく。


 瞬きによる断続的な景色は、やがて 闇へ――。


 

『ガラス張りの部屋

 椅子が一脚

 一人っきり

 ドロステの無限に、ただの一脚と一人』


 しろ、赤いろ、赫に吸い込まれていく……


      

 はっと、息を呑みこんだ。

 部屋が暖色灯から徐々に明るくなっていく。

 寝てしまっていたのだと、AIによってOFFにされた、何も映さないモニターの黒い画面に呆ける自分を見つけながら思う。


 腕を持ち上げてデバイスを確認し、時刻を確認する。

 どうしたものだろうと、何に悩んでいるのかさえ曖昧な自覚のまま、その耳に微かな水音を聞いた。


 水音?


 ぶったたかれたみたいに覚醒した。


 待て、ちょっと待て!


 体をたたきつける勢いでバスルームへのドアを開く。


 シャワーの弾ける音がハッキリと響いていた。

 体の芯に空洞が出来て、大きく吸った空気の温度がそのままに残って馴染まないようなソレは、恐怖の触感。


 備え付けモニターの使用時間のカウントは二時間近くを示している。

 レポートには、警告表示と、内部モニターからの継続使用承認の文字が並んでいた。

 つまり、使用者はバカ正直に警告に従って、使用継続の意思確認の要請に、タップし続けたというわけで。


「バカッ!」

 緊急ボタンをタップして、ロックを強制解除。

 デバイスに届いた通知を一度で充分なのに連打する。

 焦燥に駆られながらイライラしながら扉に手を掛け、モニターに強制解除の確認が出来た通知を認めると同時に開く。


「何やってんだよっ!」

 怒号を上げてして、素手で自分の体を撫で付け続けるツクモの手を引く。


 手にかかった水の温度に更に青ざめた。

 冷たかったのだ。

 ツクモは二時間近くの間、ずっと冷水を浴びていたのだ。


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 バスタオルを何枚も掴んで、ツクモの頭の上から被せて、何重にも包んで、包んで、とうとう一枚も無くなると、その上から抱きしめた。

 ツクモの体は震えていた。


「ごめん」

 涙が出た。

 怖くって、恐ろしくって、テオの声も震えた。


「おにい、ちゃん」

 そういう鳴き声をしているように、ツクモはテオを呼んだ。

 テオは「ごめん」を繰り返した。


 殺すところだったのだ。

 彼女は死に対してあまりに無力だと、表面的にしか、理解できていなかった。


 日常の中に、死のタイミングは潜んでいる。

 抵抗しなければ、その意思がなければ、死は稲穂を刈るように簡単に連れて行く。


「ごめん」

 握ったツクモの手の指先にはシワが寄っている。それが、彼女の生物としての脆さを思わせて、テオは早くなくなって欲しくて両手で包んだ。


 やっぱりその手は冷たかった。 

 それでも、生きていてくれている。

 テオは、バスタオルを掛けられた弱々しいツクモの肩に埋まって、泣いた。

 

 すすり泣く音は、シャワーの音が消してくれていた。



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