神龍の最期(ユズル)
目を覚ますと森の中だった。
草、木々のにおい。虫の声も聞こえる。
森で寝た記憶はないんだけど……
たしか病院の当直室で寝ていて、強い地震のようなものを感じた次の瞬間には気を失っていた。そして今だ。間違いない。
現に俺はいま手術着を着て上に白衣を羽織っている。左腕には時計を付けたままだ。眠ったのは夜中の2時で、今は9時を示している。あれ? 7時間? そんなに寝たか……?
俺は立ち上がり周囲を観察する。
日はまだ高く、あたりは明るく温かい。風はほとんどない。俺のすぐ3mほど先は腰くらいまである叢で、その先はまた木々が生い茂っていて何も見えない。
なんなんだ、ここは? と俺が思うと同時に、ガサッ、という音が聞こえた。
俺はビクッとしてあとずさりする。
二人連れの人影が俺の足元に転がり込んだ。
人間? 壮年の男と若い女。
男の方は俺の見立てでは60代(以下Aと呼ぶことにする)。女の方は10代後半(以下Bと呼ぶことにする)、というところだろうか。
顔立ちはどちらも純日本風だが、非常にはっきりとしていてどこか神聖な雰囲気がある。たぶん瞳が大きいからだろう。瞳の色は黒で、とても深い色をしている。深い黒は角度によって深緑にも見える。
Aはまっすぐのサラサラとした黒の髪の毛が髭につながっている。頭にはツタのようなもので作られた冠を巻いている。そして、二本のツノ(だと思う)が生えている。
Bの髪は腰くらいまであるストレートで銀髪だ。脱色しているわけではないと思う。根元まで均一な輝くような銀色で、眉毛や睫毛も銀色。肌は真っ白で、産毛も銀色だからか、肌の見えている部分は光をまとっているかのようにも見える。
かなり短めのワンピースを着ている。素材は絹だろうか、光沢がある。頭にはやはり二本のツノ(だと思う)。銀色の髪に銀色の櫛を刺している。
似ているので、親子なのだろう。そして、ふたりともツノがある。ツノにはうっすらと毛が生えているようで、作り物にしては手が込み過ぎているし、コスプレにしてはかなりシリアスな表情だ。たぶん本物のツノが生えているのだろう。
Aは重傷を負っている。
かなりの高エネルギー外傷を受けたようだ。
足は確実に骨折している。なにせ折れた骨の断端が見えている。開放骨折、しかもドクドクと出血している。拍動性の出血が持続しており、比較的太い動脈が傷ついていると考えて間違いない。はやく止血しなくてはならない。
Aは喘ぎながら仰向けに倒れた。俺は近づいて、すぐに診察を始めようとした。
「俺は外科医です……触ってもかまわないですか?」
「はあ、はあ、かまわんが、わしはもう死ぬ……」
ひとまずAの履いていたズボンを脱がせてその一部を破って足に強く巻き付けてみたが、止血できない。通常の動脈性出血なら止血できるはずだが、血管の走行が通常と違うのか……?
頭部を触診、頭部には大きな傷はないようだった。
ツノは本物のようだ。といっても本物のツノを間近で見たのは、奈良にいるシカくらいなので自信はない。首も損傷はない。
眼瞼結膜は真っ白だ。しかし、出血性貧血としても白すぎる。普通の人間と同じようにとらえて良いのかどうかは、よく分からない。
腹部の触診で腹壁反射がある。腹部臓器に損傷があるのか? やや膨満している。腹腔内出血もあるのかもしれない。
「も……もしかして、ぬしは診断が使えるのか……?」Aが驚いた声で俺にたずねた。
「ダイアグノジス? 診断のことでしょうか? たしかに診断するのは俺の仕事ですが…… しゃべらない方が良いと思います、かなり重症ですから」
「な、なんと……この期に及んでドクター・クラスの人間に出会えるとは……なんという僥倖じゃ……しかし、幻と思われていたクラスじゃ……も、もう少し早く出会えていたら……はあ、はあ……」
Aはまだあえぎながら話し続けているが、俺は自分が「ダイアグノジス」と口に出した瞬間に起こった変化に戸惑っていた。
目の前に半透明の板のようなものが浮かんで、Aの姿が透けて見えている。板には字が書いてある。
<診断> 524歳 男 職業:神龍 LEVEL 99(MAX)
ステータス:瀕死、腹部臓器損傷(重症)、下腿開放性骨折(重症)、貧血 (Hb 2g/dl)、回復享受不可、神力行使不可、使役不可、召喚不可
HP 2/25000 , MP 0/500
スキル:全使用不可
「ひ、瀕死……? HPが2? で、ヘモグロビンも2? というかなんだ? このボードは……カルテ?」
何はともあれ、そこに書かれたことをそのまま文字通り信用するなら、おそらく出血性の貧血だろう。まずは輸血が必要だが、治療できそうな施設へここからは距離があるだろうか……救急車は呼べるかな。そもそもここはどこだ? 夢の中?
それでもAはまだ意識を保ち、話しかけてくる。
「はあ、はあ……どちらにしてもわしはもうダメじゃ……それくらいは分かる。しかし、私は自ら死ねないのだ……自死は誇り高き龍の神には許されようもない……このままだと自己治癒は望めず、かつ数日間は苦しみ続けることになる……はあ、はあ……お前に頼みがある」
「いやあ、俺はさっき目覚めたところで、だいたい目覚めたのかどうか……まだ夢じゃないのかな、って思ってるんですけど……」
「いや、夢ではなかろう……」
「まあ、どっちにしてもとりあえず止血しないとやばくないですか……?」
「……いや、血を止めるのはもはやかなわん。わしが血をもらうことのできる他の男龍は全滅じゃ……女龍もここに控えし我が子しかおらん。女龍からは血をもらうことはできん……」
「そういうものなんですか……俺はどうすれば?」
「殺してくれ」
「え? 無理です無理です。俺は人を治すのが仕事で、殺すのは専門外なんです」
「はあ、はあ……いや、ぬしには出来る……わしの最期はすでに予言されておった……白い衣を纏い……光の中に手をかざす者……そのものの光により天に返されるであろう……とな」
「え?俺?たしかに、白衣着てますけどね。病院で寝てたんで。でも……なおさら、あなたを光で天に返すとかちょっとよく分かりませんけど」俺は自分の白衣を見た。病院から支給されたただの白衣だ。実験用の白衣と変わるところはない。
「ぬしの手はすでに光っておる……」
たしかに俺の手は光っていた。いままで生きてきて手が光ったのはこれが初めてだ。
「わしがこのまま死んでしまえば、あの邪悪なものたちに……私の討伐成果が与えられてしまう……それだけは、避けなくては……カハッ」
Aは血を吐いた。うーん、喀血か。見たところ肺には損傷はなさそうだ。ということは喀血というよりは吐血か。腸管に傷がついているのか。かなり厳しい状況とみて間違いない。喀血にしろ吐血にしろ血を吐く、というのはけっこう危ない状況なのだ。ドラマやアニメでよく血を吐く場面があるが、そういう意味ではまあ間違ってはいない。
止血も輸血もできないというなら、仕方ない。夢の中で救急車を呼ぶというのも現実離れ(?)しているし、たぶん呼んでも輸血や止血まで間に合わないだろう。次善の策は鎮痛になるか。
しかし、薬も持っていない俺には鎮痛でさえ荷が重い。ポケットの中を探るがマスクとボールペンが出てきただけだった。せめてフェンタニルでもあればなあ。と思うが、ポケットから麻薬なんか出てきたら事件だ。
やはり何も持っていない。
なんだか、どうやら普通じゃない世界にいるようだけど、俺はほんとにAの言うように「ドクター・クラス」とかいうやつなのか?
俺は、自分自身を対象に念じながら「ダイアグノジス」とつぶやいてみた。
<診断> 27歳 男 職業:ドクター(サージャン)LEVEL 4
ステータス:健康、寝不足(軽度)
HP 9/10 , MP 9/10
スキル:
診断
麻酔
切開
縫合
ほう、やはり寝不足なんだなあ。それにしてもAに比べてレベルが低すぎる。医者になって4年目だから、一年にひとつずつ上がるのかな、と呑気なことを考える。
HPだって瀕死のAと大して変わらない一桁だ。ステータスに「瀕死」と出なくて良かった。
こんな妙にリアルな現実離れした夢を見るのは何故だろう。文字通りの「睡眠不足」がなせる技か。
さっきの「診断」はこの「スキル」というのを使ったのかな……
なら、麻酔も切開も縫合も使えるのだろうか。
麻酔が使えるならば腹腔内出血を止めることはできなくてもAの痛みを取ることはできる。命は保障できないが……
「ほんとにいいんですか? 楽にはなるかもしれませんけど……ほかに生き延びる手段みたいなものがあるんじゃないんですか?」
「はあ、は……は……は、笑わせるな。あると思うか? それに、私は寿命か、あるいは良心のあるものに殺される限りは転生の余地があるのじゃ」
転生……? 生まれ変わりのことかな。世界観の設定にずいぶん手が込んだ夢だ。あはは。
いずれにせよ出血は続いている。だいたい、さっきのステータス画面で見たところによると「回復」そのものの「享受」が不可能のようだ。そういう解釈でいいのかどうかは分からないが。
「分かりました。とりあえず痛みを取ることを考えてみましょう。おそらくそれとともに息も止まることになりますがいいですか?」
「そ……それでいい……頼む」
「分かりました。やってみましょう」
「この娘は大丈夫じゃ、娘のことは頼んだ…… して、ぬしの名は?」
「ユズル、です。ハムロ・ユズル」と俺は答えた。
俺はAに手をかざして「麻酔」とつぶやいた。これでいいのかな。
その瞬間俺の手が黄色く光って、Aの身体全体を包み込んだ。
Aは目を一度大きく見開き、大きな息をひとつして、ゆっくりと吐き出した。目からは急速に力が失われた。
「……ありがとう」Aはしばらくとても安らかに息をしていたが、数分観察するとやがて息をするのをやめた。
俺は、息が止まったのを見て、Aの瞳孔を確認した。そして、胸に耳を近づける。
「瞳孔散大、心拍なし、呼吸なし」死の三徴を確認し、時間を確認した。9時23分。死亡宣告。
Aの身体が白い光に包まれ、半透明になる。俺は驚いた。
その白い光はAの身体を運ぶようにふわりと浮かび上がる。半透明のままAの身体が縦方向に伸びる。蛇のような形だな、と思うと頭のツノも伸びて、瞬く間に龍の形に変わり、上空へと昇っていった。
やがて見えなくなると、俺の身体が震え初めた。地震かと思ったが、周りをみると震えているのは自分だけで、地面も木々もBもまったく揺れていなかった。
おおおおおおおおおおおおおお、お、お!なんだ、これは・・・・・何かが頭の先から体内に流入してくるるるるるるる、る、る・・・
震えが収まった。これがAの言っていた「討伐成果」というやつか?いわゆる経験値みたいなもんかな。あれだけのことで、俺に与えられたのか。別に俺が瀕死の傷を負わせたわけではないが。本意ではないが、たしかにとどめを刺したのは俺と言っても良いかもしれない。よくわからないがAの思惑通りになったのならよかったのだが。
ふと我に返り、Bに話しかける。
「えっと、大丈夫ですか?」
Bは首を縦に振るだけで返事はしない。
俺はBも診断してみることにした。
<診断> 17歳 女 職業:なし(神龍姫) LEVEL 35
ステータス:裂傷(重度)、姫力行使不可
HP 1000/12500, MP 0/200
スキル:
神隠し
他使用不可
あれ、裂傷があるのか?
そういえば、Bはちゃんと診察していない。お父さんが重傷だったから気をとられていた。
それに現代では、医師であろうと女性を診察する時は女性の看護師を同席させないといけない。それは自己防衛のひとつでもあるのだ。しかし、状況が状況。森の中で重度裂傷を負っている患者がいるのだから、とりあえず創部を観察しなくては。
「どこかに切り傷がありますか? 見せられます?」
Bは俺の方を見て何度もうなずいた。
「えっと、あるんですけど、なんで分かったのー? キズ治せるんすか? すっご」
Bが答えた。喋り方に違和感はあるが、とりあえず俺は言葉が通じたことに少し安心した。
はじめて顔を真正面から見たが、夢の中でなければ(ここが夢の中でなければなんなのか?)まともに目を見て話せないだろう、と思うくらいの美人だった。まるで黒のカラーコンタクトが入っているかのような大きな瞳に強い力がこもっている。日本風で、ほりが深いというわけではないのだが、くっきりとした二重で、鼻筋もしっかり通っている。
しかし、俺も医者の端くれだ。見とれている場合ではない。
Bはあっさりと着ていたワンピースのようなものをお腹までまくり上げた。下着はつけていない。申し訳程度に生えている陰毛も銀色。俺は少したじろいだが、仕事モードに入っているので、このくらいは大丈夫だ。
「横になれますか?」と俺は聞いた。彼女は服をまくり上げたまま横になった。
右大腿部におよそ20cmほどの裂傷。出血はそれほど多くはないから気づかなかったのだ。新しいキズ。刃渡りの長い刃物で切り付けられたように見える。縫った方が良さそうだ。
ついでに全身を簡単に診察する。他に損傷はなさそうだ。
お父さん(A)が一生懸命かばったのだろうか。
となると、大腿の裂傷だけが問題だが、あいにく糸も針も持ち合わせていない。外科医も道具やら薬がないと何もできない。
すこし考えて、「スキル」に「縫合」ってのがあったじゃないか、と思い出した。
Bの傷に手をかざす。
「縫合」
俺の手が青く光り、その光がBの大腿部裂傷を包み込む。
傷の縁と縁が合わさって見ている間にくっついていく。
(おお……本当に治った。まるで本当に縫合したかのうような一次治癒なんだな)
Bは驚いている。当たり前だ。驚かない方がおかしい。
少し上気した顔で俺の方を見る。
「えーー? これマ!? すごくない? やばい!! ガチですご!」
あれ? 龍の神の姫? しゃべり方おかしくね?