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「人」にも新発見です。

作者: 分我羅人

「我」に精神=メンタルと、現実=リアルと

いう二種があるように、「人」にも「静」

「動」の二面性がある。静はイメージ通り

「存在し続ける」の性質だが、「動」は

「存在し続けるために何かを求める」と

いう、厄介な性質を持つ。これまで「人」

の本質を「平穏無事」としてきたが、何か

シックリこない。「理由なき反抗心」やら

「理性による本能の超越」等のフレーズに

惹かれてしまうのは何故か?その答がコレ。

「我」の仕事は「存在する」を守るために

活動する事、その原動力は「人」。そして

互いを含む双方向による相互防衛の関係を

論じた後で何ですが、それなら「我」は

守り一辺倒でマリモかアルマジロになれば

いい。わざと「破滅を含む冒険をに誘う奴」

が内部に「いる」から、ソコに何かを求め

「やっちまう、やらかす、成し遂げる」。

「何がどうなろうと不変が本質ならば、

さっさと終わらせたらいいじゃん」という

誘いには「結果」を求める奴の声がある。

ソノ状況、条件に決着を着け「結果」を

出させようとする無茶な奴。それが「人」

の「動の性質」だ。ヤバイ、本質の中にも

敵がいた?だがコイツは無茶な奴だが、

またスゴイ奴でもある。世の中の大発見や

大発明は「間違い」から産まれたものも

あるだろう、何故?当たり前の常識、正解

から外れた行動だからこそ、見落とされて

きた新発見を成せるのだ。そう、失敗は

成功の元・・・いや、意味が違うか?

「人」はご立派な聖人じゃない、案外、

「考え足らずの軽はずみ」「記憶力ゼロ」

「要らんコトしいの調子乗り」なのだ。

だから「我」の知性で「この世界」から

守ってやらにゃあならん。欲しくばやる、

正しい理性による「成果」を。

例えば、1+1=2だが、柿一つとリンゴ

三つをたすと・・・いや、意味が解らん?

素直に4?でも柿とリンゴだよ?で、

数は変わっても、その本質、正体は

変わらない。柿一つとリンゴ三つが正解。

というと、おそらく先生に怒られます。

だいたい、1と1だって2に変わっても、

「数」という本質、正体は変わってない。

「自身を含めて人を損なうな、そして

世界に存在するモノを粗末に扱うな」

それが理性と本質から成る「人類」の

「正体」です。

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