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9.贈り物

 

「アリエスさん、見てください」

「……それはどうしたの?」

「えへへ……。実はもらったんです」

「もらった? 懐刀ナイフを?」


 食堂の席についてしばらくして。

 ユッタは嬉しそうに腰の作業袋から、綺麗な細工が施された鞘に収まった懐刀を取り出してテーブルに置いた。

 流れで一緒に座っていたジークも驚いて質問する。


「恋人にもらったんです。離れていても私の傍にいられるように、お守り代わりだって」

「へえ? かなりいいものだね。きっとその恋人は身分ある人なんじゃないか?」

「それは秘密です」

「そう、残念だわ」


 秘密と言いながら、ユッタは誰かに話したくて仕方ないのだろう。

 アリエスはちらりと懐刀を見てから呟いた。

 するとユッタは嬉しそうに顔を輝かせて、懐刀を腰袋に仕舞う。


「もう、行かないと。今日は早めに休憩を取ったんです」


 返事を期待していたわけではないのか、立ち上がったユッタは食器を持って行ってしまった。

 その後ろ姿を見送って、アリエスは首を傾げた。


「どうかしたのか?」

「先ほど、ユッタが恋人らしき人と一緒にいるところを見たの。隠れて会っているようだったから、サボっているのかと思ったけれど、休憩中だったのね」

「イヤオルは勤務中だったのかもな」

「知ってたの?」

「あの懐刀をイヤオルが持っているのを見たことがあるんだよ。確か大切なものだって言ってたから、彼女に本気なんだな」

「あら……」

「ああ、あんたもイヤオルに声をかけられたのか? 今まではそれなりに女性との付き合いを楽しんでいたようだからな」

「確かに声をかけられはしたけれど、それとは別に大切なものを渡したからといって、本気かどうかはわからないでしょう?」


 ボレックも結婚している間は不本意ではあっただろうが、ハリストフ伯爵家に伝わる宝飾品を使わせてくれた。

 結婚指輪も渡されていたが、それも追い出されるときに指から引き抜かれたのだ。

 ハリストフ伯爵家の花嫁が代々身につけていたという大きなエメラルドの指輪は、アリエスの趣味ではなく、重い枷のように感じていたので正直なところせいせいしていた。

 だが、ジークはアリエスの言葉に軽く眉を寄せる。


「ずいぶん皮肉な見方をするんだな」

「殿方にしてはずいぶんロマンチストね」


 言いながら、アリエスは弟のルドルフのことを思い出していた。

 ルドルフは家の窮状を知っていながらも〝愛〟とやらを優先させたのだから、ロマンチストなのだろう。

 その〝愛〟は姉には向けられることはなかったようだが。


「意外と女性のほうが現実主義だろ?」

「己の力で身を立てることができる男性と違って、女性は現実を見なければ生きていけませんから」

「だがあんたは自分の力で生きていこうとしているんだな」


 その言葉には、アリエスは肩を竦めただけだった。

 ジークはにやりと笑って席を立ち「じゃあ、またな」と言って去っていく。

 すでに食事を終えていたアリエスのトレイを運ぼうとまでは考えなかったらしい。


(別に、彼に女性扱いしてもらいたいわけじゃないわ)


 上辺だけの扱いならポルドロフ王国で嫌というほど受けた。

 だが皆、陰では笑っていたのだ。

 お金で買われたハリストフ伯爵夫人は、夫の度重なる浮気に口を出すこともできなければ、子供を産むことさえできない。

 さらには――。


(馬鹿馬鹿しい)


 アリエスは過去のことを思い出すのをやめ、また小さく肩を竦めるとトレイを持って立ち上がった。

 午後からも楽しい資料整理の仕事が待っているのだ。

 これほどの天職はないと、自分は幸運だと思いながら資料室に戻ったアリエスは修繕の必要な本を持って再び窓辺に座った。

 そこで顔をしかめる。


(……まさか、男にまで手を出してるの?)


 イヤオルという近衛騎士があの物陰で誰かと会っているのは今までに何度も見てきたが、相手が男性なのは初めてだった。

 何か深刻な話なのか、相手の男性――同僚である近衛騎士はイヤオルの腕を摑んで必死にすがっているように見える。

 しかし、イヤオルは素気なく腕を振り払うと去っていってしまった。


 下世話な想像をすると、ユッタの噂を聞いた相手の男性がイヤオルに詰め寄っていたように思える。

 そうなるとジークの言葉は本当なのかもしれない。

 もしユッタも軽い気持ちで付き合っているなら、あの男性も適当に言いくるめることができただろう。

 そこまで考えて、アリエスはふんっと鼻を鳴らした。


 アリエスは同性同士の恋愛には否定的ではないが、世間ではタブーとされているのだ。

 そもそもアリエスは愛だの恋だのといったものはもう信じていない。

 あれは一種の心の娯楽であり、心の隙間を埋める暇つぶしのようなものでしかない。

 恋愛小説を読んでも主人公たちに共感することはなく、むしろ自分の欲望に忠実な悪役のほうを応援してしまう。

 ボレックも何とかという未亡人と再婚するほど熱を上げているらしいが、あれもそのうち冷めるのだろうと思っていた。

 無一文で(世間的には)追い出されることにはなったが、アリエスはボレックに離縁を決意させてくれた未亡人には感謝している。


(まあ、本人たちが本気だと言うのなら、わざわざ否定する気にもならないけど)


 身分差からいっても、いつかユッタは捨てられるだろう。

 そんなユッタを気の毒には思うが、それまで楽しめればいいわねと応援する気持ちもあった。

 アリエスが視線を階下に戻すと、イヤオルの相手は手近に咲いていた花々を乱暴にけり散らして去っていく。

 その姿にアリエスは眉をひそめた。


 罪のない花々に当たるなど、最低の男性らしい。

 男性を睨みつけたアリエスに覗き見の罪の意識はない。

 そもそもアリエスの見えるところで勝手に始めたのだから、覗き見でもないだろう。

 誰もいない小さな中庭を見渡してから、アリエスは目の前の修繕を必要とする本に意識を集中した。




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