73.他人
「は……? あなた、何を言って――」
「ですから、そのネックレスもイヤリングもよくできた模造品です」
「ば、馬鹿なことを言わないでちょうだい! あなたごときがそんなことわかるわけないでしょう!?」
「お母様、私は六年という短い間でしたが、ハリストフ伯爵家の女主人として、多くの宝石に触れておりました。ですから本物か偽物かの違いくらいはわかります」
そこまで言って、アリエスは閃いたとでもいうように手を叩いた。
「ああ、ひょっとして、今回の騒動でもわかるように、盗難を防ぐために今夜はそちらを着けることにされたのですか? 本物はやはりハンナさんのものですし、今もクローヤル伯爵家の金庫にちゃんと保管されているんですね?」
「そ……そうよ! その通りよ!」
やはり母親はこれらの宝石が偽物だと気付いていなかったのかと、アリエスは呆れた。
ずっと本物だと信じていたのだろう。
おそらくアリエスの祖父が賭博で破産寸前になったときに、よくできた模造品を作らせて本物を換金したに違いない。
実際、アリエスも近づくまでは気付かなかったくらいなのだ。
「そうですか。それなら、イヤリングそのものが見つかれば、お優しいお母様のことですから、きっと彼女を許してさしあげるでしょう?」
「ええ、もちろんよ!」
本来なら、母親がアリエスにこうして賛同するはずがない。
だが今は周囲の批判めいた視線にようやく気付いたようだった。
室内にいる女官や衛兵の白けた視線だけでなく、部屋の入口に集まった者たちはひそひそと囁いている。
「それでは、どうやらイヤリングも見つかったようですし、彼女を許してあげますよね?」
「何を言って――」
「あなたも、紛失してしまったのはあなたの失態なのだから、これからは高価なものの取り扱いは慎重にしないとだめよ」
「は、はい……?」
アリエスの突然の言葉に、母親は怒り、メイドは訳がわからないといった様子だった。
そこに、集まった使用人たちに通すように言いながらガイウスが部屋に戻ってきた。
室内にいた衛兵二人だけでなく女官もほっとしたようだったが、アリエスは思わず顔をしかめた。
ガイウスの後ろから女官長まで現れたのだ。
「クローヤル女史、あなたはまた騒ぎを起こしているようね」
「女官長、ご期待に沿えず申し訳ございません。騒ぎを起こしているのは今回も私ではなく、私の母であるクローヤル伯爵未亡人です」
「アリエス!」
「クローヤル女史!」
アリエスの返答に、女官長だけでなく母親も同時に怒りの声を上げた。
二人とも息ぴったりで、甲高い声まで似ている。
「クローヤル女史、おっしゃっていた通り、ありましたよ」
「そうですか。わざわざクローヤル伯爵家の家宝のために、ありがとうございます」
ガイウスが近づきながら差し出した手の中には、紛失したイヤリングがあった。
皆があっと驚いたが、アリエスは当然とばかりに頷き、母親への嫌みのように感謝の言葉を述べた。
「ええ。クローヤル女史のためですからね。懸命に森の中を探して、木にまで登り、急いで戻ってきましたよ」
「それがあなたたちの仕事でしょう!?」
ガイウスから奪い取るように手に取ったイヤリングを見て、母親は嫌悪の表情を浮かべて責めた。
イヤリングが土埃などで汚れているのが気に入らないようだ。
「木登りは仕事には含まれませんよ。失せ物の捜索もね」
ガイウスだけでなく、一緒に戻ってきた衛兵たちの衣服は、ズボンの裾を中心に泥や蔦、木の葉などで汚れている。
女官長はその姿で右翼棟に入ってきた衛兵たちに、侮蔑の視線を向けてからなぜかアリエスを睨んだ。
「盗難があったと聞いてやってきましたが、間違いだったようですね。そちらのメイドはこの王宮の使用人ではありませんし、私たちには関係ないことですのに、このように騒ぎ立てて、王宮の品位を落とさないでくださいませんか?」
「何ですって!?」
意外なことに女官長は母親を――クローヤル伯爵未亡人を責めた。
その言葉にずっといた女官とメイド長は大きく頷いている。
ほっとした様子の二人とは違い、伯爵未亡人は怒り心頭といった様子で顔を真っ赤に染めた。
これはなかなか面白い戦いだなとアリエスは感心した。
同族嫌悪というものなのだろう。
このまま争ってくれれば観戦できるのにと思ったが、残念ながら二人の怒りはアリエスに向けられた。
「アリエス! あなたが酷い娘になったのもよくわかったわ! こんな人の下で働いているんですもの!」
「クローヤル女史、あなたもいつまで持ち場を離れているつもりですか? すぐ関係のないことに首を突っ込んで、恥を知りなさい」
似たもの同士であるがゆえに、お互い争うよりも他人に怒りをぶつけて責任を逃れようとする思考まで似ているらしい。
ただなぜか単純な二人を相手にしていると安心してしまう。
そんな自分は本当に心が捻じれてしまったのだなとおかしくなった。
「今回のことはクローヤル伯爵家のことですから、私にも関係はあります。また、このイヤリングを盗んだ犯人もこの王宮のものなのですから、女官長にも関係がないとは言い切れません」
「何ですって!?」
「ほら、あなたの責任じゃない」
アリエスが女官長に冷静に答えると、母親はしたり顔になった。
母親を喜ばせるのは本意ではないが、今までのやり取りで評判は地に落ちただろうからよしとする。
きっと今夜のパーティーでは、国王とマルケス夫人が登場するまで、偽物のネックレスとイヤリングは注目の的だろう。
「女官長は常々この王宮全体を管理しているのは自分であるとおっしゃっておられますので、このイヤリングを盗んでいった犯人についてもご存じでしょう?」
「わ、私は、この王宮の管理を担ってはいますが、盗人のことまで把握できるわけないでしょう!? それは警備兵の管轄よ!」
「そうですか。では王宮全体ではなく、一部ということですね。あまり誇張されると、ご自分の力が及ばないときに苦労されるので気をつけられたほうがよろしいですよ」
「余計なお世話です!」
なぜか女官長にはわざわざケンカを売ってしまう。
初対面のときから嫌いだったので、これはもう相性の問題なのだろう。
そして今のアリエスには、嫌いな人と仲良くする気もなかった。
「おそらく、ここにいるほとんどの方が、もうすでに犯人の目星をつけていると思うのですが……女官長はまだわからないのですか?」
アリエスがメイド長や廊下に集まる使用人たちに問いかけるように言えば、皆が遠慮がちに頷く。
それに応えて、アリエスはさらに女官長を煽り、ガイウスへと向き直った。
「ここからは私よりも、イヤリングを見つけられたガイウス隊長に説明していただいたほうがよいでしょう。お願いします、隊長」
「は? あ、ああ、そうですね……」
それまで面白そうに女性たちの争いを見ていたガイウスは、いきなり話を振られて焦ったようだった。
恨めしそうな視線を一瞬アリエスに向け、すぐに隊長らしくきびきびと話し始める。
「結論から申しますと、このイヤリングはどうやらカラスが持ち去ったようですね」
「カラスですって?」
ガイウスが口にした窃盗犯に、女官長も母親も驚き目を見開いた。
ここのところ使用人棟付近で騒いでいるカラスについて、女官長は把握していないらしい。
また、クローヤル伯爵領でもカラスは珍しくないが、アリエスと違って母親は野生動物とは無縁の生活を送っていたためピンとこないようだ。
「はい。ここ最近、王宮の森を寝床にしているのか、カラスがよく現れるんですよ。カラスが光り物を好むことは、わりと有名ですから。クローヤル女史から犯人はカラスではないかと助言をいただき、急ぎカラスの寝床や普段現れる場所にこれがあるのではないかと探しました」
「カラスだなんて、王宮の者ではないじゃない!」
続けてガイウスが説明すると、今度は女官長が声を上げた。
それからアリエスが嘘をついたとでもいうように厳しい表情を向けてくる。
「王宮の森に住んでいるのですから、王宮のものではないでしょうか。おそらくここはカラスにとって、魅力的な住処なのでしょう。森が近くにあり、調理場の裏手はネズミも多いでしょうからエサには困らない。ハーブ園や庭園での作業でミミズなども掘り起こされますからね。しかも遊び道具まであるのですから」
「遊び道具ですって?」
カラスが遊ぶなんて信じられないというように、母親も女官長も眉間にしわを寄せる。
アリエスは二人がやはりよく似ているなと笑いを堪えた。
「はい。カラスは光り物を銜えたり落としてみたりして遊ぶようですよ。以前、忠告したときに調理場の裏手のガラス瓶は片付けたようですが、割れた破片が残っているのでキラキラして楽しいのでしょう。この部屋も、普段は布で覆われている鏡が西日で反射するか何かして光り、カラスの興味を引いたのだと思います。そして開いた窓から入ってきたのではないでしょうか? それならイヤリングが片方だけ一瞬で消えた理由も説明できます」
「カラスなんて、ただ煩く鳴くだけじゃない。遊びのために私のイヤリングを盗むなんて信じられないわ。やっぱりこの娘を庇っているんじゃない?」
「私はクローヤル伯爵家を出てから七年以上になります。一年前にルドルフを訪ねたときにはお母様はいらっしゃいませんでしたから、彼女とは面識がありません」
「それが何なの?」
面識のない相手をなぜわざわざ庇う必要があるのかと告げたつもりだったが、母親には通じなかったらしい。
アリエスは野次馬は大好きだが、面倒くさいことにはかかわりたくないのだ。――特に今は。
ガイウスにどうにかして、とばかりに視線を送ると、仕方なさそうにガイウスが前に出てきた。
「今回のことは、こちら側の管理不足でした。カラスには以前から煩わされていたのですが、なかなか追い払うことができませんでしたので、クローヤル伯爵未亡人にはご迷惑をおかけいたしました」
「こちら側といっても、男性陣の失態でしょう?」
「あら、責任逃れなの?」
ガイウスの言葉に女官長が口を挟む。
そこにさらに母親が割り込み、新たな戦いに発展しそうだったが、アリエスはすっとお辞儀をして部屋から出ていった。
使用人たちは何か言おうと口を開いたが、アリエスは首を横に振っただけで黙らせる。
そのまま廊下に出たアリエスは、伯爵家のメイドに新しい職場を手配することを考えながら、リクハルドの許へと急ぎ戻っていった。