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64.発熱

 

「熱を出したらしいな?」

「――ええ。ですが子どもにはよくあることです。こうして徐々に耐性をつけていくのですから。あなたにも覚えがあるのではないですか?」

「それはまあな」


 日付の変わった頃に突然現れたジークは、眠るリクハルドをちらっと見ただけでベッドを通り過ぎていく。

 アリエスがリクハルドの額に乗せた布を冷たい水へと浸して絞り、また元に戻している間、ジークは隣の部屋への扉を軽く開き覗いた。

 それから音も立てず扉を閉めると、ベッドから離れた長椅子へと腰を下ろす。


「やはり気付いたか」

「あれだけあからさまでしたから。二冊の本はあるべき場所へ戻しましたけれど」

「そうか……」


 満足そうに笑うジークを無視して、アリエスは手元の日記に視線を戻した。

 ジークは書斎の掃除が行き届いていることで、アリエスがあの小部屋の存在に気付いたことがわかったのだ。

 おそらく誰かが気付くのを待っていたのだろう。

 あれだけあからさまに並びの違う本二冊があの場所に収まっていれば、目敏い者はすぐに気付く。

 そのため、アリエスはエルスに場所をよく覚えるようにと言い含めて、本の並びを正常に戻したのだ。


「で、大丈夫なのか?」

「はい。もう熱も下がってきておりますし、呼吸もかなり落ち着いてきておりますから」

「いや……まあ、それならよかった」

「何ですか? 他に気になることでも?」


 アリエスの返答にジークは何か言いかけ、気まずそうに頷く。

 他にも質問があるようだが、心当たりがありすぎてわからず、アリエスは訊ねた。


「……リクハルドが熱を出したことで、テブラン公爵に酷く責められたそうだな」

「ああ、そのことでしたか。それなら大丈夫です。どんなに強く罵られようとたいしたことではございません。むしろ公爵の語彙のなさに退屈したほどです」


 もしものことがあれば許さない、罰を与える、死でもって償え、など聞き飽きた言葉である。

 怯えて俯き震えている演技もかなりつらかった。

 何度も謝罪の言葉を述べたが、同じ罵詈雑言の繰り返しで、別の意味で拷問だと感じたほどだ。

 あくびを堪えるのに目に涙が溜まったのがいい演出になったことはよかったが。


「まあ……それならよかった」

「先ほどとまったく同じ返事ですけど、あなたまで語彙力が乏しいとは残念ですね」

「それは――」

「別に愛せないからといって、罪ではありません。以前の私の言葉は忘れてください。私が口を出すべきではありませんでした。親だからといって子どもを必ず愛せるわけではありませんし、子どもが親を愛する必要もないですものね」


 そこまで言って、アリエスは日記から顔を上げた。

 要するに、ジークはテブラン公爵に責められたアリエスを心配していたのだ。


「ご心配をおかけしたようで、申し訳ありませんでした」

「それはアリエスのせいじゃないから謝罪は必要ない。そこは礼を言うべきだろ?」

「……ありがとうございます」

「嫌々かよ」


 ジークは笑って立ち上がると、今度はまっすぐにリクハルドを見た。

 確かに呼吸は深く安定しているようだ。


「これ、返すよ。ロレンゾにも言えたら礼を言っといてくれ」

「どうでした?」

「俺も信じられないくらいだが……宰相に相談してもらえなかったのは情けないな」

「では当時、相談されていたらどうしましたか?」

「……信じられない、と答えただろうな」

「それでは、今は?」

「信じたくないが、可能性がある限り調べなければならないだろう」

「それを聞いて安心しました。前宰相様のように、甘いお考えではないようですから」


 先々代侯爵の日記を受け取りながらアリエスが答えると、ジークは疑うように片眉を上げた。

 これ以上はリクハルドの枕元でする話ではないと、アリエスはそっと椅子から立ち上がり、先ほどの長椅子のある場所へと向かった。

 アリエスが長椅子に腰を下ろすと、ジークは傍に据えられた一人掛け用の椅子に座る。


「証拠があるのか?」

「私はあなたより女性については詳しいですから。証拠といえば、あなたの幼い頃の肖像画を拝見しました。殿下にそっくりでとても可愛らしかったですね」

「今も可愛いだろ?」

「冗談の定義をもう一度学び直しておいたほうがよろしいですよ」

「冗談でさえ否定されるとか、相変わらず冷たいな」


 意外とまでは思わないが、アリエスがリクハルドの父親を疑ったことについてジークはあっさり受け入れた。

 先々代侯爵の日記でもかすかに触れられていたが、やはり疑っていたらしい。


「怒らないんですね?」

「誰かを責められるほど、お綺麗な生き方はしていないんでね」

「そうでしょうね」

「おい、ここは慰める場面だろ? あっさり肯定するなよ」

「慰めてほしいんですか? 幼子のように?」

「いや、それは……」


 口ごもるジークを目にして、アリエスはくすりと()()()

 途端にジークがぽかんと口を開ける。


「何ですか?」

「……笑った」

「――あなたが誰かの膝に頭を乗せて慰めてもらっている姿を想像したら面白かったものですから」

「それが面白いなら、今すぐ膝枕してくれ」

「嫌です。絶対に」


 立ち上がったジークを睨みつけて、アリエスは拒否した。

 するとジークが声を殺して笑う。


「『絶対』を付け足すほど拒絶しなくてもいいだろ?」

「曖昧な表現で誤解を招くような愚かなことはしたくありませんので」


 笑った自覚がなかったアリエスはことさら冷たく応じたが、内心では自分は笑ったのかと感動さえしていた。

 意識せず笑ったのは久しぶりかもしれない。

 それをジークに知られると思うとなぜか苛立ち、アリエスは話題を戻した。


「それで本題は何ですか?」

「ああ、この日記についてアリエスの意見が聞きたかったんだ。それで、証拠があるなら教えてほしい」

「対価は?」

「手厳しいな。何が望みだ?」

「そうですね……」


 ジークが話を引っ張らないでいてくれて助かった。

 その気持ちからアリエスはほんの少しだけ気を緩めてしまったのかもしれない。

 誰かを信頼することなどもうやめてしまったのに。


「では、ジークの……」

「俺の?」


 言いかけて我に返ったアリエスは、再び腰を下ろして続きを促すジークを冷ややかに見つめた。

 そうすることで、冷静さを取り戻す。


「――あなたの信頼する方を教えてください。ガイウス隊長とダフト卿以外に」

「そうだな……。まずは法務長官のガスパル伯爵。彼は味方ではないが敵ではない。マーデン王国に忠誠を誓ってくれている人物だ」

「国王陛下にではないんですね」

「そこは突っ込むなよ」

「ハミルトン卿は?」

「ああ、彼も信頼できる。前宰相の――先々代カスペル侯爵を崇拝しているからな。彼の遺志を裏切ることはないだろう。他には……」

「今はもう十分です。敵でないことがはっきりしただけで少しは安心できましたから。それにしても……もう少し人望があってもよろしいのではないでしょうか?」

「仕方ないんじゃないか? 何しろ俺は()()()()らしいからな。だが他にも信頼している者はいるぞ」

「いいえ、本当にもう結構です。私はそれ以上の情報に見合ったものを差し出せませんから」

「王妃暗殺の証拠の対価なら、これくらいの情報では――」

「証拠はありません」

「ブラフかよ」

「いえ、確信はあります。ただ確たる証拠がないだけですので、それはこれから手に入れる予定です」

「お前な……」


 騙された、とでもいうようにジークはため息を吐いた。

 それだけ信頼されていたのかと思うと面白おかしくなってくる。


「あなたのその甘さがまだお二人から忠誠を得られない理由ではないですか?」

「傷を抉るな」

「せめてもう一人くらい、しっかりした立場の確実な味方を増やされたほうがよいと思いますが?」

「その件についてはすでに手を打っているよ」

「そうでしたか。差し出がましいことを申しました。それではお詫びに、傷心のあなたにお薬を差し上げますわ」


 アリエスは立ち上がると、隣の部屋へと――書斎へと入り、慣れた様子で秘密の小部屋への入口を開けた。

 後から入ってきたジークは小部屋の様子に目を丸くする。


「アリエス、お前……魔女ってのは本当だったんだな」

「まだまだ見習いですよ」


 言いながら、アリエスは目立たない場所に置いていた小瓶を取り出した。

 それから走り書きのような文字が書かれた紙と一緒にジークへと渡す。

 飲み方を簡単に書いたものだが、他には何も書かれていない。


「殿下に昨日飲んでいただいたものと同じものです」

「熱冷ましか?」

「いいえ、これは毒です」

「……は?」

「おそらく王妃様がお飲みになってしまったものと同じ、ポルドロフ王家秘伝の毒薬です」




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