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6.王宮

 

 嫁ぐ前は不出来だったマナーもこの六年でしっかり身に付けた。

 ダンスは未だに苦手だが、王宮で働く限り踊る機会はないだろう。

 使用人のように気配を消すこともすっかり得意になった。

 様々な知識もたくさんの本から得ており、ポルドロフ王国の社交界で政治や経済の話をこっそり聞いて実用的な知識もある程度はある。

 影の薄いアリエスは重要な話をしているときに傍に立っていても気にされることはなかったのだ。


 社交界はゴシップだけでなく、ちょっとした薬草の知識、政治や経済から外交問題なども話題に事欠くことはなかった。

 大嫌いではあったが、ハリストフ伯爵夫人としてポルドロフ王宮の行事に参加したことも何回もある。

 そのたびに夫がまったく傍に寄りつかず、ひそひそと悪意ある噂の的にはなっていたが。


 祖国であるマーデン王国ではクローヤル伯爵家の娘として、元ハリストフ伯爵夫人としてでも、王宮で務めることは可能に思えた。

 あとは伝手と紹介状があれば問題ないはずだ。


「姉さん、残念ながらそれは無理だよ」

「あら、どうして?」

「王宮では新しい女官は必要ないんだ。三年前に王妃様が亡くなられてから、女官は減らされたくらいなんだ」

「それなら侍女でもメイドでもいいわ。下働きはできるか自信ないけれど、それ以前にあなたが嫌でしょう?」

「メイドでも同じだよ! そもそも伯爵家の人間が誰かに仕えるなんてあり得ないだろ?」


 アリエスはルドルフの言葉にがっかりしていた。

 いったいいつから弟はこんなにも狭量で偏見に満ちた人間になってしまったのだろう。

 言いたいことは山ほどあるが、どうにか呑み込んでアリエスは続けた。


「ならやはり女官ね。王妃陛下が亡くなられたのは残念だけれど、陛下はまだ確か……三十歳を少し過ぎたお年よね? そろそろ再婚のお話があるんじゃないかしら?」

「そんな話は聞いてないよ」

「それはそうよ。本決まりになるまで公表されるわけはないんだから」


 本人に再婚の意思がなくとも王ともなれば周囲が放っておかないだろう。

 マーデン国王には亡くなった王妃との間に四歳の息子がいる。

 だが後継者がいるとはいえ、一人では心許ないと臣下たちはそれぞれの立場から動いているはずだ。

 そのことに考え付かず、そのような噂も聞いていない弟には、どうやら政治的手腕はないらしい。


「とにかく、あなたは私に恩があるはずよ。だから王宮で働くための紹介状を用意してちょうだい。私が無事に王宮で職を得たら、あなたには――クローヤル伯爵家にはもう迷惑をかけないわ」


 きっぱり告げると、アリエスは立ち上がった。

 ずっと立ったままだったルドルフは苦々し気な表情で考え込んでいる。


「今日はもう疲れたから休ませてもらうわね。奥様に紹介してくれるのは明日でいいわ。紹介状の用意ができるまでゆっくり滞在させてもらうつもりだから」


 意地が悪いとは思ったが、言うことは言わせてもらう。

 もうこれ以上家族の都合で振り回されるのはごめんだった。

 アリエスはルドルフの答えを待たず書斎を出ると、勝手知ったる足取りで用意された客間へと向かった。

 そして部屋に入ると急に疲れが押し寄せ、長椅子にどさりと座る。


 着替えてベッドに横になりたい。

 だが使用人を呼ぶためにベルを鳴らすことさえ億劫で、アリエスはそのまま目を閉じた。


   * * *


 王宮の通用門をくぐり抜けた馬車の窓から、アリエスはそっと外を眺めた。

 裏口とはいえ王宮までの道は広く、対向してきた荷馬車が横を通り抜け、さらには衛兵や使用人らしき人たちが道の端を歩いている。


「広いのね……」

「驚きましたか? ですが正面の道はもっと広いですよ」


 馬車の向かいに座るヘンリーがにこやかに説明する。

 ヘンリーはルドルフとは違ってアリエスを快く王宮の女官へと紹介してくれた好人物だ。

 今もわざわざ初出勤――というより、このまま王宮に住むことになるのだが――のために馬車で迎えにきてくれ、女官長のところまで送り届けてくれるらしい。

 アリエスはヘンリーに頷いて理解したことを示すと、また窓の外に目を向けた。


 王宮が広いのはよくわかっている。

 ポルドロフ王国で何度か王宮に招かれたのだから。

 ただそれはいつも正面からだったので、通用門から王宮の裏口に続く道もこのように広いことに驚いたのだ。

 だが考えてみれば王宮には何千人と働いていて、物資も多くいるはずだ。

 ここで渋滞を起こしていては全てが滞ってしまうだろう。


 やがて馬車は裏口らしい場所に止まり、アリエスはヘンリーの手を借りて降りた。

 裏口とはいえ荷下ろしをする場所ではなく、ヘンリーのような身分のある政務官などが出入りする場所らしい。


「緊張しています?」

「……少し」

「大丈夫ですよ。女官長のヨハンネ夫人はしっかりした方ですから」


 そこは優しい方ではないのかと思ったが、アリエスは何も言わなかった。

 ヘンリーこそ優しい人物だが、少々抜けたところがあり、政務官として大丈夫なのかと余計な心配をしてしまう。

 そこでふと、ヘンリーが王宮で何の仕事をしているのか聞きそびれていたことに気付いた。

 しかし今さらここで訊くのもためらわれる。


(まあ、そのうち知ることができるでしょう)


 アリエスは気楽に考えて、持っていた小さな鞄を抱え直した。

 大きい鞄はヘンリーが持ってくれている。

 それから目的地に着くまでの間、ヘンリーは目につくものをあれこれと説明してくれた。

 マーデン王国は国の規模もポルドロフ王国とそれほど変わりなければ、王宮の規模も構造もそれほど変わりないようだ。

 これならすぐに覚えられるとアリエスは無表情なまま内心で安堵して、ヘンリーに続いた。


 そしてようやくある扉の前に着いた。

 ヘンリーがノックすれば年配の女性の声で応答がある。


「時間にぴったりですね。さすがダフト卿ですわ」


 部屋へと入れば白髪交じりの細身の女性がにこやかな笑顔で迎えてくれた。

 ――と思ったが、アリエスへと向ける視線は冷たく厳しい。


「それでこちらが例のご婦人ね」

「ええ、そうですよ。ご機嫌麗しいようで安心しました、ヨハンネ夫人。こちらがクローヤル伯爵の姉君でいらっしゃるアリエス……クローヤル女史。アリエスさん、こちらが女官長のヨハンネ夫人だよ」

「はじめまして、アリエス・クローヤルと申します」

「あら、ハリストフ元伯爵夫人ではなくて?」


 そう問いかけたヨハンネ夫人は、噂はしっかり聞いているわよと言いたげな意地の悪い笑みを浮かべた。




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― 新着の感想 ―
[一言] 実家も嫁ぎ先も、一部の勤め人以外は完全にクズの集まりで主人公が不憫すぎてなんか泣けてきた。 今後の展開で、人並みの幸せをつかんで欲しい。 あと、嫁ぎ先はまあ言い方は悪いけど奴隷を買ったよう…
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