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52.突撃者

 

「お話は終わりました?」

「ええ、とても楽しかったわ」

「それはようございました」


 マニエル夫人が資料室を出ていくと、一番奥の窓台で本の修繕をしていたフロリスが顔を出した。

 会話は聞こえただろうが、フロリスは特に何も言わない。

 テーブルの上の茶器を片付けながら、今日見たことを報告してくれる。


「今日もテブラン公爵は乗馬を楽しんでおられました。しかもお相手は女性でしたよ。金色か、薄い茶色の髪でほっそりした方でした。紫を基調にした乗馬服に帽子は黒でしたので、喪に服している方なのかもしれません」

「あら……女性なんて珍しいわね。ひょっとして奥様かもしれないわね。ありがとう、フロリス」


 そう答えながらも、アリエスはその女性がイレーンだと確信していた。

 アリエスが得た情報では公爵の妻はまだ領地にいるはずである。

 イレーンは王妃が亡くなってから三年以上になるのに、未だに喪に服しているかのようなドレスしか着ない。

 その姿に男性たちは清廉な女性だと賞賛し、女性たちはこれ見よがしだと陰で非難している。


(どんなに女性たちに嫌われようと、あれほどの男性たちを味方につけていれば強いわよね)


 しかも一番強力な味方が王子の外祖父であるテブラン公爵なのだ。

 アリエスはフロリスが片付けてくれたテーブルの前に再び座った。


(でもマルケス夫人が情報を集め、味方を増やしておくための密偵だとしたら、テブラン公爵がムランド伯爵に今さら別れるように言う必要もないわよね……。まさか公爵もマルケス夫人に入れ込んでいるとか? いえ、それはあり得ないわ)


 テブラン公爵が自分以外の誰かに入れ込むわけがない。

 ただの勘だが、人を見る目はそれなりにあるつもりなので、間違っていないだろう。

 イレーンのことを忘れたふりをして、ムランド伯爵に別れを命じるには何か意味があるはずだ。


(まさかムランド伯爵を奮起させるため? というより、さらに執着させるためかしら?)


 恋は障害があればあるほど燃えるらしい。――馬鹿馬鹿しいが。

 単純な方法だが、ムランド伯爵ならかなりの効果があるだろう。――単純だから。


(その目的は……あら、まさか……)


 それこそテブラン公爵は妹であるムランド伯爵夫人のことはよくわかっているはずだ。

 アリエスが聞いた話では、若い頃のムランド伯爵は伊達男で女性に人気だったらしい。

 外見だけで中身はなかったのだろうが、それでも当時の若い娘たちは皆が夢中になっていたと聞いた。

 その中で伯爵を射止めたのがテブラン公爵令嬢――現ムランド伯爵夫人だったのだ。


(まあ、射止めたっていうか、ご実家の権威を使ったっていうか……)


 もちろん伯爵もテブラン公爵令嬢に――実家の権威に惹かれたのだろう。

 本当に愛し合っていたなどの幻想はあり得るはずがない。

 結婚後のムランド伯爵の数々の浮気話を知っていれば、アリエスでなくともそう思うはずである。

 昨日渡されたばかりの先々代侯爵の日記を置いた棚にアリエスはちらりと視線を向けた。


 日記は子供の頃からの習慣だったようでかなりの量があるらしく、ひとまず現国王が即位する一年ほど前からのものをロレンゾは持ってきてくれていた。

 だが、ムランド伯爵夫妻の結婚前後のものも面白い気がする。

 ロレンゾにそのあたりのものも貸してくれるようにお願いしようと考えているとき、廊下から賑やかな足音が聞こえ、扉が勢いよく開かれた。


「アリエスお姉様! お久しぶりです!」

「……アリーチェ様、お部屋に入るときにはまずノックをしてください。そして許可が下りれば開くのですよ」

「ええ~? 私とお姉様の仲にそんな堅苦しいことはいらないじゃないですか~」

「私とアリーチェ様は他人でしかありませんので、礼儀を守ってください」

「アリエスお姉様は冷たいです~。今日はお兄様のお遣いできたのに~」

「ありがとうございます。それではそちらの品をお渡しになって早々にお引き取りください」


 アリーチェは美しい刺繍入りの布に包まれた本らしきものを胸に抱えている。

 今日からロレンゾはしばらく宿直なのでアリーチェに頼んだのだろう。

 アリーチェのことを嫌いではないと答えたからか、急いでいたのかわからないが、慎重なロレンゾにしては珍しいなとアリエスは思った。

 しかしその理由はすぐにわかった。


「お兄様が~アリエスお姉様にお伝えしておけって言うから来たのにな~」

「……何をです?」

「喉がからからで、お茶が飲みたいです~」

「アリーチェ様、ご自分からもてなしを要求するのは失礼なことですよ?」


 アリエスはアリーチェを窘めながらも、不安そうに控えているフロリスに手振りで新しいお茶の用意を頼んだ。

 この二人は本来なら血が繋がっていたのだなと思いながら、アリエスは二人を見比べた。

 当然ながらまったく似ていない。

 それどころかアリーチェは父親にそっくりだった。


「それで、いったいどのようなご用件でしょうか?」

「実は~お姉様からお手紙が届いたんです~。もうすぐ王都にいらっしゃるらしくて、久しぶりにお会いしましょうって」

「お姉様? あなたにお姉様がいらっしゃったの?」

「違いますよ~。テブラン公爵家のメルシア様のことですぅ。メルシア様は王妃様が亡くなられてから喪に服されてずっと公爵家のご領地にいらっしゃったんですけど、このたびポルドロフ王国に嫁がれることになったから、その前にご挨拶にわざわざ来てくださるそうなんです~」


 アリエスは顔をしかめそうになりながらも、どうにか驚いた表情に変えた。

 この縁談は内密の話であり、まだ国王は許可を出していないのだ。


「テブラン公爵家のご令嬢がポルドロフ王国に嫁がれるなんて知らなかったわ。どなたがお相手なのかしら?」

「それがなんと! 王太子様なんですって! 私も知らなかったからびっくりしちゃって~。それでお兄様に訊いたの。そうしたら、その話はきっとアリエスお姉様もご存じないだろうから教えてあげたら驚くんじゃないかって。驚いたでしょう~?」

「ええ、本当にびっくりよ」


 アリエスが答えると、アリーチェは満足そうに笑った。

 その笑顔は本人にその気がなくても少々高慢そうに見える。

 おそらくこの話はカスペル侯爵であるロレンゾも初耳だったはずだ。

 それなのに公爵令嬢がアリーチェに手紙で伝えてきたことで、ロレンゾはその意図を理解したのだろう。


(侯爵ってば、私に押しつけたわね……)


 これから宿直が続くロレンゾに妹のお守りはできない。

 要するに、妹の口の軽さを知っていながら、その口を閉じさせてくれと言ってきているのだ。


「……アリーチェ様はその大ニュースをどなたにお知らせされたのですか?」

「まだお兄様とアリエスお姉様だけです~」

「やっぱり」

「なあに?」

「――やっぱり、お姉様とお呼びになるのはやめてくださいと申し上げておりますのに、受け入れてくださらないのですね。ですが、やめてください」

「ええ~、冷たいです~」

「それでは、温かいお茶をどうぞ」


 不満を漏らすアリーチェに、アリエスはフロリスが淹れてくれたお茶を勧めた。

 アリーチェは唇を尖らせながらも、お茶より先に焼き菓子に手を伸ばしたのだった。




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