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4.帰郷

 

 アリエスは六年ぶりとなる実家の玄関前に立って扉をじっと見つめた。

 来客の姿を認めて執事が扉を開ける気配はない。

 屋敷はそれなりに手入れはされているが問題がないわけではなく、伯爵家の財政状況がまだ好転はしていないことが感じられた。

 真鍮でできたノッカーは六年前から変わっていない。

 アリエスはゴクリと唾を飲み込んで、勇気を出してノッカーで扉を叩いた。


 しばらくして人の気配がし、ゆっくりと扉が開かれる。

 中から現れたのは馴染みの執事で、この六年で頭髪が薄くなりシワも増えたようだった。


「ただいま、フランク」

「ア、アリエスお嬢様!」


 驚き涙ぐむ執事を見て、アリエスはとりあえず屋敷内には入れてもらえそうだと安堵した。

 執事が代わっていたらややこしいなと思っていたのだ。

 行商人には少し遠回りをして屋敷前で下ろしてもらい、ここまでの旅賃の残りを全額支払い別れている。

 そのため門前払いされては困るのだ。


「あの子はいるかしら?」

「はい。お坊ちゃまは――ルドルフ様は書斎にいらっしゃいます」

「いきなり部屋に会いにいったら驚くかしら、怒るかしら?」

「……お喜びになると思います」

「そう。それではそうするわ」


 小さい頃は母親よりも懐いていてくれたルドルフだが、寄宿学校に入ってからは口うるさい姉というように煙たがるようになっていた。

 執事の一瞬の間はそのことを思い出したからだろう。

 アリエスは鞄を執事に預けると、そのまま書斎へ向かった。

 屋敷内は六年前と何も変わっていない。

 ただ掃除は行き届いているようで、使用人をもう少し雇う余裕ができたことをうかがわせた。


 書斎は玄関ホールからすぐの場所にある。

 アリエスは書斎の前に立つと大きく深呼吸をしてから扉をノックした。

 すると中から若い男性の応答があり、アリエスは名乗らずそのまま扉を開けた。


「久しぶりね、ルドルフ」

「……姉さん?」

「ええ、そのとおり。六年ぶりに帰ってきたわ。ただいま」

「……里帰りかい?」

「とりあえず座っていいかしら? たった今到着したばかりでくたくたなの」

「あ、ああ。もちろん」


 ルドルフは姉に会えた喜びよりも驚きのほうがかなり勝っているらしい。

 アリエスはわざと明るく振舞って、昔と変わらない位置にあるソファに腰を下ろした。

 やはり手入れはされているが、古びたソファは今のアリエスのようにくたくたである。


「姉さん、その……父さんのことは……」

「ええ、知ってるわ。あなたが手紙で知らせてくれたんじゃない。だからお葬式に帰ってくることはできなかったけれど、弔辞は送ったわ。届いたわよね?」

「あ、そうだったね。あの頃はばたばたしていて……」

「力になれなくて申し訳なかったわ」

「いや、それは大丈夫だよ」


 六年ぶり――正確には七年ぶりの弟はどこかよそよそしい。

 大手を広げて歓迎してほしかったわけではないが、アリエスは内心で落胆していた。

 そこにノックの音がして、フランクがお茶を持って入ってくる。


「ありがとう、フランク。あなたの淹れてくれるお茶は久しぶりだから嬉しいわ」

「そう言っていただけると、私も嬉しいです。――旦那様、アリエス様のお部屋は東の客間でよろしいでしょうか?」

「泊っていくのか?」

「ダメなの? 久しぶりの実家なのに?」

「い、いや……。ありがとう、フランク。それでいいよ」


 よそよそしいどころか歓迎されていない。

 ルドルフは執事が出ていくと、疑わしげに姉を見た。


「どうしていきなり帰ってきたんだい?」

「……旦那様に――ハリストフ伯爵に離縁されたの」

「何だって!?」


 ルドルフはアリエスとの突然の再会よりも驚き、ソファから立ち上がった。

 その顔は青ざめている。


「子供ができなかったのだから仕方ないわ。そういえば、ルドルフは結婚したのよね? 奥様は?」

「ハンナは寝てるよ。その……妊娠してからいつも眠いらしい」

「まあ、おめでとう! 予定日はいつ?」

「……年明けすぐだよ。それよりも姉さんのことだよ。これからどうするつもりなんだ? ハリストフ伯爵は慰謝料をくれたのか?」

「伯爵が持参金もない嫁き遅れの娘を妻にしたのは子供を産ませるためよ。自分の悪評を知らない、知っても文句を言わない、血統のいい……たくさん子供を産みそうな娘をね。それが六年経っても身ごもらないんだもの。支度金まで払っていたのに、詐欺だと思われたのね」

「そんなの向こうの勝手じゃないか。まさか、姉さんは無一文ってことはないだろ?」

「そろそろ噂が届くはずよ。ポルドロフ王国のハリストフ伯爵は六年連れ添った妻を無一文で追い出し、新しい妻を娶ったって」


 動揺し、落ち着きなくソファの周囲を行ったり来たり歩き始めたルドルフを目で追いながら、アリエスは淡々と答えた。

 あまりに悲惨すぎる内容だが、アリエスにはもう他人事のようにしか思えなかったのだ。

 しかし、ルドルフにその気持ちが伝わった様子はない。

 ぴたりと立ち止まったルドルフは苛立ちをどうにか抑えながら、アリエスを見下ろした。


「じゃあ、これからいったいどうするつもりなんだ? 子供が産めず離縁されたなんて、この国でもすぐに噂になってしまう。まともな再婚は難しいよ」

「……そうね」

「母さんだってどう言うか……」


 本当は「心配せずにここで暮らせばいい」との言葉を期待していたのだ。

 だがどう見てもルドルフにとって自分は厄介者らしい。


「お母様は?」

「今はカーリンの屋敷に遊びに行っているよ」

「そうなのね。カーリンもマーリンも結婚したそうだし、マレクは寄宿学校でしょう?」

「そうだけど、これから子供が生まれるんだ。僕たちはできれば三人はほしいって思っているし、母さんがいて……姉さんまでこの屋敷で住むとなると手狭だよ」

「……そうね」


 ただ弟妹たちの近況を聞きたかっただけなのに、ルドルフは別の意味に捉えたらしい。

 しかも先手を打たれてしまった。

 手持ちの宝石類があるので生活には困らないが――正確にはここの暮らしを援助できるかもしれないが、アリエスはそのことについて打ち明ける気持ちは消えてしまっていた。




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