22.証拠
「驚かさないでくれる?」
「いやいや、お前に怒る資格はないだろ。ここで何をしてるんだよ」
「ちょっとした調べものよ」
「金目のものはないぞ」
「そんなものを探しているんじゃないわ」
アリエスは傍に立ったジークを睨みつけた。
その視線を気にした様子もなく、ジークはアリエスの手元を肩越しに覗き込む。
「……紹介状?」
「ええ、そうよ。女性が職を求めて王宮に来たら、まずはメイド長が紹介状を検めて雇うかどうか決めるでしょう? 採用ならそのまま紹介状は預かるものだから」
「アリエスの紹介状なら、女官長が持ってるだろ?」
「私のものを探しているわけじゃないわ」
答えたアリエスは書類をめくる手を止めて、改めてジークを見た。
ジークは室内をぶらぶらと歩き始める。
「ところであなたは何をしているの?」
「俺? 暇つぶしっていうか、アリエスがこの部屋に入っていくのが見えたから、また面白いことでもあるかと思ったんだよ」
「それは残念ね、って言いたいところだけれど、ちゃんと仕事をしたら? ここに私が簡単に入れるなんて不用心よ。警備はどうなってるのかしら」
「別に警備なんていらないだろ。犯人は捕まったし、盗まれるような金目のものはすでに運び出してある。次のメイド長が使い始めたら、また鍵をかけるんじゃないか」
「ずいぶん呑気ね」
確かに使用人の部屋とはそんな扱いだろう。
だが仮にもここは昨夜殺人が行われた場所なのだ。
テーブルの上にあったワインとカップは片づけられているが、絨毯は敷かれたまま。
金品も大切ではあるが、アリエスが今手にしている書類――紹介状の束もかなり貴重品だということに皆の意識はないらしい。
時に情報はお金とともにやり取りされているのだが。
「それで、さっきから誰の紹介状を探しているんだ?」
「わざわざ訊かなくてもわかるでしょう?」
「あのメイドか? 専属になったらしいな。それで身辺調査でもしようってか?」
「それについては本人に訊いたわ」
「へえ? じゃあ、何が知りたいんだ?」
「彼女、先代のカスペル侯爵からの紹介状を持っていたらしいの」
「……へえ?」
ジークは足を止めて、メイド長が落ちた――落とされただろう窓から階下を見ていた。
本来ならこの高さから落ちても、運が悪くない限り怪我をする程度だったろう。
アリエスはジークの隣に立ち、ちらりと階下を見てから視線を上げた。
向かいの執務棟ではいくつかの窓に動き回る人の姿が見える。
「メイド長はかなり几帳面だったみたいね。紹介状は雇い入れた順に綴じてあったわ。日付を記入してね」
「それなのに彼女のものを見つけられないのか?」
「そうよ。まあ、仕方ないわ。きっと失くしてしまったのね」
「几帳面なのに?」
「だからこそじゃない?」
「ふーん。……彼女は――フロリスは何歳なんだ?」
「十七歳らしいわ」
「五十四か……」
アリエスの返答を聞いて、ジークはぽつりと呟いた。
カスペル前侯爵は七十歳で亡くなったのだ。
政界を数年前に引退していたとはいえ、彼が亡くなった報せはポルドロフ王国の社交界にまで伝わってきていた。
それだけ影響力の大きい人物だったため、マーデン王国のこれからについてかなり議論されていたほどだ。
「彼はとても聡明で分別を持った方だったから、それほどの相手だったんだろうな」
「それほど性欲を刺激されたってこと?」
「おいおい、そんな言い方はないだろ。恋に落ちたって言ってくれ」
「恋? だとしたら聡明だというのは間違いね。しかも子供ができないようにする分別もないときてるわ」
「酷いな」
そう言いながら、ジークは堪えきれないように噴き出した。
アリエスは声を出して笑うジークから離れ、紹介状の束を元に戻す。
「酷いといえば、フロリスが王様は酷いって言ってたわ。病気の先代侯爵を引退させなかったって」
「国王陛下には心がないらしいからな」
「でも分別はあるわ」
「そうか?」
「そうよ。再婚なさらないじゃない」
「恋をしないからってことか?」
「そんなことじゃないわ。今、陛下が再婚なさったら、色々と王宮内がゴタつくでしょう? 王子殿下のお命も危うくなってしまう。再婚なさるにしても、カスペル前侯爵の影響力が完全に消えることが条件ね」
アリエスが箱を持ち上げ棚に戻す間も、ジークは見ているだけで手伝おうとしない。
そういうところが意外とアリエスは気に入っていた。
「あら、そういえば陛下がこっぴどく振ったっていうご令嬢は、カスペル侯爵令嬢だったわね」
「……そうらしいな」
アリエスはくるりと振り返ると、室内が元の通りか点検した。
ジークはまだ窓辺に立っている。
「フロリスはね、病床のカスペル前侯爵のお世話をずっとしていたそうよ。いったいどんな話を聞いたのか、これから色々と聞き出すつもり。楽しいと思わない?」
「ああ、そうだな」
気のない返事にもかまわず、アリエスは室内の確認が終わると、扉の前に立った。
それから足音がしないか耳を澄ませる。
どうやら幸いにして、今は誰も廊下にいないらしい。
「あなたはしばらくここにいてね」
「どうしてだ?」
「間違っても、あなたと逢引きしていたと思われたくないの」
「それは傷つくな」
わざとらしく胸を押さえるジークを見て、アリエスは顔をしかめた。
だが何も言わず把手に手をかけ、ふと思い出したように口を開く。
「そうそう、現カスペル侯爵には愛人がいるのよ」
「別に珍しいことじゃないだろ?」
「もちろんそうね」
アリエスは自分から言い出しておきながら、蔑むようにジークに視線を向けた。
それからそっと扉を開けて出ていく。
ジークは静かに閉まった扉を見つめながら、あとどれくらいここにいればいいかと考え、大きくため息を吐いた。