16.拍手
「おい、来たぞ!」
「フロリスだ!」
「汚えな、おい!」
誰かが声を上げると、一斉に皆が一方向を見た。
そちらからは使用人棟担当らしい衛兵二人に両腕を拘束されたフロリスが連れてこられていた。
まるで半年前と同じだわと思いながら、アリエスは隙間を見つけると器用に人並みをかき分けて前へと出た。
目の前にはドロタの遺体が横たわり、ヤコテが抱きしめるように腕を回している。
どうやら死後硬直しているらしく、死亡したのは夜更けくらいの時間だろう。
「な、何なんですか! 私は仕事をしないと――!」
アリエスがさらにドロタの遺体をじっと見ていると、フロリスの悲鳴じみた声が聞こえた。
それから無理矢理引きずられてドロタの遺体の前に突き出される。
「ひいっ!」
フロリスは尻餅をついて後ずさろうとしたが、その背を衛兵が強く蹴って止めた。
途端にフロリスは咳き込み始める。
「何を苦しんでるんだ! ドロタはもっと苦しんで死んだんだぞ! このガキが!」
「そうだ、そうだ!」
ヤコテの怒りの声に何人かが同調する。
だがそれらは全て男性で、女性は何も言わなかった。
メイドたちはドロタにいつもきつく当たられていたからだろう。
フロリスにも同情的な視線を向けている。
「このガキをさっさと殺してくれ! ドロタはこのガキに突き落とされて殺されたんだからな!」
「あら、それは違いますわ。彼女は突き落とされる前から死んでいたと思いますよ」
ヤコテの訴えを否定したアリエスの言葉に、その場は一瞬にして静まりかえった。
だがアリエスはジークが楽しそうに笑う小さな声を聞き逃さなかった。
「またあなたか!」
「あら、お久しぶりです。確か前回もお会いしましたね。ええっと……」
「ガイウスだ。皆、ガイウスと呼ぶ」
「ガイウスさん、ですね。私のことはどうぞクローヤル女史とお呼びください。ハリストフでは元夫が嫌がりますので」
スカートを摘んで淑女らしい挨拶をするアリエスは場違いに見える。
だがアリエスはちょっとした自虐も含めて自己紹介をした。
その名前にひそひそと囁きが交わされ始める。
その場に急速に「あの近衛騎士の殺人事件を解決した女官」だと広まっていき、同時にこの事件も何かまた新たな展開があるのかと皆が期待し始めていた。
「それで、どうしてドロタが落ちる前からすでに死んでいたと思うんだ?」
「そもそも、なぜこの方はメイド長さんが突き落とされたとおっしゃってるのですか? しかも苦しんで亡くなっただなんて、ひょっとしてその現場をご覧になっていたのですか?」
「な……な、そんなわけないだろ! あのガキが昨日ドロタの部屋に行ったことはみんな知ってるんだ! ドロタはあのガキのためを思って、きつく当たっていただけなのによお。それがこんな目に……」
ガイウスはアリエスに問いかけたが、アリエスはヤコテに問いかけた。
感情的に答えていたヤコテはこれ以上言えないというように声を詰まらせる。
しかし、アリエスにはヤコテの気持ちなどどうでもよかった。
「メイド長さんはお酒をかなり嗜まれると伺いましたが、酔いを醒まそうと窓辺へと向かい誤って落ちた、ということも考えられると思うのですが?」
「ドロタはしっかり者なんだ! 大酒を飲んでも酔っぱらったりはしねえよ!」
「そうなんですね。わかりました」
軽く肩をすくめ、アリエスはヤコテに頷いた。
すっかりアリエスのペースになっていることに焦れたのか、ガイウスが先ほどより強い口調で問いかける。
「クローヤル女史、私の質問に答えてくれないか?」
「ああ、失礼しました。そのことについては、ここからは少し見えにくいのですが首に絞められた痕があるようですので……」
そう言って、アリエスは膝をついてドロタの頭の角度を変えようとした。
しかし、簡単には動かせない。
その様子を見ていた何人かは「ヒッ!」と息を呑んだ。
「死後硬直はまだ完全ではないですが、これだけ進んでいるということは、亡くなったのは深夜くらいでしょうか? メイド長さんは殺された……と仮定して、その後に窓から突き落としたのでしょう」
「なぜそんなことを?」
「さあ? それは犯人に訊いてみなければわかりませんが、おそらく絞殺だと知られたくなかったんじゃないですか?」
ドロタの体は脂肪が多いので、死後硬直の進行度から亡くなった時間をはっきり出すのは難しいだろう。
前回もそうだったが、アリエスは本で読んだ知識しかないのだ。
「あんた、いったい何なんだ!?」
「通りすがりの女官です」
「は? 女官?」
アリエスはドロタの乱れた髪をそっと持ち上げて、耳の後ろについた細い痕を見ていた。
そこにヤコテが恐ろしい化け物でも見るようにアリエスに問いかける。
アリエスは一度ヤコテを見て答えると、視線を下げ、ふうっと息を吐いて立ち上がった。
「その子を犯人とするには、状況的に難しいと思います」
「何言ってんだ!? こいつに決まってるだろ!? 昨日、こいつはドロタに叱られて、部屋に呼び出されたんだ! そんときにやっちまったんだよ!」
ヤコテに睨みつけられ怒鳴られてもアリエスの表情は全く変わらなかった。
だが指さされたフロリスはがくがく震えている。
「人の首を絞めて殺すのは、意外と難しいそうですよ。相手は暴れますからね。それに彼女がメイド長さんの背後から紐で首を絞めたとしても……メイド長さんはその、とても首が太いですから、かなりの力が必要だったと思います。力といえば、メイド長さんをあの窓から落とすのは、彼女には非常に難しいのではないでしょうか?」
アリエスの言葉に、皆はドロタとフロリスを見比べた。
細身のフロリスに大柄で太ったドロタを持ち上げるなどできそうにない。
「そんなもの、どうにでもできるだろうが!」
「ええ、どうにかできるでしょうね。ただ先ほども申しましたが、メイド長さんが亡くなられたのは夜遅く……深夜の時間帯。フロリスさんがメイド長さんの部屋を訪ねたのはいつかしら?」
「あ、あたしは……洗濯物を拾ってから部屋に伺って、メイド長はあたしを叩いて、それからひどく叱られて……今日から煙突掃除をするようにと言われました」
「そう。それで、自分の部屋に戻ったのはいつ?」
「そ、そんなに遅くはありません! 同室の子も知っています!」
フロリスに同情していた女性陣は、煙突掃除を命じられたと聞いて小さく悲鳴を漏らした。
煙突掃除はかなり危険な仕事で、いきなりさせられるようなものではない。
それで今日のフロリスはあんなに汚れているのかと、男性陣までも同情を寄せたが、アリエスはあっさり聞き流した。
「そんなもん、夜中に抜け出すことだってできらあ! ドロタを殺したやつが、お前以外に誰がいるんだよ!」
「誰でもできるでしょうね。彼女がメイド長さんを殺すことができるのなら」
「何だあんたはさっきから! こいつを庇いやがって!」
「庇っているわけではありません。事実を述べているだけです」
アリエスがそう告げると、なぜか拍手が聞こえた。
皆が驚いて見る中で、ジークが嬉しそうに手を叩いていたのだった。