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10.事件発生

 

 名門子爵家のイヤオルとたかがメイドのユッタが付き合っている。

 その噂はひと月もすれば、誰もが知ることになっていた。

 ユッタは相手のことを漏らすことはなかったが、懐刀をあちらこちらで自慢していたらしい。

 そして二人の噂が本人の耳に入ったのは一番最後だったらしく、イヤオルはユッタに腹を立ててケンカをしたという噂が流れだした頃。


 ユッタが泣き腫らした目で風呂の世話をしにきた時期と一致したので、本当なのだろうとアリエスは勝手に考えていた。

 確かめたわけではないが、噂もあながち馬鹿にはできない。


 ただユッタの落ち込んだ姿は同情を引いた。

 色々な女性と浮名を流していたイヤオル相手に長く続いたほうだと、変にユッタを讃える噂が使用人たちの間で流れるようになっていた。

 今までお相手とされていた上流階級の女性たちはユッタを馬鹿にして笑っていたようだが。

 どちらにしろ、別れるのは時間の問題だと思われていたそんなある日。


 王宮の一角で耳をつんざくような悲鳴が上がった(とある従僕談)。

 急ぎ警備の者たちが駆けつけたとき、逢引きするのに有名な場所――使用人棟と執務棟を繋ぐ回廊を外れた少し先、二本の大木の陰でメイドが尻もちをついていた。

 衛兵は腰を抜かしたメイドの視線の先、人目に付かない大木の陰に目をやってはっと息を呑んだ。

 そこには胸を懐刀で突かれてすでに絶命したイヤオルが倒れていたのだ。

 次々とやって来た衛兵や騎士たちだけでなく、見物人も集まりその場は大騒ぎになった。


 その見物人の中には女官長の部屋へ行こうとしていたアリエスも含まれていた。

 第一発見者であるメイドへの聴取でわかったことは、どうやら夕食前に愛を確かめ合おうと恋人とこの場所へとやってきて血を流したイヤオルの姿を見つけたらしい。

 恋人のとある従僕はすでに逃げてしまったとか。

 聴取した騎士だけでなく、それを聞いていた誰もが二人の愛がはっきりと確かめられたなと思ったが、口には出さなかった。


 イヤオルが殺害されたことで、犯人とされたのはユッタだった。

 それもあれだけユッタが自慢していた懐刀がイヤオルの胸に突き刺さっていたのだから当然だろう。

 皆、食事や休憩、仕事までも放って、ユッタが連行されてくるのを待った。

 一応の現場検証というか、本人(犯人)に現場を見せるつもりらしい。


「やっぱり、捨てられた腹いせかねえ」

「そりゃそうでしょ。イヤオル様は子爵家の方だよ? 遊び相手なのはわかりきったことだったのに、あの娘は本気になっていたからねえ。馬鹿な娘だよ」


 ひそひそと交わされる会話を聞きながら、アリエスは野次馬根性でユッタが連れられてくるのを待った。

 そこに背後から声をかけられる。


「いいのか? 彼女は友達だろ?」

「……友達、なのかしらね。唯一私と話をしてくれる人だから」

「おいおい、俺も話してるだろ」

「だけどあなたは友達ではないわね。ということは、あなたは知り合いかしら。とすると、ユッタは協力者ね」

「そんなことを言ってると、共犯者にされるぞ」

「あら、共犯者も何も、彼女は犯人ではないでしょう?」


 言いながら振り向くと、ジークは思った以上に傍に立っていた。

 思わず一歩離れると、ジークが意地悪く口の端だけで笑う。


「何?」

「噂ほど男慣れしていないんだな」

「慣れの問題ではないわ。たかが知り合い程度にそこまで傍にいてほしくないだけよ」

「手厳しいな」

「あなたは甘いわね。なぜここでこそこそ話しているの? あちらへ行って、イヤオル様を殺害した犯人を見つけるべきでしょう?」

「あんたはユッタじゃないと思ってるのか?」

「思うも何も、違うことはわかりきっているでしょう?」

「へえ? それはなぜだ? 真犯人を知ってるのか?」

「あのね――」


 ちょっと苛々しながらアリエスが答えようとしたとき、ユッタが二人の衛兵に挟まれる形で両腕を拘束され現れた。

 ユッタの顔色は悪いものの抵抗する様子もない。

 しかし、皆が道を開けおそらくイヤオルの遺体が見えた瞬間、ユッタは衛兵たちを振り払い駆け寄った。


「イヤオル様? 嘘でしょう? 嘘よね!? イヤオル様、目を開けて!」


 どうやらユッタは遺体にすがりついているらしい。

 初めは静かにイヤオルを起こそうとしているようでもあったが、次第に声は大きくなり、慟哭へと変わった。

 だが、衛兵たちはユッタを無理やり立たせて拘束しようとする。


「いや! 放して! 何をするの!?」

「お前がイヤオル殿を殺害したことはわかってるんだ! そんな演技はいいから、おとなしくしろ! 明日にでも縛り首にしてやる!」

「違うわ! 私がイヤオル様に何かするわけないじゃなっ――!?」

「どうせイヤオル殿に振られた腹いせだろう!」

「ち、違う……イヤオル様は私を振ってなんていないわ! むしろ、私と結婚しようって! イヤオル様! 放して!」


 イヤオルの同僚の騎士なのだろう。

 腹を立てているのか、ユッタを一度殴った。

 それでも怯まずユッタは横たわったままのイヤオルに呼びかける。


「――ユッタ、あなたは先ほどまで何をしていたの?」

「……アリエス様? わ、私はご存じの通り、アリエス様のお部屋で夕食のご用意をしておりました」

「ええ、そうよね。私は食事をしようとしたところで、女官長のお呼び出しを受け、食事をする間もなくここへ来たわ。でもその前に、ユッタが用意してくれた湯を浴びることもできました」


 現場はちょっとした騒乱になっていたが、アリエスは大きくはなくてもその場にはっきりと通る声でユッタに話しかけた。

 ユッタは一瞬呆気に取られたのか目を瞬かせ、それからアリエスに答える。

 その答えを受け、アリエスは大きく頷いた。

 しかし、騎士の一人がアリエスの腕を掴んでがなり立てる。


「何だ、お前は!?」

「私はアリエス・クローヤル。クローヤル伯爵の姉で、今現在はこの王宮で女官の職をいただいております」


 腕を掴まれたまま騎士の顔をまっすぐに見据えて答えると、野次馬の中から「ああ、あの無一文で捨てられた伯爵夫人か」という声が聞こえた。

 その声は騎士にも聞こえたらしく、ふんと鼻で嗤う。

 アリエスはそんな騎士には頓着せず、とりあえず女官の服を着ていてよかったと思った。

 彼らの態度は淑女に対する者ではないが、いつものメイド服だと相手にもされなかっただろう。


「それで、あんたは何が言いたいんだ? まさかこのメイドが無実だと言うんじゃないだろうな?」

「アリエス様……」

「犯罪者を――しかも貴族殺しを庇うとお前も縛り首になるぞ!」


 ユッタはイヤオルと離れがたいというかのようにちらりと遺体を見て、それからアリエスにすがるような視線を向けた。

 騎士はアリエスへの侮蔑を隠さず、違う騎士までもが口を挟む。

 そんな騎士たちへ、アリエスもまた冷ややかな視線を向けた。


「このマーデン王国は国王陛下の素晴らしい治世のおかげで、長らく他国と戦をすることなく平和に暮らすことができております。それは私たちにとって喜びであり、幸せでもありますが、その弊害もあるようですね」

「何を言うんだ! まさかお前、国王陛下を愚弄する気か!?」

「いいえ。私が愚弄しているのはあなた方だけです。どうやらここにお集まりの騎士の方々は死体をご覧になったことがないようですので」

「何を――!?」


 騎士の一人がアリエスに手を上げかけたが、それをジークが止める。

 ジークは騎士の腕を無言で放すと、アリエスに続きを促すかのように腕を組んで顎をくいっと動かした。

 その仕草にちょっとイラっとしたが、アリエスは騎士たちに向き直った。


「触れたわけではありませんのではっきりとはわかりませんが、先ほどから見ている限り、イヤオル様が殺されてからそれほど時間は経っていないようですね。死後硬直もまだ始まっていないようですから。こうしている間にも、犯人は遠くに逃げているかもしれませんよ?」




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