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長い時間が過ぎている気がする。
もう、どーでも良くなってきた。
早く決戦でもなんでもいいからしてほしい。
早く終わらせたい。
こんな茶番。
僕は立ち上がろうとした。
「おや、どこへ行くんです」
猪熊が言う。
「帰る」
憮然として言う。
「何故?」
素っ気なく言う。
「あまりに適当だから、時間の無駄」
当たり前だ。
「じゃぁ、殺しますよ」
「はぁ??」
思わず言葉に出す。
何だ、オマェ?
猪熊を振り返る。
微動せず、こちらをじっと見つめている。
次、何か言葉でも発し様ならしでかすぞ、という殺気がその視線にはあった。
ちらりと松本を見る。
何か茶器を抱えて裏をひっくり返しながらしみじみと見ている。
殺気など露しらず、という感じだ。
しばし、猪熊と対面しながら沈黙。
しかし、僕は沈黙に耐えきれない。
ちっと舌打ちする。
「ぁああ、そうですか」
言って、席に胡坐をかいて座った。
「胡坐かかしてもらいますよ。まだ話流そうやし」
それを聞いてにこやかに猪熊が言う。
「ええ、どうぞお気楽になさってください。松本さんも膝崩してください」
そうですか、と言って松本も膝を崩して足を摩る。
「正座はきついなぁ、はっはっ」
笑いながら僕を見たが、依然として憮然としている。
「さて、魔術書はその後、一冊の本になりましたがそれは焼失。原因はアーサー王が原因とか言われていますが、でもその後、時代が下って世界各地に散らばっていた漂泊の人々がエジンバラに戻り、十六世紀に再編した」
「それまでは魔術はどうなっていたのさ」
僕の問いかけに対して意外に松本が答えた。
「まぁ、魔術師たちは長い間歴史の影に消えていたんですよ。変わりに世界は早くにエジンバラの森を出たドルイド集団、つまり魔女ですね。彼らが世界各地に姿を出した。特にヨーロッパでは『魔女裁判』で多くが殺されましたからね」
「なんで、あんたが言うのさ」
僕は笑う。
「言いにくいところでしょう。猪熊さんとしては。歴史の黒い部分ですからね」
見れば猪熊の眼鏡が曇っている。体温が上がっているのだ。
「ですね・・」
猪熊が眉間に皺を寄せる。
「魔術師は冷徹で卑怯者です・・元々、魔術は同じところから出ている。それは兄弟関係と同じなのに。それが同胞のドルイドが苦しんで殺されているのを見向きもせず、見殺しにするんですからね」
ほっほっほっ
松本が笑う。
「すいませんねぇ」
憮然とした顔で松本を見て猪熊が言う。
「そう、そんな笑い声を出しながら、『魔女裁判』の旋風がヨーロッパを吹き荒れるのが静まるのを歴史の影に身を隠していた。それもあろうことか、キリスト教の宣教師としてその姿を変えて大航海時代に乗じて世界各地へ散らばった」
「じゃぁその一つが日本へやって来た?」
「そうです」
猪熊がリュックを指差す。
「それが、それです。キリスト教の布教目的としてやってきたのですよ、魔術師が宣教師になって!!魔女は迫害され殺されたというのに!!」
猪熊が拳をドスンと畳にぶつける。その衝撃で僕らが少し浮かんだ気がする、そんな激しい衝撃だった。
じっと畳に拳をつけたまま、動かない猪熊。
彼に松本が言う。
「まぁ、あれでしょう。現代的に言えば営業が下手だった、ということですよ。当時の絶対的権力に対して」
はっはっはっ、と笑う松本。
じろりと睨む猪熊。
ま、まぁまぁ
思わず身を乗り出してその場をとりもたそうと笑顔を双方に振る。
いきなり、ここで戦いなんて始めんといてくれよ!!
怒気を含んだ表情を少し収めると冷静になって猪熊が言った。
「そう、それはそうですね。まぁ事実です。しかし、松本さん・・私はあなたほどうまく上には取り入れない性格ようです。あなた程にはね・・・」
言われて松本が頭を掻く。
なぁ確かにこいつはきっと会社で太鼓持ちなんだろうな。
なんせ・・悪魔も取り込んだぐらいだから。
「それで魔術書を携えた魔術師、まぁ宣教師は実は・・不幸にも亡くなったんですよ」
「亡くなった?死んだってこと?」
「そうです。当時インドのゴアを経て中国のマカオまで来ていたのですが、現地の風土病で亡くなったのです。そこでどうすべきか議題が上がり、結論としてこの魔術書はアジア言語の書き込みが可能だったから、日本で魔術師の資格の或るものを見つけ、それで布教を広めようと決めたのです。日本は当時大航海時代の東アジアの最後の地でしたからね」
「日本が?」
「そうです。西はスペイン、ポルトガルからインドのゴアを経て、中国のマカオを経て、東は日本・・、それは」
そこで小さく咳をする。
「堺です」
「堺?あの大阪の?」
「そう、堺です。堺は大航海時代、自由都市として栄えていたんですよ。つまり日本の歴史的に言えば南蛮貿易の起点でもあり終点でもある都市だったのです」
へー・・あそこがね。
「そう、宣教師の一団は堺を目指していたんです。それでインドのゴアでも評判が高い日本人、まぁ当時は青年ですが、その彼を魔術師にしようと考えたのですよ」
「そんな日本人が居たの?」
僕は驚いた。
「ええ、居たんですよ」
「誰?」
僕は身を乗り出した。
すると突然、松本が大きな声で言いだした。
「あーーーっ・・分かった。分かった。分かりましたよ!!」
言ってから手を叩く。
「な、何だよ。いきなり分かったなんて大きな声で」
松本を訝し気に見る。
「分かったんですよ。全て。成程・・成程ねぇ。ここまでの符号が全てとけました。どうしてハンドルがある場所を特定できたとか。僕の事を知っているとか。やはりそりゃ・・そうですわ!!」
はっはっはっ、と高笑いする。
「何だよ。勿体ぶらずに言えよ!!」
笑いを止めると、猪熊に向き直る。
「こだま君、その人物の名前を言いましょう」
「うん」
急かすように松本に言う。
「その人物は田中与四郎」
「は?誰、それ?」
「ええ・・それは」
続いて言いそうになる松本の言葉を押さえる様に、猪熊が穏やかに言った。
「千利休です」




