17
「あかん、あかんわ。これは」
松本の声を聞きながら僕は高速下のベンチに腰かけて、顔を上げた。
は?何が?
そんな目で松本を見る。
タブレットを指でスライドさせながら、また何事かを松本が呟く。
「あーー!!もう!!」
言ってから、頭を掻く。
だから?何が?
そう口に出そうとした時、松本が僕を見た。
「いや、見てください。これこれ」
松本がタブレットを差し出す。それは気象予報のページだった。そこに台風の情報があった。
「台風じゃん、これが何か問題でも?別に大きな奴でもないし」
松本が眉間に皺を寄せて、ちっちっと指を振る。
は?何、その態度?
不快そうな表情で松本を見る。
一時間ほど前、スマホが鳴った。見れば松本だった。何でも非常に深刻な事態になったので話がしたいというから、高速下の公園のベンチで松本と待ち合わせをしたのだが。
こいつは人の気持ちだけを逆なでするのが得意なのかもしれない。まるで不快な気持ちになる為に、待ち合わせたもんだ。
小さく舌打ちをした。
「ふーーーん、それがこだま君、君の態度ですか?重大なことをしでかした君の態度ですか?」
最後は少し語調を強めて松本が言う。
何だよ、それ。
松本がタブレットを自分に引き戻すと言った。
「この台風が君の不注意で引きおこしたミレニアムロックのせいだとしても、そんな態度をするの?」
その言葉に僕はぎくりとした。
「この台風が?だって?」
松本が顎を触る。
「だってさ、台風何て毎年発生するし、別に何もおかしい異常気象でも何でもないだろう」
髭を抜いてしかめっ面になる松本。つぶらな目の奥から冷たい殺気が浮かんで、一重瞼が薄く閉じられた。
「こだまくぅ~ん」
ぎくり
何だこいつ、ぞくりとするような冷たい口調で。
「台風は確かに毎年発生していますが、良く考えてください。いつも日本に近づくと大きく右へと流れて行きますね。だから時には日本に上陸せず、ということもあります」
松本が耳穴をほじる。
「しかし、もし台風がそうではなく、北上する度に大きくなり、直進で進んできたらどうなると思います」
直進?巨大化だって?
「そんなことあるもんか。だって台風は温暖な海域で生まれ、それが偏西風やジェット気流の影響で接近してきてくる。それが台風の・・」
そこまで言って僕は黙った。
それは正しい気象条件で在ればこそ。
もし、それができない環境、
つまり、異常気象なのであれば
台風の進路が変わることも・・
瞬きをして、松本を見る。
「ここ数日、日本海では獲れないような太平洋の魚が多く水揚げされているようでね。恐らく温かい海流が対馬から日本海へ、いや至る所から流れ込んでいるのですよ。つまり海水温が異常をきたしているのです」
え?ほんまに?
僕はスマホでニュースを検索する。
あった!
敦賀、石川、島根の漁港で普通獲れないような太平洋の魚が水揚げされている記事。
水温が例年よりも急に高くなっている為かと書いてある。
「こだま君、君・・学生でしょ?そうしたニュースは良く見ておかないと就職試験の時に企業から見下されますよ」
そいつは確かにそうだが・・
「でも、どうして直進するんだよ。地球には風が吹いているだろう。そいつが台風をいつも通りの軌道に乗せてくれるはずだ」
松本がやれやれという感じでタブレットを見せた。
「良く見てください。この台風を」
僕は画面に顔を寄せる。
じっと見る。
「どこかおかしいでしょう?」
どこが?
じっと見る。
どこも
どこもおかしくないやん。
確かに昼間見たより雲が大きく広範囲に広がってるし。
台風の目もはっきりしてる。
巨大な渦もある。
う、
うん?
あれ、あれ?
この渦?
あれ、あれ、あれ?
(え!!、えーーーーー!!)
心の底から僕は驚いた。
松本を見る。
「分かりましたか?」
僕は首を縦に振った。
「そう、この台風。反時計回りじゃなくて時計回りなんです」
驚く僕の方に手を置いて松本が言う。
「タイの言葉でアッサニー、日本語で『稲妻』がこいつの名前らしいですよ。異常な時計回りの稲妻が今まで通りの進路ではいかないでしょうね。風はちゃんと偏西風も吹いてるんです。こいつは禍々しい災厄ですよ。人類にとって」
するとスマホが鳴った。
無機質なデジタル音が鳴る。
ピー
#ロックは解除されました。
ピー
#これより人類は至急非難を始めて下さい。
その声に僕と松本は立ったまま静かに聞き入って無言になった。