9 覚悟を決めろ
お父さんが羊皮紙を片手にマッピングしながら、未踏の下階層進んでおよそどれくらいだろうか。ここに足を踏み入れてから感じている変な緊張感も全く収まらず、心臓も煽られ続けて微妙に気分が悪い。
「お父さん、ここの十字路はどっちに行くの?」
「ん~っと、こっちにしてみるか」
魔法だって万能じゃない。何処がどうなっている、行き止まりなのか続いているのかじゃ結局自分達の目で確かめなければならない。これもまた醍醐味と言えばそうだろうが、こんな心情のままだとちょっと嫌気が差してしまう。
「あ~ぁ。部屋も見当たらないし……もしかして外れだったのかなぁ」
「まだ入ってそんなに経ってないが、あんまり酷かったら適当にマッピングして切り上げるか」
「さんせ~い。適当に切り上げよ~」
私達の愚痴が増え始めてからさらに暫く経ち、次の路地を曲がって何も無ければ戻ろうと話していた矢先、漸く待望のものが私達の前に現れた。
「おぉ、やっと部屋を一つ見つけたぞ」
「あ~もう、長かったぁ……」
「なんだなんだ、珍しくテンションが低いな」
「ん~なんかねぇ……まぁ良いや。早速探索しようよ」
「そうだな。ここまで来たんだし何か持ち帰らねぇと」
という訳で私はお父さんと分担して部屋の探索を始めた訳だけど、明かりも近くに見えるしお父さんの姿もはっきりと見える。……こりゃすぐに終わりそうで期待出来ないかも。
と、数分前の私は思っていましたが前言撤回。結構ありますわ異物。お父さんの方でも本らしき異物が、私も石を手あたり次第拾って鑑定してみたら既に二つ大当たり。ホックホクでもうテンションが低い事なんかすぐ忘れちゃった。
ただ、今もそうなんだけど鑑定した時に私の中で変なノイズみたいなものが走る時があるんだよね。一瞬だから最初は気のせいかな? って思っていたんだけど数をこなしてもほぼ確実に起きるから……鑑定するとエルマが反応でもしてるのかな? まぁ別段具合が悪くなる訳でも無いし良いんだけどさ。
「ふんふ~ん、この下には……何か無いかなぁ~」
よっこいしょとおじさんくさい掛け声を出しながら崩れた石を退ける。すると今まで確認して来た本とも宝石とも明らかに違う何かを発見。何だろうと手に取って見て見ると……思わずギョッとして「げっ!?」と声を上げてしまった。
「エルマ、どうかしたか~?」
部屋の端から聞こえるお父さんの声に「ううん何でも無い、虫が居ただけ」と適当に嘘をついちゃったけど……ヤバいよこれ。何でこんな物が、と言うよりこういう物も異物になっちゃうの!?
捨て置くべきか回収すべきか、悩んだ挙句私はこっそり持ち帰る事に。いずれにせよ遅かれ早かれお父さんも見つけた可能性だってあるし、これがこの世界に普及しているのか分からないけど、何となく人に渡したくない。そんな代物を肩掛け袋の中にしっとしまい込んだ。
その後は極めて平穏無事に探索も済み、私達は上の階層へ戻るべく来た道を戻り始めた。その時だった。
──ジャリ
「ねぇお父さん、屁でもした?」
「してないぞ。お前がしたんじゃないか?」
──ジャリ
「あのねぇ、例えそうだとしても乙女にそんな事聞くもんじゃ無いわよ。というかしてないけど」
「じゃあ何だ急に」
──ジャリ
「う~ん、何か……変な匂いしない?」
「うん? 確かに何か生臭いような……ここに来た時はそんな匂いしなかった気がしたが」
鼻を鳴らすお父さんが顎を撫でながら考え込む。そう、ここに来た時はそんな匂い一つも感じなかったにも関わらず今の不快な匂い。その正体は十字路に差し掛かった時、不意に現れた。
「ねぇお父さん……さっきから何か……聞こえない?」
「……あぁ」
流石にお父さんも何かの気配を察知したらしく、普段滅多に抜かない腰の短剣を既に抜き前に構えて臨戦態勢を取っている。一度確かめる為に十字路の真ん中で別々にランタンを照らしてみると、大当たりが私の前方で睨んでいた。
グオォォォォ!
「キャアァァァ!」
何あれ何これ!? 一つ目の化け物!? そういえばさっきお父さんがそんな魔物が居るって……じゃなくて逃げないといけないのに……足がすくんで……早くしないと……食べられちゃう……!
グオォォォォ!
ジャリジャリと足音を立てながら私に近付いて来る。……あ、ここでもう死んじゃうんだ……早かったなぁ私の人生……
『土よ、来たれ!』
グゥオ!?
「キャア!? あぁいったぁい……」
突然何かにぶん投げられ、腰を思い切り打ち付ける。私は何が起きたのかと首を振り、意識を戻しながら確認すると、何故か一つ目の魔物が怯んでいた。そうか、さっきの詠唱はお父さんが……で、私を助ける為に放り投げたと。手荒っぽいけど……心底感謝しかない。
「逃げろエルマ! こいつは俺が食い止める!」
「え……でも!」
「でももクソも無い! お前は早く上に戻って……魔物が出たって触れ回ってくれ、頼んだぞ!」
「お父さん!」
「こっちだ魔物野郎! 『土よ! 来たれ!』」
お父さんは地面の泥を掬い魔物目掛けて放り投げると、泥は鋭い針状になりながら魔物へ襲い掛かる。が、所詮は泥。気を引く位しか役に立たなかった様子で、走り去るお父さんの背中を追って行ってしまった。……私を逃がす為に、初めからそのつもりだったんだね。
私は歯を噛み締め、思い切り手を握り締めながらも上の階層に向かうべく走り出す。悔しい、お父さんの力になりたいのに、私は……何も出来ない。
せめて早く助けをと全力でロープの元へ辿り着いたけど、間に合うの!? いや絶対に間に合わない、助けないと! でもどうやって……うぅんどうやってでも! 二度も……家族を──
「──失いたくない!」
私が意を決して振り返ると、不意に肩掛け袋からゴトリと何かが落ちた。ハッとしてそれに視線を向けると、思わず「これなら……!」と声を上げた。
荷物にしかならない肩掛け袋をその場に投げ捨て、私は例の異物とランタンだけを持ち全力で走る。ただ途中までは覚えていたから良いんだけど、闇雲に走っても到底お父さんに辿り着かない。……どうしよう、いやこんな時こそ魔法の出番! せめて役に立って見せろ!
『風よ、来たれ!』
今こんな事考えている場合じゃ無いけど、あの一つ目の魔物は匂いがきつかった。それにお父さんは必死に逃げながら応戦している筈。ならその風を増幅してやれば良い、と思う。正直かなり不安になりながらイメージしたけど、直後に鼻孔をくすぐる匂いが通路の先から流れて来た。これなら追い付ける!
「お父さん、死なないでよ!」
もしお父さんが……そんな事を考えるだけで手が震える足が竦む。それでも私は走り続ける、例え息が苦しくても転んでも、一心不乱に走る続ける。
「ハァ、ハァ……大分匂いが近付いて来た」
匂いだけじゃ無く、恐らく戦っているであろう物音や振動もはっきりと届いている。まだ凌ぎ切れていないみたいだけど、少なくともお父さんはまだ生きている。ひとまずそれが分かってホッとした。……もう少し頑張っててね、お父さん。今行くから!
足を動かしながら手に持っていたそれに視線を向け、大きく深呼吸。私の考えが合っているならこれは──
「──銃、でしょ?」
予想通りそれの表面の石が砕け始めた。正直銃の種類なんて殆ど詳しく無いから、詳細まで求められなくて本当に良かった。これならお父さんを助けられ……!?
「うぅ……あぁ、い……頭が……!」
最後の一欠けらが剥がれ落ちた途端、私の頭に激痛が走る。走る所の騒ぎでは無く、立つ事も出来ない。
「う、グ……ゲェェ……」
脳を直接操作されているような猛烈な嫌悪感が、吐き気となって襲い掛かる。……本当にこれ、何なの……!? ちくしょう、こんな所で、寝てる場合じゃないっての……!
「ぐうぅ……あと、ちょっと……我慢してみせろ私……!」
具合は一向に良くならないけど、それでも足を引きずって身体に鞭打って前に進む。そして匂いや音を頼りに路地を曲がったその先に、居た……ようやく追いついた!
「お父さ~ん!」
「エルマ!? 馬鹿野郎、何で来た!」
魔物の巨体のせいで何がどうなっているのか見えないけど、良かった……間に合ったみたい。
「助けに来たに、決まってるでしょ!」
魔物が動く度に金属と金属がぶつかり合うような凄まじい音がしているけど、何で生き物の癖にそんな音が出せるのよ!? 短剣を持っているお父さんはともかく、こいつ化け物にも程があるでしょ!?
「くッ、お前は良いから早く──グアァッ!」
「お父さん!?」
マズいマズいマズい! 多分私に気を取られちゃったんだ……! 早く何とかしないと……でもこれ、本当に効くの!? そもそも撃てるの!? ……あぁもう考えている場合か! やるしかないんだから、覚悟を決めろっての!
まずはさっきお父さんがやったみたいに──
『──土よ、来たれ!』
敷石の隙間から適当に土を掬い、魔物に向かって思い切り投げつけ詠唱する。お父さんの時とちょっと変えてトゲトゲのボールにしてみたけど効果は……?
グ、グオォアァァ!
良し、引っかかった! 煽り耐性の無い奴で助かった。ヒェェ、こっち向くとやっぱり怖い……でももう後には引けない。
「……まずは──」
──構える。すると、不思議と緊張感が私から消えていくのが分かった。魔物も今度こそ私を食ってやろうと猛進しているのに、何故かゆっくりに感じる。銃なんて実物を見た事もそれこそ撃った事も無いのに、引き金に触れただけで分かる。
絶対に倒せるって。一体何処から湧いて出て来るのか分からない不確かな根拠は、何故か確信めいていた。
グオォォォォ!
鳴き声が響いた瞬間、私も引き金を引く。バァンというけたたましい爆音が響き、銃のシリンダーが回転。私の脳が理解している衝撃に身体自体が耐え切れず、思い切り尻もちをついてしまったが結果として功を奏した。尻もちをついた私の頭の上を、何と魔物の巨体が通り抜けていったのである。もし尻もちをついていなかったら、その下敷きになっていたのは簡単に想像出来る。
「……あいったぁ……銃ってこんなに反動が凄いの……!? じゃなくて、魔物は!?」
銃なんかまじまじ見ている場合じゃないでしょと自分にツッコミを入れて後ろを振り向いてみたけど、魔物はピクリとも動かない。いや、実際の所確信があった。その証拠に──
「──うわぁ……目玉のど真ん中に当たってる。でも、貫通はしてないっぽい?」
さながらダーツボードのど真ん中を射貫くが如く、一つ目の魔物は黒目からドロドロと血と良く分からない何か、多分脳だと思うけど流れ続けている。恐らく貫通せずにそのまま脳内で動きまくった結果、頭の中がグッチャクチャの滅茶苦茶になったんじゃないかな。分からないけど。
「……人間死ぬ気になれば何とかなるもんだ……じゃなくて、お父さん! お父さん!?」