44 崇高なる裏
「あ、二人共お帰りなさい」
「エルマただいま~」
他に客が居ない事も相まって二つ返事で部屋を借りてから暫くして、レダさんとディドさんはやけに大きな革袋を小脇に担いで部屋に入ってきた。ジャラジャラと音のするそれは、聞かずとも中身を想像出来てしまい思わず顔がちょっとニヤけちゃう。
「随分と大きな荷物ですね」
「あぁ、流石は国内有数の金持ちだ。まさか百ゴルも出すとは思わなかった」
ひゃ……百ゴル!? 私が旅に出るまでの五年間で必死になって貯めてのが二十ゴルだよ!? そんな大金をポンと出すなんてどんだけ金持ちなんだアルバイン家って……
「それはまた凄いですね……ん? レダさんどうかしました?」
「……ぅん? エルマどうかした?」
いやそれはこっちの台詞です。とそんな感じに聞いてみるとレダさんは「いやぁこんな大金初めて見るからねぇ、思わず放心しちゃってたのさ」と告げながら笑い飛ばす。何か変な事でも言われたのかなと思ったけど、気のせいなら別に良いか。
「それよりエルマ、明日の朝機関車に乗れるってさ。だから寝坊しないように早く寝といた方が良いよ」
「あぁ明日に決まったんですか。随分あっさり決まりましたね」
「そこら辺はあいつが色々やったんじゃない? どうしても現着の時間は早朝で決まってるからって申し訳なさそうにしてたけど」
それは仕方ないよ、ダイヤを乱すのは色々な予定に影響が出るだろうしさ。朝早く起きるのはまぁちょっと辛いけど、折角の貴重なチャンスを無駄になんか出来るもんか。
その後早々に、というか時間的にも大分早いけど夕食を済ませ、太陽が沈んだ頃には各々部屋に戻ってベッドに横になった。そういえば部屋に入る直前レダさんが「気を付けてね」とか何とかって言ってたけど、あれどういう意味だったんだろう。まぁわざわざ聞きに行くのもあれだし明日で良いか。それよりさっさと寝よ寝よ、どうせ悶々して中々寝付けないだろうし。
案の定小学校の遠足前日的な感じで中々寝付けず早数時間、漸く意識が飛んだかと思えば何やら部屋の外から人の気配を感じた。もやもやした頭じゃ考えるのも一苦労だけど、たぶんレダさんだろう。何回か部屋に入り込んできた事あるし、とか何とか考えてたらほら、入ってきた。
「ぅぅん、レダさん……明日早いって言ったの自分何ですから、自分のとこで寝てくださいよ」
……? はて、何の反応も無い。私と同じで寝惚けてるのかな。
「レダさん?」
寝惚け眼を擦りながら扉の方に目を向けると、それは明らかにレダさんでは無かった。明かりが窓から差し込む月光だけだから初めこそ分からなかったけど、よくよく見ればガタイが明らかに違う。この人……誰!?
「あ……んむ!?」
大声を出す間もなく私の口は布的な物で覆われ、息をするのが精一杯になってしまう。この変な匂い……まさか、初めからこれが目的で!? あぅ……意識が、と……ぶ……
「──ぅ。ぁえ……? ここどこ……?」
私、宿のベッド寝てた筈なんだけど……何で椅子に座って寝てるんだっけ? それに何か動きづらいような……は!?
「そうだ、あの人!? ……っていうか何で縛られてるの!?」
両手両足がっちり縄で縛られているうえ、身体も椅子事ぐるぐる巻き状態。そりゃ動きづらい訳だわ……って納得している場合じゃないっての!
「ここ……どこ!?」
見た感じ多分自然の洞窟を弄ったらしく何故か入り口に扉が付いていたり蝋燭が灯っていたりするけど、外の様子は全く分からない。
「どう見ても……攫われたって事だよね……」
これからどうするとかどうなるとか思考がぐっちゃぐちゃになる。……というか泣きそう、ヤバい。あ、もう駄目、涙腺が……って所で不意に扉が開き、私も思わず「誰!?」と叫んだ。
「ふむ。お目覚めのようですな。中々目を覚まさないもんですからもしや薬品の量を見誤ったかと気を揉んでいた所です」
無地の白い仮面に大きな外套、多分私を攫った奴だ。声色的に多分男か……うん? この声って聞き覚えがあるような……?
「……あんた誰なんです?」
「崇拝する我が神の敬虔なる信徒、としておきましょう」
……この声、やっぱり……!
「差し金は……雇い主であるアルバインさんですか?」
「……ほう。薬の影響が少なからず残っている筈ですが随分聡いですね」
そう言いながら仮面を外すと、やっぱり……ヴァイスさんだった。
「何でこんな事をするんですか? もしかして本当にアルバインさんが?」
「いえいえ、あの方はこの件に関して全く存じておりません。全て私の目的の為です」
「アルバインさんが関係ないって事は仕えるとかそういうのとは違う……神、神……? まさか……!?」
私がこの世界で聞いた神の名は、たった一つしか無い。
「エルマ氏の想像通り。全てはプルトン神の御為にございますれば」
プルトン神って事は間違いなくあの迷惑教団が絡んでいるとみていい筈。迷惑教団が私を攫うメリット、もっと言えばこの人は私が並みの鑑定士ではないと知ったうえで攫っている。わざわざこんな強引な手段に出てまで鑑定させたい物って一体何だ!?
「私が神様相手にどうこう出来るとは思えませんが」
「それはご自身を卑下し過ぎです。かつて誰も成し得なかった偉業をやってのけたのです。故に貴方はプルトン神に必要とされる存在。……少々不快ではありますがね」
「では敢えて聞きますけど、そんな簡単に言う事なんて聞くと思います?」
「無論待遇は最上級の物を保証しましょう。貴方はプルトン神の庇護の下、何不自由なく生活出来ますよ」
「今更そんなので私が靡くと思っているんですか?」
フンと鼻を鳴らしながら言い捨てると、この人は「先だって私の提案を蹴り捨てたのです。無論そんな簡単だとは微塵も思っていません」と告げながら外套の中をゴソゴソと漁り始め、何かを手にして私の前に見せる。
透明なガラスで出来た小指位の試験管の中に、ピンクとか紫とかそんな色の液体がドロリと内部で揺らめく。正直な所、何故か凄く淫猥に見える。
「それは……?」
「エルフ族はその聡明な知識を生かして、古くから薬学に精通しています。様々な病に効く物や滋養品が主ですが、その過程でとある薬品も生まれたそうです。一般に出回っているそれはかなり薄められており、房事に彩りを加える程度の効果しかありませんが、では原液ならば?」
「ちょ……何を言って……」
「一度これを飲んでしまえば誰であろうと立ち所に乱れ情欲に駆られるだけでなく、これを欲するが故に従順になってしまう。一般に媚薬と呼ばれるこれは、調教にも役立つ薬品でもあるのです」
……はぁ!? 冗談じゃない、誰がそんな成人指定の本みたいな事されなきゃいけないのよ!
「ただし、これはあくまで最終手段。効果は抜群なのですが、それ故投薬された者の気が狂う事もしばしば。エルマ氏がそうなってしまうのはこちらとしても避けたいのです。ですからなるべく穏便に済ませたいのですが、如何でしょう。我らがプルトン神の為に協力して頂けませんか?」
この人……まともそうな見た目とは裏腹に完全に狂ってる! マズい、早く何とかしないととにかくヤバい!
「あぁそれと、薬に頼るのは先程申した通りあくまで最終手段。他にもお願い申し上げるやり方は幾つもありますので、早々に首を縦に振る事をお勧めします」
「クッ……」
助けを呼ぼうにもこんな状態じゃ無理だし、そもそもここが何処だかすら分からないし……流石に万事休す、なのかな……
「レダさん……ディドさん……う、うぅっ……」
「おぉ何と嘆かわしい事か。このようないたいけな女性の涙を見るには実に耐え難い。なればこそプルトン伸様の為にその力を……んん?」
……? 部屋の外が騒がしいような?
「何事かね」
「敵襲だ! 相手は……グアァッ!」
はっ!? え、何で、銃声!? ヴァイスさんと話していた人はいきなりぶっ倒れちゃったし、何が起きているんだ!?
「……むう、これは少々厄介な事になったか。致し方あるまい」
「ちょっといきなり何ですか!? 嫌、離して!」
「大人しくしてください。物言わぬ肉人形になりたいのですか?」
縄を切って無理矢理立たせたかと思えば今度は脅し!? この人、ここまでクズとは思わなかった……だからって大人しくなんてしてられるかっての!
「どっちも嫌です! 離してください!」
「えぇい強情な、聞き分けなさい!」
「エェルマをぉ……返せぇっ!」
うわっビックリした!? って、え? レダさん!? それにディドさんとついでにアルバインさんも!? 何でここに、というかどうやってここに居るって分かったの?
「おいアルバインの。結局あいつが首謀者って訳か」
「……誰が見ても、そうなるね。ハァ……最後まで信じてたんだけどなぁ」
溜め息交じりに落ち込む素振りを見せるアルバインさん……いや、実際結構ショックが大きいみたい。まさか自身に仕えていた人が、信じていた人がこんな事をしでかしているんだし無理もないけど。
「んなこたぁどうだって良い! やいそこのジジイ、さっさとエルマをこっちに渡しな! でなきゃ痛い目見るよ!」
おぉレダさん超格好良い。啖呵切るのがここまで似合う人もそうそう居なさそう。
「ふむ、何故ここが分かったのか疑問ではありますが……喚き散らすのはここまでにしてもらいたい」
外套の中から取り出したのは……あっ! それ私の銃じゃん! 通りで変な違和感あると思った。 用意周到と言うか何と言うか、とにかく小賢しいなホントに。
「チッ、この卑怯もん!」
「何とでも言えば良い。我々の崇高な目的を下賤な輩に理解出来る筈も無し、黙って己が非力さを恨みたまえ」
「ひょっとして下賤な輩に僕も入ってるのかい? 悲しいなぁ」
「大変申し訳ありませんが、これは命を賭してでも為さねばならぬ天命。いくらアルバイン様とて容赦する訳には参りません。何卒ご理解頂きたく思います」
「……ふ~ん。まぁその辺りは後にするとして、どうしよっか」
「どうするって言ったってさぁ……あれはあんた達が作ってるのよりもヤバいやつ何だよ? いちいち弾込めしないで良いし、あの人差し指が引かれたらズドン! だし」
「俺の硬化で何とかなるかもしれないが……エルマを撃たれたら何の意味も無い」
「相談も結構ですが早々に立ち退いて頂きたい。さもなくば、そちらのゴレム族の言葉通りエルマ氏に風穴が開いてしまいますが」
まさか私がヒロインみたいな立ち回りする羽目になるとは微塵も思っていなかったわ。……でも実際手の打ちようが無い、撃たれたら何処だろうと致命傷になりかねないし。……うん? いや待て、そう言えば……賭けてみるか。
「さぁいい加減退いて頂きたい! この者がどうなっても良いのですか!」
「クッ!」
「レダさん、私に構わないで!」
「何言ってんだいエルマ! そんなの駄目に決まってんじゃないの!」
「私を……信じて」
「……! あぁ分かった」
レダさんが近付いて来てくれたし、うん。これで良い。後は私がちゃんとやっていれば、何とかなる筈。
「何故近付くのです!? さっさと離れなさい! 私が撃てぬと思ったら大間違いですぞ!」
「ハッ! 威勢だきゃ大変ご立派な事で。そこまで言うならちょいとあたしに撃ってみなよ」
んげっ!? 私の予定と違うんですけど!? あぁそういやレダさんって結構そういう人だったっけか。あぁもう! 後は野となれ山となれだ!
「お望みならそうさせて頂きましょう。そちら方が手っ取り早い」
──パチン
「……ん?」
──パチンパチン
「な、何故撃てない!?」
「隙ありだ、こんのクソジジイ!」
よっぽど不可解に思ったのか銃口を覗くという絶対にやっちゃいけない行為をやったヴァイスさんの手が、レダさんの短刀によって銃ごと地面に落ちた。……うっわぁグッロ。




