33 暗い月夜の
「あ、ディドさんお疲れ様です。ドレーフさんの所に行ったってレダさんから聞きましたけど、何かありました?」
レダさんの抱き枕だかぬいぐるみだかの状態から抜け出し、ちょっとトイレに行こうと一階に下りると偶然ディドさんとバッタリ遭遇したのは良いんだけど、まさかディドさんが汗でドロドロの状態で戻って来るとは正直予想外。一体全体何をしてきたのやら。
「あぁ、街で散歩ってのも俺の性分に合わんからな。ちょっとドレーフの所で路銀稼ぎがてら鍛冶の手伝いをしてきた。っと一応言っておくが俺が勝手にやっている事だから、自分も何かしなきゃとか考える必要は無いぞ。存分に街を楽しむと良い」
う~んバレてる、今の話を聞いて私も何かバイトした方が良いかなと思っていたし。まぁ部屋で寝息を立てている人はそんな気さらさら無いだろうけどね。……あ、それで思い出した。
「ディドさん、一つ聞きたい事があるんですけど良いですか?」
「あぁ分かった、だがその前に着替える時間をくれるか?」
「はい、お疲れの所すみません。酒場で飲み物を頼んでおきますね」
「悪いな、じゃあ少し待っていてくれ」
ディドさんと別れた後適当な場所に座って飲み物を注文すると、早々にエールと果実ジュースがテーブルに置かれる。私も付き合いでたまに飲むけど、やっぱりエールは中々慣れないのでこうしてジュースに興じている。こればっかりはどうしようもない、だって美味しくないんだもん。良くもまぁみんな飲んでいられるよ、感心する。
木製のジョッキを豪快に傾けている男達をぼんやりと眺めていると「待たせたな」とディドさんが到着、私の向かいに座った。
「それで聞きたい事ってなんだ?」
ものの数秒でジョッキを空にし、二杯目を頼んだディドさんが視線をこっちに向けた。やっぱり本物の酒豪は化け物だわ。
「えぇとレダさんの事なんです」
「レダの事? そういえば姿が見えないがどうした?」
「今は多分私の部屋で寝ていると思います」
「エルマの部屋で? 何でまたそんな所で」
二杯目のジョッキを口につけようとした時、怪訝そうに眉を顰めてテーブルに置いた。まぁ、普通そう反応するよね。それが知りたい部分だし。それからテーブルに幾つか空のジョッキを増やしながら事の顛末を話すと、ディドさんが「成る程な」と漏らしながら視線を何処か遠い場所に向ける。多分何か知っていそうではある、でも何故だか微妙に嘆息混じりと言うか。あんまり良い話では無いようにも見える。
「多分あれだ、エルマの事を完全に気に入っちまったんだと思うぞ」
「気に入った?」
自分で言うのも何だけど、以前から色々教えてくれたし、何かと手助けをしてくれている。悪戯だのちょっかいだのもそれなりに多いのは、それこそレダさん風の接し方だと思っていた。ってディドさん言ったら「それは確かに間違いない」と肯定しつつさらに続けた。
「あれでもあいつなりに一定の距離を置いていた筈だ。今でこそ大手を振って仲間だと言える間柄になった訳だが、内心利用し合っているような微妙な関係性だったからな」
あぁ……確かにあるかもしれない。そもそもの始まりだってディドさん達が異物鑑定によるお金稼ぎだし、私も護衛になるんなら良いかと思っていた位だし。そう考えると仲間というよりも単に利害が一致した結果行動を共にするようになっただけにも感じられる。
「レダは普段馬鹿やっているし口も悪いが、あれでも結構仲間想いというか優しいからな。エルマの昨日の仲間発言で吹っ切れたんじゃないか」
端的に言えば遠慮していた感じなのかね。……あれで? あの状態で? 何だか不思議な感じがする。でもまぁお互いの踏み込みにくい壁を取っ払う事が出来たのならそれはそれであり、か。
「ただ……気を付けた方が良い」
おぉう、ディドさんが今日一番の真剣な顔でこっちを見てきたからちょっと驚いた。まぁ今日初めて会ったのがほんのついさっきだけどそれはさておき、気を付けた方が良いってどういう事?
「あいつは男も女もどっちもイケるクチでな、その内エルマもぱっくりヤラれるかもしれん」
「……ヤラれる、と申しますと……?」
「エルマが今思い浮かべたような、そのまんまの意味だ」
……マジか~。そりゃ好意を向けられる事自体は嬉しいよ? でもそれが行為に発展するってなれば……う~ん、どうなんだろう。生まれてこの方一度たりともお付き合いなんてした事無いし、どんな感情を持てば良いやら見当も付かない。
「ちなみにレダさんって私に気があると思います?」
「無い、とは言い切れなくなっただろうな。まぁ突然襲ったりしないだろうからその辺りは安心しても良い」
う~ん、もうどんなリアクションをすれば良いか分からないわ。この世界ではちゃんと男性と、って思っていたけど女性とかぁ。……逆にありなのか? いやいや待て待て、いくら何でもレダさんに毒されるのが早過ぎるって私。無いな、うん無い無い……無いよ、ね?
「あ~! 二人共先に始めるなんてずるくなぁい? 何で呼んでくれなかったのさぁ」
考え事していたら突然レダさんが姿を現し、テーブルの横で仁王立ちした。遂に起きて来ちゃったか、まぁいずれこうなっただろうから仕方無いか。でもまさかレダさんに関して話していましたなんて言える筈も無いし、ここは一つ半分本当の嘘をついて誤魔化そう。
「だってレダさん私の部屋で寝ていたじゃないですか。だから起こすのも悪いかなと思ってそのままにしたんです」
「ふぅん? 成る程ねぇ。ま、そういう事にしといたげる」
……何か含みのある言い方が気になる。
「それよりあたしも飲まないとねぇ。早々と二人して楽しんでたみたいだし追い付かなきゃ」
そう言いながらテーブルについた途端、ディドさんのジョッキをしれっと奪いそのまま一息で飲み干す。……あ、これ馬鹿正直に付き合っていたらヤバいやつだ。機会を見て適当に逃げないと。
「そ、そうだ。まだ身体が汚れたままだったからちょっと行ってくる。それまで二人で楽しんでいてくれ」
「なぁんだきったないわねぇ、ちゃっちゃと行ってきなさいよ」
レダさんから渋々許可を取ったディドさんはホッとした様子で即座に姿を消した。……逃げやがったチクショウ! ディドさんがこんな手段に出るとは思わなかったから後手に回る羽目になっちゃったよ。
「はいはいエルマ、たまにはあたしに付き合いなさい」
「……はぁい」
基本的に飲みに付き合う事自体無いからか、レダさんもやけに上機嫌。うん、悪い事じゃないよ? でもね、限度ってものを知って欲しいだけなのよ。流石に私があまりお酒に強くないのを知っているからそこまで強引ではないにしても、私にとっては十二分に飲み過ぎてヤバい。お腹からチャポチャポ聞こえる気がする位に。
そんなこんなで暫くレダさんに付き合いながらディドさんを待っていたんだけど中々来ず、正直私も限界に近かった。
「あれエルマどうかした?」
「ちょっと飲み過ぎちゃったので外の風に当たってこようかと」
大きく開けられた入り口から風は入って来ているものの、やっぱり直接浴びたい欲に駆られる。という訳で席を立つと「じゃああたしも行くかな」とレダさんも同じように立ち上がり、揃って外へと出る。
すると外はやけに薄暗く、いやもう夜だから暗いのは当然だとしても空は透き通った黒に星が輝いている。にも関わらず月明かりの下とは思えない程の暗さに、首を傾げながら空を見上げた。
「あれ月が暗くなってる。もしかして、月食?」
見上げた空に月の輪郭があるものの、中はほぼ漆黒と言っても良い位闇に染まっている。へぇこの世界でも月食ってあるんだ、こっちに来てから初めて見たわ。
「そういえばエルマ、こんな話を知ってるかい?」
「どんな話ですか?」
「月はマナの塊だって言われててね。こうやって月が消える時は誰かがあれを触媒にしてとんでもない事をやってる、なんて話さ。まぁ実際確かめようが無いから寝物語みたいなもんだけど」
曰く、私が居た世界のように年に一、二回起きる月食は、この世界だと数十年数百年単位の稀な出来事らしい。そのせいかこうして七不思議に毛の生えたようなお話しが生まれたのだとか。でも「嫌な事が起きなきゃ良いけどねぇ」と月を見上げるレダさんの顔は、さっきまで楽しそうにお酒を飲んでいたとは思えない程真剣だった。




