32 何でもないけど何だか贅沢な一日
レダさんやディドさんとの仲がちょっぴり深まってから二日後の早朝、まだ地平線に陽が隠れているような時間にも関わらず私はレダさんと一緒に外へと出ている。
「ふわぁ……ねむぅい、ですねぇ」
「ほらエルマ、しゃんとしないとどっかに頭ぶつけるよ」
「分かってますよぅ……」
何でこんな寝惚け眼で出歩いているのかというと、蒸気機関車の姿を見たいと思ったからである。なんでもこの蒸気機関車はヴェイパまで丸一日掛けて往復しているらしく、姿をみられるのはこんな早朝だけとの事。蒸気機関車を以てしても往復丸一日掛かるヴェイパにもちょっと引くけどそれは置いといて、少なくとも一日一回便があるにも関わらず昨日はあの独特の汽笛の音なんか一つも聞こえなかった。
確かに泊っている宿からそれなりに離れているしあの防壁が防音効果も担っているかもしれない、私もベッドでグッスリだったから偶然聞こえなかっただけかもしれない。それらを確かめる為にレダさんにお願いしてこうして出向いているのである。
「まぁだ来ないんですかぁ?」
「もうそろそろだと思うけど、というかエルマってそんなに朝弱かったっけ?」
「普段はそうでも無いと思うんですけどぉ、ここに来て良く眠れるようになったからじゃないですかねぇ」
あれです、快眠へ誘うあのベッドが悪い。と、とんだとばっちりをベッドに浴びせていると朝日で僅かに薄明るくなった空にもうもうと影のような物が立ち込めている。……お、おぉ、来たぁ!?
「来ましたよね、あれですよね!?」
「そうだね、多分あれだ。あたしも久し振りに見たけどやっぱデカいねぇ」
まだライトみたいな物が無いから正面に特大のランタンを括り付け、今の空色にも似た塊がこっちに向かって走って来ている。駅と言って良いのか分からないけど、到着地点が近いから徐行しているのは分かる。でも汽笛はともかくとしても、車輪を始めとした駆動部から音が殆ど聞こえてこないのはおかしくない?
「レダさん、あの機関車ってこんなに音が小さいんですか?」
「あぁあれは風の魔法で音を小さくしているんだってさ。詳しい原理は知らないけど風を壁みたいにするとこうなるんだって」
曰く最初期の頃は何にも対策をせずに運行していたら、住民から苦情が殺到したのでこういった対策を取るようにらしい。音は空気の振動で伝わるから間に風の壁があれば振動を遮る事が出来る……のか? 正直そういうのは私も詳しく無いし、そもそも根幹が魔法とかいう科学と真逆みたいなものだし、深く考えたってどうしようもないからいっか。ありのままを受け入れよう。
私達の前を徐行しながら壁の中へと消えていく様は、何とも不思議な物を見ているようでとてもワクワクした。知識では知っていても実際に見るのはこれが初めてなのも相まって、やけに気分が高揚する。
「レダさんレダさん、私あれに乗ってみたいです!」
「いやぁ、それは多分無理だろうねぇ」
「えぇ~、何でですか」
「今はヴェイパへの物資とか人員の輸送が主目的だから、大抵は軍関係か余程強いコネが無いと難しいよ」
う~んむむむ、これが権力、私のような庶民じゃ如何ともし難い。悔しいけど今は諦めるしかない、か。でもいつか、もっと普遍的になればいつかは乗れるかなぁ。
満足して宿に戻った私はちょっぴり興奮した代償か二度寝に突入、昼過ぎまで惰眠を享受した。いやぁ贅沢ですなぁ。その後併設酒場で軽めの昼食をとり、ふとある事を思い出したので今日は自室に籠る事に決めた。そのある事というのが──
「──あぁやっと見つけた。暫く見ていないと思ったらこんな奥にあったんだ」
自分のバックパックをひっくり返して探していたのは風の封筒、そういえばお手紙を出すってお母さんと約束していたからね。あの時は半年位って言っていたから、もう届いた、なぁんて驚くかも。……二人共元気にしてるかなぁ。
若干ホームシックの気配を感じつつ、旅の道中で購入した羽ペンとインクが入った小瓶、それと便箋代わりの羊皮紙を取り出す。いつか使うだろうと思って買っておいて良かった。正直シャーペンとか鉛筆とかに慣れきっていたから私の感覚だけじゃ羽ペンは使い辛かっただろうけど、エルマの記憶込みなら案外スラスラ書ける。ホントエルマ様様ですよ。
「やっほ~エルマ、遊びに行こうよ」
お父さんお母さん元気ですか、と最初の挨拶を書いた所でレダさんがノックもせずに部屋に乱入してきた。間が悪いと言うか何と言うか、思わず「げっ」と漏らすと、レダさんはムスッと口をへの字にする。
「ちょっとぉ何今のげって、あたしと一緒はやだって訳? お姉さん悲しいなぁ、折角昨日はエルマとの距離が縮まったと思ったのに」
はいはい嘘泣きお疲れ様です。全く、お調子者のお姉さんですこと。
「今日は両親にお手紙を書こうと思っているので一緒には行けませんよ」
「えぇ~、つまんないなぁ。じゃあ仕方無いからあたしもここで寝てよっと」
しれっと流せばどっかに行くと思ったのに、まさかそう来るとは思わなかった。っていうか私が使っている枕の匂いを嗅ぐな変態えっちお姉さん。
「寝るなら自分の部屋に行けば良いじゃないですか」
「だって寂しいじゃない。こうしてここで寝ていた方が、何だか気分も良いしねぇ」
……何か昨日から突然キャラ変わってない? 私にちょっかいを掛けてくるのはままある事だったから分かるとしても、何と言ったら良いやら、懐かれたって感じよりもっとベッタリな気がする。……私そこまでツンツンしていなかったと思うけど、実際そう見られていた反動なのかな? まぁ嫌じゃ無いけどさ。
それから程無くして本当に寝息を立て始めたレダさんを尻目に、ちょっぴり申し訳無さを感じつつ眼前の羊皮紙に集中する。正直こうして手紙を書くなんて初めてで、それこそ学生時代の作文だとかが最後となれば何を書いたら良いのか結構悩む。
最初はレダさんとディドさんとの出会いから始まり、今預かってもらっているクラートを始めとした異物の事とか、植人や一角狼等の魔物の事。道中色々な事を体験して来たんだなぁとペンを動かしながら感慨に耽ったりもした。……ただ、あの事だけは書く訳には行かない、自分の業は自分が知っていれば良い。
「ふむん、こんなものかな」
「やぁっと書き終わった?」
認めた手紙を満足気に見ていると、いつの間にか起きていたレダさんが私の頭の上に顎を乗せる。ちょっとゴリゴリして痛いけど、その代わり首とか後頭部に至福の柔らかさがあるので不問と致しましょう。
「漸くお目覚めですか?」
「うんまぁね。それよりこれ風の封筒でしょ? よく持ってたねぇ」
そう言いながらレダさんは青色の封筒を指で摘まみ、繁繁と見つめている。確かにお母さんから結構値の張る物とは聞いていた、でも物知りなレダさんがここまで言うなんてそんなに珍しい物なの?
「これって珍しい物なんですか?」
「まぁある意味珍しくはあるかな」
曰く、魔法は火や水、風や土と言った自然的な要因に作用するものである。うん、ここまでは私も知っている。その為こういった封筒等の物に魔法を定着させるのは非常に難しく、熟練者のみ扱えるのだとか。何がどういう理屈でそうなるのかは正直理解出来そうも無いから、魔法はそういうものって理解しておけば良いか。それよりも個人的に一番問題なのはその後なのよ。
「そういえば売っているのを見た事無かったですね」
「だってこれ一つで確か三十シル位する筈だから、それなりの大店でないと防犯対策やらで扱いに困るのさ」
「さんじゅ……え、これこんなにするんですか!?」
「何さ、知らないで使っていたの?」
いやだってお母さんがこっそり用意してくれていたみたいだし……うわぁマジ? たったこれだけで宿に数泊出来る金額とか半端じゃないね。
と一しきり驚いた所でいよいよ実践。庶民魂が沁みついている私としても若干勿体無さを感じますが、道具って言うのは使ってナンボだからね。封筒の中に手紙と道中で稼いだお金を少々いれて仕送り的な感じにして、何かの穀物だかで作られた糊で封をする。
「レダさん、この後どうすれば良いんですか?」
お母さんからは届けたい場所や人をイメージして空に投げるって聞いたけど、レダさんが居るなら丁度良い。聞いた方が確実性が増すからね。
「じゃあそれを両手で持って、頭ん中で届け先をイメージ。浮かんだらそのまま大きく投げる! それで完了だよ」
振りかぶって投げるモーション付きで説明を受けた後、同じように頭の中でイメージを浮かべる。お父さんには悪いけどお母さんとの約束だからね、記念すべき最初の一投はお母さんに決めている。よぉし──
「──いっけぇ!」
予め開けておいた窓から外に思い切り投げ飛ばすと、弧を描いて落ちるかと若干ドキドキしたのも束の間、まるで風が意思を持ったかのように封筒を空高く持ち上げていった。もうちょっとフワフワと行くのかと思ったのに、結構な速度で封筒の色に似た空へと消えていく。
「これでちゃんと届くんですかね? 途中で雨とかにあったらどうなるんだろう」
「大丈夫。あれには防水加工もしてあるし、もっと言えば動物避けみたいなのも施されているみたいだからイメージしたのが間違ってない限りちゃんと届くよ。まぁたっかい金出してんだからそうでないと困るからねぇ」
ちゃんと届くように空に向かって祈りを捧げておこう。届きますようにっと、良し、後は封筒に頑張ってもらおう。その後、まだ夕飯にも微妙に早い時間だったのでまさかの三度寝に移行。まぁちょっと遅めの昼寝と考えればあり、なのか? ただ問題なのは発案者がレダさんって言うのと、何故か抱き枕みたいにしがみ付かれているって辺りなんですよ。……何でかえっらい急にグイグイ来るようになったなぁ、でもまぁ良い匂いだし柔らかいから悪い気分じゃないけどさ。後でディドさんにでも聞いてみようかな。




