29 風呂は命の洗濯
「あるんですか!? 本当に!?」
この旅路でも幾つか町や村を訪れたんだけど、お風呂屋さんと巡り合う事は一度も無かった。その為、日々の垢は魔法由来の水とタオルでゴシゴシ擦る程度、良くて町の宿でお湯を貰うかもしくはレダさんが持っている香油を僅かばかり頂くか。
それにしても完璧にはならないし匂いで何となく誤魔化しているだけなので、はっきり言っちゃうと不潔。ここまで来ると風呂という文化自体無いのではと疑ったりもしたけどそうでは無く、実際東方のイルスタ地方にある山々では温泉が湧き出しているとかって以前ディドさんが言っていた。
まぁそんな訳で、もしお風呂に入りたいなら温泉に行くしかないのかなぁって若干諦めていた所に、ディドさんの提案が舞い込んでくればそれはもう驚くって。人目が無かったら喜びの余り小躍りだってしたかもしれない、それ位嬉しい。
「ただし、若干値が張るがな」
「……おいくら位ですか?」
「以前と変わらなければ確か三シルだったか。そこに石鹸だとかタオルだとか買うともう少し高くなる。まぁ三シルと比べれば大した事じゃ無いが」
結構するなぁ……まさか宿一泊分と大体同じとか値段設定間違っているんじゃないの? 私が居た世界ならそれこそ無料で入れる場所もあったし、そんなに驚くような値段じゃ無かったんだけどなぁ。でもそんな位じゃたじろがないよ、今の私なら例え一ゴルだろうと払ってでも行きたい!
「大丈夫です、行きましょう!」
「フッ、エルマならそう言うと思った」
フンフンと興奮気味に鼻を鳴らして二人の後に付いて行くと、少しずつ空気に混じる湿気が強くなっているような気がしてくる。もう少し、あと少し、あぁ何だか緊張してきた。そして。
「あ~ぁ、やっと着いた。不公平さを無くす為に亜人街の真ん中に作ったとか聞いたけどいい迷惑だわ。もっといっぱい作れば良いのに」
「そう言うな、湯屋の経営は何かと大変らしいからな。とにかくエルマ、湯屋に着いたぞ」
そう言いながらディドさんが私の方に振り返る。何やらレダさんが愚痴を言っていたけど、まぁ良いや、今はお風呂が最優先。綺麗にカットされた石で造られた建物へと入ると、中には割と結構人が居た。ただし全員見た目に大きな特徴を持っていたけど。
「いらっしゃませ。まずはこちらで入場料をお願いします、それと入用な物があればどうぞ」
腕が合計六本生えている受付けのお兄さんに入場料、それと石鹸とタオル代を渡す。するとお兄さんは六本の腕をまるで自分の……いや自分の物だから当然か、初めてだから仕方無いけどどうにも不思議な感覚が慣れない。まぁとにかく腕を巧みに動かしてささっと人数分の品々を渡してくれた。
「じゃあディド、また後でね~」
「あぁ。せいぜいエルマを楽しませてやってくれ」
軽く手を上げて挨拶を交わすレダさんに合わせ、私も会釈してディドさんと一旦離れる。一応男湯と女湯が分かれているらしい。まぁ下着姿の男女が町の井戸で身体を洗っているのを見た身としては、正直意外な所。
それから受付けから程近い場所にある脱衣場に到着。中は外見とちょっと違う色のレンガみたいな物で綺麗に彩られ、多少高いとはいえ大衆風呂にしては豪華な印象を受ける。一つ私の知識と違うのは、脱衣場と湯船側の間仕切りがガラスでは無く壁である事だろうか。実際建物の窓にガラスをはめ込んでいるのを見ているので無い訳じゃない、多分単純にそういう考えが無いからかな。
ただ、ロッカーとかそういうのがある訳では無く、棚に脱衣用の籠が置かれているだけなのはやっぱり相応なのだろう。……お財布用の袋そのままそっくり持ってきちゃったんだけど、どうしよう。
「レ、レダさんちょっと良いですか……?」
「うん? 何でそんなに小声なのさ」
「いやその、これ……」
私が外套の中にある袋を見せると、レダさんも察したらしくあぁ……みたいな様子で頬に手を当てる。
「ちょっと貸してエルマ。多分受付けに言えば預かってくれるだろうから行って来てあげる」
「お願いしますレダさん」
袋を受け取ったレダさんはそのまま小走りで出ていくと、僅か程度の待ち時間で再び戻って来た。
「これで盗られる心配は無くなったね。さぁて、じゃあいこっか」
「はい……!」
何だかんだレダさんもお風呂が楽しみだったらしく、恥も外聞も知った事かと言わんばかりに一気に衣服を脱ぎ去り、脱ぐの早っと見ていた私の衣服も一気に剥ぎ取った。変態かよ。でもまぁ今日は許そう、何て言ったってこの扉を開ければ、遂に……!
厚めの木材で作られた扉を開くと、中はもうもうとした湯気が立ち込めていた。バシャバシャとお湯が床に落ちる音、ピチャンと天井の水滴が落ちる音。十人位が限度の湯船が四つあって、入浴している人達は皆気持ち良さそうに顔を蕩けさせている。異国どころか異世界だとしてもあまり変わらぬこの風景に、思わず涙を零しそうになる。
「エルマぁ、そんな泣く程嬉しかったの?」
「あ、いえ、そんな筈無いじゃないですか。ただの水滴です」
自分の知らない内に涙が出ていたみたいで、レダさんが私の顔を覗き込みながら茶化して来た。まぁ傍から見ればそんな風に見えるのだろうね、むしろそう思っていてくれた方が有り難い。……私はもうエルマという存在だけど、茜としての記憶は忘れられないよ。
色々と込み上げてくる思いをゴシゴシとタオルで擦り、気持ちを切り替える。今は感傷に浸ってないでさっさとお風呂お風呂っと。湯船に飛び込みたい気持ちを抑えてひとまず脇の方にある大きめの釜に向かう。小柄な私なら釜風呂に代用出来そうなそれは、壁を伝っている配管からお湯を受けていて、そこから必要な分を汲み取って身体を洗うみたい。というかレダさんがもう実践しているので見たまんまだけど。
長旅の汚れも相まってあんまり泡立たない石鹸で身体と頭を丹念に洗い、さぁてさてさて、それじゃあ後はお楽しみの湯船に行きましょう。
「んぅ、ふあぁ……あったかぁ……」
湯加減はそれ程熱くなく、ともすれば若干温く感じるけどそれもまた良き、長く入っていられる。あぁ極楽極楽。お風呂ってこんなに気持ちが良いなんて、前の私じゃ思いもしなかっただろうなぁ。
「やぁやぁエルマ、遅かったねぇ」
先に入っていたレダさんがスイィと器用に近付いて来ると、私の横に座った。しっかし……この人って本当にスタイル良いなぁ。出ている所は出てるし引っ込んでいる所は引っ込んでいる、まぁ簡単に言うとえっちだよね。……羨ましくなんかないし? 私も発展途上なだけでいつかそうなるかもだし? 負け惜しみじゃないし……!
「あぁ~、ひっさしぶりの湯は良いねぇ」
「まさかセントネルズに着くまで風呂に入れないとは思いもしませんでしたよ」
「まぁ湯屋は手間が掛かるからねぇ。川とか井戸の水は基本作物とか生活用水に優先されるし、湯を沸かすのに薪代も掛かる」
「別に魔法があるんですから使えば良いじゃないですか」
「無理無理。いくら水を増やしたり火を操れたってマナには必ず限界がある。それこそ商売ってなりゃ人件費がとんでもない事になる。セントネルズみたいに街のど真ん中に川が流れてて、人が多いからそれなりのアガリが見込めてこそ成り立つのさ」
うぅむ、魔法って言ってもそこまで万能じゃないって事か。単に私が魔法に夢見すぎっていうのもあるけど。それにやっぱり街の近くに川があるっていうのは、発展していくうえで必要なのも感じ取れる。面白いものだ。
「そういえばエルマ、暫く休暇にしたけどどうやって過ごすとかってあてはあるの?」
「田舎から出て来た私がそんなのあると思います?」
「だろうねぇ、ま、そう言うと思ってたからお姉さんが一肌脱いであげる。もこの街で色々見て回ろうか」
「はい、お願いしますレダさん」
私も多少知識を蓄えたけど、全然まだまだ。ともすれば地場で生活している子供の方がこっちでの知識が多いかもしれない。レダさんに若干思う所があるのも事実だけど、案外一緒に居るのも悪くなくなってきたし、街を見ながら勉強するのも悪くないかも。
と、そんなこんなで明日以降の予定も決まった所で私達は風呂から出てディドさんと合流、そのまま宿にチェックインとなった。部屋のレイアウトはまぁ普通なんだけど、ベッドが結構大きい。と言うのもディドさん曰く「亜人街では身体的に大小様々な種族が混在しているから、そういう物は体格の大きいゴレム族に合わせている」との事。確かに顔の大きさ程度の妖精族と巨体のゴレム族では差が激しく、ならばと大は小を兼ねた結果なのだろう。
そして夜、ひとまず無事にセントネルズに着いた事を祝し、細やかな打ち上げが催されたんだけど……うん予想はしていた。この二人ずぅっとお酒ばっか飲んでて、正直付き合い切れなくてさっさと寝ちゃった。




