25 異物の背に乗って
「ディドさん、取り敢えずこれ反対に出来ますか?」
「それ位なら大丈夫だろう」
荷台側に移動したディドさんが「ムンッ!」と気合を入れて力を込めると、少しずつ持ち上がりパラパラと砂埃が落ちていく。そして反転させたそれが僅かな地響きと共に地面に置かれると、ディドさんもフゥと一息ついた。こんなのを持ち上げてフゥで済む辺りディドさんって凄いよ本当。
「これで良いか?」
「はい、ありがとうございます」
さて次は私の番か。私だけの知識じゃさっぱりだけど、取り敢えず乗ってみてっと。おぉ意外と広い……まぁ当然か、大の大人が使っていたんだし。で、このバイクみたいなハンドルに触ると、うん……来た来た。記憶に呑み込まれないように気をしっかり持ちながら……えぇとまずは、と。
私に流れ込む記憶を頼りに順序をこなしたんだけど、キュキュキュと音が鳴るだけでうんともすんともしない。車の免許は持っていたけどいくら何でもこんな変な乗り物じゃ役にも立たない。……ん、うぅん? あ、これだ。
「エルマ無理そうなら諦めても良いんだよ?」
「ありがとうございますレダさん、でも多分原因が分かったと思います」
一度運転席から降りて給油口の蓋を開けてみたんだけど、いやぁこれは確かに動きそうに無いわ。だって匂いがほんの少しするだけでガソリンが入っている気配がまるでしない。揺すっても叩いても僅かにチャポチャポ聞こえるかなぁぐらい。
「これ、燃料が足りていないみたいですね」
「燃料っていうと石炭が蒸気機関で使われているが、これもそんな感じなのか?」
そうか、蒸気機関があるからそれ位の知識はあってもおかしくないよね。
「原理は多分大体同じだと思います。ちなみに石炭って水の魔法みたいに増やせたりします?」
「無理だ。そんな事が出来るなら採石場がフル稼働なんかしない」
ふむん? それは初めて聞いた。まぁ蒸気機関を使う以上切っては切れない関係だし当然なんだろうけど、さてガソリンはどうなんだろうか。
「ところでこれ、中に液体になった燃料が入っているんですけど水の魔法で増やせると思います?」
恐る恐る二人に聞いてみたんだけど……やっぱり厳しいのかな、二人共顔を合わせながら眉間に皺を寄せている。
「いくら液体とはいえ流石に無理だろうねぇ。さっきのディドじゃないけど出来るんならあたしは好きな時にいくらでも酒を飲んでるよ」
お酒に例えたレダさんはともかくとして以前お父さんが一つ目熊に襲われて怪我した時、血が増えるようにイメージしていたけど話を聞く限り実際増えていなかったのかも。よくよく思い出すと確かにあの時貧血だってお父さんも言っていたし。
「まぁエルマが言うなら一応やってみるけどさ。『水よ、来たれ』」
何度か同じように唱えてくれたけど全く反応無し、レダさんもやっぱりみたいな感じで眉を顰めている。そうだよね、ガソリンって石油を精製した物だし水な筈……うん? 待って待って、石油って事はもしかして……?
「ディドさん、この液体が増えるイメージで土の魔法使ってもらえませんか?」
「うん? 土の魔法でか? どう考えても無理だと思うが」
「お願いします。これで駄目だったら私も諦めますから」
頭をポリポリと掻きながら「無理だと思うがな」とほぼ諦めムードを滲ませながら『土よ、来たれ』と唱えられる。すると……?
「なぁんだ、やっぱり何も起きなさそうだねぇ」
レダさんが給油口を覗き込みながら残念そうに呟く。いけると思ったけど、流石にそう上手くいかないか。
「……って、ちょ、うわぉ!? 何だいきなり溢れて来やがった!?」
一瞬目を逸らした途端突然レダさんが慌て始めたので何事かと思ったら、何と給油口からガソリンが逆流していたので私も慌ててディドさんに待ったを掛けた。うわぁ……正直私も成功するとは思ってなかった。当然レダさんもそう思ってなかっただろうし、それこそ逆流するなんて夢にも思わなかっただろうから少し顔に付いたらしく、臭いだの何だのってぎゃんぎゃん騒いでいらっしゃる。
「これが液体の燃料か……まさか成功するとは思わなかったな」
「あぁもう……くっさぁ……えらい目に遭ったよ。ま、これで動くってんなら我慢我慢」
給油口の蓋をしっかり締めてっと。……うん、燃料ゲージも上がってるしこれなら、どうだ……!
キュキュキュ──グォン!
「来た来た! やりました二人共、動きました!」
「おぉ! こりゃ凄い、本当に蒸気機関の機械みたいだ!」
「確かにな、ただこんなに小さいのは多分無いだろう。つまり俺達が第一号って訳だ」
残っていた記憶によればこの乗り物、故障で駄目になったって言ってたけど動くじゃん。たまたま調子悪くなっただけだったのかな。ま、何にせよこれをこうして……おっほ、ちゃんと動く動く。エンジンだけだったら何の役にも立たないし良かったよ。
「さぁ二人共乗ってください」
「ぃやっほ~!」
「おい馬鹿レダ、お前が荷台に乗ったら俺が乗れないだろ」
「知らないよ、あんたは後ろから歩いて来れば良いじゃないの」
「ふざけるな、今回お前役に立ってなかったんだからここは俺に譲るべきだ」
あ~ぁ、折角収まってた口喧嘩再燃させないでよ。子供か。ただ、確かに荷台は案外狭い。普通サイズの大人なら荷台に二人位は乗れただろうけど、ディドさんはどう見ても規格外。で、やっかましい議論の末ディドさんが荷台に、レダさんがディドさんの上に乗る感じで手打ちとなった。……笑っちゃ駄目だと分かってるのにこの光景は……プフ……ディドさん、ピッチリ過ぎてヤバい……吹き出しそう。
「じゃあ二人共、出発しますよ」
「あぁ良いよ」
「おう」
私マニュアルなんて教習所依頼だしそもそも根本的に操作方法が違うけど、残っていた記憶のお陰で案外すんなり動かせている。ただまぁ場所が場所だけにエンジン音が反響してうるさいし排気ガスがくっさいけどね。
残念ながらライトは故障しているようでランタンをハンドルの所へ適当に括り付け、水溜まりをバシャバシャと音を立てながら掻き分ける。う~ん、歩かないで移動出来るってこんなに楽だったんだ。後ろの二人も何かゴソゴソしているけど割と快適そう。
「いやぁ良いねぇ楽ちんだねぇ、こんな掘り出しもんにありつけるなんてエルマ様様さぁ。っと、おいディド欲情しておっ立てたらちょん切るからねぇ」
「誰がお前なんぞに欲情するか」
うんうん仲良き事は良い事です。何か「それはそれで腹が立つ」とか何とか後ろから聞こえて来た気がするけど気のせいでしょう。
おっ、ようやく外の明かりが見えて来た。あれ、そういえば結構な坂道だった気がしたけど大丈夫かな? まぁいざとなったらディドさんに押してもらえばいいか。……んん!?
出口で何かの影が動いたような気がした。……そういえば犬って人の何十倍も感覚が鋭いんだよね。……このやっかましいエンジン音に人が嗅いでも臭いと思う匂い……やっばい!
「二人共しっかり捕まっててください!」
「何さいきなり……いいぃぃ!?」
二人の反応を確認している間も無く私はスロットルを一気に回し、思い切りスピードを付ける。今までのノロノロ運転の時とは違い、フル稼働させたエンジンは爆音を伴いながらも出口までの坂を一気に駆け上った。……途中前輪が浮いたのは本気で死ぬかと思ったけど、まぁ良し!
「いてて……ちょっとエルマ、一体どうしたってのさ」
あぁ良かった、振り落とされてなかったみたい。というかディドさんが機転を利かせて抱きかかえてくれてたっぽい。さっすがぁ……じゃなくて! 後ろ……あぁやっぱり来てる、ミラーにも写ってるぅ!
「レダさん後ろ後ろっ!」
「後ろぉ?」
「マズいぞレダ! 一角狼だ!」
「げっ!? クソ、ちょっとのんびりし過ぎたか!? これも荷馬車と比べりゃとんでもなく早いけどこれじゃ追い付かれる!」
サイドミラーに写っている数だけでも、もう数える気を無くす位埋め尽くされていた。最初こそ期せずして奇襲のような形となったお陰で一角狼を驚かせられたみたいだけど……やっぱり縄張りに入るのはマズかったみたい。怒号じみた鳴き声を上げて追いかけて来ている。
「これ以上スピードは出せないんでそっちで何とかしてください!」
「仕方無いねぇ! じゃあエルマ、ちょっとアレ貸して!」
「アレ!?」
「その脇に隠してる奴だよ! それでバンバン撃ちまくればこの数だって凌げる筈さ!」
有無を待たず勝手にまさぐろうとするレダさんの手を、私はピシャリと叩き落とした。この状況下にあって、と私も思うけどどうしても渡せない現実的な問題があったのである。
「駄目ですって! これはあと三回しか使えないんですから碌に役に立ちませんよ!」
そう、実はこの銃残り三発しか入っていない。最初から入っていなかったのが一発分、それと一つ目熊の時に一発、そして……あの時に一発使ったので計三発。今激しく土煙を上げているこの車両以上にド派手に追って来ている一角狼の群れに対してまるで役にも立たない。それこそ焼け石に水ってものよ。
「あぁもう! 案外異物ってのもしょぼいんだから! ディド、弓と矢筒!」
「悪いが窮屈過ぎて背中に手が届かん。自分で取ってくれ」
……後ろを振り向かなくてもレダさんがイライラしてるのが想像出来る。多分だけどレダさんは銃を無限に撃てると思っていたのだろう。傍から見れば、爆発音がすると何かが飛び出す、最早魔法だと思っても全然不思議じゃない。誰が言ったか発展した科学は魔法と変わらないとは良く言ったものだね。
「我慢してなよディド!」
「あぁ分かってる。俺の事は気にせず派手にやれ」
とは言ってるけど……正直この数弓矢で何とかなるのかな。人間ならいざ知らず相手は文字通りの化け物、弓矢位なら避けられちゃいそう。いや何とかしてもらわないと奴らの胃袋行きになっちゃうから困るんだけどさ。……ほら、やっぱり避けられて……えっ!? 今サイドミラーに変なの写らなかった!?
「ハッハァ! 獣風情が徒党を組んだ位で良い気になってんじゃないってのさ!」
レダさんが矢継ぎ早に放つ矢は一角狼の頭へ一直線に飛んでいくが、一角狼はそれを難なく回避しようとする。しようとしているにも関わらず何故か頭やわき腹等々に必ず当たり、血を吹き出しながら群れの影に消えていく。
流石にどんなからくりがあるのか気になったので、危険だと思いつつもサイドミラーにチラチラと視線を送っていると、何と放たれた矢は避けられる直前に方向を変えていた。例えるなら……そう、一種のミサイルみたいな感じ。そして、一匹また一匹と群れから居なくなり、今やエンジンの音だけが強く響いていた。
「あ~ぁ。三十本位あった矢もマナもすっからかんになっちゃったよ、もう」
「おう終わったのか?」
「見りゃ分かるだろ」
「お前のデカいケツで何にも見えん」
「この変態野郎。ったく、逃げた奴が居るかは知らないけど追って来たのは皆くたばったよ。お陰でこちとらヘトヘトさ」
……いやサラッと言ってるけど凄いよレダさん。お世辞にも良い足場とは言えない状況で百発百中をやってのけたんだから。
「何とかなりましたね……ありがとうございますレダさん」
「いやぁこれのお陰さね。幾らあたしらでも平地で奴らの相手をするのは結構ヤバかっただろうし」
レダさんの言う通り、硬質化出来るディドさんですら駄目な相手となれば私とレダさんは特に危険な状況だったと思う。私やだよ、噛み殺されるなんて絶対痛いだろうし。まぁとにもかくにも窮地は脱せたようで本当に良かった。
「さぁてエルマ、来た道戻るよ」
「……え? それはまたどうしてですか?」
「一角狼の角は割と金になるからね、こんな所で躯にしとく位なら回収した方が無駄が無いだろ?」
……さっきまで命を狙われていたっていうのに、逞しいというか何と言うか。ホントある意味尊敬するよ。その後、さながら道標のように転がっている一角狼の死骸から一つ残らず角を回収しましたとさ……すっごい疲れた。




