06 清流の湯
06 清流の湯
清流の湯、という銭湯が東命会橋にある。
昔から命会橋の人間に親しまれている古い銭湯だ。大きな道路にも面している。通りがかりの運ちゃんなどもよく利用する。
当然、俺も清流の湯はよく利用する。仕事上がりに時間の余裕があれば立ち寄ることもある。休日の楽しみとして足を運ぶこともしばしばだ。
今日も例外ではない。今日の仕事は体力的に辛い仕事だったが、アルバイトの高校生たちが思いの外よく働いてくれた。残業無しで帰ることができた。
そこで、清流の湯で汗を洗い流してから家に帰ろうと思い至ったわけだ。
車が無くなったので、暫くは魔女っ子の体力を活かして自転車通勤を続けることになっている。今日も例外ではない。なので、清流の湯にも自転車で向かう。
そう距離があるわけでもない為、すぐに到着する。俺は駐車場の片隅にこぢんまりと用意された駐輪場に自転車を置く。
清流の湯の入り口へ向かう。出入り口は大きな引き戸となっている。これを開けるとすぐに土間があって、下駄箱が見える。
靴を脱いで下駄箱に近寄り、仕舞う。鍵は百円玉を入れると掛けられるようになっており、鍵を返すと百円玉も帰ってくる仕組みのもの。
昔は木の板を使っていたらしい。だが、東命会橋が栄えてからは紛失も多くなり、百円玉と交換するタイプに変えたとか。少額でもお金を預けているからなのか、紛失はほとんど無くなったとのこと。
靴を預け、券売機を通り越して受付に。券売機では一回分の入浴券の他に、少し割引される回数券や、タオルなどの貸出券も購入できる。これを受付に渡すと、入浴券なら浴場に入れる。貸出券ならその場で現品を渡してもらえる。
「番頭さん、どうも」
俺は受付の女性に挨拶をし、回数券を渡した。
この女性は番頭さんと呼ばれている人だ。この清流の湯でいつも受付を担当している。とても無口な人であり、誰も番頭さんの本名を知らず、素性も分からない。従業員さえ番頭さんのことは分からないというのだ。
番頭さんは会釈をすると、回数券を受け取る。そして、手でどうぞ、と示してくれる。入場しても良いという証。会話の無い受付というのも妙だが、清流の湯ではこれがいつものこと。
「ありがとう」
俺は感謝の言葉だけ残して、浴場に向かって歩いていく。
途中の壁には色々な張り紙がしてある。命会橋の催事等の広告だ。町内の野球大会の告知、ゲートボール同好会のメンバー募集など多岐にわたる。
脱衣所は当然男女で別れている。俺は迷わず男湯の側へ。
いくら魔女っ子になったとはいえ、女湯に入るのはいけない。それに、今の俺は子供のような姿をしている。幼い子供なら親に連れられて男湯に入ることもある。どちらかと言うならば、侵入を許されやすいのは男湯の方だろう。
脱衣所には数名の人影があった。この時間になると、客足も減る。忙しい時間帯なら、脱衣所はもっと狭くなる。だが、今ぐらいの時間なら着替えもゆったりとできる。
俺は服を脱ぎ、荷物とともにコインロッカーに片付ける。
実は、こういう突発的に清流の湯に来るようなことはよくある。なので、荷物の中には風呂用のタオルが用意してある。
今日も例外じゃない。タオルを荷物から取り出し、コインロッカーに百円を入れて鍵を閉める。このロッカーも、鍵を返せば百円が戻ってくる方式だ。
タオル一枚を肩にかける。いよいよ浴場に向かう。浴場の入り口では、なぜか爺さんが立ちふさがり、仁王立ちで道を塞いでいる。
「すいません、通りますよ」
言うと、俺は爺さんの前に割って入る。無理やり浴場の入口を開く。爺さんも自分がじゃまになっていたことに気付いたようで、すぐに退いてくれる。
この爺さんのように、銭湯では周りをよく見ていない爺さんがとても多い。
足元を気にしすぎて正面から突っ込んでくる爺さん。湯船の縁に友達と集団で座り込む爺さん。サウナの入り口で柔軟運動をして道を塞ぐ爺さん。大便を漏らしながら歩いて行く爺さんも見たことがある。そういった色々な爺さんが、銭湯では邪魔をしてくる。
俺も含め、銭湯の客はそういった爺さんをいかに避けるかが大事だ。うまく回避できないと、せっかくの銭湯なのに気分が害されてしまう。
また、銭湯で出くわす奇妙な人間は爺さんに限らない。オッサンも、若者も変なやつがいる。
オッサンは銭湯を自宅か何かと勘違いしている人間が多い。サウナのテレビで野球中継を眺めつつ、うるさいほどの大声で談笑する者が居たりする。通り道のど真ん中で柔軟運動や筋トレ、あるいは謎の尻振り運動を始める者もいる。周りを気にせずシャワーを豪快に振り回し、水を撒き散らしながら身体を洗うオッサンなどは日常茶飯事だ。
若者は不思議と礼儀正しいのが多い。だが、稀に集団で一斉に来店すると、周りの迷惑を考えられない子供に戻る。湯船の縁を占領して誰も湯に入れないようになったり。友達と話が盛り上がって周りも見ずに歩き回り、人にぶつかる事故を起こしたりする。浴場やサウナの扉をきっちり閉めないのは若者に限らないが、やはり友達連れの若者はよく忘れる。
俺は浴場に入ると、洗い場に向かう。さっそく身体を洗う。
魔女っ子になっても髪の手入れなどに気を使うつもりにはなれない。備え付けのシャンプーを大量に使い、頭を洗う。男だった頃の三倍近い量を使う。髪が増えたので、これでもちょうどいいぐらいの量だ。シャワーで泡を流すと、随分頭がスッキリした気がする。
だが、すぐに異変に気付く。邪魔で長い髪を纏めるために触ると、妙に摩擦が強い。指が引っかかる。未知の感覚に驚いて、もう一度頭をお湯で流す。それでもキシキシとした手触りは変わらない。
どうやら、髪の手入れというのも気にした方が良さそうだ。男だった頃は、髪も短かったので気にしたことは無かった。だが、今の長さだと髪が絡まって仕方ない。経験したことのない不快感。こんな気分で銭湯に浸かるのは良くない。次からは、娘たちに訊いて良いシャンプーを持参することにしよう。
髪をまとめて、身体を洗う。髪をまとめるのは、身体を洗う時に邪魔だからだ。
男の頃は、自分の髪が邪魔で背中が洗いにくい、という経験も無かった。自宅の風呂で入浴を何度か経験した結果、入浴中は髪を髪留めで束ね、上げて纏めるという方法に落ち着いた。
身体を洗っていると、胸の辺りをこする度に違和感を覚える。男だった頃には無かった感触。
乳房は無いが、しこりのような硬い感触が乳首の辺りにある。触ると僅かに痛い。
昔、風邪を拗らせた時に喉元のリンパ節が腫れたことがあった。アレに近い感触だ。しかし、触ると不快な痛みがあったリンパ節の腫れとは違う。柔軟でほどよく足を伸ばすような、気味の良い痺れがある。
最近は慣れてきたのだが、最初は自分が危険な病気にかかったのではないか、と不安になったものだ。
身体全体を洗い終わると、最後に股間を洗う。
男だった頃はいろいろ付いていたので、洗うのは男の方が手間だと思っていた。しかし、無いなら無いで洗う部分は多い。むしろ、今の方が手間がかかっているとも言える。丁寧に洗わなければ洗い残してしまう為だ。
そもそも、股間をどの程度洗えばよいのかも見当がつかない。こればかりは、娘や妻に訊くわけにもいかず。念入りに洗うことで対処している。だが、洗いすぎも良くないという可能性も考えられる。
どうしたものか。と、考えているうちに股間を洗い終わる。全身の泡をお湯で流す。
ようやく湯船に浸かる準備が整う。古い銭湯なのでジャグジーバスのような設備は無いが、湯温が高めで、疲れた身体にとても効く。
俺はそそくさと湯船に近づく。縁でたむろう人間もおらず、ゆったり落ち着いて湯船に浸かることが出来た。身体に熱さが染みてくる感覚を味わいながら、俺は漠然と今日一日のことを思い返す。
あの機械の調子が悪かった。パートのおばちゃんが不満を言っていた作業があった。人手の足りなかった作業に、明日は誰かを助っ人に出さなければ。
そんなことを思いつつも、具体的には何も考えないまま、はぁっと穏やかなため息を漏らす。
しばらく湯船に浸かったまま落ち着いていた。身体の芯まで温まった。顔の火照りを感じる。
そんな時、何者かの声が響いた。
「おうゴラァ! 誰に向うてもの言うとんじゃァ!」
野太い男の声。威圧するような濁った響き。浴室中の全員が声の方に注目する。
そこには男が二人。互いにメンチを切りながら向かい合っている。
「ワシにどの面晒して命令しとんじゃゴラ、お前どこのモンじゃ、エエ?」
「関係あるかい、ワシァ得南渡の代紋背負って世間様に顔向けとんのや、おどれがどこのチンピラか知らんが、下げる面ァ持っとるわけあるかい!」
「おうコラ、命会橋で他所の代紋出す奴があるか、エエ? こちとら鬼羅商会じゃ、いつでも相手したるわ、面貸さんかいゴラァ!」
「ええぞコラ、世間っちゅうもん教えたるわガキャア!」
怒声ははっきりと浴場に響き渡る。ヤクザ同士の喧嘩と分かり、途端に人が離れていく。当然の反応だ。しかし、俺は見ているわけにもいかない。一応、鬼羅商会には世話になっている身分。得南渡を野放しにしておくのもまずい。
「すまない、二人とも。少し静かにしてくれないか」
なので、俺は言いながら二人の男に近づいていく。
「なんじゃあお前! 子供が割って入るな、容赦せんぞコラァ!」
得南渡を名乗った男は俺に向かって怒鳴ってくる。だが、鬼羅商会の男は違う。俺を見ると驚き、姿勢を正す。手を膝に置き、腰を低くして礼をする。
「ごくろうさんです! 自分、鬼羅商会の滝谷っちゅうモンで、狭間の叔父貴の舎弟やらせてもろうとります! 圭吾さんことはかねがねお聞きしとります! 得南渡相手の抗争で、ハジキも無しに先陣切っとるっちゅうことで。そん節はほんまに助かっとるっちゅうことも訊いとります!」
鬼羅商会の男、滝谷の言葉に俺は驚く。得南渡との抗争の先陣を切る。確かに、言葉にすれば俺のやっているのはそういうことだ。
にしても、話の通り方から察するに、これは遼平さんが気を回してくれたのだろう。鬼羅商会の最高顧問ともなれば、部下に回す情報は伝わりやすく簡潔に纏められる。その上で、俺が動きやすいように話を盛るのも容易いだろう。つまり、俺は鬼羅商会の組員に顔を知られ、いつでも援助を受けられる。と、いうわけだ。
知らぬところで、とはいえ、世話になったのだ。ますますこの喧嘩、見過ごすわけにはいかない。
「まあ二人とも、落ち着いてくれ。ここは公共の場だ。カタギの人間に迷惑かけたとあっては、どちらが喧嘩に勝ったところで、親はいい顔しないだろう」
俺の言葉を訊いて、ようやく得南渡の男も落ち着く。
「おう、嬢ちゃんカタギちゃうんかい、エエ? せなら分かるやろ。いっぺん代紋背負って始めた喧嘩や。今さら引っ込めたちゅう話になったら、それこそ親に見せる顔が無いっちゅうもんじゃ」
得南渡の男の意見に、滝谷も頷いて同意。
「そうですぜ圭吾さん。今さら引かれへんのですわ。止めんでください、たのんます!」
言って、滝谷は深々とお辞儀をする。
「いやいや、待ってくれ」
俺は手を挙げて二人を制止し、話を続ける。
「何も喧嘩をするなというわけじゃあない。カタギの人間に迷惑をかけるなと言っているんだ」
「ちゅうことは、どういうことです?」
滝谷は訳がわからない、という様子。俺はすぐに答えを返してやる。
「つまり、ここは銭湯だ。銭湯では銭湯なりの作法で決着をつけようって話だよ」
「なんや分からんが、嬢ちゃんがこの喧嘩預かるっちゅう話かい、エエ? どこの馬の骨ともしらんガキの女にケツ持たれたとあっちゃあ、得南渡の代紋に顔向けできへんやろうが。そないな話、どこのボンクラが受けるんじゃい」
思った通り、得南渡の男が逆らってくる。
鬼羅商会の滝谷は親の面子というものがあるため、俺の言うことを聞いてくれるだろう。だが、得南渡の男には得南渡の面子がある。何の縁も無い、むしろ敵側の人間の言いなりにはなれないはず。
「ああ、だから提案だ」
俺は言って、得南渡の男を説得しに掛かる。
「俺が今から教えるやり方で決着をつければいい。そうすればカタギに迷惑もかけず、お前らの面子も立つ。そして、これは俺が喧嘩を預かるという話じゃあない。勝手にお前達が、勝負のやり方を自由に選べるというわけだ。嫌なら拒否すればいい。どうする?」
俺の説得に、得南渡の男は困ったように眉を顰める。
「先にやり方ちゅうのを話せぃ。何を決めるにもそれからや」
上手く話に乗ってくれた。
「では、やり方を教えよう」
俺は得南渡の男と滝谷を説得し、三人でサウナに居た。実は、これこそが俺の提案した喧嘩のやり方。サウナでの我慢比べだ。
我慢比べであれば、暴れるような場面は無いので周りに迷惑はかからない。多少の口が悪くても、すぐに熱さにやられて黙り込むはず。それに、忍耐力は任侠者にとって重要であるはず。それで負けたとあっては、正当な決着として認めることもできるはず。
ともかく、今は上手くいっている。得南渡の男も、滝谷も。黙って熱さに汗を流し、耐えている。もう三十分は過ぎただろう。
俺は退屈して、周囲の人間を観察する。熱さに耐える人間は、時に奇妙な行動に出る。それを観察しているのは、意外と面白いのだ。
さっそく一人。頭に手を置き、肘を上げた状態で身体を何度も捻る男。次第に頭を上下に揺らす動きも加わる。まるで踊るような動きを暫く続けた後、突然立ち上がってサウナを出る。そうとう熱さが来ていたのだろう。十分な水分補給をしてくれることを祈っておく。
その後、数分は何も起きなかった。だが、突然テレビのチャンネルが変わり、野球中継が始まる。
「おお、巨人かぁ!」
銭湯のどこかから声が上がる。野球の好きな奴がいるのだろう。
野球中継は何事もなく流れていく。両チーム共、投手が俺でも名前を知っているエース格の選手で、一向にヒットが出ない。
が、しばらくするとようやく一人の若いバッターがヒットを放つ。巨人側がようやくランナーを出す。
「おあぁっ!」
どこかでおっさんが声を上げる。恐らく巨人のファンだったおっさんだろう。声の方に視線を向けると、拍手までして喜んでいる。どうやら相当のファンらしい。
その後、ヒットは続かず。攻守が交代。巨人は守備に回る。
巨人の投手は二人をアウトに抑えた後、三人目のバッターに粘られ、ヒットを打たれる。
「おあぁっ!」
先程と同じおっさんの歓声が上がる。拍手までしている。どうやら、どちらが打っても喜ぶらしい。
「あぁ、もう限界や!」
不意に、得南渡の男が声を上げる。どうやら熱さに音を上げたらしい。サウナから早足で出ていく。
「滝谷くんの勝ちだな」
俺は滝谷に視線を送る。すると滝谷は辛そうな顔で答える。
「でも、俺ももう無理ですわ。圭吾さん、熱さ平気なんすか」
「ああ、魔女っ子だからな」
「便利な身体ですわ。そんじゃあ、先に上がらせてもらいま。ごくろうさんです」
言うと、滝谷は立ち上がって先にサウナから離れていく。俺も十分に汗を流したので、野球中継を少し眺め、キリのいいところでサウナを出る。
すると、浴室では滝谷と得南渡の男が睨み合い、口論をしていた。
「おう、おどれもっぺん言うてみいコラ!」
「何べんだろうが吐きかましたらぁ。あんなもん勝負の内に入るかっちゅうとるんじゃボケェ! 代紋出してなぁ、サウナが暑うて逃げ帰ったとあっちゃあ、面子が立たへんのや!」
「そらほんまの事やないかい! ちっとばあ汗掻いたぐらいでヒイヒイ言うて逃げ出したガキャあどこのどいつやオイ!」
結局、俺の仲裁も虚しく。二人の男は喧嘩腰になっている。どうやらヤクザを制するのは俺には荷の重い仕事だったようだ。
「おい君。負けた勝負にいちゃもんをつけるのは、親の名を貶めることにはならないか?」
俺は最後の機会と思い、試しに得南渡の男へ一言物申してみる。
「そもそもお前、関係あらへんやろうが! ちちくるもんも無いような子供は黙っとけぃ!」
「分かった、得南渡の代紋は聴く耳も持たない馬鹿の証だと覚えておこう」
「なんじゃいゴラ喧嘩売っとんのかい!」
「タダでやってもいいぞ。勝ちは貰っていくからな」
と、言い返したところで後悔する。つい喧嘩に乗ってしまった。元々は仲裁のつもりが、聞き分けの無さについイライラしてしまったのだ。
「すまん、今のは無しだ」
「じゃあかしゃあ!」
得南渡の男の怒りは収まらない様子。当然だろう。どう見ても子供の、しかも女に腕っ節をバカにされたのだ。これを機嫌よく聞き流す器量があれば、銭湯で騒動など起こさない。
次の瞬間、得南渡の男は拳を振り上げる。俺は慌てて後ろに飛び退く。得南渡の男の拳は空を切る。
「かかってこいやぁゴラ!」
得南渡の男が挑発してくるが、さすがに乗るわけにはいかない。ここで暴れては周囲に迷惑だ。巻き込んで怪我人を出すかもしれない。
俺が困惑して身動きを取れずにいると、不意に浴室の引き戸が開く。そして、なんと番頭さんが浴室に入ってきた。真っ直ぐに得南渡の男の方へと向かっていく。
得南渡の男も気付いたようで、番頭さんに向けて視線を飛ばし、威嚇する。
「なんやワレェ!」
高圧的な声にも臆せず、番頭さんは得南渡の男と向かい合い、口を開く。
「いい加減にしなさい!」
大声を発した。
俺も、浴室に居た誰も彼も、番頭さんの大声に驚いた。これで彼女の声を初めて聞いた人間は少なくないだろう。俺もその一人だ。
日頃一切口を聞かない番頭さんが、こんな大声でヤクザ者と張り合うとは。誰も想像だにしない状況だった。
得南渡の男も状況が理解できないのか、呆気にとられている。だが、すぐに気を取り直し、番頭さんに向けてメンチを切る。
「おどれ何ぞ関係あるんかいゴラァ!」
大アリだ。しかし相手が番頭さんとは気付いていない様子の得南渡の男。拳を振り上げ、番頭さんに向けて突き出す。
危ない、と思った瞬間だった。番頭さんは容易く男の拳を掌で受け止め、そのまま流す。引きつつ押し下げるような動き。これに引っ張られ、得南渡の男は体勢を崩す。前のめりになって転びそうになる。
そこに、番頭さんは膝蹴りを放った。得南渡の男の顔面に膝の一撃が決まる。脳に響いたのか、男はこれだけで崩れ落ち、床に倒れる。起き上がることはなかった。
俺は空いた口が塞がらなかった。この場にいる、誰もが同じだろう。まさか、あの番頭さんがヤクザを容易く伸してしまうとは。
番頭さんは何事も無かったかのように微笑む。その場に倒れ込む得南渡の男の髪を掴んで持ち上げ、引きずってどこかに連れて行く。俺も含め、誰もが呆然と、番頭さんの後ろ姿を眺めているしかなかった。
お読み頂き、有難うございます。今回のお話、いかがでしたでしょうか。
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どうぞ宜しくおねがいします。