04 須藤工業の人々
04 須藤工業の人々
魔女っ子になっても、俺の朝は早い。早朝から身支度を整える。と言ってもスーツはどれもサイズが合わないので、ゆいこの小さな頃の服を借りて家を出る。職場まではかなりの距離があり、今日はひとまずみちるの車を借りることにした。俺がともえと共に工場まで乗り、ともえに我が家まで車を運転して運んでもらう。みちるの出社時間までには車を返せる、という計算だ。近いうちに新しい車を入手せねばなるまい。
そんな手間を経て、俺は須藤工業の命会橋工場に到着した。工場は東命会橋と呼ばれる地域にあり、俺の家があるのは西命会橋、ちょうど真逆の位置ということになる。
命会橋は大きく分けて、三つの地域で出来ている。一つがここ、東命会橋。都会に近く、数字が一桁台の国道に繋がる大道路も通っている。立地を理由に、工場や企業等は多くがこの東命会橋にある。須藤工業の命会橋工場も例外ではない。住人も、新しく命会橋の外から移り住んできた人がほとんどだ。一軒家よりもマンションの方が遥かに多く、命会橋で最も人口密度が高い。
一方で、西命会橋は人口密度は低めだ。命会橋に昔から住む住民はこの西命会橋で殆どを占めている。古くから霊山として恐れられてきた命会橋山の麓に位置し、標高が少し高い。家屋は殆どが一軒家で、大きな庭を持つ家も少なくない。商業施設も少ない為、自然と人は少なくなる。
この二つの地域に挟まれるように存在するのが命会橋。中命会橋、と呼ぶこともあるが、殆どの場合、単に命会橋と呼ぶ。昔から続く歴史の古い商店街が並んでおり、西と東の両方から人が集まる、命会橋の文字通り以上の中心である。ちなみに、西命会橋は命会橋から見て東に、東命会橋は西に存在する。これは、西命会橋から見て命会橋が西、東命会橋から見て命会橋は東に見えるという理由で名前が分けられているからに過ぎない。命会橋には稀に、ここを勘違いしているせいで、東西の方角を間違える人がいる。
ともかく。俺は誰も居ない工場で、そそくさとあちこちの鍵を開けていく。うちの工場は三つの課と、それぞれに対応する棟、そして二箇所の倉庫で出来ている。一課は主に、一つ一つの単価が高め、かつ高品質での納品が求められる製品の組み立て、梱包を行っている。それぞれの製品ごとの納品数は少なめで、ミスや他製品の混入、部品の取り違いなどのトラブルが起こりやすい。なので、一課に務める人は須藤工業の社員、あるいはパートの中でも頭の良い人が多い。
一方で二課は、品質が低く、単価の低い製品の製造をしている。実際に流通する段階では十個入りや十二個入り、六個入りなど、複数個数の組みで販売されている物が多い。多少の粗なら許される事が多いのだが、何しろ納品数が多いので、一度納品したものがダメだとなって返って来た時のダメージも大きい。なので、二課は複数の優秀な人間と、その指示をしっかり聞ける真面目な大人数、という構成で動いている。みちるや他の正社員、パートリーダーの複数人のおばちゃん等が該当する。後は、一度に大きな単位の納品数で発注されるので、時期によって大きく仕事量が変化してしまうのも特徴だ。忙しい時は一課や三課からも人を借すことがある。だが、一方で発注の少ない時期は全員が早上がり出来るぐらいには仕事が無くなる。実際のところ、社員は早上がりをすることもあるが、パートのおばちゃんは忙しい時に手伝って貰ったから、という理由で他の課を手伝い、それでも仕事が無くなったなら早上がりする、というパターンが多い。
最後に三課について。今日この時間に出勤する理由も、この三課が理由だ。ここで作っている製品は須藤工業で最も売れている、いわゆる人気商品というやつで、命会橋工場だけでなく、各所の他工場でも製造している。製造数もかなり多く、うちの工場だけでも他の課と肩を並べる製造数がある。
ただ厄介なことに、須藤工業本社の役員がケチなせいで、どの工場でも製品を組み上げる為に使う大型の機械が古いもののままなのだ。要するに、おんぼろの機械を働く人間の技術でどうにか動かしている状態。
うちも例外ではなく、その為に多くのトラブルに見舞われる。今日もそれが原因での出勤。一昨日の夕方頃から調子が悪くなり、修理をして調子が戻ったのが昨日の夕方。当然製品の仕上がりは遅れてくる。だが、納品は今日の午前中だ。
俺は他の場所の見回りを一通り済ませると、三課の方へと向かう。三課の鍵は開いている。そして、ごうごうと機械の稼働する音。
「シゲ! お疲れさん!」
俺は三課に入るなり、そう声をあげた。すると、部屋の奥の方から返事。
「あい」
俺は返事のあった方に向かう。三課の奥には一つだけデスクがある。この機械を俺達は『ボロ』と呼んでいるが、こいつをまともに動かせる唯一の人間、茂田淳平の為の席だ。
奥にはやはり、茂田淳平ことシゲが居た。
シゲと俺とは二十年ほどの付き合いになる。須藤工業に入社する前のシゲと知り合い、色々な事情も手伝い、俺はシゲにうちで働かないかと、そして本社の役員にシゲのような真面目な人間が欲しいと言った。以来、シゲはずっとこの三課でボロと付き合い、今では自力でほとんどの修理が出来てしまうほどの関係。こいつが居なければ、今のように三課を回すことは出来ないだろう。そんな人物。
シゲはデスクでコーヒーを飲みながら、朝食代わりなのかパンを食べていた。俺が近づくと席を立ち、口の中のパンを飲み込む。シゲの口が空くのを待ってから、俺は尋ねる。
「どうだ、ボロの調子は」
「良いですよ。ここ一時間ぐらい、エラーがそんなに出てないです」
だが、言った側から機械が警報音を鳴らして止まる。エラーだ。シゲは機械の方へ向かい、エラーの確認をする。資材が搬入ホッパー内で詰まっていたらしく、さっと手で詰まりを解消したら、またすぐに機械を流し始める。エラーは出ない。そこを確認して、シゲは俺の方に戻ってくる。
「今日はホッパーんとこで止まりやすいです」
「なるほどな、気にしとくよ」
俺は言って、機械の方へと向かう。
そう、俺が今日ここに来たのは、シゲから引き継いでボロを動かす為だ。実は昨日の夜からずっと、シゲはこのボロを動かし続けてくれている。パートのおばちゃんが出勤してくる頃には、ほとんどの製品を仕上げておかなければならない。それでようやく製品の梱包、それをダンボールに箱詰め、積み上げて出荷という納品作業に進めるわけだ。
「常務」
「ん?」
シゲに呼ばれ、俺は振り返る。
「見た目、変わりましたね」
言われて、そういえば、と自分の姿のことを思い出した。
「昨日、色々あって魔女っ子になってしまったんだ。すまんな、これから迷惑をかけるかもしれん」
「いえ」
言って、シゲは帰り支度を始める。これから家で仮眠を取り、昼頃にはこちらに戻ってくるという算段。
と、その時だった。ふと目をやった窓越しに、奇妙な光景。まだ出勤時間には程遠いというのに、複数の車が工場の駐車場に停まる。全て黒塗りの乗用車。
「まさか」
俺は呟き、シゲの方を見る。
「すまん、もう少しだけボロを見ててくれ」
「はい」
帰り支度のおおよそ終わったところだったが、シゲはすんなりと受け入れてくれる。ボロのことは任せ、俺は駐車場へと向かった。
案の定。駐車場に来ているのは、うちの従業員ではない。得南渡興行の奴らだった。
「おう、来たな魔女っ子よぉ」
車から出来たのは、総勢十名。昨日鳳天楼に押しかけてきた奴らより若干少ない。それに、半数ほどが体格も喧嘩に向いていないような、細身の男だった。
「今日は何の用だ。どうしてうちの工場が分かった」
「昨日の分キッチリ返しにきただけや。ワシら得南渡からしたら、おどれの職場一つぐらいすぐに見つかるわ」
「ご苦労なことだ。後何分で家に帰りたい? 決めさせてやる」
「今日はワシらが直接相手するわけやないで。先生、よろしく頼んます!」
得南渡の男が言うと、その後ろに停まる乗用車の扉が開く。中から一人の大男が出てくる。立ち上がると、二メートル近い身長。スーツ姿で袖を捲り、いつでも戦える、という様子で構えている。
「どういう事だ」
俺は得南渡の男に向けて声を掛ける。だが、応えたのは大男。
「ワシが得南渡の喧嘩代行やっとるモンじゃ。そこらの男じゃ敵わんっちゅうことでな。お前を屠りに来たわけや」
言って、自分の拳同士を打ち付ける大男。それが合図であるかのように、得南渡の男達は引き下がる。
「はよう構えんかい!」
大男は、今にも勝負を始めよう、という気迫であった。この展開は予想していなかったが、何にせよ戦うしかない。
「レリメイション!」
俺は杖を呼んだ。途端、俺の身体を光が包む。服が弾け、魔女っ子としての服装に変わる。腕にも例の手甲が装着され、戦う準備が整う。
途端、大男は俺に向かって踏み込んでくる。一瞬で間合いは詰まり、高い位置からの手刀打ち。並みの人間では反応出来ても、防ぐことで手一杯、という一撃だ。しかし俺は魔女っ子。その身体能力で容易く回避し、大男の胴に掌底を突き入れる。十分に思い一撃を入れたはずだったが、大男はこれを筋力で耐えた。衝撃でずりずり、と後ろに向かって引き摺られるが、体勢を崩すような様子は無い。
「なるほどのう。これが魔女っ子の力っちゅうわけかい」
大男は、余裕を持った笑みを浮かべてこちらを睨む。
「いいや、まだまだ不思議たっぷりだ。楽しむといい」
言って、俺は懐からカードを取り出す。手甲の水晶部分に翳し、セット。手早くドローする。
「ライトニングッ!」
カードの名を呼び、光が俺の身体を包む。これで移動速度は高速化した。並みの人間では捉えることも出来ないだろう。
手始めに、俺は撹乱の意味もあって大男の右側へと移動する。一瞬の出来事の為、大男は反応できない。
と、思いきや。移動した俺を叩き潰そうとする鉄槌打ち。慌てて手甲で受け止めるが、想像以上の打撃力に身体の関節が軋む。
「貴様のその移動術は聞き及んどるわ。一瞬で移動するらしいが、移動先を読んで先に一撃仕掛けときゃあ問題あらへん」
続けて、大男の蹴り。ガードの薄い横腹方向を、的確に蹴り薙ぐ。重い一撃が内蔵まで入り込む。そのまま、俺は体重の軽さもあり、遠く吹き飛ばされる。
「くそ、面倒な奴だ」
飛ばされながら吐き捨て、俺は空中で体勢を整え、着地。この男に有効な一撃を入れたいが、どうやら単純な手段では難しいということが分かってしまった。何か一策講じるか、あるいは新しいカードをドローするか。
「圭吾殿~っ!」
思案する俺の上空から、そろそろ聞き慣れた声が響く。紛れも無くほんまぐろの声。視線を大男から外すわけにもいかないので、動かずにいると、ちょうど俺の頭の上に落下してきた。
「新しいカードを使うのじゃ!」
ほんまぐろは、すぐさま分かりきったことを要求してくる。
「ああ。そうしたいが、俺はあと十二枚分の知識が無い」
「今は全部のカードについて話している場合ではないのじゃ! 特に意識せずにドローすれば、残りの中からランダムにカードを引くことができるのじゃ。それで引いたカードをとりあえず使えば良いのじゃ!」
「分かった、ともかく引こう」
ほんまぐろに言われるまま、俺はカードを一枚引く。光が俺の手の中で形を成す。そこに生まれたカードの名前は『プラズマ』。
「それは『プラズマ』のカードじゃ。杖周辺に超高電荷を持つ粒子を纏い、射撃することの出来るカードじゃ!」
「随分危険なカードだな、使わせてもらおう」
言って、俺はカードの名を呼ぶ。
「いくぞ、プラズマッ!」
宣言すると、カードは光となり、俺の手甲周辺を漂う。この光が高い電荷を帯びた粒子に該当するのだろう。そして、粒子から放たれる電撃は俺の周りに球状のオーラのようなものを作り出し、ある種のバリアのようなものを形成。
「これはどういう状態だ、説明しろほんまぐろ」
「プラズマを纏っておるのじゃ。お主の腕にある光がプラズマ粒子じゃ。そこから流れ出る電撃が膜を作り、お主を守る。そしてこの電撃の膜自体にも、触れたものを感電させるだけの電荷があるのじゃ」
「で、どう使えばいい」
「お主の右手は飾りか? 要するにプラズマ粒子から溢れる電撃を奴らに浴びせてやるのじゃ! 小さな電撃弾を放つも良し、全てのプラズマ粒子ごと撃つも良し。強力な力を持つカードじゃよ」
「ともかく電撃を撃て、ということだな」
俺は大男に向けて手を翳す。そして電撃に翔べ、と念じると、雷光が大男に向かって走る。大男は咄嗟に軌跡を読み、回避する。だが、それでもギリギリを掠めた電撃に皮膚を焦がされ、赤く火傷している。
「人間相手にこれはやり過ぎだろ」
「知らん、妖精でなければいくら死のうと知ったことじゃないのじゃ!」
種族が違う以上、ここの認識のギャップは埋めようが無いらしい。仕方なく、俺は程々に手加減する方法を考える。
「余計なことはともかく、じゃ。圭吾殿よ、プラズマを纏っておるならば必殺技の『プラズマ波導撃』が使えるのじゃ。名を呼びながら拳を振るうことで、全てのプラズマと電撃を一度に解き放つことが可能になる。この技でとっとと奴らを片付けるのじゃ」
「使えると言われてもな」
言って、俺は得南渡側の奴らを見回す。大男も含め、全員が困惑していた。誰もが焦りを口にする。大男も、言葉こそ発さないものの、額に汗をにじませている。
無理もない。電撃のバリアを貼られてしまっては、人間には手も足も出ないだろう。
どうしようか、と思案する。相手が大男、そして得南渡の人間と言えども、殺すわけにはいかない。必殺技、とは何とも不要な技を用意してくれたものだ。必ず殺されては困る。
俺は腕を組み、眉を顰めて考えこむ。すると、程々に良さそうな案が浮かぶ。
「よし、ならこうしよう」
言って、俺は大男を無視し、得南渡の人間側に向かって駆け出す。未だにライトニングの効果は継続しているので、奴らの側に近づくのは一瞬だった。そのまま飛び上がり、後方に控える得南渡の男達の、ちょうど中心辺りに着地。そのまま拳を地面に向かって振り下ろし、技の名を呼ぶ。
「プラズマ波導撃ッ!」
俺の拳が大地に突き刺さる。すると、プラズマと電撃が弾け、周囲に流れていく。高いエネルギーと電撃を地面越しに喰らい、得南渡の人間は感電。足から崩れ、誰もが膝を突く。電撃の殆どが程よく駐車場の車に流れ込んでくれたお陰で、威力が軽減できたのだ。
大男も例外ではなく、巨体を前に沈めるように倒れこむ。ただ、寸前で持ち堪え、膝を突くことはなかった。
「ぐぅッ!」
「これで決着だ。いいか、今後俺の身の回りの人間に迷惑を掛けるようなら容赦はしない。お前ら得南渡を直接潰す。俺を殺したければ、正々堂々決闘しろ。いいな、帰って直接お前らの上司に伝えろ」
「じゃあかしい! 覚えとけよォッ!」
大男は言って、その場から走り去る。誰の目にも、黒塗りの乗用車は動くとは思えない程度には破壊されていた。後に続き、体力の回復した男から順に駐車場を離れる。一人としてその場に居なくなったところで、俺はようやくレリメイションを解除した。魔女っ子の圭吾ではなく、須藤工業命会橋工場の常務、松山圭吾に戻った。
三課に戻ると、シゲは普段と変わりなく機械を動かしていた。ボロは轟々と駆動音を響かせている。それをシゲは、立ったままじっと見つめている。
俺はシゲと交代する。これでようやくシゲも休める。
「お疲れさん、シゲ」
「はい、じゃあまた、昼頃戻ります」
「おう」
三度のやりとりで挨拶も終え、シゲは帰宅した。
その後は昼までの間、いつも通りの工場だった。みちるの仕事を代わってくれた分の礼を二課のおばちゃんに言うとか、朝の通勤の件でともえやみちるに礼を言うとかするぐらいが、数少ないイレギュラーであった。
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