02 家族との時間
02 家族との時間
ほんまぐろから、おおよその話を聞いた。
俺、松山圭吾は魔女っ子になった。というより、選ばれたらしい。ほんまぐろが命会橋を探し歩き、ようやく見つけた適正を持つ人間が俺だったのだとか。
この魔女っ子というのは、通常の人間より遥かに高い身体能力を持ち、魔法が使える。魔法には八つの属性があるらしい。が、俺にはその内三種類の属性しか使えない。
こうした特殊な能力を得るために、妖精は適正のある人間の肉体を作り変える。結果、俺は少女の姿に変わってしまったのだという。あの不気味な夕立、そして落雷こそがほんまぐろの行ったことだった。車は杖を生み出す為の『対価』として消滅した。俺はあの落雷で細胞の全てまで人間とは異なる存在、魔女っ子に変わってしまった。はっきり言ってしまうと、魔女っ子は人間の形をしているだけの妖精である、とのこと。
つまり現実の魔女っ子は、子供向けの漫画のように変身するものではない。俺が本来の松山圭吾としての姿に戻ることも出来ない。俺は『魔女っ子』という生物に作り変わってしまった。
となると、問題が出てくる。日常生活において、俺は少女ではなかった。故に、俺を知る全ての人間が、魔女っ子の姿を受け入れてくれるのか、という疑問が湧く。
これをほんまぐろは「大丈夫なのじゃ!」と太鼓判を押した。魔女っ子になった人間は、自然と周囲に受け入れられる魔法を常に放っているらしい。認識阻害、とでも言うのだろうか。本来なら「なんで松山圭吾が少女なのか」という違和感を抱くところでも、「まあ、でもいいや」という投げやりな感情を沸かせるらしい。他にも、初見で俺が松山圭吾であると理解できるよう、認識の補助を行う魔法も働いている。一言で言ってしまえば、魔女っ子でも社会に受け入れられる、ということ。
俺とほんまぐろは一時間と少しほど歩いた。もう時刻もすっかり夜となったところ。ようやく我が家が近づいてくる。離れの駐車場が見えてきた。もう少し道を行けば我が家。
駐車場に光がある。ということは、上の娘が帰ってきたところなのだろう。俺は駐車場の方を覗き込み、声を掛けることにした。
「お帰り、みちる」
「あれ、お父さん?」
俺の声を聞いて、みちる――俺の娘、松山満はこちらを振り返る。
「どうしたの、今日は早く帰るんじゃなかったの? ってか、何その姿」
どうやらほんまぐろの話は本当らしい。みちるは問題なく、俺を認識してくれる。
「魔女っ子とやらになってしまった。いざこざに巻き込まれてな。帰りが遅くなったのもそのせいだ」
自分で説明をしていて、情けなくなる。言葉にすると間抜けが過ぎる話。だが、みちるは疑いもせずに受け入れる。これも魔法の力なのだろう。
「みちるこそ、二課は仕事が残っていて帰れない、と言ってなかったか?」
「お父さんが帰ったって聞いて、渡辺さんが気を利かせてくれたの。帰んなさい、って。二課の人は私の分も残業してる」
「そうか、悪いことをしたな」
みちるは俺と同様に、須藤工業の命会橋工場で働いている。製造数の多い二課でパートのおばちゃん達を束ね、仕事の指示を出す正社員の立場にある。また、正社員は機械も動かせるよう教育されている。そのため、他に製造ラインを動かす人間が居なければ、パートへの指示と合わせて両方をやることになる。うちの工場でもキツい部類の仕事だ。今日も納期の厳しい仕事が残っており、夜遅い帰りになるという話だった。本当なら記念日の外食は家族全員で、といきたいところだった。だが、俺も明日の午前四時には工場に居なければならない仕事がある。夜遅くまで待つわけにもいかない。仕方ないから、と俺もみちるも妥協し、みちるだけが職場に残ることになっていた。
だが、渡辺さんが気を利かせてくれた。そのお陰で四人で食事に行けそうだ。明日は礼を言わねばならない。もちろん、みちるの分も残業をしてくれる、おばちゃん達全員にも。
こうなると、約束に遅れてしまったのも結果としては良かった。予定通りに帰っていれば、みちると落ち合うことも出来なかっただろう。
「どうする。みちるも一緒に来るか?」
「もちろん。これで行かないって言ったら、渡辺さんたちに悪いよ」
決定だ。これで、家族四人での食事が叶う。
「それとさ。お父さん、頭に乗ってるもの、何?」
「これか?」
みちるに言われ、俺は頭の上の指差す。休むように俺の頭に乗っているほんまぐろ。
「こいつはほんまぐろ。妖精だ」
「どうもじゃ!」
呼ばれたほんまぐろは浮き上がる。ふわふわとみちるに近寄り、挨拶する。
「うわ、何こいつ。ネコ? キノコ? ってか本マグロって魚じゃん」
「猫でも茸でもないわい。妖精の『ほんまぐろ』じゃ!」
「いや、どう見てもあんたマグロじゃないよ。猫のような何かだよ」
二人が打ち解けているようで何より。俺は会話を微笑ましい思いで見守る。
「ほんまぐろは種族じゃなくて名前なのじゃ! 妖精は自分の好物を名前として名乗るのが主流なのじゃ!」
初耳だ。となると、ほんまぐろは本マグロが好きだということになる。頭頂部に乗っている緑色の物体が、いよいよわさびであると疑わざるをえない条件が揃い始める。
ほんまぐろとみちるが何か言い合いをするのを聞きながら。俺は自宅までの僅かな道を歩ききる。
「ただいま~」
俺より先にみちるが玄関を上がる。
「あら、おかえりなさい。早かったのね」
「うん。渡辺さんが気を利かせて、帰らせてくれたんだ」
「そうなの。明日お礼を言わなきゃねえ」
玄関で娘を出迎えてくれたのは俺の妻、ともえ。松山智恵だ。俺の五つ年下で、みちる同様、命会橋の工場で働いている。普段は三課で製品詰めや不良チェックをするパートタイマーだ。俺と同時期から働いている古株の一人で、他の課の仕事も把握している。ただ、機械だけは未だにほとんど覚えていない。
「後ろの方は?」
ともえが、俺の姿を見て首を傾げる。
「何言ってんの、お父さんだよ」
みちるが同然だろう、という顔で言ってみせる。そのまま居間の方へと歩いて行く。玄関には俺とほんまぐろ、そしてともえだけが残された。
「圭吾さん、なんですか?」
「ああ、俺だよともえ」
「そんな、いえ、冗談ですよね? 何か、みちるのいたずらでしょう?」
いよいよもって様子がおかしい。俺は頭の上で休むほんまぐろを鷲掴む。引き摺り下ろして尋問する。
「おいほんまぐろ、聞いていた話と違うじゃないか」
「恐らく、魔法でも影響できないほど強い想いが働いておるのじゃ。いわゆる愛故に、ってやつじゃ」
不具合の説明は後出し。工場でも散々聞いてきた種類の言い訳だ。
「どうしてそういう仕様の欠点を先に言わない」
「誰もが完全に魔法の影響を受けるとは保証しとらんのじゃ。勝手に魔法が万能と勘違いしたのはそっちの責任じゃろ」
逆ギレである。こうなると、人というものは対話する手段を失う。妖精も恐らく同様だろう。俺は役立たずと化したほんまぐろを放り捨てる。
「なにするんじゃ!」
ほんまぐろが怒りで俺の周りを飛び回る。
「茸が空を飛んだ、喋った」
異常な光景に、ともえは混乱しているようだ。ふらふらと、目眩を起こしたように身体を揺らしている。そして限界を越えたのか、ふっと崩れるようにして気を失った。
気絶したともえを、娘二人と協力して寝室に運び込んだ。俺はともえの手を握り、目が覚めるのを待つ。
ほんまぐろを責めたい気持ちもあるが、悪気があってのことではない。また、わざわざ責める意味も無い。黙してともえの目覚めを待つ。
「のう、圭吾よ」
ほんまぐろが口を開く。
「すまんかったのじゃ」
謝った。
「いいんだ。仕方ない」
俺は、今までの人生において幾度と無く口にしてきた言葉で、ほんまぐろを許す。仕方ない、と。誰もが慣れ親しむこの言葉。若い頃は嫌っていた言葉。何が仕方ないのだ。それで話を終わらせて、何になるというのか。焦りにも近い怒りが、俺にはあった。それこそ、誰かが仕方ないと言うならば俺が正す、というぐらいの気持ちだった。仕方ない、というのは泣き寝入りに過ぎない。問題は全て立ち向かい、正さねばならぬ、と考えていた。
しかし。須藤工業で働き始めての長い時間、経験が俺を変えた。気付いた、と言い換えてもいい。確かに仕方ない、という言葉で泣き寝入ることも、諦めることも人間にはあるだろう。だが本質はそこじゃない。人はこの言葉の中に、行き場のない鬱憤への供養の意味を込める。問題を正すことと、問題を正す為に即座に行動することは、一見同じことのようで、実は全く違う。正すためにやるべきことを考え、自分なりに見極める。その上で不要な、胸中に生まれてしまった鬱憤を殺し、供養し、成仏させる為の言葉が『仕方ない』となって口を突く。
考えを巡らせていると、俺の手の中でぴくり、と何かが動く感触。ともえの手だ。
「ともえ」
私は声を発した。だが、しまった、とすぐに後悔する。ともえは俺を松山圭吾として認識していない。気のおかしい女だと思っているはず。それが無断で家に上がり込んで、手を握り、名前を呼び、顔を覗きこんでいる。不安に思わせてしまうだろう。気を失って目覚めたばかり、無駄な負担を掛けるわけにはいかない。
俺は咄嗟に手を離そうとした。
だが、ともえは抜ける手を捕まえ、握り直した。
「圭吾さん」
ともえは、俺が圭吾だと理解していた。俺は呼ばれた名前へ答えるように手を握り返し、訊く。
「よく、分かってくれたね」
思わず安堵に笑みを漏らし問い掛ける。ともえはベッドに寝たまま、首を縦に振って答える。
「ええ。私にこの握り方をするのは、貴方だけですから」
言って、ともえは手を少しだけ持ち上げ、掲げる。
「親指の付け根まで巻き込むみたいに、強く握って。覚えていませんか? 昔、これで喧嘩したじゃないですか」
言われて、確かに思い出した。正確には覚えていないが、俺とともえは喧嘩をした。経緯も、定かではない。若い頃、互いに今の仕事に就き、毎日が必死で余裕の無かった頃だったと思う。確かに私はともえの手を握って、文句を言われた。
「この握り方は痛い、だったかな」
俺は馬鹿だった。指摘されて腹が立った、という下らない理由で激昂してしまった。そこから泥沼の言い合いをして、結局決着は付けかず仕舞い。
「本当は、痛いからじゃなかったんですよ? 握り返しても、あの握り方だと指しか握り返せませんから。それが嫌だったんです。でも、今は大丈夫。ほら」
言って、ともえは手首を曲げた。すると、しっかり握っているはずの手の間に隙間が生まれた。ともえの手はするり、と動いて俺の手を握り直す。手の平までぴったりと噛み合った。
「手の繋ぎ方も、覚えたんですよ。こうすると、私は小指の方から圭吾さんの手をしっかり握れるんです」
俺は、ともえに掛ける言葉を思いつかなかった。こんな些細な事まで、俺のために考えてくれているとは。
「すまない。本当に、お前には苦労させてきた」
「でも、気にしていませんよ。それより説明してくれませんか。どうして、圭吾さんはそんな姿になってしまったのか」
問われ、俺は意識を戻す。昔のことを思い返し、感傷に浸っている場合ではない。魔法が効いていないのならば、ともえには直接事情を説明せねばならない。
「そうだな。まず、俺は『魔女っ子』になってしまったんだ」
「はい?」
先は長そうだ。
説明が長引きそうだったので、俺とともえは居間に移動。そして二人の娘にも纏めて話をする。
半時間ほど掛けて、ようやく今日起きたこと、そしてこれからのことを説明し終える。日常生活には問題が無いということ。しかしこの姿からは一生戻れない、ということを納得してもらった。話の最中、ともえが何度もほんまぐろに向けて鋭い視線を送っていたのは、気のせいではないだろう。
「分かりました。戻れないなら、文句を言っても仕方ありませんものね」
ともえはため息を吐く。現実にこうなっている以上、仕方ない。また、今の状況でほんまぐろを恨み憎んでも、これまた仕方ない。魔女っ子について詳しいのは彼一人だけであり、関係は出来る限り友好的である方が望ましい。
「ということで、みちる、それにゆいこ。二人にもこれから迷惑をかけるかもしれん」
俺は言って、二人を見回す。
「いいよ、どうせお父さんの迷惑には工場で慣れてるから。ちょっとぐらい増えたって気にしない」
みちるの言葉に、一つ安堵する。そして、次に下の娘のゆいこ、松山結子の方へと目を向ける。
「私も平気。パパなら、本当に私たちが嫌なことはしないって信じてる。もし嫌なことがあっても、それはどうしても避けられなかったんだって分かってる。だから大丈夫。気にしなくていいよ」
ゆいこは言いながら笑顔を零す。今日も約束を破って、帰りが遅くなってしまったというのに。俺は思わず、すまない、と繰り返し零しそうになったところを堪える。
「それより、ご飯行くんでしょ?」
みちるが話題を切り替える。俺は頭を切り替える。
「よし、じゃあ何処に行こうか。ゆいこの行きたい所があれば、そこが一番だが」
「鳳天楼がいい! 久しぶりに行きたい!」
ゆいこの言葉に、俺は頷いて返す。
「よし、決定だな」
そうと決まれば早い。家族全員が手早く準備を始める。といっても、着飾る必要が無いので、最低限身嗜みを整える程度。
「圭吾よ、鳳天楼とはなんじゃ?」
俺の頭の上からほんまぐろが尋ねてくる。
「すぐ近くにある中華料理屋だ」
「家族全員揃って、外食がご近所か」
「ゆいこは普段、命会橋に居ないからな。大学の方で一人暮らしだ。今日の為に帰省しているんだよ」
「そうじゃったか、てっきり全員一緒に暮らしておるもんかと。今日は色々すまんかったのじゃ」
「いいや、気にするな」
俺は言って、自分の身支度を始める。と言っても、服装を変えるにも服がない。なので、通勤鞄から財布を取り出すだけで終わる。魔女っ子の服装のままというのは気が引けるが、今は仕方ない。
やがて一家全員の準備が終わり、四人揃って家を出る。頭の上にほんまぐろという余計なものが乗っているが、諦めて気にしないこととした。そしてゆいこの楽しそうな表情を横目に見る。これで、今日も帰ってきて良かった、と感慨に耽ることが出来るのだった。