11 新たな魔女っ子
11 新たな魔女っ子
俺がゆいこから衝撃の告白を受け、数週間の時が過ぎた。その間にゆいこが帰省してくることもあったが、態度は普段どおりに見えた。少なくとも、表面上は普段どおりに見える。
元気に見える以上、俺から話を掘り返すわけにもいかない。うまく乗り越えてくれた、と思うしかなかった。
得南渡興行からの攻撃も何度かあったが、どれも難なく撃退した。今までと比べて、明らかに小手調べ、といった様子のささやかな攻勢だった。おかげで、というのも問題だが、ゆいこのことで頭が一杯だった為、戦いには集中しきれなかったが、トラブルは無かった。
そんなある日。普段通り工場に出勤し、仕事に勤しんでいた。が、昼前の時間になって突如トラブルが発生した。
「お父さん! エアーが来ないんだけど!」
最初にトラブルの報告を持ってきたのはみちるだった。エアーというのは、工場の機械を動かす動力源のことだ。うちでは空気圧でシリンダーや歯車を動かし、資材の運搬に気流を利用している。高圧の空気を作ることで、これらを可能にしているのだが、その高圧の空気が届かなければ機械は当然動作しない。この高圧の空気をエアーと呼んでいる。また、エアーが来ないということは、高圧の空気が来ないということであり、機械が動かないという意味である。
「コンプレッサーは?」
「まだ確認してない。でも、私だけじゃ無理だからお父さんお願いね」
みちるはそう言って、自分の仕事へ戻っていく。製品の箱詰めなどの仕事があるのだろう。
ちなみにコンプレッサーとは、高圧の空気を作る機械のことだ。この辺りの、工場の根幹を担うような機械については、俺やシゲでないと点検や整備が出来ない。
俺はひとまず、コンプレッサーを確認しに行く。コンプレッサーは工場の裏手の小屋に設置してある。
機械が動かず手持ち無沙汰になっているのだろう。パートのおばちゃんが何人かついてくる。
肝心のコンプレッサーに関しては、見た瞬間に言葉を失ってしまった。コンプレッサーと、コンプレッサーを包む泡を眺めるしかなかった。
見るからに、この泡のせいで故障している。コンプレッサーは何の薬品も資材も使わない機械なので、勝手にこんな壊れ方をする可能性はありえない。つまり、誰かが意図的にこの状態を起こしたと想像できる。
つまり、誰かが意図的にコンプレッサーを壊したということ。
泡ということは、誰かが洗剤でも流し込んだのだろう。だが、隙間から流し込んだぐらいでは壊れないはず。と考えると、念入りに破壊されていることになる。わざわざ、こんな辺鄙な場所にある工場の機械を。どうにも腑に落ちない。
俺は、神妙な面持ちでコンプレッサーを眺める。誰かに壊された、というのは大きな問題だ。しかし、今はそれ以上に重大な問題がある。
「はぁ。ひとまず、古いコンプレッサーを引っ張り出すしかないな」
古くなって、使わなくなったコンプレッサーならある。だが、それが今でもちゃんと動くかは分からない。また、奥の倉庫から引っ張り出してくるのも面倒な作業になる。手前に積まれた荷物や機材を全部外に一度出さなければならない。
「全く、一体誰がこんなことを」
俺は思わず、答えの出ないぼやきを口にした。すると、思わぬ方向から反応が返ってくる。
「そういえば、見たこと無い男の人がうろついてたわよぉ」
パートのおばちゃん達の一人が言った。すると、途端に何人かのおばちゃんが同意して頷く。
「私らも見たわよねぇ?」
「そうそう。ちょっと前に、黒い服の。ねぇ? お客さんかと思ってたんだけど」
おばちゃん達の証言から考えるに、どうやら犯人は外部の人間らしい。となると、俺には一つ思い当たる相手が居る。
「得南渡の人間か」
つい、苦い表情で犯人を断定するような言葉を口にしてしまう。だが、わざわざこんなちんけな工場に嫌がらせをする相手など、得南渡興行以外に考えられない。
得南渡の奴らの目論見については分からない。が、ひとまずコンプレッサーを引っ張り出さねばならない。俺とシゲは顔を見合わせ、互いに疲れたような顔で苦笑いを浮かべる。
ちょうどその時だ。
「大変よ!」
パートのおばちゃんの一人が、走り寄ってきた。
「工場が占拠されちゃったわよ!」
わけが分からず、俺は当惑する。事態が飲み込めない。が、ともかく工場で騒動があった様子。
「とりあえず、今行く」
俺はひとまず、工場へ戻っていく。
そして、すぐに事態を飲み込んだ。
工場では、たくさんのおばちゃんがスーツ姿の男達に捕まっていた。そして、銃で脅されながら建物の中に押し込められている。拘束まではされていない様子だが、銃で脅されては従う他無いだろう。
場所はちょうど、ボロが稼働する部屋だ。当然、中にはシゲも囚われているのだろう。
銃を持ったスーツ姿の男達。間違いなく、得南渡の奴らだ。なるほど、とようやく納得する。コンプレッサーを壊したのも、得南渡に違いない。俺がコンプレッサーを見に行っている間に、工場を占拠したのだろう。最初から、俺の目を盗んで人質を取るのが目的だったようだ。
「おう! 魔女っ子ォ! ツラ見せんかいワレェッ!」
工場を占拠した男達の声が上がる。
「おどれが正直にならんのやったら、こっちでケジメつけさせてもらうどコラァ!」
俺の背中に冷や汗が流れる。つまり、奴らは俺に出てこい。出てこなければ人質を傷つける。と、言っているわけだ。
そうまで言われて、隠れているわけにはいかない。そもそも、最初から隠れ潜むつもりは無かった。
「ここにいる! だから人質には手を出すな!」
俺は声を張り上げ、男達の前に躍り出る。
「レリメイションッ!」
そして、いつもどおりの呪文を唱え、魔法少女の姿になる。
「ええ度胸やないかい。分かっとるやろなあ? おどれが調子こきおったら、誰のドタマに穴が空くかも分からへんぞ」
得南渡の男が、嫌な笑みを浮かべつつ言う。当然、俺もよく分かっている。
「ああ、当然だ。無駄は嫌いなもんでね」
言って、腕を上げ、頭の後ろで組む。自ら抵抗の意思が無いことを示す。
「へへ、こりゃあええ気味や。おどれがしでかしたことの落とし前、ここで付けてもらうぞワレ!」
男は俺に歩いて近寄ってくる。そして拳を振り上げ、俺の顔面に振り下ろした。拳骨が俺の鼻頭を強く打つ。並の人間、しかも少女に耐えられるはずもない一撃。だが、俺の身体は平気で耐えてみせた。痛みこそあるものの、魔女っ子の身体は十分に頑丈らしい。むしろ、殴った男の拳が俺の鼻の骨に負けて痛そうにも見えた。
「チッ。ふざけおってからに」
男は舌打ちをすると、拳銃を取り出す。俺を撃つのか、と思ったが、どうやら違う。男は拳銃を振り上げ、グリップの部分で俺の頭を殴った。
なるほど、これなら奴は拳を傷つけない。しかも、打撃の威力もある。銃で撃つよりも、直接俺を傷つけて優位性を強く感じられるだろう。
男は一発目で味を占めたのか。ニヤリと笑い、そのまま何度も殴りつけてくる。さすがの魔女っ子の身体でも、無敵ではない。傷が付き、頭から血がつうっと垂れてくる。
だが、逆らうわけにはいかない。チャンスを待つしかない。そんなものがあるかは分からない。だが、何らかの要因で人質の安全が確保されなければ、俺は動かない。
ただ黙って、暴行に耐える他無かった。
幾度と無くグリップを頭部に叩きつけられ、次第に流れる血の量が多くなる。だが、まだ可能性を捨ててはいけない。俺が、俺のせいで工場の人々を危機に晒してしまった。だから俺は、諦めるわけにはいかないのだ。耐えて、耐え続ける。俺がどれだけ傷つこうが、工場の人々が全員無事に助かる可能性を探す。そんな方法が無いかと考え続ける。
何か使えるものは無いか、と魔女っ子としての聴覚、視覚を限界まで研ぎ澄ます。そして辺りに視線を送り、音を注意深く拾う。
そのお陰か、俺はある異変に気付いた。工場内に、何かが居る。小さい、生物らしい者がひっそり隠れて動いている。
目を凝らすと、機械の影に隠れながら、一つの不思議生物が移動しているのが見えた。頭に煮干しを載せた、猫のような頭を持った生物。魔法の国の妖精、にぼしだ。
にぼしはこっそりと、どうやらシゲに近づいているらしい。シゲの背後まで近寄ると、小さな声で話しだす。
「もしもし、君。たしか、シゲといったんだな?」
シゲは、機械の隙間から聞こえる声に驚く。辺りを見回し、にぼしに気付く。そして、得南渡の男に怪しまれないよう移動して、背中の後ろににぼしを隠す。
「どうしたんすか」
「このままだと、圭吾さんは危ないんだな」
「そりゃ、分かります」
「圭吾さんが危ないのは、君らが人質に取られているからなんだな」
「それも、分かります」
「そこで提案なんだな。君に、圭吾さんを助けて欲しいんだな」
「どうやってですか」
「シゲも、魔女っ子になればいいんだな」
「は?」
シゲの、珍しく動揺する声が聞こえる。魔女っ子になる。それはにぼしと契約して、今の肉体を捨て、少女に変わってしまうということ。人間とは異なる生命体に変わってしまうということ。
そんなことを気安くシゲに提案するのか、と苛立ちのようなものを覚える。
「僕は、最初にシゲに会ってから、ずっとシゲのことを観察していたんだな。君の生真面目で、一つの物事に一心不乱に取り組む態度は非常に好ましいんだな。そして何より、君は優しいんだな。君が魔女っ子になることで、街を今より安全に、確実に守ることができるようになるんだな。それは僕たち魔法の国の妖精の願いでもあり、君たち命会橋の人間にとっても都合がいい話なんだな」
にぼしの説得は、外堀を埋めるようなものだった。こんな状況で、シゲが魔女っ子になる契約を断るはずが無い。卑怯な交渉だ、と思った。強制ではない。だが、強制よりもタチが悪い。強制でないのに、契約する他の選択肢がない。
「わかりました」
シゲは、やはり選択する。
「俺、魔女っ子なりますよ」
「いい返事なんだな」
次の瞬間、にぼしが宙に飛び上がる。
そして、まばゆい光を放つ。
光に包まれ、工場で何が起こっているのか、誰にも見て確認することが出来ない。人質を取っていた男達も、眩しさに耐えかねて工場から逃げ出す。きっちり人質は捕まえたままの辺り、抜かり無い奴らだ。
「な、なんじゃあッ!」
俺を殴り続けていた男も驚く。一方で、俺はじっと光の中を見つめていた。シゲが、魔女っ子に変わる瞬間を。
光に包まれたシゲと、周辺に並んでいた機械。その名もボロ。うちで最も古い機械であり、同時に最も売れ筋の製品を作る機械。そして同時に、シゲにとっては相棒のような機械でもある。
そんなボロが、シゲと同様に光に包まれていた。光が強すぎるせいで、魔女っ子の目を持ってしてもシゲやボロのシルエットしか見通せない。だが、シルエットだけでもはっきり分かるぐらいに変化が起こる。シゲの肉体が变化し、縮んでいく。男の無骨な身体が、少女の華奢な身体に。同時にボロの形状も変化する。巨大な機械は、まるで鎧の様な形状に変わる。鎧だけでなく、チェーンソーのようなシルエットの物体にも分離し、形成されていく。
そして、三つのシルエットの変形が終わる。すると、それぞれのシルエットが近づき、重なる。途端、光はより一層強くなる。俺でさえ、目を背けるほどの光。
光はすぐに治まる。そしてシゲが、魔女っ子となった一人の男が姿を現す。
翡翠色に煌めく長髪。深い青色の瞳。鎧とチェーンソーも同じ配色で、多くが翡翠色で、装飾に青があしらわれている。チェーンソーのチェーン部分だけは、重く暗い鈍色の金属製。チェーンソーの本体部分には蒼い金属による八芒星の装飾があり、その中心には緑色の宝玉が埋め込まれている。
見るからに、近接戦闘向けの装備。これを見て、得南渡の男達はすばやく行動した。
「動くなよ、おどりゃあ!」
拳銃を、人質のおばちゃん達に突きつける。これだけで、俺とシゲの両方を十分に封殺できると考えてのことだろう。
だが、残念ながらそううまくはいかない。
最初に動いたのはシゲだった。
「フライッ!」
シゲは一瞬にして、チェーンソーに埋まる緑色の宝玉から一枚のカードをドローした。そして銘を宣言し、手早く魔法を行使する。
途端に、得南渡の男達が手にしていた拳銃が全て、例外なく勝手に空へ浮き上がる。上空三メートルほどの高さに浮き上がった拳銃は、もはや使い物にならない。
つまり、得南渡は脅しに使う武器を失ったことになる。
「ライトニング!」
俺もまた、カードをドローして魔法を使う。極限まで高められた俺の移動速度に、生身の人間ではついてこれない。人質に向けて拳銃の引き金を引く余裕ぐらいならあったのかもしれない。だが、今となっては無意味。
数秒の間の出来事だった。それだけの間に、俺とシゲの魔法で全ての得南渡の男が倒れていた。加速した俺の拳を受け、一人残らず男達は悶絶し、倒れ込んでいる。
仕上げに、シゲは宙に浮いた拳銃を全て手元まで集める、
鎮圧が完了したところで、俺は地に伏せて呻く男達に言い放つ。
「以前、俺は言ったはずだ。正々堂々決闘しろ、と」
それは、以前得南渡興行がこの須藤工業命会橋工場まで攻め込んできた時に確かに言った言葉だ。
「それが守られないなら、直接お前らを潰すと言った。覚悟はしているな?」
言いながら、俺は男の一人の服を掴み、無理やり起こす。ちょうど、俺を何度も殴りつけてきた男だった。
手始めに、俺は男の腕を掴み、力づくで曲げる。すると、男の腕は本来関節の無い部分で曲がる。
「ぐうぅッ!」
「喚くな。黙る能も無い口から潰してやろうか」
俺が言って男の顎を手で掴むと、力を加えていく。顎の痛みが効いたのか、男は必死になって声を噤む。
「その調子でよく聞け。人質を取るような卑怯な真似はするな。これは命令だ。もしまた同じようなことがあれば、命は無いと思え」
俺は言葉を言い終わると、更に手の力を込める。男の顎の骨を、魔女っ子の筋力で無理やりへし折る。男は俺に言われたことを律儀に守り、歯を食いしばって痛みに耐える。声を漏らさぬよう踏ん張る。
「ぐっ、ううぅ」
だが、我慢にも限界がある。男は痛みに涙を流し、意識を失う。
「ほら、連れて帰ってやれ」
俺は顎を割った男を、他の男達の方へと引き摺っていく。半ば押し付けるように引き渡すと、男達は恐れの表情を顔に浮かべたまま、走って逃げてゆく。
無論、追いかけたりはしない。今回、一人の男を過剰に痛めつけたのは次以降の得南渡の侵攻への威嚇のためだ。暴力組織への抑止力を、俺は暴力という形でしか発揮できない。かといって殺しをするわけにもいかない。今回のように、威勢よく威圧してみせるのが限度だ。
この程度で、得南渡が恐れをなして手を引くとは思えない。だが、ひとまずしばらくは安心できるだろう。
「はぁ。どうにかなったか」
「みたいすね」
気疲れにため息を吐いた俺の背後から、シゲの声がかかる。
「助かった。シゲ」
「いえ」
魔女っ子となった俺も、シゲも。以前と変わらず、短い言葉でやり取りを交わす。こうして日常的な調子で会話をすることで、工場を守ることが出来たのだ、と強く実感できた。
得南渡の襲撃を撃退後。俺は、シゲの手で頭の傷を手当して貰っていた。シゲが濡れタオルで固まった血を拭き取る。丁寧に、髪にこびりついた分まで拭き取っていく。
一通り綺麗になれば、シゲは一枚のカードを取り出す。
「キュア」
そして、魔法の銘を呼ぶ。シゲの声と同時にカードは光になって、緑色の淡い光は俺の頭部に集まる。光からは、じんわりと温かい感触が伝わってくる。それと共に、頭部の傷が塞がっていく。
これが、シゲに頭の傷の手当をお願いした理由だ。シゲの魔法の一つ、キュア。これは浅い傷の治療と、身体を侵す毒や病の除去を同時に行う魔法とのこと。今回の頭の傷は、思いのほか深かった。魔女っ子の身体は丈夫なので、放置していても治るだろう。だが、早く治るに越したことは無い。そこで、シゲに治療を頼んだのだった。
この時に判明したのだが、シゲは俺と違って正式に契約を交わした為、自分の持つ魔法の知識についても既に頭の中にあるそうだ。俺の場合は強制契約だった為、魔女っ子に関わるあらゆる知識は後から学ぶ必要があるのだとか。不便な契約を交わしてくれたほんまぐろには、後で存分にご褒美を与えてやろう。
怪我の治療と処理が終われば、もう時刻は昼時だった。俺もシゲも、揃って昼食を食べる。互いに、持参した弁当を食べる。俺はともえが、シゲは母親が作ってくれた弁当。
大した会話も無く、黙々と弁当を食べる。普段通りの光景。だが、俺の目の前に居るのは、魔女っ子となってしまったシゲ。翡翠色の長髪が美しい、少女の姿をしている。非現実的なものを覚えると共に、罪悪感も湧いてくる。
俺は、シゲの顔を見ながら訊く。
「なあ、シゲ。すまない。魔女っ子なんてものに巻き込んでしまって」
俺が言うと、シゲは驚いたような表情を浮かべてこちらを見る。そして、すぐに笑顔を浮かべる。無骨な男だった頃とは違い、些細な表情の変化が読み取りやすい。顔立ちが整っているというのは、こんな効果もあるのだな、と変なところで感心してしまう。
「気にしないでください」
普段通りの、シゲの反応。魔女っ子になってしまっても、本質は変わらない。それを感じ取ることができて、俺も一つ安心する。
「そうか。すまんな」
「いえ」
それが、会話の区切りとなった。俺とシゲは、また黙々と飯を食う。外見上の少女らしからぬ仕草で、淡々と、手早く。