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魔女っ子おじさん、日常を往く!  作者: 日浦あやせ
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10  ゆいこの本心

10  ゆいこの本心




 ある日の朝。俺は我が家の食卓を、三人で囲んでいた。俺と、ともえ、そしてゆいこ。普段ならゆいこはおらず、みちるがいるはずの食卓。みちるは早朝出勤で一時間前に家を出てしまった。そして、ゆいこは大学が休みの為、昨日から帰省している。

 ゆいこはこうして、短い休日でも帰省することが多い。大学のある街まで、電車で一時間という距離にあることも影響しているだろう。

 何にせよ、こうして愛娘が休日になると顔を見せに帰ってきてくれるというのは嬉しいものだ。喜びの色は奥歯で噛み締めて隠しつつ、ゆいこと会話を交わす。

「どうだ、ゆいこ。最近の大学生活は」

「うーん、普通かな。って言っても、充実はしてるよ。毎日部活で忙しいし」

「テニス部か」

 ゆいこは、テニス部に所属している。そして、テニス部の部長でもある。その関係で、忙しいというのは理解できる。

 そもそも、テニス部自体がゆいこの作ったものだ。部長になるのも、部の運営や活動で忙しくなるのも当然のこと。それを承知の上で、ゆいこはテニス部を作ったのだ。忙しさも、楽しさの内なのだろう。

「テニス同好会とは、関わるんじゃないぞ。いいな?」

「分かってるよ。そのためのテニス部だもん」

 俺が忠告すると、ゆいこは笑顔で頷く。

 テニス同好会とは、ゆいこがテニス部を作る前から存在しているテニスサークルの事だ。大学に認められてはいる。が、実態はテニスをするサークルではなく、男女で集まり、飲み会をする為のもの。いわゆる、ヤリサーというものだった。

 大学に入学してその事実を知ったゆいこは、憤慨していた。ゆいこは純粋にテニスが好きなのだ。コートを使わず、部室で他の遊びのことばかり話す同好会の人間たち。それを見て、ゆいこはテニス部の設立を決めたそうだ。純粋にテニスを楽しむための部活動を。

 人集めから始まり、実際の部の運営、コートの使用許可。ざっと考えただけでも、大きな手間がかかる。それを、ゆいこは成し遂げた。テニスをしたいという思いの強さは、本物だった。

 そうして設立されたテニス部は、現在は女子部と男子部に内部で別れ、それぞれの部長が個別で部員を導いている。当然、ゆいこは女子部の部長。こうして男女を分けるのは、ヤリサーとの差別化もあるが、コートの問題もあった。既に同好会がコートの使用許可を貰っているので、テニス部に使用許可が出たのは全テニスコートの半分だけ。当然、部員全員が練習できる広さではない。

 そこでゆいこは工夫した。男子と女子に部内を分け、曜日も分担してテニスコートを利用する。こうすることで、コートが混雑することを避けたのだ。

 また、コートの半分が無駄になっているという実態を作ることも目的にあった。真面目にテニスに取り組む学生が不自由していることを学校側に訴えかければ、同好会からコートの使用許可を剥奪できるかもしれない。と、企みを以前ゆいこが話してくれたことがあった。

 とにかく、ゆいこはそれだけ優秀で、活動的で、自慢の娘だということだ。

 それを考えると、そろそろゆいこにも悪い虫がついてしまう可能性が頭を過ってしまう。顔立ちも母親譲りで整っているゆいこは、煩悩まみれの男子学生にはさぞ魅力的だろう。

 だが、うちの娘をやすやすと渡してやるつもりは無い。

「ところで、ゆいこ。大学生にもなったんだ、彼氏なんかを作る気は無いのか?」

 俺は、直球の話題を出した。ゆいこに男を作る気が無ければよし。そうでなければ、半端な男と付き合わないよう念押しする。少なくとも、付き合う前に俺の前まで連れてくるように言うつもりだ。

「うーん。今は、まだテニス部の運営で忙しいし。興味のある男の子もいないし。多分、天地がひっくり返ったって作らないと思うよ」

 想定していた以上の回答が返ってきた。天地がひっくり返っても、とはなかなか、うちの娘も手強い。考えるまでもなく、半端な男では取り付く島もないだろう。

 内心で喜びながらも、さらに話題を掘り進める。

「そうか。しかし、ずっと独り身というわけにもいかんだろう。ゆいこは、どんな人が好みなんだ?」

 質問を受けて、ゆいこはうーんと唸りながら考え込む。その答えによっては、俺はゆいこの好みを矯正するのも辞さない。変な男を好むようであれば、真っ向から否定するつもりだ。逆に、社会人として通用する基質の人間を好むようなら、しっかり肯定する。要するに、ゆいこを任せて幸せにできる器量の男を、ゆいこ自身が求めてくれるに越したことは無いのだ。

 しばらく食事の手も止めて、ゆいこは考え込んでいた。そしてようやく思い至ったのか、口を開く。

「私は、お父さんみたいな人がいいな」

「俺か?」

 想定外の答えに面食らってしまう。だが、悪くない。俺を理想としてくれるのは、親としていい気分になる。それに俺のような男であれば、ゆいこを幸せにできるだろう。また、けじめもつかないうちから娘の身体に手を出すようなこともしないはず。

「良い選択だと思いますよ」

 ここまで、会話を傍観していたともえもゆいこを肯定した。

「圭吾さんは、優しい人ですから」

 にこり、とともえが微笑む。歳を経て、シワを刻み始めていても、その笑顔が俺にとっては最も美しい笑顔と言える。この女性を、俺の人生を通して守り続けたい。そんな幾度思い直したかも知れぬ思いを、今日も抱いた。

 願わくばゆいこにも、ともえにとっての俺のような存在があるといい。ゆいこのことを、人生を通して守り通すと誓える男がいい。

「もう、私の話だったのに、なんで二人がイチャイチャするかなあ」

 ゆいこに言われ、俺とともえは互いに見つめ合っていたことに気付く。そこで、この話題は終わった。俺とともえは苦笑いを浮かべ、顔を見合わせる。そして、ふと思い出す。確か、ゆいこが中学生だった頃にも、同じような話をした記憶がある。

 その時も、回答は同じだったはず。俺のような人がいいと言っていた。ただ、まるっきり同じでは嫌だ、とも言われた。。持ち上げられ、すぐに下げられた俺は、確か苦笑いを浮かべたのだ。

 今もそうなのだろうか、と気になってしまう。ゆいこの好みが変わっていないのなら、ゆいこは俺と似た、俺とは少し違う男が好みだということになる。

 違いは、どこにあるのだろうか。

 気になりつつも、俺は終わった話題を蒸し返すようなことはしなかった。



「それじゃあ、行ってきます」

「ああ、気をつけてな」

 朝食の後は、しばらくゆったりとしていた。が、ゆいこは昼からテニス部の活動があるため、学校へと戻るらしい。珍しいことでもないので、俺は何を言うでもなく、自然とゆいこを送り出す。

 ゆいこが家を出てからは、しばらく新聞を読んで過ごしていた。だが、不意に単純な考えが頭を過る。ゆいこのサークル活動を見てみたい。うちの娘が、どれだけ頑張っているのか。その姿を、一度でも見て目に焼き付けておきたい。

 そう考えてみると、今日は都合がいい。俺も休日なので、午後から勤務ということも無い。急な喚び出しがあるかもしれないが、滅多にあることでもない。ゆいこの大学に行き、ゆいこの勇姿を眺めてくる時間の余裕は間違いなくあるだろう。

「ともえ」

 俺は、ともえに一言だけ言って出かけることにした。

「ちょっと、遠出してくる」

「はい。どこへ、とは聞かないでおきますね」

 微笑みながら、ともえは俺の言葉に頷いた。どうやら、俺がゆいこの大学へ行くことを察しているらしい。恐らくは、今日の朝食時の話題のせいだろう。俺がゆいこのことを随分気にしているものだと、ともえには気付かれているに違いない。

 それを踏まえれば、急な外出の意味にも察しが付くというものだ。

「帰ったら、ゆいこの様子をちゃんと教えてくださいね」

「ああ、分かった」

 俺は頷いて、外出の為に服を着替えようと、自分の部屋に戻った。



 外出用に、とゆいこやみちるからお下がりで貰った服を着た。その格好で駅まで向かい、電車に揺られること一時間。ゆいこの大学がある街に到着した。

 駅を出たら、俺は迷いそうになりながらも、標識や地図を確認しながら、大学への道を進んでいく。徒歩で二十分もかかる場所に大学はあり、道筋は単純だが、土地勘がないので注意しながら進んでいく。

 ゆっくりと歩いたため、大学に到着した時には三十分が経過していた。

 大学の敷地内に入るのは、特に誰にも止められはしなかった。警備が甘いんじゃないか、とも思うが、いちいち大学生全員をチェックしてはいられないだろう、とも思った。大学に通ったことがないので、これが普通なのかは判断がつかない。ただ、娘が通う大学なのだから、もう少し不審者を警戒して欲しい、とも思った。

 まあ、今の俺の姿を見て不審者を疑われることは無いだろうが。

 何にせよ、テニスコートを探して二十分ほど歩き回る。土のグラウンドはすぐに見つかったが、テニスコートは奥まったところにあったため、その分探すのに手間取ってしまった。

 テニスコートを見つけたら、俺は遠い場所から目を凝らす。今の俺の肉体は魔女っ子のものだ。身体能力に伴い、視力もまた強化されている。普通の人間では判別不可能な距離からでも、まるで近くで見ているかのように視認できる。

 俺は目を凝らしつつ、ゆいこの姿を探す。テニスコートの一角にゆいこはいた。ジャージを着て、部員らしき学生に向けて声を張り上げている。さすがに何を言っているかまでは聞こえないが、聴力も優れているのが魔女っ子だ。ゆいこが何かを言っていることぐらいは認識できた。

 そして、ゆいこの指示に従ったのか、部員達が頷く。コート上でラリーが始まり、それが途中で途切れると、またゆいこが何かを言う。そんな動きを何度か繰り返すと、また別の部員がコートに入り、ラリーを始める。

 そんなやり取りを繰り返すのをみて、俺はうんうん、と勝手に満足して頷いていた。どうやら、ゆいこは立派に部長をやれているらしい。指示を出すゆいこの表情は真剣そのもので、家では決して見ることの出来ない顔だ。

 念のために、ゆいこの周りに男の姿が無いかも確かめる。ゆいこのテニス部は男女で活動が別れているはずなので一応は安心しているが、警戒に越したことはない。男は狼だ。同じ部だから、と屁理屈をつけて付きまとう男がいないとも限らない。

 が、心配は杞憂のようだ。コートには見事に女子しかいない。コートの外にも、見学する人影すら無い。ゆいこが変な男に狙われている、ということは無さそうだ。

 俺はひとまず安堵しつつ、続くテニス部の練習を遠い場所から眺め続けるのだった。



 やがてゆいこが俺に気付くこともなく、時刻は夕方となった。練習を切り上げたテニス部の部員達は、一同で挨拶をしてから散り散りになっていく。中でも主要なメンバーらしい人物が数名残り、片付けをしつつ会話を楽しんでいた。それもやがてなあなあとなり、最後にはゆいこだけがテニスコートに残った。まだ帰らないつもりなのか、一人でテニスボールを打っている。遊びなのか、練習なのか。テニスを知らない俺には分からないが、ゆいこは軽い調子でテニスボールを床に何度も打ち付けてドリブルのようなことをしていた。また、垂直に何度も跳ね上げてもいた。

 そういう単純な動作を続けているところに、人影が近づいていく。

 目を凝らすと、どうやら男のようだ。服装が派手で、髪の色も金や茶色に染まっている。とてもテニスコートで練習するようには見えない風貌。

 そんな男が、三名。練習中のゆいこに近づいていく。そして何かを話しかけて、これにゆいこは嫌がるような仕草を見せた。

 何やら、ゆいこが危ない様子。俺は慌てて、けれど静かに、気づかれないようにしながらコートへと近づいていく。

 魔女っ子の聴力のお蔭で、それほど近づかずとも会話の内容は聞き取れるようになった。

「だからさぁ、部長さん。ただの親睦会って言ってんじゃないすか。そんな嫌がらなくてもいいじゃん?」

「そうそう、おんなじテニス部なんだしさ。やっぱ俺ら先輩だし? 後輩に手ほどきとかしちゃおっかな~って、思ってるんすよ」

 どうやら、男たちはテニス部かヤリサーの方のサークルの男らしい。無理を言って、親睦会なる飲み会をセッティングしようとしているのだろう。

 これを、ゆいこは呆れたような表情を浮かべて拒否する。

「結構です。それに、テニス部とテニスサークルは別ですから。親睦もなにも、よそのサークルと仲良くする意味あります?」

「いやいや、先輩に普通そういう態度とる? おかしくない?」

「マジいやらしい意味じゃなくてさ。ほんとに、女の子とかも普通に参加する飲み会だから。ね? とりあえず今年だけでも良くて。なぁとりあえず一回試しにね?」

「何度も言ってますけど、ありえませんから。うちは大会レベルの経験者もいるんで、指導なら間に合ってます。それにいくら断ってもしつこい人を先輩として敬うことはできませんので」

「はぁ~? なんなんコイツ、マジさあ」

「いやいや、まあまあ。ちょい落ち着けって。な?」

「ほら、ゆいこちゃんさあ。こっちだって頭下げてんのね。分かるでしょ? 変な話、あんまり態度悪かったら、こっちだって人間なわけだからキレちゃうかもしんないわけ。ね? そこはほら、穏便にいきたいじゃん? だからさぁ、親睦会の方さ、頼むよぉ」

「いいえ。親睦会はしません。キレたいなら勝手にキレてください」

「チッ。マジお前さ、調子乗んなよコラ」

 問答の末、男の一人がゆいこに向かって声を荒げる。威圧するような声にも、ゆいこは怯まない。肝の座った様に感心してしまうが、そういう場合ではない。この調子だと、男達が何をしでかすか分かったものじゃない。できれば穏便に終わって欲しいところ。

「安っぽい喧嘩を売るんですね。ダッサイですよ先輩」

 しかし、俺の思惑通りにはならない。ゆいこは俺の望みとはまるで逆の行動を取る。男たちを刺激し、煽る。どこでそんな口の聞き方を覚えたのだろうか。余計な懸念が浮かぶが、今はそれどころではない。

「んだコラァ!」

 男の一人がさらに威勢づいている。このままではまずい。ゆいこの身に、何か起こるかもしれない。

 そう考えると、俺の行動は早かった。駆け抜けて、テニスコートまで近寄り、金網の扉をくぐり、ゆいこのところへ駆けつける。

「な、なんだっ?」

 男たちの一人が、驚きの声を上げる。だが、怒りに我を忘れた男は俺の方に見向きもしない。

 このままだと、ゆいこに手を上げるかもしれない。そう考えると、先手必勝が唯一の解だと思えた。

 俺はすばやく飛び上がり、激昂する男の顔面に膝蹴りを食らわせる。体格こそ少女のものだが、身体能力は魔女っ子。成人男性が相手とはいえ、顔面に膝蹴りを当てれば容易く意識を奪える。

「えっ、えっ?」

 俺の登場に驚いたのか、ゆいこが狼狽する声を上げる。だが、構わず俺はゆいこと男たちの間に割って入る。

 既に一人の男を膝蹴りで撃退しているので、残りは二人。

「な、何なんだよアンタ!」

「喧嘩の売り買いに多少覚えがある者だ」

 言うと、俺は男たちが反応するより先に拳を突き出す。まずは正面の男の、鳩尾に一発。当然ながら、魔女っ子の俺の拳は重い。下手をすれば命を奪いかねない。なので、ある程度手加減をした一発。だが、それでも十分な威力があった。男は倒れ、鳩尾を抑えて唸りもがく。

「テメッ!」

 ようやく事態を把握したのか、最後の一人の男が拳を振り上げる。だが、俺はそれを相手取ることも無く、男の下半身に組み付く。死角にするりと入り込んだことで、男の拳は空を切る。俺は組み付いたまま、男の身体を持ち上げ、投げ落とす。勢いをつけて背中から地面に落ちる男。肺から空気が抜け、痛みと息苦しさに悶え苦しむ。

「よく聞けお前ら」

 俺は倒れた男達に呼びかける。

「二度目は無い。次に手出しすれば不能になるまで殴り潰してやる」

 言って、一番近くに倒れる男の股間を軽く蹴っておく。当然男は悶絶する。これで脅しは十分だろう。

「よし。逃げるぞ、ゆいこ!」

「えっ?」

 まだ状況を把握していないであろうゆいこの手を取り、俺はその場を逃げ出す。男三人を無力化し、逃走することで確実にゆいこは安全になった。また、大学の敷地内で外部の人間が暴力事件を起こした、という事実も闇に葬ることができるだろう。まさか、幼い少女に殴り飛ばされましたと大の男が大学に泣きつくわけがない。よって、ここは引くのが最も妥当な判断だ。

 とはいえ、それをゆいこに説明する時間は惜しい。俺は何も言わず、問答無用でゆいこの手を引き、その場を後にした。



 俺とゆいこは、逃走しながらどこに向かうかを話し合い、結果としてゆいこの暮らすアパートまで逃げ込むことにした。

 一度、引っ越しの際に訪れたことはある。だが、立地までは覚えておらず、ゆいこの案内を頼りにアパートまで辿り着いた。

 部屋に入るなり、ゆいこははぁ、と安心したようにため息を吐いた。

「お父さん、ありがと」

 満面の笑みを浮かべて、感謝を述べるゆいこ。その顔を見ていると、俺も助太刀して良かった、という気分に浸れる。暴力で解決するのは良くないが、暴力で黙ってくれる相手にはこれが一番でもある。今回は、相手の様子を見る限り、喧嘩慣れはしていない様子だった。脅しの分も十分に効いただろうし、ひとまず問題は解決したと言えるはずだ。

「まあ、気にするな。また何かあれば、俺を呼べ。すぐに助ける」

「うん。嬉しい」

 ゆいこはやはり、満面の笑顔を浮かべていた。

「でも、どうしてお父さんが大学にいたの?」

 そして、すぐに困ったように顔を顰めて問い詰めてくる。

「ああ。実は、ゆいこが普段どれだけ頑張っているか気になってな。それで、今日一日の部活動の様子を、こっそり見ていたんだ」

 正直に、今日の俺が大学に居た理由を話す。親の行動としては、ウザい、キモいと評されるようなものだとは思う。だが、隠し立てをするよりは、正直に言ってしまったほうが清々する。何よりも、娘をストーキングしていた事実を秘密にするのは、不健全なように思えた。

「そっか、そうだったんだ」

 ゆいこは、不思議とにやけ、笑みを零す。

「嬉しいなぁ」

 そして、俺に抱きついてきた。思わぬゆいこの反応に、俺は戸惑って何の返答も出来ない。正直、喜ばれるとは思ってもみなかった。娘の立場としては、父親に付き纏われて迷惑に思うのが普通の反応だろう。おそらく、みちるであればそんな反応をするはずだ。

 しかし、ゆいこはどうも、俺に対して甘い。と言うよりも、年頃の娘にあるような恥じらいや、拒否感というものが無い。以前からゆいこのそういう部分は気になっていたが、今日はどうにも余計に気掛かりだ。

「ありがと、お父さん」

「感謝するところか? 普通なら、ストーカー紛いの父親なんぞ嫌われるところだぞ」

「ううん。お父さんが私のこと、頑張ってるって認めてくれたんだもん。嬉しいよ。それに、私が頑張ってるところをちゃんと見ていてくれるのも、嬉しい」

 言って、ゆいこは俺の身体を抱きしめる腕の力を強める。今となっては魔女っ子の俺は、ゆいこよりも体格が小さい。まるで子供をあやすような光景だろうな、と思いつつも、甘えてくるゆいこが可愛らしくも感じる。親としては、やはり子供に頼られ信頼されるというのは喜ばしいものだ。つい、ゆいこの頭を撫でる。

「ふふっ。なんだか、子供の頃に戻ったみたいだね」

「俺の身体は子供に戻ってしまったがな」

「見た目は、ね。でも、お父さんはやっぱりお父さんだよ。中身は変わってない」

「ああ。それに、ゆいこもだ。こうしていると、子供の頃とまるで変わらないな」

「そうだよ、子供のまんまだもん。だから、ずっとこうしててもいい?」

「はは。ずっとじゃあ困るな。ともえが嫉妬してしまう」

 俺が冗談めかして言うと、不意にゆいこの返事が止まる。数秒の沈黙が流れる。

 沈黙の後、ゆいこは腕の力をゆっくりと弱める。

「うん。そうだね」

 そして、俺から離れていく。漏らした声は明らかに悲しげで、先程まで俺に甘えていた態度とはまるで変わっていた。どうにも、様子がおかしい。

「どうした、ゆいこ?」

「なんでもないよ」

 問いかけても、ゆいこは冷たさの拭えない口調で否定するだけだった。

「なんでもないようには見えないぞ。正直に言ってくれ」

「言えないよ」

 即答だった。ゆいこが頑なになること事態が珍しく、俺は困惑する。だが、だからこそ何か深刻な悩みでもあるんじゃないのか、と心配になる。見るからに表情が優れないゆいこを見ていると、俺はどうしても本心を聞き出したくなった。

「頼む。俺はお前が心配なんだよ、ゆいこ。父さんに、何でも話してくれないか」

 俺が言うほどに、ゆいこは難しそうな表情を浮かべる。何かを言おうとして、結局口を噤む。本心を、語ろうとはしてくれている。だが、決心がつかない様子。

「なあ、ゆいこ」

 俺は、ゆいこの名を呼ぶ。そして肩に手を置いて、ゆいこの目を見る。俺が真剣であることを訴えかける。

 すると、ようやくゆいこは決心してくれたのか、ある言葉を口にした。

「好きなの」

 その単語だけでは、意図を計りかねる。だが、俺が具体的な意味を聞き返す前に、ゆいこ自らさらに言葉を重ねた。

「私、お父さんみたいな人が好きなの」

 そしてゆいこは、俺の目を見返してきた。その視線は、熱く潤んでいて、とても子が親に向けるものではなかった。そこには、並ならぬ情愛の念が潜んでいる。

 まさか、とは思う。だが、ゆいこの目が語っている。このタイミングで、俺を熱く見つめ、艷やかな笑みを浮かべられてしまうと、意味は自然と理解せざるをえない。

「俺みたいな男ぐらい、すぐに見つかる」

 俺は、曖昧な言葉を返した。ゆいこが俺を、親だと思っていても、男だと思っていても意味の通る言葉。願わくば、親として意識した返事をして欲しかった。

 だが、ゆいこの言葉に歯止めは効かない。

「ダメだよ。だって、私、女の人が好きだから」

 娘の口から、立て続けに衝撃的な言葉が紡がれる。

 女の人が好きだ。という言葉の意味を、何度も頭の中で反芻する。だが、答えは一つしか出てこない。つまり、ゆいこはレズビアンという奴である。それを、ゆいこは今俺に対して明かしたのだ。

 意味がわからず、俺は混乱した。娘が、まさか、そんな。受け入れるとか、そういう問題ではない。俺はただ、理解できなかった。なぜ、自分の娘がそうなのだろう。そもそも、本気なのだろうか。本当に、娘はレズビアンなのか。わけが分からず、頭の中に様々な考えが錯綜する。

 だが、俺の困惑にも関わらずにゆいこは言葉を続ける。

「私ね、ずっと前からお父さんみたいな人がタイプだった。優しくて、強くて、頼りがいがある人。そういう女の人を、ずっと探してたの。でも、いきなりお父さんが魔女っ子になって、女の人になったから。眼の前に、理想の女の人がいて、いつも私に優しくしてくれるから。信じられないぐらい、心がざわついた。我慢出来ないぐらい熱くなったんだ」

 説明されるほどに、俺は落ち着いていく。というよりも、冷静にならざるをえなかった。ゆいこはレズビアンであり、今の魔女っ子となった、少女である俺が好きであるらしい。それは、つい先程までお互いを単なる親子だと思っていた俺にとって、容易く受け入れることのできない事実だった。だからこそ、受け止めるために意識が覚醒し、冷静になっていく。思考もまとまらないのに研ぎ澄まされるような感覚が、気持ち悪い。

「好きなの。お父さんのことが、好きなんだよ」

 そう言ったゆいこの顔が、俺に迫ってくる。だが、俺はこのままゆいこの行為を受け入れるわけにはいかない。たとえゆいこがレズビアンで、俺に恋慕を抱いているとしても、俺は父親だ。受け入れることは出来ない。

「ダメだ」

 俺は、迫るゆいこの顔を手で抑え、拒否の言葉を口にした。

「お前は、俺の娘だ。俺にとって、ゆいこは娘で、それ以上でも、以下でもない。だから、お前の気持ちに応えることは出来ない」

 俺は、可能な限り誠意を込め、ゆいこの目を見ながら説得した。俺たちは親子だと、それ以外の関係にはなれないのだと。

 俺の言葉に、ゆいこは悲しげな笑みを浮かべる。

「うん、そうだよね。ごめんね、お父さん」

 ゆいこは俺の意思を受け入れてくれる。少なくとも、表面上は。ひとまず、俺たちが親子であることを再認識してもらうことはできたはず。

「すまん、ゆいこ」

「ううん、平気。だって、それが普通だもんね」

 ゆいこは力なく笑う。可哀想にも思えてくるが、かといってゆいこの思いには応えられない。俺とゆいこは親子で、俺はともえを愛している。どう転んでも、ゆいこの願いは叶わないのだ。ゆいこを今、ここで救ってやることは不可能。

 その後、しばらく沈黙が続く。俺はゆいこにかける言葉が見つからない。ゆいこは、単に打ちひしがれているのだろう。言葉を発することも出来ない状態なのかもしれない。

 だが、やがてゆいこの方から口を開いた。

「ごめん、お父さん。一人になりたい」

 その言葉に、俺は頷いた。

「分かった。今日はもう帰るよ」

 気掛かりながらも、今はゆいこの望む通りにしてやりたかった。肝心な願いを叶えてやれない以上、今は落ち着ける時間ぐらいは与えてやりたかった。

 何より、俺が言葉を尽くしたところで、ゆいこの心を癒やしてやれるようには思えなかった。

「またな、ゆいこ」

 俺はそれだけを言って、ゆいこのアパートから出ていった。一人残される娘が心配になるが、今の俺には何一つ慰めの言葉が思い浮かばず、結局は何もせずに帰ることしか選べないのだった。

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