01 魔女っ子『松山圭吾』
01 魔女っ子『松山圭吾』
「な、何が起きたんだ」
俺は事態が飲み込めず、狼狽して声を上げる。周りをくるくると見回して、自分の手や足などを触って、確かに自分が自分であることを確認する。
だが、それでも信じられない。
まさか、俺が、魔女っ子になるなんて。
事件はある夏の日に起きた。本社での会議を終え、工場にも顔を出し、自宅へ帰る道中であった。雲行きが怪しくなり、夕立に襲われる。不自然な程黒々とした雲から雷光が走る。次の一瞬、稲妻の音を聞くよりも先に、焼けるような熱さを感じた。そして、意識は途絶えた。
目が覚めると、俺は少女になっていた。
足元の水溜りに映る姿は、紛れも無く少女。かつて渇き浅黒かった肌は今や白く、髪は輝くような金髪で、頬には淡い血の気が満ちて赤い。服から大きく露出する腕や足も見るからに柔らかい肉付き。淡い桃色と黄色の、ふわりと軽い印象のミニドレスを纏っている。また、手には金属質な素材で出来た、痛く鮮明な桃色と金色の杖を握っている。装飾には星やハートマークを幾つも連ねた彫り込み。先端は八芒星のシンボル。八芒星の各先端と角度の広い谷の部分には小さな円があり、これらと八芒星を大きな二重の円が囲んでいる。八芒星の中心には赤い水晶。支える土台のようなものは無く、淡い光を放ちながら浮いている。
先ほどまで乗っていたはずの車も無い。自分の姿は少女になって、しかも異様な格好で奇妙な杖を持っている。正に少女向けの漫画やアニメで見る『魔女っ子』そのもの。
「どうやら、受け入れんといかんらしいな」
落ち着こうとして、一度深呼吸をする。訳が分からないなりに状況を整理する。
俺の名前は松山圭吾。今年で五十四歳の男。断じて少女ではない。それは記憶が確かに物語っている。五十四年相当の記憶もある。家族、妻と二人の娘の記憶もまた。
街の名は命会橋、命に会う橋と書いてヤエバと読む。俺はこの命会橋で、須藤工業の常務を務めていた。本社は命会橋から遠い町にあるが、工場の一つがここ、命会橋にある。
俺は車での帰路、突如の夕立に遭遇した。確か、あの夕立は不自然だった。まるで台風が来た時か、より暗いぐらいの空だった。恐らく雷が直撃したのだろう。全身が焼けるように熱かったことも記憶にある。後は、今の通りだ。意識を取り戻したら、少女になっていた。
空を見ると、日も殆ど落ちている。もうじき星も見えるだろう、といった頃。気を失う瞬間から、一時間は経過しているはず。
まずい。俺は何故、こんな時間に帰宅する予定だったのかを思い出す。今日は下の娘が大学でサークルを立ち上げて一周年の記念日。せっかくだから何処か食事にでも行こう、という約束をしていた。その為に早く帰る予定だった。
どういう状況か分からないが、家族との約束を破って平然とするのは俺の筋に合わない。ともかく帰るため、何処にも見当たらない車を探すことにした。
「待つのじゃ~~~~~っ!」
俺が歩き出した直後だ。上空から声が聞こえる。顔を上げると、空から何かが降ってくる。
何かは俺の顔面にどしゃっ、と衝突した。
「お主はどこに行く気じゃ!」
顔面に張り付いたまま何かが語る。俺はそれをひっぺがし、正体を確認。
人形の猫のような頭に、丸い胴体の付いた二頭身の生物。手足が無いので、猫とは呼べないだろう。体毛は薄い水色で、頭頂部には練りワサビのような緑色の物体がちょこんと乗っている。
謎の生物は俺の手から離れる。ふわりと宙に浮き、漂う。そして俺を睨みながら語る。
「返事をするのじゃ! お主、一体何のつもりでこの場を離れようと思った!?」
理不尽だ。謎の生物は俺の行動に不満があるらしい。
「帰りたい、と思っただけだ。私は家族と約束がある」
「な~にを言っとるんじゃ! お主は魔女っ子になったんじゃぞ」
確かに外見から言って、納得できる事実。しかし怒りを買う理由が分からない。俺が困惑していても、謎の生物は勝手に話を続ける。
「帰るにも何をするにも、まずは妖精と会って話を聞くのが筋ってもんじゃろうが。いい年して常識の一つも無いのか、このバカタレ!」
常識の基準がおかしい。俺と妖精の認識にズレがあることは理解できた。
「ふむ、すまん」
こういう場合、何よりも謝るべきだ。相手の常識を聞き出す足掛かりにもなる。
「私はその、魔女っ子というものには詳しくないんだ。それよりも、今、魔女っ子になったと言ったな?」
「そうじゃ」
「俺は魔女っ子なのか?」
「そうじゃ、魔女っ子じゃ」
確認してもなお、信じがたい。
「松山圭吾、五十四歳。魔女っ子なのか」
「当たり前じゃ。何か不満があるのか?」
「不満しか無いが。言ってもキリがないだろう。先に一つ聞かせてくれ。俺はどうして魔女っ子になったんだ」
「それは、悪の組織と戦うためじゃ!」
意気揚々と語る謎の生物。
「某の名は『ほんまぐろ』。妖精界から魔女っ子を探すために遣わされた妖精じゃ」
自慢げな表情を浮かべるほんまぐろ。感情表現の仕草は人と相違無いと考えてよさそうだ。これなら、会話をする努力も十分報われるだろう。
「ふむ、ほんまぐろ君か。よろしく」
「あ、どうもじゃ」
案外律儀にお辞儀をするほんまぐろ。
「それでの、この街は今、実は重大な危機に晒されておるのじゃ!」
「そうだったのか、気付かんかったな」
「無駄な相槌は入れんでもええのじゃ!」
怒りを買う基準が意味不明だ。俺はひとまず、頭を垂れて謝罪の意を示す。ほんまぐろは気にも止めずに話を続ける。
「それで、この街を狙う悪の組織というのは、『得南渡興行』のことじゃ」
「えなんど?」
「獲得の得に南、渡ると書いて得南渡じゃ。奴ら得南渡興行はメキシコに本拠を持つマフィアグループの傘下にある偽装された芸能事務所。要するにヤクザじゃ。得南渡の奴らはこの街の地下に眠る高純度メタンハイドレートを狙い、度々シカケて来ておる」
「命会橋の地下にそんなものが」
「頼む、松山圭吾よ! 高純度メタンハイドレートを守る為、魔女っ子となって某と共に戦って欲しいのじゃ!」
「もうなってるんだが」
今さら頼まれても拒否はできない。俺は不合理に眉を顰める。
「細かいことは気にせんでええ。頷けばええんじゃ」
「嫌だな。帰らせてもらう」
「何じゃとぉ~~~~っ!?」
激昂するほんまぐろ。気持ちも分からなくはないが、さすがにこちらの都合も理解して欲しい。取引をする以上、メリットが無ければ条件を飲むことは出来ない。
「お主は高純度メタンハイドレートがどうなってもよいのかっ!?」
「いや、良くは無いが。ヤクザと私個人で戦えと言われると、そこまでしたいほどメタンハイドレートに魅力を感じないな。まず資源として、弊社で扱うことが無い。私個人としてなら尚更だ。そこで引き合いに出されても『分かった』とは言えんぞ」
「うるさいのじゃ! 魔女っ子は魔女っ子らしく悪の組織と戦え!」
「知らん。帰らせてもらう」
俺は騒ぐほんまぐろを放置して、車を探しに行こうとした。だが。
「おう、嬢ちゃん。こんなところで何しとるんじゃ、エエ?」
いかにも、という風貌の男共が俺の目の前に。ちょうど歩き出した瞬間にぶつかってしまった。数にして三人。肩の張った厳つい男。歳は三十と少しぐらいだろうか。紫や紋入りのスーツを着込んでいる。全うな社会人には見えない。
「何とか言わんかいボケェ! 泣かされたいんかクソガキャ!」
短気そのもの。三人組の内の一人が声を荒げる。
「なあ、ほんまぐろ君。もしかして彼らが」
「そうじゃ。得南渡興行の奴らじゃ」
ビンゴ。都合悪く機を見てくれたようだ。感謝の言葉は嫌味でも言えそうに無い。
「おおうっ? なんやそのキモい生き物は!」
得南渡の男達はほんまぐろの姿を見て驚く。当然の反応だろう。俺も魔女っ子になっていなければこれぐらい驚いたはずだ。
「だれがキモいんじゃ! クソ、得南渡の畜生共め。殺せ圭吾!」
「いや、殺せってほんまぐろ君。あのねぇ」
俺の忠告を遮るように、ほんまぐろは言葉を被せてくる。
「構わんのじゃ! どうせこんな奴ら生きてても更生の余地無しじゃ! 今のうちに殺しといた方が節税できるわい!」
「税金の問題はともかく。他人に殺しを要請する妖精ってどうなんだ」
「シャレを言うとる場合か! 魔女っ子なら人の一人や二人ぐらい殺せ! さあ早く! メタンハイドレードを守るために行け、行くんじゃ!」
ほんまぐろが散々騒いだお陰で、得南渡の三人組にもこちらの状況が伝わってしまう。
「アニキ、こいつらワシらの目的知っとるみたいですぜ」
「邪魔されるとなっちゃあ子供かて容赦は出来んのう。やるぞお前ら」
三人組がそれぞれ銃を取り出し、俺を狙う。
「おい、ほんまぐろ! 君のせいで俺まで狙われているぞ! どうにかしろ!」
銃口で狙われては、魔女っ子と言えど多少慌てる。俺もまた同様だ。ほんまぐろに解決策を求める。だが、ほんまぐろもまた銃口に怯え慌てていた。
「だから全員殺せと言うたのじゃ! 殺せば殺されることは無い。シンプルじゃろうが!」
「そんなことはこの際どうでもいい。魔女っ子が戦うにはまず何をすればいい!」
「カードじゃ! カードを使って魔法を使うのじゃ!」
「オーケイ、分かった!」
俺は慌てて、服のあらゆる部分を弄って確かめる。右胸側の内ポケットに違和感。
「これか!」
取り出すと、それはまさしくカード。トランプというよりはタロットカードに近い。数字ではなく、絵柄の印刷されたデザイン。
「どれを使えばいい!」
「それぐらい自分で考えんかい、社会人じゃろ!」
あまりに理不尽な言葉。
「了解。そういう理屈は魔女っ子も同じだな」
咄嗟に考えて、使い方の分からないカードなど持っていても意味が無い。計十三枚のカードを、俺は地面に投げ捨てた。
「要するに素手でやれということか」
言った瞬間、俺は三人組に向かって駆け出す。目眩ましに杖を投げつつ、まず一人目。先頭に出ているリーダー格の男を狙う。銃口の射線上から身を退かせ、手を伸ばして相手のスーツの袖を掴む。ちょうど肘の付け根辺り。これを捻って自分の方へ引き寄せながら、腰を入れて鳩尾に拳を叩き込む。ごうっ、という風鳴りを立てる一撃が入る。
想像していた以上の手応えに驚きながら、俺は袖を掴んでいた手を離す。すると男は勢い良く宙を舞い、十メートル以上遠くまで吹き飛んだ。
「まずいな、本当に殺してしまう」
「いいぞ圭吾! もっとやるのじゃ!」
背後からほんまぐろの声援。そして、呆気に取られていた残る二人の男も意識を戻す。
だが遅い。どうやら、魔女っ子になったお陰で超人的な能力を得ているらしい。俺は既に片方の男に蹴りを入れていた。膝横を薙ぎ払うような蹴り。間接を負傷し、男は崩れ落ちるように倒れる。背後から最後の男が銃を構え、発砲。しかし、俺の身体は既に射線上に無い。銃声より先に懐へ潜り込み、スーツをがっしりと掴んで地面に投げ落とす。落下の反動で、男はぐえっ、と空気を漏らす。
息を吐く間も無く三人を倒した。命こそ奪っていないものの、相手もこれ以上吹っ掛けては来ないだろう。組織であるならば、ここは一度引く。
「お前ら、一旦引き上げや!」
最初に吹き飛ばした男が言って立ち上がる。背を見せ、命会橋から出る方角へと走って行く。他二人もそれを追いかける。うち一人が去り際に一発だけ発砲したが、分かりきった軌道を避けるのは難しくない。軽く身体を反らすと、銃弾は空を裂いて消えた。
それにしても、この得南渡興行の男達はどこかに仲間でも待機しているのだろうか。このまま徒歩で出て行くには、命会橋は広すぎる街だ。あるいは既に、近くに拠点を構えているのか。
「よくやったのじゃ、圭吾よ!」
俺の背後から声が掛かる。ふざけた指示を出してくれた、有り難い妖精の声。
「魔女っ子の身体能力のお陰だ。しかしほんまぐろ。どうして最初にそこを説明してくれないんだ。重要なことから説明するのが筋ってもんだろう?」
「何でも教えてもらえると思うな、というもんじゃ。教えるこっちだって手間がかかるのじゃ。これぐらい当たり前のことはとっとと自分で気づいてくれんと困るのじゃ」
「懐かしい理屈だ、オーケイ。君はそういう奴だと覚えておこう」
俺の工場では絶対に許さない理屈の類である。ただ、他所にはこの手の理屈で回っているところもある。一概に否定しないというのも勤めの一つ。
「さあ、これで得南渡の男は倒した。役目は終わりだ。俺は帰らせてもらうぞ」
言って、俺は改めて辺りを見回す。投げ捨てた十三枚のカード、そして杖。あとは、俺の通勤鞄も道路の脇に落ちていた。全て拾い、カードは右胸の内ポケットに戻す。杖と鞄は右手に一つにして持ち、家の方角へと歩き始める。車は見つかりそうもない。消えたものとして扱った方が良さそうだ。
「待つんじゃ! 圭吾にはまだ得南渡と戦い続けてもらわねばならん! その為にも話さねばならない魔女っ子の知識というものがじゃなぁ」
「分かった、帰りながら聞こう。娘が待ってるんだ」
腰を据えて話そうとするほんまぐろを一蹴。歩き去る俺に、ほんまぐろは渋々、といった様子で付いてくる。
こうしてみると、通勤鞄だけが浮いて見える。今ここにある中で、一番慣れ親しんだはずの物が、何故か一番奇妙に思える。日も沈み、星も見える宵闇の時刻に。魔女っ子が通勤鞄を片手に、妖精を引き連れ道路を歩く。やはり、どうにもおかしい話だ。俺は小さく鼻で笑い、何事も無いように歩き続ける。