憧れのあの人は、姉に頭のあがらない小動物のような人でした
小野あゆみは完全に舞い上がっていた。
なぜならこれから憧れの飯野さとしとの待ちに待ったデートが控えているからだ。
金髪のクールイケメン。
モデルの仕事をしているだけあって、その容姿は完璧だ。
すらりと伸びた鼻、シャープに尖った顎、女性もうらやむほどの長い睫に、吸い込まれそうな黒い瞳。
長身で流行りのメンズファッションを見事に着こなす彼はまるで別世界の人間である。
そんな彼が、小野あゆみとのデートのためにわざわざ来てくれることになったのだ。
きっかけは何気ない応援メッセージだった。
飯野さとしのオフィシャルページにファンの一人として「好きな女の子とデートするなら、どんなデートがしたいですか?」と書き込んだところ、彼女宛てに「じゃあ君と実際にデートしてみようか?」という返信が届いたのである。
最初はファンを喜ばせるための冗談かと思っていたのだが、「場所は?」「時間は?」と具体的に尋ねられていくうちに、それが冗談ではないらしいとわかってきた。
それでも半信半疑だった彼女に、昨夜彼からメールが届いた。
「明日の朝9時から15時までなら余裕できそうだけど、どうかな?」と。
小野あゆみはもちろん断る理由もなくOKした。
そして、現在にいたる。
小野あゆみは精一杯オシャレをして待ち合わせのT駅前で飯野さとしを待っていた。
高鳴る鼓動がおさえられない。
彼はどんな顔で会いに来てくれるだろう。
どんな言葉をかけてくれるだろう。
正直、どんなデートでも構わなかった。
憧れの彼と一緒に歩ける、それだけでじゅうぶんだった。
一緒にウインドウショッピングをし、食事をし、公園を歩く。ただそれだけで。
ワクワクとドキドキが入り混じった緊張の面持ちで待っていると、背後から声をかけられた。
「小野さん……だよね?」
振り返った彼女は、一気に感動に包まれる。
「わっわっ、ほ、本物だ!」
そこには雑誌モデルに出ている人物そのままの姿の飯野さとしがいた。
「は、は、は、初めまして! 小野あゆみです!」
「飯野さとしです」
感動で声がうわずっている小野あゆみは、手を差し出そうとしてはたと止まった。
彼の右後方に、見知らぬ女性がいる。
その女性は、彼の肩越しにじーっと小野あゆみを見つめていた。
「え、と……。飯野さん。その方は?」
飯野さとしはチラリと後ろを振り返って言った。
「ああ、この人は……」
言うがはやいか、背後の女性はするりと前に出てきて小野あゆみの手を握った。
「はじめまして。飯野さとしの姉の加奈子って言います。よろしくね」
「お、お姉さん……?」
ポカン、とする小野あゆみの反応に加奈子は「きゃあ」と笑った。
「思った通り、可愛い子! さっちゃんにはもったいないわ」
いまいち状況がつかめていない小野あゆみを見て、飯野さとしは言った。
「ごめんね。姉ちゃんがどうしてもついてきたいって言うから……」
とたんに加奈子は口を尖らせる。
「あら、何言ってるのよさっちゃん。あなたが『女の子とどうやってデートしていいかわかんないよー』って泣きついてくるから、ついてきてあげたんじゃない」
「泣きついた覚えもないし、ついてきてなんて一言も言ってないじゃん」
「あ、そんなこと言う。じゃあ、いいわ。帰るわよ」
「あー待って待って帰らないで! 一緒にいて!」
慌てて腕をつかんで呼び止める飯野さとしに加奈子はしてやったりという顔を見せた。
「ふふ、やっぱり。素直にそう言えばいいのに」
「まったく、姉ちゃんにはかなわないなあ。ということで、小野さん。姉ちゃんも一緒だけど、いいかな?」
小野あゆみは目の前で繰り広げられる姉弟漫才に開いた口がふさがらなかった。
なんなんだ、この二人は。姉弟にしては仲が良すぎる。
それに、姉が弟のデートのつきそい? なんじゃそりゃ。
パクパク口を動かしていると、加奈子はとびきりの笑顔を向けて言った。
「ごめんなさいね、小野さん。この子、本当に臆病だからついていってあげたくて。ね、いいでしょ?」
言われてハッと我に返る。
さすがは飯野さとしの姉だけあって、その美貌とスタイルは完璧だった。
すらりと背が高く、きれいな長い髪を後ろで束ねキラキラと輝く瞳を向けている。よく見れば、身長は同じくらいなのに足の長さは小野あゆみよりも長いではないか。
あらゆる面で負けていると自覚した小野あゆみは、加奈子の迫力に負けて後ずさりながらコクンとうなずいた。
「え、ええ。構いませんけど」
「きゃあ、やったやった! よかったね、さっちゃん」
「う、うん……」
恥ずかしげに、だが安心した表情を見せる彼の態度に小野あゆみの中の飯野さとし像がガラガラと音を立てて崩れていった。
「じゃあ最初はどこに行きましょうか」
ついてきたい、と言いながらさっそく主導権を握る加奈子。
正直、何も考えていなかった小野あゆみは焦った。
「え、えーと……。じゃあ映画でも……」
思わず口をついて出た言葉だが、その提案に飯野さとしも乗っかった。
「あ、いいね! 今ちょうど面白い映画やってるし。観に行こう!」
「もしかして『トワイライト』?」
「そうそれ! 観たかったんだー」
とたんに小野あゆみも顔を輝かせた。
海外の超王道ラブストーリー。
恋愛映画が大好きな彼女はその新作映画が気にはなっていたのだが、一人で行くには気が引けるし、かといって誘う相手もいない。DVDが出るまで待とうかと思っていたが、こんなチャンスが訪れるとは思ってもみなかった。
しかも憧れの飯野さとしと観られるなら、これ以上の幸せはない。
加奈子の登場ですっかり腰が引けていた彼女も、ようやく落ち着きを取り戻した。
「じゃあ、すぐにチケット買わなきゃですね。ああ、あと時間も調べないと……」
いそいそとスマホを取り出す小野あゆみに、加奈子は「あらダメよ」と言った。
「出会ってすぐに映画館なんて。まずはお互いを知る上で食事をするのが基本でしょう?」
そう言って、細かい字がびっしりと書かれた謎のメモ帳を取り出し「ふむふむ」とうなずいた。
「この近くのカフェレストランがおすすめね。この時間からでもやってるし、朝食セットは絶品だって評判だしね。そこで食事にしましょうか」
姉の提案に弟も同意した。
「それもそうだね。小野さん、映画は午後からでいい?」
いいも何も、二人がそれで決めてしまっているのだから何も言えない。小野あゆみはただうなずくしかなかった。
「え、ええ……」
「よかった。じゃあ姉ちゃん、案内して」
「こっちよ」
仲睦まじくカフェレストランに向かう二人の後ろ姿を小野あゆみはポカンと見つめながら、慌てて後を追った。
※
「朝食セット3つ」
カフェレストランの丸テーブルを囲んで席に着いた小野あゆみは、メニューを見る間もなく加奈子によって勝手に注文された。
「あ、えーと……」
慌てて断ろうとするが、ウェイトレスは「かしこまりました」と言って引っ込んでしまった。小野あゆみは「はあ」とがっくり肩を落とす。
「あら、もしかしてお腹すいてなかった?」
加奈子がそれに気づいて尋ねた。
「い、いえ……」
慌てて首をふる小野あゆみ。
まさか言えるはずがない。出会ってすぐに食事をする姿なんて見られたくない、なんて。
彼女にとって目の前に座る飯野さとしは、“まだ”王子様なのである。
とはいえ、お腹が空いていることに変わりはなく、どんな食事が出て来るのか楽しみでもあった。
「ここはね、ハニートーストがおいしいんだって。ちょっぴり焦げ目のついたトースターに秘伝のバターと蜂蜜がたっぷりかかってて。一度食べたら忘れられないらしいわ」
「へえ」
加奈子の言葉に、小野あゆみは蜂蜜がたっぷりかかったトーストを想像してしまい、その直後「ぐうう」とお腹が鳴った。
「や、やだ……」
慌ててお腹をおさえる彼女に、加奈子は嬉しそうに笑った。
「あははは、お腹は正直ね。やっぱり小野さんて可愛いわ。ねえさっちゃん」
「え、あ、うん……」
「うんじゃないわよ。こういう時はフォローしてあげなきゃ」
「あ、そうか。可愛いおなかの音だね」
なんのフォローにもなっていない。
赤面してうつむく小野あゆみに、加奈子は弟の頭を叩いておおげさに笑ってみせた。
そのあとに出された朝食セットは、恥ずかしさと惨めさとで結局味がわからず仕舞いの小野あゆみであった。
※
「さっちゃんは昔っから女の子が苦手でね。今までお付き合いした子が一人もいないのよ。中学、高校の頃はモテモテだったのにね。今もそうだけど」
「はあ……」
カフェレストランで食事を終えた3人は、まったりとした雰囲気の中で会話に花を咲かせていた。
と言っても、おもに加奈子が一人でしゃべっているだけだが。
「バレンタインの日なんて大変だったんだから。両手いっぱいの本命チョコを抱えながら『どうしよう』って泣きながら訴えてきて。しばらくはチョコを見るのも嫌だったみたい」
「そうなんですか? 意外……」
それでも加奈子の話す内容は、オフィシャルではわからない飯野さとしのプライベートな部分がわかって新鮮だった。
雑誌の中の彼はクールでカッコいいのに、目の前の彼はどちらかというと小動物のようだ。
隣に座って姉の話を遮ろうとちょいちょい手を出しては引っ込める仕草が、なんとも可愛らしかった。
「モデルの仕事もね、自信をつけさせようと思って私が応募したの。そしたら、見事に合格して。でも、モデル仲間を見て余計自信失っちゃって……。逆効果だったみたい」
「お姉さんが応募したんですか!?」
「そうよ。ついでに言うと、さっちゃんこう見えてファッションセンスゼロなの。全部私がコーディネートしてるんだから」
「ええっ!?」
「今日だって、初めてのデートってことで自分で選ぶんだーって気合入れてたのに、選んだ服が上下グレーのトレーナーだったのよ。ほんと笑える」
さすがに飯野さとしは我慢ならないとばかりに姉の口をおさえにかかった。
「もう、いい加減にしろよ姉ちゃん! 小野さんが引いてるだろ」
「引いてなんかいないわよ。ねえ、小野さん?」
小野あゆみはパクパクと口を動かしながら唖然としていた。
カリスマモデルとして名高い彼が、実は姉の手によって仕上げられていたなんて。
そこではたと気が付く。
「も、もしかして、今回のデートもお姉さんのご提案なんですか?」
「あら、わかっちゃった? ふふふ、その通りよ。あなたみたいな人だったらさっちゃんも恋に芽生えるかな。なんてね」
それはない、と思いながらも小野あゆみは尋ねた。
「お姉さん、何者なんですか……?」
加奈子は答える。
「ただのファッションデザイナーよ」
「ファッションデザイナー……?」
追い打ちをかけるように飯野さとしは言った。
「ただのじゃないだろ? 姉ちゃんはK.Iブランドのプロデューサーなんだ」
「K.Iブランド!?」
小野あゆみは驚きのあまりひっくり返りそうになった。
K.Iブランドといえば、その流行の先を見据えた最先端ファッションで国内だけでなく海外でも大人気のファッションブランドではないか。
「ほ、ほ、本当に!? げほ、げほ……」
あまりの衝撃に、思わずむせる。
これは夢なのだろうか。
K.Iブランドの服は何着も持っている。そのプロデューサーが目の前にいるなんて。
「そんなに驚かないで。たいしたことじゃないわ」
「た、た、た、たいしたことです……。どうしよう」
「ふふ。怯える姿も可愛いわね。本当に」
小野あゆみはいてもたってもいられなくなった。
片方は今をときめくカリスマモデル。
そしてもう片方は世界を股にかけるファッションブランドのプロデューサー。
偉大すぎる二人の存在感に緊張のあまり息切れを起こしそうになった。
「ち、ちょっと失礼します……」
小野あゆみは立ち上がるとそそくさとトイレに駆け込む。
(ああ、ヤバいヤバい、どうしよう)
洗面台の前で顔をおさえる彼女。
鏡に映る自分の顔は目も頬も真っ赤で見られたものではない。せっかくの化粧も台無しだ。
このままデートを続けられるだろうか。
そんな不安が彼女を包み込む。
しかし、念願の飯野さとしとやっと会えたのだ。彼とのデートは中断したくなかった。
(大丈夫、落ち着け落ち着け)
小野あゆみは高鳴る鼓動を抑えながら「ふう」と一息ついた。
(そうよ、相手は同じ人間だもの。普通にしていれば大丈夫。とって食べられるわけじゃないわ)
よし、と気合を入れてトイレから出ようとすると、ちょうど一人の女性がトイレに入ってきた。
顔を伏せてトイレから出ようとする小野あゆみに、その女性は目を止めた。
「あ……」
そして小野あゆみの顔を見て目を見開く。
「も、もしかして……。オノリンさんですか……?」
「え……?」
「オノリンさん、オノリンさんですよね!? 世界中のアニメファンを魅了する世界NO.1コスプレイヤーの! わあ、ファンなんです! 握手してください!」
小野あゆみは「しまった」と思った。
まさかこのような場所で自分のことを知っている人間に出くわすとは。
小野あゆみは瞬時に営業スマイルを見せて女性に握手をすると、鼻の頭に指を立てた。
「今日、私と会ったことは内緒にしてくださいね」
「は、はい、わかりました!」
女性もなぜここにいるのかと追及することもなく、ただうなずいた。
小野あゆみはホッと胸をなでおろしながら、顔をふせてそそくさと退散しようとする。
と、女性は言った。
「あの、あの……。できたら例のセリフを言ってくれませんか?」
「例のセリフ?」
「女海賊マイラのあのセリフ……」
「ああ」
小野あゆみは多少ためらいながらも、決めポーズを取りながら女性ファンの願いにこたえた。
「やろうども、ど派手にクールにいこうぜ」
「す、素敵……」
人気アニメキャラの決めゼリフにうっとりとする女性。
その姿に、いかにも気まずそうな表情を見せながら小野あゆみはトイレをあとにする。
カリスマモデル飯野さとしに憧れる20歳女性、小野あゆみ。
その正体は世界中に何千万人とファンがいるカリスマコスプレイヤー・オノリンである。
しかしその事実を飯野さとしは知らない。
オノリンの大ファンでありながら気づいてもいない。
そして小野あゆみ自身もまた、彼がファンの一人であるということは知らなかった。
お互いがファンであるという奇妙な偶然。
それを知る者は世界でただ一人。
加奈子だけである。
お読みいただきありがとうございました。
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