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第二話

 グランガイアに来て幾週間かが過ぎ去った今日、俺は、なにか言い知れぬ不安に直面していた。

具体的に俺自身がどうなっているというわけでもないのだが、日々を過ごし、城在中の騎士団員たちと剣を交えつつ身体の基礎を作ったりしている中で、なにか言いようのない不躾な視線を感じるのだ。

きっと普通ではない意図を持った誰かに、見られている。それも一人ではない。複数人という言葉でまとめきれぬほどの数で、である。

なにが、どうなっているのだろうか。

いや、思い当たる節はある。この世界に存在しているいわゆるところの魔法のような技術――霊術に関することだ。

何日か前、俺の霊術の腕前を見たいと言い出した国のお偉方が大挙して、俺の部屋にやって来たのだ。それくらいなら、と二つ返事でその頼みを承った。その時点で俺は霊術のなんたるかをわかっていなかったし、誰かに聞けばすぐにそれくらいはできるはずだと、高をくくっていた。

そのときの俺は、図に乗っていた。突如として手に入れた強大な勇者の力を持て余し、勇者なのだから万事なにごともうまい具合にいくだろう、となんの根拠もない自信を持っていた。元の世界にいたときにはあり得ないくらいの物理法則に迫る身体能力を持ってして、訓練においては歴戦の王国騎士団員たちを軽くあしらえていたことがその考えを助長させたこともあるだろう。

結果、俺は霊術は使えず終いで、国の霊術師の調べによって俺には霊力回路――霊術を使う上で必ず必要になってくる臓器のようなもの――すらないことが判明したのだ。

その日から、俺の周囲は変わった。

リオ以外のすべての城の人間から白い目で見られ、そして、あの不躾な視線を感じるようにもなった。

『我がウィンドルスが誇る宮廷霊術師たちが精力を傾けて召喚した勇者なのですから、勇者様も素晴らしい霊術師になるに違いないですね』

『……私たち獣人(ビースト)は、魔族の中でも霊力回路がない唯一の種族なんです。だから、この国ではこうしている以外に生きる道がない』

『勇者様、剣などよりか、霊術を探求なさったほうが有意義であると存じます。失礼ながら、剣などいくら鍛えようと、強力無比な霊術の前ではどのような使い手であろうと赤子も同然でございますよ』

 これまで耳にした言葉の節々に、違和感を感じてはいた。

表面化の兆しを見せつつあったそれは、字に起こすとすれば、霊術至上主義とでもいうのだろうか。

 だとすれば、もしそうだとするならば。

 ――――出来損ない、か……。



 上げて、落とされる。よくあることだが、俺の場合はこれ以上上がることもないだろうというところまで持ち上げれてから、唐突に背中から突き落とされたような気分だった。

「出来損ないを殺せーっ!」

「とんだハズレを引かされたもんだぜっ! 早いとこ殺っちまわねぇと、次の勇者様を召喚できねぇ!」

 背後から、王国の騎士団員に配給される鉄のグリーブと石造りの床が打ち合う音が響いてくる。

 朝、寝込みを襲われた。といってもまだ夜も明けていない早朝のことだが。

 寝首をかきにきた刃物の一閃を勇者の恩恵である身体能力の異常性となぜか感じ取ることができるようになった殺気を頼りにかわし、そのまま逃亡。現在、城内を駆けずり回りながら、俺を捕らえ、その命を奪わんとしてくる騎士団員たちと鬼ごっこをしている最中である。

 ……なんで、こうなったのだろうか。

 死んで、絶望を味わって。そうと思えば異世界にいて、勇者と崇められ。自身を呼び出した王女とやらに、心を動かされた。称えられ、敬われ、期待された。調子に乗って、剣のなんたるかも忘れてただ自尊心を満たすために、得物を振るった。剣道者としての矜恃をも俺は捨て去っていた。

 もう、なにもできなかった自分でも、なにもなかった自分でもない。それを見せつけてやりたかった。

 力はあるのに。この世界の俺にはなにかができたはずなのに。でも、結局俺は欠陥品だったのだ。

「な、んで……、くそっ……」

 ……なんで、こうなったのだろうか。

人は、裏切る。

 期待していたものがそれを違えば、簡単に手のひらを返す。例えその対象が、世界を救うはずの勇者であっても。

「いや、俺を殺せば、次が召喚できるんだったか……」

 もう、それもどうでもいいことだが。

 城内をひた走り、無意識の内に進路を取っていたその先は、セイラ王女の自室だった。彼女ならば、あるいは。そんな一縷の望みに期待して。


「消えなさい、出来損ない。この私の傍に欠陥品など不必要です」


 ……なんで、こうなったのだろうか。

 俺は、超人的な身体の力を利用してセイラ王女の部屋の窓から飛び出した。蔑んだような、冷徹な眼差しを向けてくる王女の横を駆け抜けて。

砕けたガラス片が皮膚を裂く痛みなど、気になろうはずがなかった。それどころではなかった。

そして、俺は勇者ではなくなり、ウィンドルス王国から指名手配を受けることとなる。

逃げて、追われて、隠れて、偽装して。異世界に来てまでも前と同じように死ぬに死ねず、無為に、無造作に生き続けた。

そんなふうに生き続けているうちにいつしか俺は、行き場をなくし、堅気の者たちが寄り付かない巨大樹の森へと迷い込んでしまうのだった。




――――第一章:依存




 降りしきる雨粒が、擦り切れて薄汚れた衣服をさらに目も当てられぬ状態へと変えていく。

 冷えた身体は、俺が普通の人間であったならば、風邪の一つや二つしていたほどだろう。が、そんなことは些末事だ。なにせ、俺は人智を逸した存在によって恩恵を与えられ、人でありながら人を超える力を手にした勇者――その失敗作なのだから、これくらいはどうだっていい。死ぬほどではない。そも、俺は死ねない。死がなにより怖いものだということを身を持って知っているからだ。もうあんな感覚を味わうのは、どうしたって御免である。

「でかい木……」

 巨大樹の森。グランガイアの各地に点々と存在するその場所は、その名のとおり直径十メートルはあろうかという巨大な木々が乱立している広大な森であるらしい。比較的凶暴な魔物が巣くい、森の民ともいわれる長耳族――エルフが居を構える場所としても有名で、普通ならばあまり人族などがよりつくことのない場所でもある。が、先のとおり俺は普通を逸脱しているし、加えて、指名手配犯だ。こういった場所に身を寄せるくらいしか、手段を選べないのである。

「こんなにでかけりゃ、上にいるかぎり危険は減るかな……」

 木の上など猫科と鳥類、霊長類の領域である。そう考えると以外と敵も多いかもしれないが、まぁ、地面よりかはましだろう。

そんなことを考えていた過去の己を、俺はすぐに恨むこととなる。

 世界にでも嫌われているのだろうかと突飛もない心の声を、いったいどちらの世界にだよと一人薄く笑って流す。

「るるぅ……」

 低く、威圧するように喉を鳴らすそいつは他の個体よりも図体がでかく、纏う雰囲気も歴戦の屈強さを思わせるそれだ。

 艶のある黒い毛並みは、それ自体があたかも鎧のような筋肉質でいて三メートルほどはある巨躯を包み込んでおり、しかと足元の巨大な枝を踏みしめる四肢はその先端に鋭利な爪を覗かせ、今にも飛びかからんとするほどに力が入っている。極めつけはその鼻が長く伸びたような相貌を牙を向くことによってなおのこと凶暴な形相にしてしまっていることだろう。

 明らかに、どう控えめに見ても、紛れもなく狼である。しかも、俺の体長を優に超える大きさの。

「ツリーウルフ……」

 樹上、地上、なんでもござれな身のこなしがとても軽い魔物。また、獰猛なことで知られており、群れ以外の生物はすべて殲滅対象に入るのだとか。付け加えるならば、当然のことながら肉食である。

 すでに臨戦態勢のツリーウルフたちに背を向けることなどできようはずもなく、格安で叩き売られていた両刃の剣を腰元の鞘から抜刀する。正眼に構えるそれがなおのこと頼りなく見えるのは、気のせいではない。

「るぁぁっ」

 唐突に、群れの中の一匹が動き出し、飛びかかってきた。よほど腹が減っていたのか、血気盛んなのか、預かり知らぬところではあるが、これはチャンスであった。

 たいした苦を労さずとも群れの数を一匹減らせる。そんなチャンスである。

「ぐるぁっ!」

 牙をむき出しにして、爪を立て、押しつぶし、引き裂く勢いで突進してくる。搦め手を知らない純粋な突進であった。ゆえに、先を読むことは容易。突進を敢行したツリーウルフが勝利を確信したような意思を瞳に写したその瞬間、得物を抜いた以外に目立った行動を起こしていない俺は、身体の軸を横にずらすようにして、狼の突進の進行方向から退いた。

そして、俺を喰い殺そうと大きく開かれた口の中に、剣を水平にするようにして斬り込む。

「るぁっ!?」

 ツリーウルフの突進の勢いを利用し、剣道でいうところの『胴』の要領でそのまま頬を裂きながら、赤く染まりつつある白刃をさらに滑らせる。ちょっとした手応えを感触として残しながら、なお刃を進ませると、数瞬の内にその手応えも消え去り、突進をしかけてきたツリーウルフの上顎から上がやや荒っぽく切断され、血潮を散らして宙を舞った。

「るぅっ!?」

「るぁっ!」

 群れの仲間のその末路は、あまりにもツリーウルフたちにとって意外だったのだろう。ある個体は一歩後ずさり、ある個体はなおのこと警戒を強めた。

 これなら、勝てるかもしれない。

 なんの根拠もない、ただの慢心であった。

 それから、大規模なツリーウルフの群れの中での孤軍奮闘が始まる。



 降りしきる雨粒手を斬り裂いて迸る銀閃。けたたましい狼の咆哮。そこに混じってごくたまに聞こえてくる人の喝。

 そして、無情な死神の鎌によってその命を刈り攫われた狼たちの断末魔。

 ツリーウルフの群れと出会ってからおそらく数十分が経った今、俺は戦闘の中での場違いな慣れを感じ始めていた。単調な、戦いのやり取りを知らない愚直なツリーウルフの突進を、爪牙による攻撃を俺はすでに見切っていたのだ。これ以上どれほどこの群れを相手にしようが、この身に備わった規格外の身体能力があれば負けることはない。

 ただ一つの不安点があるとすれば、それは今にも半ばから折れてしまいそうなこの安物の剣くらいのものだった。

「ぐぉぅっ!」

「るるぅっ!」

 左右から挟み込むように牙を剥いて飛び掛ってくる二頭のツリーウルフ。挟み撃ちだ。狩りの手法としては最も基本的なものだろうか。

「だけど、格上相手にそれだけの工夫じゃあ、少し足りない」

 右側のツリーウルフの鼻の頭を剣の腹で打ち据え、そっちが怯んだ隙に次は左側のツリーウルフの頭をかち割る。

 その瞬間だった。頭上から衝撃が飛んできたのは。

視界に捉えてからでも十分に避けられるツリーウルフどもの攻撃にすっかり油断していた俺は、周囲の、特に頭上への警戒をめっきりしていなかった。おかげで、死角になっていた場所からの不意の一撃を受けたのだ。

そこから先は、予想に難くない。一瞬の好機を狩りの玄人が見逃すはずもなく、その隙にツリーウルフたちは即座に体勢を攻めのそれへと一変させた。

まず足をやられ、移動が困難になる。次に腕をやられ、武器を失う。

それがどうしたと拳一つで反撃をすれば、見事に引き際を捉えていた奴らはもう手が届くところにはいない。

なぶられていた。脅威から狩りの対象へと成り下がった俺を奴らは弄び始めた。

今までは精々二匹までだった複数匹の同時攻撃が、その倍にまで増え始めていたのだ。新しい狩りの方法を今回で覚えたとでも言うのだろうか。

「なんで、なんでだよっ。さっきまで俺が勝ってたじゃないか!」

 油断大敵。他者を見下して、溜まりに溜まっていた鬱憤を自分よりも弱いそれらへとぶつけたその末路。俺はどこまでも馬鹿だったらしい。

「くそがぁっ!」

 このままでは、また死んでしまう。また、あの感覚に身を窶さなければならない。

 嫌だ。それだけは、絶対に。

「嫌だ……、死にたくない、嫌だ嫌だ嫌だっ!」

 とどめをささんと迫ってくるツリーウルフ共を払いのけるために、握り込んだ拳を闇雲に振るう。何度か手応えを感じながら、なお振り回す。

「くそ、くそっ、くそぉっ!」

 そのときだった、昂ぶった感情を包み込むような暖かさを振り回している拳の内に感じたのは。

 不安定に揺さぶられていた感情が落ち着き、周囲を見渡すと、いつの間にかツリーウルフの群れがいなくなっていることに遅まきながら気がつく。その理由を把握できないまま、しかし一難去ったことを安堵すれば、次に不思議な暖かさを宿した己の手のことが気になってくる。

「なんなんだよ、これ……」

 力いっぱいに握り込まれた拳を開くと、その手のひらには火が灯っていた。すべてを包み込む雄大さを秘めた火が、肌から立ち昇っていたのだ。が、熱くは感じなかった。これは俺を害するものではないと、本能が訴えているのがわかる。。

 ――――ったく、危なっかしくて見てらんないね。もうちっとしっかりしてくれよ、仕手殿。

 ――――本当です。周、あなたは私たちの仕手なのですからね。

 それは、あのとき聞いた二つの声。

 ――――今回みたいな危なかっしい戦いは、もうやめとくれよ、周。

 ――――厳守です、厳守。

「…………」

 ――――では、あとのことは我が眷属に任せるとして。周、また会いましょう。

 相も変わらず人の心に土足で踏み入ってくる二つの声は、しかし、俺の心を落ち着かせた。

 声が言っていた眷属とやらのことが気になって、周囲を見渡す。すると、ちょうど頭上にある枝の上に人影が垣間見えた。あれのことだろうか。

 不思議なことに、その人影を見つけると俺はどうにも安心しきってしまったらしかった。この数日感じることのなかった眠気が唐突に襲ってきたのだ。

 あの二つの声が言った存在だからだろうか。こんなにも警戒をしないでいるのは。

 とにかく、俺はその場にへたり込み、見知らぬ誰かにあとを預け、寝入ってしまったのだった。






 心地のいいまどろみの中を意識がさまよっている。

 こんなにも睡魔に身を預けきっているというのに、若干ながら残っている思考の片隅でふと思う。

 なぜ、俺はこれほどまでにくつろいで眠ることができているのだろうか。

 ウィンドルスに指名手配されてからのこの数週間、ろくに寝ることもできずに過ごしてきた。王国からの追っ手が、賞金狙いの荒くれが、野生の魔物たちが。誰しもが俺の首を狙っていたからだ。意識を完全に落としてしまえば最後、知らぬ間にこの生を断たれることはわかりきっていた。

 そんな俺が、なぜこうも寝入ってしまっているのだろうか。最近では、不眠症寸前にまで追い込まれていたというのに。

 そんなことを考えていると、ふと意識がまどろみを抜け、現のほうへと昇り始めた。

「ん、起きた?」

 眠気に再度として引っ張られることもなく、すんなりと開いた俺の目が最初にその視界に収めたのは、見知らぬ長耳族の女性だった。



「レイメス、です。レイメス・フィリアラー。できれば、その、レイと呼んでほしい」

 彼女は、どうやらツリーウルフたちとの戦闘のあとに倒れた俺を拾い、介抱までしてくれたらしかった。

「竜胆周だ。名が周。姓が竜胆。好きに呼べ」

 名乗られれば相応に応えるが、どうにも言葉の節々が棘々しくなる。

 警戒は、しておくべきだと思った。

「アマ、ネ……? ア、マネ……?」

 この世界にはない発音の名だからだろう。俺の名を正しく発音できるやつはこの世界にはいない。例に漏れず、レイメスもどう口にしていいものやらわからないようだった。

「……呼び難いのなら、シュウでいい」

 つい、助け舟を出してしまう。それは、俺の名前を意味する文字の別の読み方だ。

 どうせ名を呼び合ったところですぐに切れる縁。どうでもいいはずなのに、なぜ俺は名など交換しているのだろうか。

「シュウ、シュウね。わかったわ」

「ああ……」

 僅かな沈黙のあと、レイメスはなにか食べるものをと部屋を後にした。

 あのとき、あの声たちはあとは眷属に任せるといって消えていった。とすると、彼女がその眷属とやらなのだろうか。

 まぁ、そんなことは本人にでも聞けばいいか。

 不自然なまでに警戒心が削がれていることに気づきもしないまま、俺は少しだけ今の状況に甘んじることにした。

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