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第一話

 鬱注意。

「では……、使徒様のお部屋はこちらになります。あの、中に備え付けてあるものはご自由にお使いください。……い、至らぬところや、お申しつけたいことなどありましたらこの鈴を鳴らしてくだされば、すぐに参りますので……。それから……、その……、伽のほうもご希望なされるなら、務め上げますので……。で、ではっ、失礼しますっ」

 おどおどとした態度でひたすら低姿勢を貫く犬耳の少女――この世界に存在する種族で、魔族の中でも獣人族に分類される種族らしい――リオは、小柄な身体に見合わぬ無骨な首輪を揺らしながら低く頭を下げ、元来た道を踵を返して去っていった。

 リオは、先ほどセイラ王女から申し付けられた俺専用の小間使い――なのだそうだが、察するに、きっとそういう存在なんだろう。

一度は、一丸となって巨悪を打ち倒した仲だというのに、やはりどこの世界においても変わらないものなのだろうか。

虐げられる者と虐げる者は、必ず両立し、どこにでいるのだろうか。

 けれど、今の俺にはどうしようもできない。それこそ国家の方針に口を挟むことになるだろうし、俺にそんな力はない、はずだ。こうして彼女の行く末を案じることしか、きっとできない。現に今がそうであるように。

 すぐに追いかけて、安直なセリフをかけてやるべきだろうか。君は俺が助けるから、と。そんな無責任極まりない言葉をかけてやるべきだろうか。

それは違うだろう。できもしないことを言うことは、やってはならない。言うのならもっと違う状況で、もっと自信に溢れた言葉をかけてやりたい。

 だからこそ、もっと気合いを入れなければ。なにしろこの俺を必要としてくれる人がいる。

俺は、伝承に残された勇者というやつらしいから。



 グランガイアという異世界に拉致されて二日目の朝。といっても、初日はここに来た時点ですでに深夜を回っていた――そのほうが霊素が練りやすく、また、空気中にある霊素も活性化するので俺を呼び出すのに最適だったとか――ので、少しばかりの状況説明を受けてすぐさまベッドへと倒れこんだのだ。

 目覚めはよかった。なにせ、寝台からマットレスから布団からシーツからベッドメイキングまでが超一級だったのだ。安眠も捗るというものである。むしろこれで安眠するなというほうが無理だ。

 さて、とりあえず寝床から出たのはいいが、いったいどうしたものやら。

 勝手がわからない部屋の中で困り果てること数分。ようやっと、昨日リオがいっていた鈴のことを思い出す。やはり未知の経験の中で混乱しているのだろうか、などと考え、いやいやそんなことよりもっとえげつのないものを身をもって知ったばかりじゃないかと考えを改める。

 ……そうか、俺、死んだんだっけ……。

 ある程度間を置き、なおかつ一度睡眠を挟んだからか、あの召喚の間とやらにいたときよりも明確に、俺はそれを思い出した。

 ――――孤独。

 ――――諦観。

 ――――寂寥。

 ――――なにより、絶望。

 世に存在するありとあらゆる闇に呑まれんとするあの感覚を言葉にすることなど、決して叶わぬことだろう。悲壮感などありはしない。絶望の果てにはさらなる絶望のみがある。あの場に限って、世界の希望、そしてその輝きなどは消え失せていた。

 あのとき、ただ死だけが俺を覆いつくした。

 怖くて、恐ろしくてたまらなくなって、自分の身体をかき抱くようにしてその場にうずくまる。そんなことで、思い出してしまった死の感覚を払拭できるわけもなく、なおのこと身を縮こめる。

 なにが、勇者だ。世界の命運だ。邪神だ。

 やっぱり、そんなもの等俺にはなんの関係もないじゃないか。そも柄じゃない。他力本願なのが気に食わない。なにより、俺は押しつけがましいのが嫌いだったではないか。

 そうだ。俺にはもうなにもないのだ。全部、全部、死が奪い去っていった。

 そう、虚無だ。

 無色で、透明で、皆無。

 それが、俺だ。竜胆周だ。

 ――――では、昨夜、あの獣人を胸の内で気遣ったのは何故でしょう。

 不意に、頭の中で綺麗に澄んだ声が反響した。

「っ、誰だっ……」

 ――――あの少女を気遣った貴方も、無色で透明、虚無であり皆無であったと。そう思いますか、周。

 母親が我が子を窘めるような優しさと慈しみをその声に感じた。不思議と死へ向いていた意識がなにか暖かいものに包み込まれ、ゆったりとした安堵感が凍えきった身体を芯から温めてくれた。

 ――――お答えなさい、周。今の貴方、これからの貴方にとって、とても大事なことなのです。

 きっと、この声の人物ならば大丈夫だろう。俺の内心を、誰にも告げられぬ秘めたる深奥を託すことができるだろう。なぜか唐突に、そう思えた。

 無条件に俺を信じさせるなにかを声の主は持っているのだ。

「お、れは……、俺には……、なんにもないから、だから……」

 ――――だから……?

 その相槌は、どこまでも優しさに満ちていた。

「だから……、せめて、せめて……」

 それでも、やはりここから先は俺以外の誰かに踏み込んでほしくない場所だった。故に、口を噤んでしまう。けれど、声の主がいわんとすることはなんとなしにわかった。それだけで、今は十分なようにも思えた。

 そして、今度は先ほどとは別の声が頭の中で反響した。

 ――――ああ、ああ、おもしろそうなやつと一緒になったのはいいが、なんでお前までいやがるんだよ。

 ――――かの邪なる神の横槍の仕業かと。ちなみに、周は元々私のもので、割り込んだ形になるのは貴方であることを重々承知していてくださいね。

 ――――ふんっ、知ったこっちゃないよ。相も変わらず独占欲がお強いこって。……まぁ、いいさ。これはこれでおもしろそうさね。

 ――――ええ、それに関しては全面的に同意します。……けれど、そのおかげで未曾有の事態が引き起こされてしまいましたが……。

 ――――ああ、そのことじゃああたしも腸が煮えくり返ってるんだ。それに、あんたが気にすることでもないだろうさ。

 ――――ですが……。いえ……、此度はこのあたりでお開きとしましょうか。では、周、私たちの仕手よ、頑張ってくださいね。

 ――――そうそう、あんたはいつもお堅すぎるんだよ、まったく。んじゃ、あー……、周、程ほどに頑張るんだよ。……ほんと、こういうの柄じゃないんだけどねぇ。

 そんなやりとりを最後に、二つの声は聞こえなくなった。

 その声の応酬に俺はしばらくの間、正体など知る由もない何者かたちの登場に呆然として、それから、とりあえず空腹を訴える腹になにかを詰め込むため、リオに手渡された鈴を鳴らすのだった。

 考えてもわからないことなど、初めから考えないに限るのである。






 勇者。俗に精霊の使徒ともいわれるその存在は、その名称から読み取れるとおり、悪しき存在に立ち向かう者に付随する通り名のようなものだ。

 勇ましい者。そう書かれる彼らの呼び名は、このグランガイアにおいて、精霊の使徒というもののほうが事実に基づいている。

 精霊の使徒と、彼らがそう呼ばれる所以は彼らの尋常ならざる超常の力の根源にある。

 世界、すなわちグランガイアを創造した三柱の神は、世界を創りあげると、その世界のすべてにその存在を肯定する概念である名を与え、次に、世界を見守る者たちを生み出した。これが精霊といわれる存在だ。かつて調律者ともいわれたそれは、創造主たちが限りなく自分たちに似せて生み出した神の縮小種とでもいうべきものだった。

 グランガイアのありとあらゆる場所に幾億数の精霊たちがひしめき合っており、その力は、そよ風を吹かせる程度のものから天変地異を引き起こす程のものまで多種多様。中には創造主三柱と同列に祭り上げられる精霊もいるとか。

 そして、その精霊たちを束ねる六体の精霊がいる。先程の神格化された精霊という存在の筆頭である。

 二天の精霊――光の国シャイナスが祭る光精霊クリア、並びに闇の国ダスクアが祭る闇精霊イレイザーを頂点に据え、次いで四聖の精霊――炎の国プロミナーが祭る炎精霊イフリート、水の国ウォーリリアが祭る水精霊ウンディーネ、風の国ウィンドルスが祭る風精霊シルフィード、土の国ガイアナが祭る土精霊ノームの計六体。

 これらが精霊の頂点、グランガイアの調律者、世界のバランサーである。

 勇者というのは、この六体の加護を授かった存在のことで、現界において影響力がありすぎる六体に代わり彼らの代行者、仕手となる存在のことなのだ。故に、精霊の使徒。

 それが俺という存在、らしい……。

 というのも、異世界二日目という今日になって未だに実感がないのだ。今の話だって、起床後、リオに手伝われながら着替えている途中に彼女から聞いて知ったものだし、なにより俺にそんな大層な力が備わったとは到底思えなかった。拳を握りこめば、なるほど骨が軋むくらいの音は聞こえてきそうだが、それだってなんの確証にもなりやしない。リンゴくらいなら、俺の元々の握力でも握り潰すことができた。剣道有段者の握力は伊達ではないのだ。

「使徒様、あの、朝餉のご用意はすでに整っていますので、お、お連れしますね」

「あ、ああ、頼む……」

 結局、昨夜と同じように問題の先送りしか選択肢がない。

 これは、もう一度あの王女様に話を聞く他ないか。などと考えつつ、必要以上に低姿勢かつ距離を取りたがるリオに連れられた俺は、行く先から漂ってくる芳しい香りを感じながら食堂を目指すのだった。



「おはようございます。昨夜はよくお休みになられましたか?」

 絢爛な絨毯が敷き詰められた食堂へと一歩踏み入ると、すでに着席し、どうやら俺を待っていたらしい様子のセイラ王女がにこやかに挨拶を告げてきた。

「あ、ああ、おはよう……、ございます」

 やはり、俺は下手に出るほうがいいのだろうか。相手は王女様なのだし、ここはいろんな意味で俺がいたところ――日本とは違う場所なのだから。

「ふふっ、あまり堅苦しくなさらなくて結構ですよ、勇者様」

 どうやら杞憂だったらしい俺の気遣いは、けれどやはり続けさせてもらうことにした。

 相手はよくても、こちらが納得いかないということはままあることだ。

なにせ相手は王族で、俺は一般家庭出の小市民なのだから。

「さ、どうぞ、そちらにお掛けになってください、勇者様」

 座ったまま首を傾げて微笑むその姿があまりに綺麗で、数瞬ほどの間、セイラ王女に見惚れる。

 胸の内が酷く熱く脈打つ。

 過去何度か経験したことのあるその感覚は、一目惚れだとか、運命の出会いだとか、定めだとか、そんな言葉で表されてきたそれだろう。

 死んだと思えば、わけのわからない世界に連れてこられ、傍迷惑な責任を背負わされ、その上、さんざ死にたいと思ってきた俺がこんな感情を他人に対して向けている。

 本当に、どれだけおめでたい造りをしているのだろうか、俺の頭は。

「どうも……」

 促されるままに腰を下ろせば、給仕の女性が颯爽と出てきて、流れるような動きで湯気を立ち昇らせるいくつかの皿を配していく。

「我が城のシェフが腕によりをかけた品々です。どうぞ、お口に合えば幸いです」

 色とりどりの皿々は、たしかにおいしそうだ。が、しかし、朝はそんなに食べられないんだが……。

 朝食がすむと料理の載った皿は片付けられ、さも当然のようにティーカップに淹れられた紅茶が出される。

「いたれりつくせりだな……」

 一人ごちると、いつの間にやらティーカップに口をつけていたセイラ王女が纏う雰囲気を変えた。その真剣な空気に触発され無意識の内に姿勢を正した俺は、対面に向かい合って座っているセイラ王女と改めて視線を交差させた。

「さて、勇者様。こうして一息ついたところで……、どうですか、この世界は」

「どう、と言われても困ります。俺は、まだこの世界を直にこの目で見たわけでもないんだ」

「そう、でしたね……」

 そこで一度会話が途切れ、やや長めの沈黙が二つのティーカップが並ぶ卓を覆った。

「……事の顛末は、昨日、私が話したとおりですし、細かいところは昨夜勇者様の付き人となったあれから聞かれたことと思いますが……、勇者様、もう一度言わせていただきます」

「ええ……」

「勇者様、リンドウ様。どうかこの世界――グランガイアを邪神の侵攻から、お救いください」

 華奢な喉から紡がれる切実な願いを俺は、無碍にはできない。

 なぜなら、俺は勇者で、世界の希望で、力を得てしまった者なのだから。

「とりあえず戦うことは、しますよ……」

 それだけ返して、俺は一人立ち上って食堂を出た。

 これ以上なにかを口にすることはなぜだか憚られた。


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