船の着いた村で
日の傾きを実感する瞬間は、果てしないと思えるほどに広がる海がいつの間にやらオレンジ色に煌めき始めたのに気が付いた瞬間だ。浜辺や岸から見た人達は、まさに絶景、美しい景色だと口々に言うだろう。
新人の水夫の青年は、このきらびやかなオレンジに染まる海をつい憂鬱な目で見てしまう。美しいとは思う。彼の審美眼が初めての航海で衰えたわけではない。
オレンジに染まる海は他ならぬ夜の訪れである。船での夜は実に酷い。揺れる、うるさい、狭い、ついでに男くさい。他に選べる仕事があれば、こんな仕事は絶対に選ばないだろうに。後悔しても後も祭り。青年は粛々と初仕事のウェスタンブールへの荷物の輸送を済ませ、王都への帰路についている途中だった。
青年は頭を振って、今日は違うと気持ちを切り替えた。
「碇をおろせー!」
船長のしわがれながらも力強い声が響いた。
「……ふぅ」
青年水夫もちょうど雑用を済ませたところだった。今晩はあの男くさくて狭くてうるさくて揺れる船室で眠る必要はない。一晩だけではあるが、海辺の村で休む予定になっているのだ。
「よっしゃ、今日はここいで一休みだ!」
船長の一声に、他の水夫たちの口々からも安堵の声が零れる。全員が先輩だが、話を聞くに全員が新人の頃には自分と同じ不平不満を抱いていたそうだ。今は慣れた、と言ってはいるものの、やはり不愉快な感覚があるのを、完全に無いものと扱うことはできないようだ。
「わけえの。おめぇに一杯おごってやるよ」
肩を叩かれて振り向くと、長い白髭の船長も嬉しそうな顔をしていた。
「あ、ありがとうございます」
青年は遠慮がちにお礼を言う。
実のところ、酒をご馳走してくれる申し出は願ったりかなったりだった。船上で飲める酒はラム酒ばかりで辟易していたのだ。量にも限りがあり、濃さはあるもののすぐに酔いがさめてしまうラム酒では物足りない。ウィスキーでもビールでも腹に来て、たっぷりと酔える酒を飲みたい気分だった。
わくわくと踊る気持ちを面には出さないように心掛けながら、船長の後を着いていく。船長がはしごで降りようとしたとき、橋場に駆けてくる同僚の水夫の姿があった。
その水夫は眉がくっつきそうなほどに眉間を寄せて、船長を見上げて、
「船長、つける場所間違えてません?」
と、訊いて来た。
「馬鹿野郎。俺が何年この仕事で飯食ってると思ってんだ!」
船長はたいそうな自信で反論する。若いころから働いているとすれば、二十年か三十年はこの辺りで船を乗り回しているだろう大先輩。そんな相手が船をつける場所を間違えるとは、青年にも想像がつかなかった。
「ですがここ、何にもないですよ?」
下の水夫はなおも疑問を呈してくる。
「はあ? 何言ってんだ。さては隠れてラム酒を飲みまくってやがったな」
やれやれ、話にもならんなと呆れ顔で船長が梯子を下りた。それに青年も続く。
海辺の村は降りてすぐにある。歩いていけば一分たりともかからないようなところだ。むしろ、この橋場も村の一部と言っても過言ではない。
「……船長」
ゆるりと歩き、村のある一にまで到達した……はずだったのだが。
「なんだ、こりゃ」
ぐるりとあたりを見渡しても、家屋は一つたりともない。石を敷いた明らかに人工的な道はあるものの、その道を活用するはずの人の気配は全くない。
「本当にここであってるんですか?」
青年水夫もついには船長が間違っていたんじゃないかと思えてきた。
船長は力強く首を振った。
「間違いねえ、ここで違わねぇ……どうなってんだ、こりゃあ……」
確信はあるのに、目の前の現実が違うのではと訴えかけてくる。そんな現状をどう処理して良いのやら、船長も決めあぐねているようだ。
青年も再度あたりを見渡す。確かに、家屋や人の姿はないのだが、ちらほらと落ちている物がある。自然には作れないものが。
「何かあったような名残もありますが……これとか」
その内の一つを青年水夫は手に取って、船長に見せた。
「なんだこりゃ。鉄の杭か?」
大人の腕くらいの太さと、ひじから先くらいの長さの杭。
「多分、よく畑の獣避けに使う杭ですよ」
青年も前に見たことがある。この辺りや王都じゃ滅多に使わないものだから、ウェスタンブールに行ったときにでも見たのだろう。
船長はその杭をまじまじと見つめ、うーん、と唸った。
「……にしては、新品みてぇにきれぇじゃねえか。ここは生産地でもないはずなんだがぁ……」
何もない土地、そこに残った新品同然の鉄の杭。それがどのような真実に繋がるのかは、彼らの知っている常識からは辿り着けるものではない。
船長の言う通り、本当にここには村があった。
そこで何があったか、彼らは知らないだろうし、知ることもないだろう。
ども、作者です。
一週間でなんとか更新再開の目途が立ちました。
次回からちょっと更新を変えようかなと思います。今回は区切りが多いので。




