土砂降りの空の下
土砂降りの雨が降るウェスタンブールの港。荒れ狂う波が停泊した船をぐわんぐわんと揺らしている。
海に近いウェスタンブールでは、急な豪雨が珍しくない。漁師や交易船に乗る船乗りたちは、土砂降りに見舞われる海を港から眺め、今日はもう出られないな、今出ている船は大丈夫なのだろうか、と口々に呟くものだ。
ただそれは、平時に限ってのこと。今は違う。
港に立つ二人の若者は荒れる海も濡れる足場も、降り注ぐ雨にも空を覆う黒雲も、土臭さと潮の匂いが混ざるのも、気にしてはいなかった。
リオの両手で持ったカタナが、降り注ぐ雨を切り裂くように、右上から斜めに振り下ろされる。
標的となっているアーニィは濡れた眼鏡越しのよどんだ視界で、その動きを捕えると後ろに飛び跳ねて避けた。
着地の瞬間に飛沫が舞った。水たまりに足を突っ込んだらしい。
しかし、アーニィはそれを気にも留めずに、間髪おかずに攻めてくるリオを見た。
赤っぽいくせ毛は雨に濡れてべったりと肌に張り付いている。滴る水にも負けずに見開かれた目は、死んだ魚のように濁って虚ろな瞳にアーニィを移している。
アーニィは次の攻撃を察知した。リオはカタナを横に寝かせ、腕をたたんで上半身を右に回している。右から真横に薙ぐ構えだ。
リオにしては分かり易い構えだと思った。あまりにも露骨。容易に避けられそうだ。
アーニィがさらに退くかと足を下げたとき、かかとに何かが当たった。水を吸って重くなった木の破片、ノウの持つ妖刀によって持ち上げられ、落下してきた船の破片だった。
アーニィの背後にいくつもの破片が散らばっている。現にいくつかの隙間はあるが、船を作っていた木材が砕け、無造作に転がっている。
退くのは得策ではない。だとすれば……。
アーニィが避ける道筋を立てている間に、リオが接近してきた。
白刃が雨を切り裂き、横殴りに襲いかかってくる。
予想通りだ。アーニィは身を屈めて避けると、身を伸ばしながら駆け出し、リオの脇を抜けた。
リオの脇を通る一瞬に、一つの考えが脳裏の過る。振り抜いてがら空きになった彼女の側面は隙だらけ。責めるには絶好のチャンスだと。
結果、アーニィは駆け抜けただけで攻撃はしなかった。
攻撃など、出来るはずがない。両手に握った短剣と長剣は今や飾りでしかなかった。
リオの攻撃は防ぐことだって簡単にできるだろう。
リオへの反撃は確実に決められたはずだ。
でも、できなかった。
振り抜かれた妖刀が、立っていた一際長い木材を切り裂いた。からんと落ちる木材の上部と、残った下部が繋がっていた部分、切り口はかなり綺麗で、もともと繋がっていなかったと言われても信じられるくらい。
いくら切れ味のいい剣だからと言って、木材をあんなに簡単に斬ることなどできない。のこぎりで斧で、木目に沿って切ったとしても、切り口を完全に平面にすることなどできない。家や船で使われているような木材も、鉋ややすりで削る手間をかけて平面にする。
しかし、リオの持つカタナはそれを実現している。しかも、あの妖刀は鉄でも石でもあの木材と同じように斬る。今や半分になってしまった鈍剣がその一つの例だ。
アーニィの持っている剣で防ぐことなどできようものか。
おまけに避けて反撃をしたくとも、操り手がリオである以上……アーニィが剣を振るうことまでもできそうもない。
リオが再びアーニィに体を向けると、すぐに動き出した。
走り、近づくとカタナを振り上げた。
振り下ろしてくる。
そう思ったアーニィは横っ飛びに避ける。
空ぶったカタナは止まることなく、石造りの港の地面に突き刺さった。
突き刺さっても、勢いは止まらない。リオが自分自身の力で止めるまでは、石の地面を切って動いた。さながら水の中で手を動かしているときのような抵抗の無さ。
あんなもの、受け止めらるはずがない。剣も破壊されてしまうばかりでなく、近距離で受け止めればそのまま自分まで真っ二つになるだろう。
アーニィが忌々しげな眼でカタナに視線を注ぐ。リオの手元で、雨雲に覆われた空を写して鈍い光を放ち、濡れた刃紋は這いずる蛇を思わせる。ぞくりとアーニィの背に悪寒が走った。
あのカタナ、妖刀に違いない。異常な切れ味もさることながら、平時とは違うリオの闘い方や言動も摩訶不思議な妖刀の仕業とすれば、すんなりと納得できる。アーニィの見てきた妖刀も自然のものとは思えない常軌を逸した事態を起こしてきた。それを知っていた彼は、今の事態も呑みこむことができた。
どこで手に入れたのか、なぜリオが妖刀を手にしたのか。
疑問に切りはないが、今は解き明かしている余裕もない。
リオがアーニィ目がけて突進してくる。構えは突き。
リオは額に当たる雨粒をものともせずに突っ走る。猪突猛進のイノシシの牙のごとく倒して切っ先を前に向けた妖刀が、アーニィに狙いを定めている。
まだだ。アーニィは迫りくるリオを待ち構えるように、両足に力を籠めてその場で立ち、身構える。
先ほどアーニィがリオの脇を走り抜けて攻撃を避けたおかげで、距離を取れている。開いた距離を考えもせずに、相変わらず妖刀は分かり易く構えられている。今すぐにでも、避けることはできただろう。さらに距離を離す、あるいは左右に広がるがれきの中に足を踏み入れる、避ける手段はいくらでもあろう。
しかし、アーニィが選んだのは、ぎりぎりで避ける選択だった。
あっという間に、リオはアーニィの目前に迫っていた。
最後の一押しと言わんばかりに、妖刀を掴んだリオの腕が伸ばされる。
今だ!
アーニィは正面から左に上半身を捻る。彼の腹に目がけて刺突されるはずだった妖刀は、寸でのところで虚空を突いた。
避けた直後のアーニィはすぐに駆けだした。こちらも先ほどと同じく、リオ脇を通り抜けて、再び距離を置こうとしたのである。
ただ、駆け出した瞬間。リオとすれ違う瞬間。
妖刀を突き出したままの格好のリオの姿が目に移り、脳裏に今こそがチャンスだ、とまたも思い浮かんだ。
しかし、またも再び通り過ぎるのみで留めた。
距離を置きながら、攻めようと思い浮かんだ自分の思考を責める。
リオに攻撃ができるものか。
でも、攻撃をしない限り逃げ続けることしかできない。息も上がり始めている、足場も不安定、いつまで避け続けられるのか。先の見えない闘いに不安があるのも事実だった。
どうにか現状を打開すべきだが、どうやって?
アーニィはリオとほぼ同時に振り返って、お互いに目が合った。
アーニィの視界に鈍く光る妖刀の刀身が映った。
……そうだ。このまま果てしなく逃げ続けるだけじゃなく、まだ攻める方法があったじゃないか。
リオを相手にしていたせいか、冷静さが欠けていた。こんなことにも気が付かなかっただなんて。
今のリオは、あの妖刀を手にしたせいでおかしくなったのだ。
ならば、あの妖刀をなんとかリオの手から離すことができればいい。
一番に思いつくのは、剣とカタナとの打ち合いから、無理やり腕力で弾き飛ばすという方法。二番目に思いついたのは、腕ごと斬り落とす方法。
どちらもナシ。
前者は妖刀のせいでこちらの剣がダメになり、後者はそれこそアーニィにできることではない。
アーニィは頭を振って、二つの思い付きをかき消した後、三番目のアイディアを頭に浮かべ、それを理解するように呑みこんだ。
妖刀、つまりはカタナだ。カタナの形状は片刃で刃の背には峰がある。刃のないただの鉄の棒と相違のない部分だ。
そこであれば、いくら妖刀と言えども自分の剣を切ることはできまい。そこを叩けば、腕から落とすこともできるかもしれないし、あるいは折ることもできるかもしれない。
折るのは少々気がめいるが、今は自分の信念などを尊重する余裕はアーニィにはない。
他でもない大切な家族、傷つけずに助けられる可能性があるのなら、それに賭けるしかない。
アーニィはこれまでの回避優先の行動を否定し、僅かな機会を見逃さないようにそれぞれに剣を掴む両手に力を籠める。
好機となるのは、リオがカタナを突き出したときか振り下ろした時だろう。
アーニィが身構えている間に、リオが次の行動に出た。
水たまりに勢いよく足を踏み出し、全力で走ってくる。妖刀に操られしリオは足場の悪さにも、雨による視界の悪さにも、目もくれない。
アーニィにはどちらも無視できない。特に視界の悪さは、眼鏡を掛けている彼にはリオ以上に厄介な要素だ。
雨に濡れて蜘蛛の巣が張られたように悪い視界の中、アーニィは正面から走り寄るリオの一点にのみ注視する。
構え。走るリオは両脇を締め、カタナの尻、柄頭を右わきに当てるような構えを取っている。
一直線に走ってくる姿からも、一見すると突きの構えのように捉えられる。
アーニィもそう思った。
ただし、まだ距離は離れていた。アーニィは両足に力を籠め、いつでも地面を蹴られるように、すり足で足元を確かめながら、右手の親指で左側の眼鏡を拭った。
そして、一瞬の開けた視界の中で。
前に切っ先を向けて倒されているカタナの刃の向きが外側に向けられているのを見逃さなかった。
分かったぞ。突きの構えをしながら、避けられた時に備えてすぐにカタナを外に向けて振れるように備えている!
結論に至った時には、リオは目前に迫っていた。
リオが突き出すその瞬間。
アーニィは体を右に捻って、突きを避けた。
リオが咄嗟にカタナの向きを変える。
しかし、彼女がカタナの刃を自身の左に向けて、右足を軸に回転するようにカタナを振るったときには、アーニィは既に駆け出して、カタナの届く範囲から抜け出していた。
ただの突きだったら、チャンスだったろうに。
アーニィは悔しがりながら、もう一度チャンスを待つ。
リオは一度、だらんと両手を下げたままアーニィに体の正面を向けた。虚ろな目がアーニィを捉え、ゆったりとした動きでカタナを構える。今度は自身の正面で、カタナを横向きにした構えのまま、走ってきた。
突きではない。構えだけを見れば横にしたカタナを、そのまま横に振り抜いてくると予想できる。
ただ、さっきのようなこともある。見え透いた構えだけではなく、こちらの予想を想定に入れているようなフェイントも使ってくるかもしれない。
アーニィは再び眼鏡を拭いて、開けた視界で近づいてくるリオに注視する。
カタナの切っ先がわずかに斜め上に向いている。
ただ、横から振ってくるだけではないかもしれない。あの構えならすぐにカタナを振り上げて、振り下ろしてくることもできるだろう。
いずれにしろ、今や構えだけで動きを判断するのは危険だ。
また限界まで引きつけて、そこで咄嗟に判断するしかない。
リオが近づいてきている間に、周辺の足場を確認した。
前後は水たまりがあるだけだが、左右には船の破片がある。もし振り下ろしてきた場合には、寸前で横っ飛びに避け、それからすぐに妖刀に攻撃する必要がある。それが振りおろし攻撃をされたときのチャンスを生かす、数少ない方法だ。
待ち構えるアーニィの元に、リオが到達した。
力を込めた両腕の動きは、体の正面から右肩の上へ。
斜めに振り下ろしてくる!
アーニィは濡れた地面を強く蹴って、体を左にずらしながらジャンプした。
右上から左下へ斜めに振られた妖刀は空を切る。
アーニィは左側の船の破片が転がる不安定な足場に着地する。
片足が、石の地面に転がる木片に乗った。
がくん、と膝が曲がる。木片に乗った足が滑り、倒れそうになる。
しかし、アーニィの視線の先には、振り下ろされてがら空きになった妖刀の峰がある。
このチャンス、逃しはしない。
「うおおおおおおおおおお!!!」
雄叫びを挙げながら、右手で掴んだ長剣を妖刀目がけて思い切り振りおろす。自分が倒れかけている勢いも、この長剣に乗せるつもりで、全力で叩きつける。
剣は空気を押しつぶすように真下のカタナへ一直線。
しかし。
妖刀に長剣が触れ合うか、というその瞬間。
カタナがぐるん、と反転した。
リオが急に手首を返し、刃を反転させたのだ。
それにアーニィが気付いた時、もう手遅れだった。
アーニィの長剣が上下半分に割れた。
妖刀が下から上へと掬い上げられるように振り上げられ、音もなくアーニィの長剣を切り裂いたのだ。
「……なっ」
アーニィは絶句しながら、がれきの中に体を突っ込む。
ちくしょう、作戦は失敗だった。アーニィは歯を噛みしめる。がれきに突っ込んだせいで、体に鋭い痛みが走っている。打ち付けただけじゃなく、尖った木材で体のいたるところを切ってしまったらしい。流れる血の味が口の中にも感じる。吐血はしていない。噛みしめる悔しい血の味だった。
妖刀を使う女、ノウは墓石に腰を下ろして雨空を見上げていた。ザーザーと土砂降りの雨は一粒一粒が同じものはない、常に移り変わる景色だ。
それを眺めるノウの心は、なかなか変わらない。待ちぼうけを食らった子供のように足をばたつかせていても、水気でおでこに張り付いた髪の毛を拭っても、エンブはなかなかやって来ない。
全く持って退屈だ。フードを被っていても、フード自体がびしょびしょに濡れているせいで、ちっとも効果が無い。右肩にかけたお下げに結んだ後ろ髪も、水気を含んで酷く重くなっている。
この髪の毛でもほどいて待っていましょうか。
お下げを手に持って、そう思ったときだった。
ざっ、ざっ、と足音が後ろから聞こえてきた。
「退屈していたんですよ……お?」
エンブ達がやっときた。そう思って振り返ったノウの顔に、驚きの表情が浮かぶ。
墓場に足を踏み入れたのは、見知らぬ中年の男性だった。腰に剣を二つ差している。
「どちらさんです? お墓詣りならごめんなさい。この通り、ちょっと荒らさせていただきました」
手を広げて辺りを見るようにノウが促す。
男、アーニィの父シヴィル・マケインはそれに従うように辺りを見渡していたが、それはただただ掘り返された地面を見ているだけにはとどまらず、この場にあるはずの何かを探しているかのようだった。
「倅がここに来ると言っていたはずなのだがな」
シヴィルがやっとしゃべった。
なんだ、ただの待ち合わせですか。
「見ての通り、ここにいるのは私だけです。安心してくださいな、お子さんは下にもいませんから」
墓の地面を指さして、イタズラっぽく言った。
「そうか」
冗談に対するシヴィルの反応は特にない。面白くなさそうに、ノウは眉をひそめた。
こんなところで待ち合わせをするとは、ヘンな人です。
不審に思いながら、ノウはシヴィルをじっくりと見た。傘ももっていないのに、男の服や体は自分と比べると濡れていない。
「あなた、良く見れば雨にあんまり濡れていないようで」
退屈のせいか、ノウは饒舌に話しかける。
「いくつかの家を通させてもらった。妻の言いつけを守らず、傘を忘れてな」
男はなんでもなさそうに答える。
ノウは自分で思うのもなんだが、今の自分が本当に不審な存在だと思っていた。そんな相手から投げかけられた質問に律儀に答えるなんて、よっぽど腹が据わっているらしい。
それに、腰に差した剣。立っているだけなのに隙を感じさせない様子。
どうもこの人はこの街の剣士の一人で、しかも随分と腕の経つ人物らしい。
なら、ちょうどいいです。
「そりゃあ、酷い亭主ですねぇ。少し付き合っていただけませんか? 退屈、してたんですよねぇ」
ひょい、と墓石から降りるとノウはカタナを取り出し、向かい合って敵意の籠った目を向けた。
この男なら、多少力を出しても遊ぶことが出来そうだ。
「……いいだろう。わしもお前に頼みたいことがある。退屈しのぎにはちょうどいいぞ」
言いながら、シヴィルは腰に差した剣の柄の上に腕をかけた。
「お子さん探しですか?」
「いや、掘り返した墓を元に戻させようとな。わしの親友の墓なんだ」
言われて、ノウは足元の掘り返した地面と自分がさっきまで座っていた墓石に交互に目をやった。
「そりゃあ失礼なことを。でも、お断りします。代わりと言っちゃなんですが、錆の味を体と口でお楽しみくださいな。私にできる最大のおもてなしを致しますよ」
顔を上げたノウがカタナを抜いた。錆だらけの妖刀だ。
それを見て、シヴィルも剣を抜く。短剣と長剣の二対の剣だった。
二人が向かい合う。どちらの目にもはっきりとした敵意が籠っていた。
ども、作者です。
長く続く戦闘シーンです。正直この作品で一番苦労した話になったと思います。




