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カタナガリ  作者: リソタソ
オニキリマル
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再開と遭遇

 士官学校の最奥の武器庫。その名の通り、この施設の中では一番奥まった場所に位置する塔なのだが、その付近に建物がなかったわけではない。何に使用していたのかはわからない、何に使っていたとしてもおかしくはない建物が、いくつか塔の周りにあった。

 そう、あった。

 もう既に過去のことになっていたのである。塔以外の建物の内、最後の一つがズドーンと音を立てて、石や木の破片をまき散らしながら崩れ落ちる。

 建物の崩壊が火の煙のように大仰な土煙を上げる。土煙の中に人影があった。人影は土煙に舞い上げられているかのように、宙高く飛び上がっている。

 次第に土煙の中から姿を露わにした。ローブ姿で深紅の刀身の妖刀を持った男、エンブだ。

 エンブは土煙から離れた後方に着地する。びゅう、と強い風が吹いた。土煙が綺麗に掃除される。

 クイーンはハンマーのヘッドを横にし、地面に両足を付けて立ち尽くしている。

 建物の崩壊は、彼女の一撃によるものだった。たった一度、ハンマーを建物の壁にぶつけてしまっただけで、大爆発のごとき大崩壊を招いたのである。彼女を知る人物が口をそろえて化け物と言う理由が良く分かる。

 しかし、他人にも一目見て分かるようなことを、クイーンが知らないはずもなかった。自分が暴れまわれば、士官学校の施設だけでなく、ウェスタンブールの街一つくらいはあっという間に廃墟にできるだろう。

 では、なぜ彼女はハンマーを振るったのか。

 言うまでもなく、撃つべき敵、エンブと戦っていたためである。建物の崩壊は彼女の一撃をエンブに避けられた、その余波だったのだ。

 クイーンが舌打ちをしながらハンマーを引く。その直後、エンブが彼女を目がけて走ってきた。

 深紅の刀身が煌めく。

 その直後にがきん、と激しい鉄と鉄とが触れ合う音が、クイーンの頭上で轟いた。

 クイーンはハンマーの頭を頭上に持ち上げていた。エンブはクイーンの背後数メートル先に、とすんと着地している。

 ほんの一瞬。実に僅かな時間の間。常人の目には見えない早さのできごとだった。

 妖刀を構えたエンブが飛び上がり、クイーンの頭上に振り下ろした。それをクイーンがハンマーで防ぎ、飛び上がっていたエンブは勢いをそのままに、くるりと空中で一回転し、着地したのである。

 繰り返し言うが、これが一瞬の間に繰り広げられた攻防だった。

「へぇ、やるじゃないのアンタ」

 振り返ったクイーンが、ハンマーの柄を肩に乗せて言った。

「……」

 エンブも静かに振り返る。

 まったく無愛想な男ね。だけど素晴らしい男。

「久しぶりに楽しいわ。こんなに熱くなれるのは……いつ以来かしらッ!!!」

 今度はクイーンが飛びかかった。

 エンブの頭上目がけてハンマーを振り下ろす。

 しかし、ハンマーは空を押しつぶし、地面に激突した。

 ごうん、と地響きが鳴る。この地響きは広く町の中心部にも届いたことだろう。ハンマーを上げれば、地面に蜘蛛の巣状の亀裂が入っていた。

 エンブは後退していた。ローブの影に隠れて表情こそは読めないが、さぞ涼しい顔をしていることだろう。余りにも簡単に避けられていた。

 さらにエンブは、飛び退いて避ける間に、一つの行動を完遂していた。

 妖刀を鞘に納めること。

 顔を上げ、深紅の煌めきが隠されたのを間の辺りにしたクイーンは、すぐさま身構えた。

 クイーンはこれまでに二度、その攻撃を目の当たりにしていた。

 来る。エンブは今、次なる攻撃の準備を完了させたのだと、クイーンは即座に理解した。

 ハンマーを横に構え、防御の姿勢を取る。

 それでも、足りない。

 エンブは再び妖刀を抜いた。

 深紅の刀身は、まさに赤い閃光のように煌めく。

 来た。来てしまった。

 クイーンは決してエンブから目を逸らさなかった。エンブとクイーンの間にある距離、四メートル程。建物の残骸がところどころに落ちてはいるものの、エンブとクイーンまでの間に一本の道を作るように、残骸の壁を作っていた。

 その残骸が、ぱすん、ぱすんと軽い音を建てて斬れる。エンブ側の手前から、奥のクイーンの方まで。

 残骸には木も石も鉄もある。

 しかし、エンブの攻撃の前には全ての素材が同一だった。

 まるですべてが紙でできてるように、紙以上に柔らかい素材でできているかのように、均等な断面を作って斬られている。

 太刀筋も読めるようなものではない。上下左右、それぞれの斜め、ありとあらゆる方向から刃が入っている。さながら刃を持ったつむじ風が通り道を切り裂いているかのようだった。

 エンブの元からクイーンの元に届くまで、かかる時間は一秒にも満たなかった。

 それでも、クイーンのハンマーには確かな手ごたえが伝わった。

 直後、クイーンは身を捻った。

 防ぐだけではなく、避けなければ足りなかった。

 しかし、それでも。

 ぱきん、と薄い木の板さながらに、クイーンの右の肩当が割れた。

 いいや、斬られた。下のドレスの糸一つに云万と掛かる生地も裂かれ、肩から溢れる血に染まっていた。

「くっ、こればっかりは防げないわね」

 明らかに、エンブのこれまでの攻撃とは一線を画している。速度が全く違う上に。

 何よりも、エンブはカタナを抜いた姿でぴくりとも動いていないのだ。

 正直に、このエンブの一瞬の猛攻にはクイーンの理解は全く及んでいなかった。

「いったい、なんなのかしらねェ。アンタとそのカタナは相手にし辛いわ。だけど、弱点があるとすればいちいちカタナを鞘に納めなくちゃいけないことかしら?」

 理解はできない。これまでに戦ってきた誰よりも強い。

 だからこそ、クイーンの口元からは笑みが絶えない。最高に楽しい、もっともっと闘いたい。ここまでの相手は初めてだ。とびきりの遊戯だ。殺し合いだ。

 もう一度、あの攻撃をさせてみたい。今度こそは見切ってやる。

 エンブはカタナを構えた。

 どうせなら、鞘に納めて欲しかったのだけど。

 クイーンは物足りなさを感じながらも、再度地面を強く蹴り、ハンマーを振り下ろした。


 ドォォン、と外から地響きが聞こえる。

 片腕の少女ミツの心にまさかはない。全てが予想通りで予定通りだ。彼女の想定に反した事と言えば、彼女の残った左腕にフォーサイスが握られていることだろう。

 クイーンが自らで守ろうとした地獄の大鎌フォーサイス。軍が国が意図的に隠していた封印されし武器。

 得物を持たぬミツは、この武器がいかなる過去を持ち、いかなる性質を持つのかも知らない。知らないが、大鎌は自分にぴったりの武器だと思った。

 フォーサイスを拝借すると決め、ミツは辺りを見渡した。エンブの推理によれば、ここに間違いなく妖刀があるそうだ。

 片腕の少女ミツの心にまさかはない。

 見回してもここだとはっきり見当の付く場所はなかった。筒状の塔の内部は、天井までが吹き抜けで、ただただ大鎌を保管するための武器庫でしかないように思える。

 まさかはない。ミツに疑う気なぞ到底ないのだ。

 ここに間違いなく妖刀はある。あるとすればどこにある?

 空洞の中。壁は全て石造りで、素材一つ一つの厚さ以上はないだろう。 

 では、どこに?

 ミツは視線を足元に下げた。

 花、バラの模様が刻まれた同じく石造りの床。ミツはそこに、手にした大鎌の柄の尻尾を打ちつけた。

 こぉん、こぉぉん、こぉぉ、と音が反響する。上にだけではなく下にも、床の向うにも音が響いているのを、ミツは耳にした。

 ミツは端にまで移動し、大鎌を持ち替えた。地面に大鎌の刃の先をくっつけるように傾け、振るった。

 手前に引くように一度、再度持ち替えて右から左へ、次は斜めに。初めに音は無かった。意志の一つ一つが、水に刃物を入れて動かすときのように静かに、切れていく。

 意志が柔らかいのではない、大鎌の切れ味が異常なのだ。

 斜めに斬りつけた後に、がらがらと音を立て、床の一部が落下した。床の下に長く続く真っ暗な闇の中に吸い込まれていく。

 まだ一部だけだ。床の十数センチの欠片が落ちただけで、そこからではまだ入れない。

 ミツはさらに大鎌を斬りつけた。斬れば斬るほどに、この大鎌の異常さが目に見えて分かってくる。素晴らしい、素晴らしい武器だ。

 ミツは珍しく自分が興奮しているのだと悟った。そのときになって、ぴたりと大鎌を止めた。床の半分くらいが欠けている。

 少しやりすぎた。床の下に隠れたスペースに妖刀があったら、落下した石のせいで壊れてしまったかもしれない。

 露わになった地下に、階段があるのをミツは見つけた。らせん状の階段で、足を置くスペースが非常に狭い。壁にぴったりと腹か背中をはりつけながらでなくては、到底降りられはしないだろう。

 ミツはその階段に足を踏み入れ、階段沿わずに飛び降りた。ところどころで階段に着地し、勢いを殺して下りていくつもりだ。この方法なら時間もかかるまい。

 ミツはあっという間に一番下まで到達した。暗さは酷いが天井たる地上の床を壊しておいたおかげで、わずかながらも光が差しこんでいる。

 地面にばらばらと先ほど斬り落とした床の破片が転がっている。それらを避け、足場のしっかりとしたところを探している最中、全く別のものを踏んだ感触があった。

 木だ。大鎌を壁に立てかけ、片腕でそれを手にした。木の箱だ。重さは多少はあるが決して持ち上げられないわけではない。木箱に乗りかかった石を足でどけ、木箱を持ち上げる。

 細長い木箱だ。赤い紐でくくりつけられ、ふたが開けられないようになっている。

 これだ。これに違いない。長さもカタナを納めるのに十分だ。

 よし、これでエンブの目的を達せられる。任務完了。

 心内に湧いた僅かな満足感を押し殺し、脇に木箱を挟んで手に大鎌を持つ。

 そして、軽妙な足取りで階段を下りた時と同じ要領で登って行った。


「いた! あっちよ!」

 空洞の通路を抜け、士官学校の施設にやってきたイリーナが指を差して叫んだ。

 その方は辺りの建物がめちゃめちゃに崩れて、平原にでもするかのような悲惨さだった。その中で、二人の人が立って相対している。

 連れられてやってきたジュリアとリオもそちらを見る。

 直後、クイーンの持つハンマーとローブの男が持ったカタナが打ち合った。

 ハンマーは振り下ろされ、カタナは下から救い上げるように動かされていた。一見すると巨大なハンマーは見た目通りの重量で、カタナを一瞬でへし折ってしまいそうに思える。

 常識的な考えなど通用しない。カタナはハンマーを支えていた。その薄く細い刀身で、重さと勢いとハンマーを棒切れのように軽く扱うクイーンの腕力を完全に御していた。

 リオは思う。何がこの異次元レベルの闘いを成立させているのか。 

 傷も刃こぼれもない深紅の刀身を持つカタナのせいか? カタナを操るローブの男の実力か? 両方ともか。

 なんであったのにせよ、あのクイーンに傷を負わせている。小さな切り傷、血に濡れたドレスと、ところどころ欠けた鎧。

 あの男は同等、無傷の状態だけを見ればクイーンより優勢だ。

 むろん、クイーンの実力はリオ自身も到底敵わないようなレベルだ。

「これは自分達の出番もありそうですね」

 リオは苦々しそうに呟いた。

 リオはジュリアから何か返答があるかと思っていたが、なかった。

 立ち止まったジュリアは、クイーンへと目を向けているだけだった。

 静かに。

 ただただ目で追うのも苦労する鋼の応酬、圧倒的な速さと力のぶつかり合う。その激しい音を耳にして。

 静かに。

 しっかりとその目に焼きつけていた。

 初めて見る、母の姿を。

 何か特別な感情でも胸の内から湧いてくるかとジュリアはひそかに期待していた。

 期待していたのは怒りだったのかもしれない。これまでの人生に全く縁のなかった、それでいてろくでもない父に自分を連れ去られた、無力な女へのやつあたりのような怒り。

 きたしていたのは喜びだったのかもしれない。自分に母がいた事実、無条件で受け入れてくれる、唯一甘えられる存在を確かめられる喜び。

 結局、感情は何もなかった。

 あるのは確信だけ。ああ、この人は私の母親なんだ、という根拠もなく直感とも違う、ひたすらに純粋な理解だけがジュリアにあった。

 壮絶な闘いを繰り広げるクイーンの視線が、一度イリーナに向けられた。

 直後のカタナの振り下ろしを籠手で受けていなすと、

「イリーナァ! 武器庫に行けェ!!」

 びりりと空気が震えるほどの叫び声で命令した。

「はい!」

 ハンマーをローブの男の脇腹へ目がけて振ったクイーンには、イリーナの返事は聞こえなかっただろう。

 次の瞬間、ローブの男はハンマーを跳んで避け、クイーンはさらなる追撃に集中していた。

 イリーナは走って、塔のような建造物、最奥の武器庫を目指して走り出した。

「ジュリアさん、自分達も向かいましょう」

 すぐにリオがイリーナを追うために走ろうとした。

 けれど、一歩目を踏み出したところで、まだ動き出していないジュリアに気が付いて振り返った。

「ジュリアさん?」

 ジュリアはただ、母とローブの男の闘いを眺めている。

 ジュリアが何を思って二人を、母を見ているのか。リオはジュリアの母がクイーンかもしれない、としか聞いていない。細かい事は分からない。

 だから、リオはジュリアがクイーンとローブの男の闘いに加勢しようとしているのでは、と思った。

「自分達じゃ、残ってもどうしようもありませんよ。巻き込まれたら死にます」

 リオは冷静にはっきりと言い切った。クイーンの猛打に巻き込まれることも、深紅のカタナの錆になるとも、あり得ないとは言えない。いいや、そのどちらかに自分達はなってしまうだろう。リオは自分達が力不足であることを十分に理解していた。

「乱入なんかするもんですか」

 しかし、理解しているのはジュリアも同じだった。達人だからとか素人だからとか全く関係ない。災害の後のような戦火を見れば、誰だってあんなのに巻き込まれたら命はない、自分達ではどうしようも無いことくらい、瞬時に理解できる。

「アンタの見立てじゃ、アタシらの出番、ありそうなんでしょ?」

 少し前のリオの呟きに対する問いだった。

「ええ、きっと……」

 口を開いた時には、その問いかけをした意味がリオには分からなかった。途中で口を噤んだときにやっとわかった。

 自分達に出番があるとすれば、そのときはクイーンが倒されてしまったとき。今現在一方的とまではいかないものの、ローブの男の方が優勢気味だ。

 そこからリオは判断したのだが、倒されるときは同時に死ぬ時でもあると、あまりにも自然に考えていたせいで忘れていたのである。

 死なない場合も、殺されない場合もあるかもしれないが、どうだろう。士官学校に侵入した彼らのことだ。あり得ない話ではないと、リオは思う。

 ジュリアはそれに早く気が付いたのだった。

「ごめん。アタシ、いつ番が回って来てもいいように、準備しとかなくっちゃ」

 ジュリアは槍を取った。

 すぐに飛びかかりはしないだろう。彼女が動き出すのは、クイーンがローブの男のカタナの餌食となったとき。

 まだ息があれば助けるために、もう息がなければ敵を討つために。どちらになるかも、どちらを望んでいるかも、ジュリアは自分の中でも答えを持ててはいなかった。

 ただ、母親だと気付いてしまった以上、分かってしまった以上、何も決意しないではいられなかった。

 槍を取ったジュリアの姿に、リオは決意を感じ取った。

「分かりました」

 なら、自分にできることは。

「イリーナさんには悪いですけど、自分も残ります」

 ジュリアと同じく、義兄の友人を何もせずに見殺しにしないこと。

 ジュリアは片眉を挙げて、リオを見た。

「いいわよ一人でも……どうせ変んないでしょ?」

 ジュリアは訊いた。確かな目と冷静な判断力を持つジュリアに、自分に訪れるであろう結果を。

 リオは首を振った。首肯されるはずだと思っていたジュリアは少し面を食らった。

「いいえ、自分ら名コンビなら、あるいは……」

 にっ、とリオが笑いかける。

 頼もしい味方ね。ジュリアはそう思いながらも鼻で笑い、

「勝手にコンビにすんな」

 と優しく言った。


 平時が懐かしく思うほど、最奥の武器庫は凄惨を極めていた。

 床が破壊され、半円の穴が開いている。

 壁の一部に風穴ができている。

 地獄の大鎌、フォーサイスが無くなっている。

 クイーンの命令通りに武器庫に足を踏み込んだイリーナは、目の前の状況を理解しようとしない自分に気が付いた。長い歴史の中で、この軍事施設は城壁も含め、鉄壁の防御を誇っていたと彼女は良く知っている。まだウェスタンブールが王都と呼ばれていた時代から、大陸を二分に分けた大戦争が終わった後も、歴史の足跡を振り返ってもかつてない事態だ。

 知識が目の前の状況を否定しようとしている。それではいけない。知識による先入観の虚像だ。振り払わなければならない。目に映る確かな現実が実像なのだ。

 まず、現実を目の当たりしてから、自分がすべきことは何か。

 イリーナは現状から分かり得ることを想起し始めた。

 壁の風穴に目を向ける。積み上げられていたはずの石が、外に散らばっている。原型を留めずに砕けたもの、雑に半分欠けているものもある。強烈な力で、内から外に放り出された、と考えればこの風穴を空けたのは、クイーンのハンマー”ミョルニル”なのだろうと、イリーナは推理した。

 対して、地面の半円の穴は違う。一つの長い爪で付けられたような切り傷がいくつも残り、バラの模様がとぎれとぎれになっている。元々あったと思われる地下の空洞は真っ暗で、先に長い空間があることは確かだ。

 この空間はいったいなんなのか。いいや、これは気にせずともいいだろう。

 それよりも、穴を蓋していたはずの床に残る切り傷、暗闇を除ける半円の穴。床を作っていたはずの石材を見てみると、割れているのではなく、綺麗に斬られている。

 そして、フォーサイスが失われている。アレで斬られたのだろう。

 さらにもう一つの要素を、イリーナ自身が知っていることを付け加える。あのローブの男の他に、船にいた片腕の少女がいたはずだ。

 彼女の姿は外になかった。

 そうすると、あの片腕の少女がフォーサイスを奪い、この大穴を空けたのだろう。

 イリーナは穴の中を覗いた。

 暗闇の中から、おぞましい臭いが立ち上っているような気がした。

 しかし、その奥に何かがいるような気配は感じない。階段も壁沿いにかなり細く、らせん状に作られているだけで、中に入るのは困難かつ、外に出るのも難しそうだ。

 とすると、あの少女はもう既に外に出て行ったかもしれない。出られる場所があるとすれば……。

 イリーナが壁に作られた大穴に近づく。そこから外を見ると、崩れた建造物の残骸があるだけだった。クイーンとあのローブの男はここから外に出て、争いを始めたのだろう。

 そう考えた時だった。

 ぞわり、と後頭部からお尻の付け根まで、蛇が這いずるような寒気が走った。

 イリーナの推理は大方間違ってはいなかった。

 過ちとまでは言わないまでも、イリーナには一つの至らない点があった。

 例えエリートと言っても、彼女はまだ学生身分で、一流の兵士でも戦士でも闘いの達人でもないのだ。まだまだ、実戦経験もなく、ネズミがゴミの中で動く些細な気配ですらも、鋭敏に察知できる勘をまだ持っていないのだ。

 だから、遅れた。

 まだ片腕の少女ミツが、この最奥の武器庫にいることに気が付けなかった。

 ミツは塔の上部に身を潜めており、イリーナがその存在に気が付いたきっかけは、とすん、と自分の背後に少女が降りて来たのだと、振り返って目撃したときだった。

 少女は腕に木箱を抱え、膝の裏に大鎌を挟んでいる。

 イリーナにとっての幸運は、ミツが片腕で落下するタイミングで攻撃をされなかったことだ。

 イリーナは振り返りざまに、右足を振り抜いて少女の頭めがけて回し蹴りを放つ。

 しかし、素早さも判断力も少女の方が上手だった。

 がこん、と木箱が落ちる。

 少女の姿はなく、回し蹴りは空ぶった。

 どこに。

 上だ。

 気が付いてイリーナが見上げた時には。

 耳と肩に激痛が走っていた。

 大鎌が自分に向けて振り下ろされている。片腕の少女が空中で振り下ろしていたのだ。

 イリーナの右耳が飛んだ。血が弾けるように迸った。自分がパンにでもなったように、肩と首の付け根のあたりが離れていることに、イリーナは痛みのせいでまだ気が付いていなかった。

 痛みに意識が飛びそうになる。

 しかし、気を失う訳にはいかなかった。まだ、意識は、命はある。

 ここから逃げなくては。

 とっさにそう思ったのは、がらがらと塔が崩れ始めているのに気が付いたからだった。

 少女ミツは、地獄の大鎌フォーサイスは、渾身の一振りで。

 最奥の武器庫を縦に真っ二つに切断してしまっていたのである。


 真っ二つに裂かれた最奥の武器庫は、内に外に、壁を形成していた煉瓦ががらがらと崩れ落ちる。

 一番近場の出口はクイーンが空けた風穴だ。

 脇に木箱を抱え直し、手で大鎌の柄を持ち、先を地面に付けて引き摺りながら、ミツは涼しい顔で穴を通った。

 外に出ると、士官学校の制服をどす黒い血で汚し、地面に横たわっている女がいた。船で出会った、自分が斬った女だ。

 かすかながらも、まだ背中が上下している。

 右肩の半分が外れかかっているが、まだ息はあるようだ。

 ミツは彼女に興味を抱かなかった。じきに死ぬ。それに自身が遂げねばならぬ任務に彼女の命はなんの関わりはない。

 倒れ伏したイリーナの脇を素通りし、ミツは馬鹿力の女クイーンと我が主エンブが破壊しつくした建物の残骸を縫って歩いた。

 エンブの姿が見えた。

 彼はまだ、クイーンと闘っている。クイーンのハンマーは、一撃でも当たれば命はない。振り下ろしたハンマーをエンブが避ける。

 直後にエンブがカタナを斬りつける。余裕の動きだ。その一撃はクイーンに避けられてしまうが、それで当然だろうと、ミツは思う。

 エンブとはまだ短い時間しか共にしていない。彼の桁外れの実力を数かいほどしか目撃していない。そのどれも、本気とは言い難い、軽く小動物の命を奪うような手抜きだった。

 それは今も変らない。クイーンもまだ手を抜いているようだが、エンブもただ軽くいなしているだけのようだ。

 手を抜かなければ、すぐに終わってしまう。エンブはきっと、この闘いを楽しんでいるのだろう。お互いに手を抜きあって闘えるほどの相手は初めてだから。あるいは、目的があるため本気で闘う必要がないから。

 ミツは少し迷った。主の楽しみを邪魔してもいいものか、と。

 ミツにまさかはない。自分は果たすべき任務をただ果たすのみ。果たした後はそれを報告する。そこまでも含めて任務を遂行することなのだと、彼女は今よりも幼いころから教え込まれていた。

 だから、ほんの一瞬の気の迷いを振り切った。

「エンブ、妖刀を見つけた」

 ミツは大鎌を置き、静かで掠れた声を張り上げて、エンブに聞こえるように言った。

 エンブは返事をしなかった。返事の代わりに、クイーンから離れ、深紅の妖刀を鞘に納める。

 ミツの声が聞こえたのは、当然エンブだけではない。

 ジュリアとリオも、ぎょろりと目を開いてミツを見た。

 ジュリアは思った。

 あの妖刀って、アーニィ達が探しているものじゃないの、と。

 リオは思った。

 あの少女は船で出会って、船で落ちてしまった、あの女の子じゃないのか、と。

 鞘にカタナを納めたのを見て、クイーンは再びあの攻撃が来るのだと察した。今度は完全に対処してみせる。クイーンは自信と確信をたぎらせて、ハンマーを構える。

「女……楽しかったぞ」

 不意に、これまで全く言葉を発しなかったローブの男が口を利いた。

 別れの言葉のようね、とクイーンは思った。

「早すぎるんじゃないの? 本気でアタシを楽しませてくれるのなら、もうちょっとこらえ性が無いとダメね。アタシはまだ、終わらせるつもりはないわよ?」

 クイーンには余裕があった。まだ本気を出していない。

 しかし、表情から余裕の色が突如として消えた。

 エンブが納めた妖刀を構える。左手で持った鞘を左の腰に沿えるように当てる。右手は唾の真下の柄を掴んでいる。

 一瞬、酷く静かになった。

 言うまでもない、嵐の前の静けさ。

 クイーンとリオは気が付いた。

 空気に電気が走っているかのように、びりびりと顔の肌が痛んだ。

 クイーンは即座に動いた。アレは防げない! 攻撃をさせる前に、討たなければならない!

「ジュリアさん!」

 リオは声をかけ、すぐにジュリアへ向けて飛びかかった。

 ジュリアは一瞬、何がなんだかわけがわからなかった。されるがままに、リオに押し倒される形で、地面に転がった。

 一秒も間をおかず、深紅のカタナが舞った。

 空気がしん、と静まり返る。次の音が辺りに訪れるまでの時間は短くも、長かった。

 まず、木、石、鉄のかつて建物であった残骸が斬れた。鉄は切り口から上の部分が僅かに浮かび、石は斜めにずれ、完全に真っ二つに切り裂かれている。

 残骸が両側を挟んで形成していた道の地面にも切れ込みが入っている。

 それらがいくつも。切り傷も斬られる残骸も、距離の概念を忘れてしまうほどに時間差がなく、あまたに生じている。

 それらの事象をクイーンが目の当たりにしたとき。

 目に移った像を頭の中が認識したとき。 

 彼女の口から血が溢れた。

 認識が追いつかなかった。クイーンにしてみれば、口から空気を吐き出すのとなんら変わりがないほどに、自然と血が出てきたのである。

 そして、痛み。

 痛みを認識したときはもう、次の段階に来ていた。

 斬られた残骸が、どどど、と地面に落ちる。

 それに続いて血が噴き出した。今度は口からではなく、傷口から。クイーンの左肩から右の腰、骨盤の出っ張った辺りまでに、袈裟状に細長い切り傷ができていた。

 そこから、どばっと、血が噴き出している。

 うそ……。

 早いいつの間に見えなかった防げなった避けられなかったアイツは動いていないどうやって何が起きた傷は深いの浅いのこれまでとどう違ったこんなことができるなんて実力それとも。

 混濁した思考が頭の中を駆け巡る。そうするだけしか彼女の体力は残されていなかった。

 足から力が抜ける。踏ん張れない。

 クイーンはがくりと膝をついた。かろうじて、手で握ったハンマーで体を支える。

 しかし、その腕からもゆっくり、確実に、流れ落ちる血と同じように力が失われていく。

 よどむ視界の中、クイーンは自分が倒れる姿を想像した。

 みじめだ。本気で闘っていれば……いや、例え本気だったとしても敵わなかったろう。

 完敗だ。惜しむらくはもっと長い時間闘っていたかった。

 倒れる自分を想像していると、頬に冷たいものが当たった。

 地面だ。もうクイーンは地面にべったりと伏していたのだった。

 すぐさま。

 ジュリアは走り出していた。クイーンが倒れた時に体を起こし、それを見た時には槍を片手に足が勝手に動いていた。

 走りながら、ジュリアは自分の感情に目を向けた。

 何を思い、アタシは今走っているのだろう。あの母の元に近づこうとしているのだろう。

 怒りも何も、特別な感情はない。人を助けるのも性分ではない。

 では、なぜ?

 条件反射のように走る自分。ただ一つだけ事実としてあるのは、放っておけないという気持ちがあること。

 母だから? ああ、きっと母だからだ。それ以外に考えられない。

 リオが自分に止まるように叫んでいる声が聞こえた気がした。けれど、ジュリアは止まれなかった。

「待ってください!!」

 と、リオは叫んでいた。彼女は元々、ジュリアと心中する心づもりはできていた。ローブの男と対峙すれば命が無いことくらい、リオには容易に理解できる。

 止めようとしたのは、別の問題がジュリアに近づきつつあることが見えていたから。

 あの片腕の少女が、大鎌を持ってジュリアに向けて走っている。ジュリアは気付いていない。

 このままではあの片腕の少女に討たれてしまうだろう。

 リオも走った。彼女は片腕の少女に狙いを定めて、邪魔ながれきも自慢の長い脚で飛び越えていく。

 ジュリアは真横から迫ってきている片腕の少女には目もくれない。少女は木箱と大鎌を右腕だけで持っているのに、小さな動物のような素早さで迫る。

 間に合うか。いいや、間に合わせてみせる。

 幸運はあった。他でもない、少女が片腕だけだったこと。

 そのため、大鎌をすぐには振れなかった。手首だけの動きで、彼女の身長の倍以上はある大鎌を振るうのには、いささか力が足りなかったのだ。

 だから、リオは間に合った。

 片腕の少女が大鎌を振ろうと、手首を捻ると、ちょうど少女の右肩の上、首の傍に大鎌の柄がぶつけられるように構えた格好になった。持ち手は大鎌の柄の一番下。したがって、大鎌の大部分が少女の背後に回されていた。

 そこにめがけ、リオは倒れ込むように刀身の曲がった剣、ショテルを振り下ろした。

 少女は気付き、とっさに横っ飛びしてリオの攻撃を避けた。

「相変わらず、すばしっこいですね。そんな大鎌を振るうのには、小さな体では厳しいのではないですか?」

 挑発するようにリオは言った。言いながら、横目にジュリアの背を見た。

 ジュリアは夢中で走って行く。

「……」

 少女は黙ったまま、軽く首を振った。

「そうじゃないと、言いたいんですか?」

 リオは再びわざとらしく言う。自分の言葉への反応を示したところを見るに、うまく自分に注意を向けられたらしい。

 しばし、コンビ解消ですね。

 リオが、両手に剣を持ち、足を開いて構える。

 少女は箱を抱えたまま、大鎌を下ろした。

 何をするのかと、リオは疑問に思いながら見ていると、手放した大鎌を、少女は自分の左ひざの裏に挟んだ。

 左腕で箱を落とさないように抱え、右足で立ち、左足で大鎌を”持った”。

 そして、片足だけの跳躍で、リオに迫る。


 エンブが再び、妖刀を鞘に納めた。闘うためではなく、終わりのために。顔を斜め下に向けている、その目の先にうつ伏せに倒れるクイーンの姿がある。

 妖刀を手にして初めて対等に渡り合えた相手にしては、あっけない幕切れだった。クイーンの背中は僅かながらも上下している。命までは奪い切れていない。いずれにせよ立ち上がることはないだろう。再び対峙したとして、敗戦を喫することはないだろう。

 ローブに隠れた表情が、倒れるクイーンにどんな感情を訴えているかは分からない。

 ただ、鞘に納めた妖刀は、クイーンにとどめを刺す気がないことを、これ以上の闘いがないことを表していた。

 しかし、彼女にとってはそんなことは気に留める余裕がなかった。

 倒れるクイーンの前に、一人の女が現れた。横から走ってきたせいか、肩で呼吸をしている。

 何者か。両手で槍を持ち、先を自分に向けている女。倒れたクイーンを守ろうとしているのか。立ちふさがるその様子は自分の命を持って、盾に壁になろうとしているらしい。エンブにしてみれば、紙のように薄い、心もとない壁だ。 

 エンブは彼女がどことなく、クイーンに似ている、と思った。

 その女、ジュリアは自分は何をしているのだろうと、構えながらに不思議がった。

 いくらは母親だから、いくら放っておけないと思ったからって、こんな自分の命を捨てにくるような真似をするだなんて。

 呆れながらも、ジュリアは覚悟を決める。

 命を捨てる覚悟。

 他の命を守ろうとする覚悟。

 そして、本来なら逃げようとするであろう、自分よりも遥かに強い相手と対峙する覚悟を。

 誰かが走ってきていたことに、倒れる自分の前にたったことに、クイーンは地面を通して伝わる振動で分かっていた。

 イリーナか、それともマーブルか。秘書官……はありえない。誰にせよ、クイーンを倒した相手に対峙しようものなら命はないことくらい、分かるだろうに。

 誰がこんな真似を。

 クイーンは残された力を振り絞り、顔を上げる。

 クイーンの想像した誰でもなかった。

「お前……何を、している……」

 血が渇いてくっついてしまいそうな唇を引きちぎるように開く。漏れた声は、我ながら細々としている、弱弱しい声だと、クイーンは思った。背を向ける女に声が届くか心配になるほどに。

 女が、顔を横に向けて、横目でクイーンを見た。

「傷口が開くでしょ、黙ってなさいよ」

 強気な口ぶりのくせに、声は震えている。彼女も馬鹿ではないらしい。

 女は槍を構えている。馬鹿ではないが、大馬鹿者だ。

「無駄な事するんじゃないわよ……誰だか……知らない……けど……にげ……」

「だぁー! もう!! 黙ってなさいっての!!!」

 八つ当たりに近い女の声に、クイーンは驚いた。

 聞き覚えのある声。聞き覚えがあるもなにも、その声は普段自分が聞いている声に、自分のそれに非常に似通っていた。

 まさか、とクイーンはさらに驚いた。

 まさか、あり得るはずがない。

 まさか、ここにいるはずがない。

 まさか、生きているはずがない。

 しかし、前に立つ女は、まだ名の知らぬ女の金髪は、きりっとした美形の横顔は、まるで自分の若い時のそれらではないか。

 急激に胸騒ぎがした。もしもこの女が……だったら、余計に自分の盾にするわけにはいかない。

 今ほど、クイーンは自分が本気を出さずに、楽しみのために闘った自分を悔いた。その果てが立ち上がることもままならないほどの負傷である。

 守りたかったものに守られている。

 救えなかった命に、救われようとしている。

 クイーンはそれが堪らぬほどに悔しかった。

 これでただ闘えば、命を奪えば自分の負けだろう。クイーンを守るように立ったジュリアを見て、エンブはそう思った。

 なんにせよ、彼女らに用はない。

 これ以上邪魔をさせる訳にはいかない。

 エンブはカタナを構えようともせずに、軽く妖刀を抜いた。

 クイーンの目に、ローブの男が深紅のカタナを抜いたのが見えた。

 逃げろ!!! そう口に出す前に、横殴りにされたかのようにジュリアが倒れる。

 同時に、首元に痛みが走った。斬られる鋭い痛みではなく、打たれたような鈍い痛み。

 ああ、あの子は死んでいないのね。深い意識の淵に全ての感覚が飲み込まれていく最中、クイーンはひとまずの安堵を胸に抱いていた。


 この闘いは実に奇妙だ。

 リオと対峙している片腕の少女は、ひざの裏に大鎌”フォーサイス”の柄を挟み、それを振っている。

 片腕の少女の闘い方はこうだった。

 まず、片足の力で跳躍し、体勢を崩して宙返りし、その勢いを利用し、あるいは大鎌を宙に放り投げてから、両足で挟んで攻撃している。

 攻撃が外れたり、防がれたりすればすぐに体勢を立て直して地面に着地し、再び跳躍する。

 この曲芸のような闘い方を実現しているのは、他でもない少女の素早さ、その素早さの元となる尋常ならざる脚力だ。

 しかし、万全ではないとリオは気付いていた。

 少女の繰り出す大鎌の攻撃は確かに早い。

 ただ、大鎌の弱点はその長さにある。槍と同じで距離を詰めればどうという事はない。

 リオは少女との距離を離さないように、常に近づきながら、大鎌の攻撃をいなしていた。

 今も、振り下ろされた大鎌を、両腕で持ったそれぞれの剣をクロスさせて、柄に合わせて受け止めた。

 追撃はない。

 本来ならば、鎌を相手にする上で最も警戒すべき攻撃は、大鎌を引く攻撃である。

 槍との大きな違いは、大鎌は内側に刃が向いており、持ち主自身が手前に引くことで、背後からの攻撃が可能なのである。

 少女の闘い方ではこれができないのだ。全ての攻撃が一撃一撃の、単発にしかならない。

 地面に着地するためには、大鎌を手放す、いいや足放すか、持ったままでも体勢を立て直すしかない。妖刀を納めた箱を何としてでも死守しようとする意志が、箱を手放して逆立ちをしたり、手に持って闘うことを不可能にさせていた。

 そして、一撃一撃の攻撃であれば、素早い攻撃にも対処できる、守りの型を得意とするリオには一度も攻撃を当てられていなかった。

 少女自身、こんな闘い方など初めてだった。

 初めてであろうとも、うまくやらなければならない。そうすることで彼女は生きてきた。

 少女は思った、どうにかしてあの女を排除しなければならな。そのためにどうすべきか、考える。

 リオにしてみれば、少女が考える僅かな隙は逃してはならないものだった。

 リオは思い切り距離を詰めた。

 長い脚で地面を挟むように開いた足を交互に前に出す。

 距離を詰められそうになった少女はとっさに飛び上がった。

 遅かった。

 飛び上がった時にはそのリオの持った長剣、シュヴァイツァサーベルの切っ先が、目前まで迫っている。

 本気で殺そうとしている。少女もそう思ったし、リオ自身そのつもりだった。

 どんな過去があろうとも、逃げられたことがあろうとも、今何をしていようとも、殺しておかなければここで自分が逃げ延びることはできないと、リオは思っていた。

 それでも。

 片腕の少女も自分の命をここで投げ捨てるわけにはいかない。

 咄嗟に。

 少女は体を捻った。体を空中で倒すようにしながら、自信をネジを回すように身を回転させ、正面を右に向ける。

 そのまま、足を曲げた。背中に足の裏を付けるように。

 少女の奇妙な動きに、一瞬の驚きを抱きつつも、リオは表情に出さずに冷静に対処した。

 身を軽く伏せながらも、右手に持った長剣の軌道は変えない。ただ、首を狙って振った長剣の先は、少女の残った左腕に迫ろうとしていた。

 直後、がつん、とリオの後頭部に痛みが走った。

 足の動きに気付いた時に、すぐに身を伏せた。しかしそれだけでは、遅れてくる大鎌の鉄の柄までを避けることができていなかった。

 衝撃に寄り、前のめりに倒れそうになる。

 動かし続けていた長剣の切っ先は、少女が左腕で抱えていた木箱に刺さった。

 ちょうど真横。木箱の蓋を頑強に縛っていた紐も同時に切り裂いていた。

 身を捻っていた少女に、勢いが加わる。

 倒れかけていたリオの手から、長剣が離れた。木箱に刺さって、途中で止まった剣を少女の身を捻る回転の力に、かすめ取られてしまったのだ。

 そのままリオが倒れる。

 そして、少女も地面に落下した。無理な姿勢で攻撃をしようとしたために、空中での体勢を完全に崩し、着地できなかったのだ。

 少女はリオの方に完全に背を見せて倒れていた。

 だから、気が付かなかった。

 蓋を抑える紐を斬られた木箱から、わずかに腕が離れたその瞬間に、蓋が開いて中身が出てしまっていたことに。さらに遠心力が加わったことにより、飛び出した中身がリオのすぐ近くにまで落下していたことに。

 二人は同時に立ちあがった。

 少女はすぐに事態を理解した。

 箱の中身、妖刀を取り返さねばと。

 即座に走り出す。迫りくる少女を見て、リオは体勢を整えようとした。

 片方の剣が無い。少女は手に大鎌を持っている。木箱を放棄したのだろう。

 であれば、だ。

 少女の攻撃はこれまで以上に、いいや、本来の闘い方を取り戻すことになる。

 一本の剣、ショテルだけでは十分に防ぐことはできまい。

 リオは足元に目を向けた。

 立ち上がる直前に、目の前にあったカタナを彼女は目撃していた。

「この際、使ったことはないですけど……」

 リオは何も知らない。

 急いで身をかがめて。

 リオはカタナを。

 妖刀を手にしてしまった。


 お姉さんはどこ?

 誰? 何を言っている?

 お姉さんはどこ?

「あ……あ……」

 お姉さんはどこ?

 お姉さんはどこ?

「あ、ああああああああああああ!!!!」

 リオは叫び声を挙げていた。

 お姉さんはどこ?

 鳴りやまない耳鳴りのように、耳の内側から声が聞こえつづけている。

 お姉さんはどこ?

 叫び声はその声をかき消すためのものではなかった。

 お姉さんはどこ?

 頭の中にイメージが浮かぶ。墓地だ。ウェスタンブールの港の最西端にある墓場が見える。

 お姉さんはそこにいるの?

 知らない、自分が知っていることじゃない。

 お姉さんはそこにいるのね、私を早く連れて行って。

 止まらない声に、気が狂いそうだった。

 いや、もう既に気が狂っているのかもしれない。

 鳴りやまぬ耳鳴りに、自分の声はかき消されていた。

 実際にはもう既にリオは声を上げるのを止めていたのだが、それにすら気が付いていなかった。

 体が、勝手に動く。

 リオはもう、片腕の少女に敵意を向けていなかった。それを知ってか、少女も立ち止まっている。

 リオが少女に背を向けた。

 あっちね、あっちに姉さんがいるのね。

 知らない、そんなこと知らない。

 リオは走り出した。この士官学校の施設から一早く出ようと、さらにその先へ向かおうと、走り続ける。

「姉さんは、どこ?」

 走りながら、リオの口が勝手に呟いた。


 片腕の少女ミツもすぐにリオを追いかけようとした。

「待てッ!」

 しかし、それは差し止められた。エンブが珍しく叫んだのだ。

 ミツはすぐに膝を付き、エンブの方へ体を向けた。

 エンブが歩いてくる。

「済まない。妖刀を奪われてしまった。取り返す」

「取り返さなくてもいい」

 エンブの声を聞いて、ハッと顔を上げた。表情を見せないミツには珍しく、眉を八の字に曲げて、怯えている。

 失敗してしまった。これで、また、見限られて……。

「あの妖刀は特別だ。手にした者を目的を果たすまで支配し続ける。お前が手にしなかったのは、正解だった」

 ミツは顔を伏せた。ほっと胸をなでおろしてはいるものの、まだ自分が妖刀を守りきれなかったことを悔やむ気持ちは拭いきれていない。

「……ご心配を……」

 複雑な心境の中、ミツはか細い声を洩らした。

 それに、何を思ったかは、ローブの影に隠れた顔からは、察することはできない。

 しかし、少なくとも彼にミツを見限るつもりはなかった。

「行くぞ。”妖刀ムラサメ”は二対の姉妹刀だ。二対が揃うのを見届けようではないか」

 ミツはその声に、かすかな震えを聞いた。

 感情を表に出さないエンブが、初めて何かに表した感情だった。

 喜び。

 何に対する喜びなのだろうか。

 足音を耳にし、ミツは顔を上げた。自分に背を向けたエンブを追うため、ミツは立ち上がり、歩きはじめた彼女の頬に、ぽたりと水が落ちた。雨が降り始めている。


ども、作者です。


どうやらきりのいいところで今年最後の更新ができそうですね。

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