港の空模様
アーニィとトヨ、ジュリアとリオの二人ずつで別々の目的のためにウェスタンブールを歩き出した四人。
アーニィとトヨの目的は妖刀探しである。普通に考えれば妖刀のある場所を気配から察知することのできるトヨが先導するはずなのだが、今はアーニィが先頭に立って、それをトヨが追っていた。
その訳を簡単に話すと、
「トヨ、お前はどっちに向かって歩いてるんだ?」
始めこそはトヨが先導して歩いており、アーニィがこう尋ねたのである。
するとトヨは海の方角から、さらに西、大陸の端っこの方に指を差し、
「あっちだ」
と答えた。ウェスタンブールはアーニィの生まれ育った街。この町の隅から隅までばっちりと分かるくらいには、地理に明るいアーニィは、トヨの指さした先に何があるかを瞬時に察した。
港を沿岸沿いにまっすぐ西に進んだ先。そこにあるのは墓地だ。至極単純に考えて、トヨの求める妖刀は墓地にあるのだろう。
しかし、目的地が明確に分かったところで、一つの大きな問題が浮上したのだ。
「まさかお前、まっすぐ墓地の方向に進んでいるんじゃないだろうな?」
アーニィはこれまでに取ってきた道順を思い返した。ウェスタンブールの街は王都ほどではないが、道が随分と入り組んでいる。王都の住宅街が建物の形に合せ、かくかくと曲がった道を形成していたのに対し、ウェスタンブールは道が出来たら建物を立てられるだけ片っ端から建ててしまった、という歴史的背景があり、ぐねぐねと蛇行する蛇のような道がいくつも形成され、しかも道の先に家が建つなどというおかしな状況も産まれていた。
かつてここが王都であった名残だが……。
「トヨ、まっすぐ墓地に向けて進んでたんじゃ辿り着けないぞ」
「む、そうなのか?」
そうなのである。曲がりくねり、バカみたいに行き止まりを作ったせいで、この街では道順をしっかりと覚えていなければ、ろくに目的地に辿り着けない弊害が生じているのだ。
さて、そんなわけで。
道順を知っているアーニィが先導を取り、トヨと共に墓地へ到着するため、一度港へと向けて歩いているのだった。
「いちいち港に行かねば、その墓地には行けんのか」
トヨはちょっぴり悔しそうだった。
アーニィの案内のおかげで、無事に港に到達することができた。
「後は海に沿って進んで行ったらあっという間に墓地さ。ほら、見てみろよ。ここからでも墓地のある台地が見えて……」
説明しつつ、トヨの方を見てみると、トヨは墓地とは真逆の、港の倉庫が並ぶあたりへと視線を注いでいた。
「トヨ、お前ちゃんと人の話を聞いてるのか?」
折角俺が道案内をしてやってるって言うのに、とアーニィは文句を言いたげに眉根を寄せる。
「そっちの妖刀は後回しだ。どうやら、先に相手をしなくちゃならん奴がいるらしい」
トヨが背負った大剣、エンシェントの柄を掴む。
相手をしなくちゃいけない奴。
「それって……」
そんな相手は奴らしかいない。妖刀を探し、妖刀を手にしているローブ姿の二人組だ。この前にノルストダムで闘った、サルという名の男の仲間。そして、王都でも会いまみえた二人組。
「まさか、あいつらが近づいてきてるんじゃ……」
「一人だけだがな」
一人だけ。トヨの言葉にほっとしていいのやら。
「まずいぞ、どっちが来てるのか、とか分かんないか?」
「分かるわけなかろう。まぁ、どちらが来ても迎え撃たねばならん」
「迎え撃たねばならんって……王都で会ったときに手も足もでなかったじゃないか」
アーニィは思い出す。ローブ姿の二人。その内の一人、背の高い男の方が妖刀を抜いた瞬間に気を失ってしまった。
トヨでさえ、何が起きたのかさっぱり分からなかった。圧倒的な実力差がある。そんな相手と今対面したって、何ができると言うのか。
「それでもだ。いずれにしろ妖刀を全て破壊せねばならん。避けられん闘いだ」
「そりゃあ、そうだけど……」
あの男と闘って勝てるのか。いや、それどころか闘いになるのだろうか。アーニィの胸中に不安が満ちる。
アーニィの目の端に、トヨの背中が映った。自分よりも低い彼女の背中が妙に頼もしい。
いかん、いかん。アーニィは頭を振って虚像を払う。そんなんじゃダメだ、自分は男じゃないか。頼るのではなく、共に闘うのだ。この前みたいに。それをもう選んだじゃないか。
アーニィは覚悟を決めた。どんな相手が来ようとも、トヨと共に闘う。それが何よりも自分がやらなくちゃいけないことだ。
そう思うと、自然と虚像が晴れた気がした。
「どこにいるんだ?」
尋ねられて、トヨは視線の先に指を向けた。
「あっちだ。近づいてきている。行こう、迎え撃つぞ」
そして、トヨは歩き出そうとする。しかし、歩く先には倉庫が立ち並んでいる。倉庫だけではない、それ以外の建物もだ。それらが作る路地がいくつか。そのどこから妖刀の持ち主はやってくるのだろう。どこから来るのか、アーニィには予測は付かないが、分かることが一つある。
「待った。俺達がわざわざ出向かう必要なんてないさ。ここでヤツが来るのを待ち伏せよう」
「なんでだ?」
振り返ったトヨの目はいつも以上にきりりとしていた。多分、覚悟を決めた表情なのだろう。
「もし仮に、男の方の妖刀使いが来た場合を考えるんだ。狭い場所で闘うよりも、この港、開けた場所で闘った方が俺達には有利なはずさ」
妖刀の力の詳細は分からないが、道の狭い路地、もしくは人のいる通りで闘うよりははるかにマシだろう。
「なるほど。では待つとしよう」
二人は待った。覚悟に燃える中、ちりちりと首筋が熱くなるような感覚をアーニィは覚えた。焦りだ。不安だ。覚悟の炎の中に隠したそれは、まだ燃えカスのように残っているのだ。
その燃えカスの取るに足らない小さな火がこれ以上燃え広がらない内に、早く来い。アーニィはそう願うしかなかった。
そして、そいつは現れた。
トヨの真正面へ向け、ゆったりとした歩調で近づいてい来る、背の低いローブ姿。
立ち止まり、フードを取った。黒い髪は長く、後ろ髪は一本のおさげにまとめられ、右肩にかけられている。
フードに作られた暗闇から、明るい空の元にさらされた顔は女のそれだった。
「人の出会いは一期一会と言います。掃いて捨てるほどの人間がいるこの世の中で、ほんの一度しか会わなかった相手と再会できるのは喜ばしいことなのじゃないでしょうか? どうも、お久しぶりです」
にこにこと笑っている。まるで凶暴性も分からない野犬に対して、小さな子供がするそれのように。
トヨが駆け出した。地面を強く蹴飛ばし、妖刀の女、ノウへ一直線に突撃する。
そして、抜いた大剣エンシェントを彼女目がけて振り下ろした。
がつん!! と大剣エンシェントは。
石で造られた地面に特大の亀裂を入れた。ノウは後ろへと跳びその一撃を避けていたのである。
「ン~。唐突ですね。少しは再会を喜びましょうよ~」
ノウの表情は変らず涼しげだ。
「む。お前が妖刀を手放してくれればな」
「きゃはは! 喜びに条件付けをしちゃいけませんよ~。だって、一生喜べなくなっちゃいますから」
ノウがローブの中から妖刀を取り出した。
鞘に収められている妖刀。そいつの姿が青天の元にさらされたということは、相手の攻撃が始まる!
トヨは身構えた。どんな攻撃が来るかは分からない。妖刀は取り出されている。
ならば、攻撃あるのみだ。
しかし、トヨが再び飛びかかる前に、ノウは鞘に入ったままの妖刀をその場で軽く振った。
カタナを抜いていない。この行動はいったいどんな意味がある?
トヨの心に浮かんだ一瞬の疑問。
真横から聞こえた、カタリとの物音がその答えだった。
音のした真横にトヨは顔を向けた。
アーニィもその場に立ち尽くして見ていた。実に不可解なことが起きていた。
トヨに目がけて、真横の建物の脇に置かれていた樽が、一直線に跳びかかっていたのである。しかも猛スピード。
ちぃ、とトヨは舌打ちをして、飛んでくる樽の真上に目がけて剣を振り下ろした。
トヨは僅かな時間の内に到達するまでの猶予を予測していた。
だから、飛んでくる樽を、斧を振り下ろして薪を割るかのように斬り伏せるのには見事に成功した。
内心、トヨは驚いていた。エンシェントで切った樽には金具が付いていた。樽の上部、膨らんだ中腹、下部に。バラバラにならないよう支えのために使っていたのだろう。
エンシェントはそれらまでも真っ二つ、それぞれを半円に切り裂いていた。
勢いはそのままに、バラバラになりながら落ちてく木の部品、金具の部品をトヨは目で追い、身震いした。
これほどまでにエンシェントには切れ味があったのか。
エンシェントは妖刀を破壊すればするほどに、その形を変えている。錆のほとんどがなくなり、赤い刀身から白刃へと身を変えただけなのに。
「……まぁ、いい。頼もしくなってくれた」
トヨは再びノウを見た。この剣を使えば妖刀を壊すのも容易い。なぜ変化をもたらすのか、そんなことはどうでもいい。自分は妖刀を壊すだけなのだ。
トヨはそう思いながら、柄を強く握る。
その時に彼女が捕えたのは、ノウがオールを漕ぐように妖刀を振ったところだった。
あの妖刀。どんな能力を宿しているのかは分からない。しかしその動き。それこそは攻撃の合図だ。
ぐるぐると回転しながら猛スピードで、ハンマーが飛んできた。鍛冶に使うための重量と大きさのあるハンマーだ。
分かった! 奴の能力は物を操るものに違いない。さらに何か限定するのでれば、鉄か何かが付いているものだろう。
見切った! 一直線にハンマーはトヨの頭を目がけて飛んできている。スピードあり、質量あり、当たれば命はない。
トヨはハンマーをひきつけた。鉄の付いた物を操る能力だとすれば、一直線に飛ばすだけが芸ではなかろう。ぎりぎりまで、寸前まで、直前まで引き付ければ、とっさの操作はできないはずだ!
トヨは予測を重ね、ぐるぐると縦に回転するハンマーを、鼻先に迫らんばかりのところまでひきつけた。
そして、鉄製のヘッドが次に振り下ろされるその瞬間に。
左足を引き、右足を軸にして半円を描くように体の位置をずらした。
ハンマーは空振り。そのまままっすぐに飛んでいく。自然と振り返った形となったトヨはエンシェントを構えた。
操るのが能力ならば。ハンマーを引き返させることもできるはず。
それを予期してのことだった。
「うぇ?」
しかし、ハンマーは引き返すことなくまっすぐ飛び、進んでいる。ちょうどさっきまで真後ろにいたアーニィの元へ。
アーニィはぼけっとした顔をしていたが、身に迫る危険に気付き、
「うわああああああああお!!」
とバカみたいな叫び声を上げながら頭から飛び込むような姿勢で、横っ飛びに避けた。
ハンマーはアーニィのいた場所を通り過ぎると勢いを失い、がしゃんと壊れたような音を立てながら落下した。
そこからはぴくりとも動かない。操作をする能力があの妖刀から発せられているのだとすれば、あのハンマーは能力から開放されている他ならぬ証拠。
トヨは予想がはずれて愕然としていた。これはいったいどういうことか。あのハンマーを操るのを止めている。なぜだ!? 能力の予想はおおよそは間違っていないだろう。
では、何が違っていたと言うのか。
倒れながらも顔を挙げたアーニィは見た。
目をぎょっとさせていたトヨ。それからもう一つ、いいや、もういくつか。
トヨの遥か後ろに立っていたノウが、今度は杓で水でも救うように下から上へと妖刀を振り上げた姿。
それと同時にカタカタと音を立てて動く、トヨの足元に転がっている、真っ二つにされた六つの半円となった樽の金具を。
まずい。
「トヨ!! 足元だ!!!」
アーニィの叫びがトヨの耳に届いた。
しかし、トヨが足元を見た時には、六つの金具はトヨに襲いかかっていた。
ちぃ、と舌打ちをしながら、トヨはエンシェントの刃の反対側を使い、右から左に薙ぎ払うように振り、飛びかかる鉄の半円を振り払おうとした。
一つ、二つ、三つ、四つ。からんからんとはたき落される。しかし、全てをエンシェントで落とすことはできなかった。
すり抜けた二つの半円。腹部と下部の片割れの一つずつが、トヨ目がけて飛んできた。
トヨは身を捻って避けようとしたが、小さな半円は頬を掠め、残りの大きな半円は尖った角をトヨの右肩に突き立てた。
「ぐうっ!!」
トヨは悲痛な声を上げた。その時点で樽の金具はコントロールを失い、地面に落ちていた。
「トヨッ!!」
大丈夫か、とアーニィはトヨに駆け寄ろうとした。トヨの右肩と方頬からは血がどろどろ流れている。
トヨは肩を押さえ、
「来るなッ! アーニィ」
アーニィを拒絶した。そう言われてもすぐにはいと言えるわけがない。
トヨはぎろりとアーニィをにらみ、
「お前は妖刀を取りに行ってくれ!」
と言った。
「そんなの無理だ! お前ひとりじゃそいつと闘えないだろう!」
トヨは防戦一方だった。しかも、随分と裏をかかれている。奇襲を見事に食らってしまった。
それだけではない。トヨに圧倒的に不利なのは、トヨ自身の力不足だ。彼女は守りが薄い。ひたすらに攻めに攻めぬき、必要と有れば避けることに徹してきた彼女は、守りの技術が極端に低いのだ。
今、アーニィが目にした通りに。アーニィは自分がいれば、彼女の守りに徹することで、それをカバーすることができる。
この前に見つけた最高のコンビネーション。これを使わずして、あの女に勝つ見込みはないと、アーニィは冷静に分析していた。
それにもう一点。
「一人きりじゃ妖刀の場所を特定できない。俺が行っても……」
「妖刀はあっちの方向にある、後は探してくれ!」
「そんな無茶な!」
妖刀の場所が分かるのはトヨのみだ。トヨは墓地の方を指さすが、墓地もそれなりの広さがあり、どこを探せば見つかるのか、アーニィに見当がつくはずもないのだ。
「お前が見つけるくらいの時間は稼げる!」
「時間を稼がれたって、俺にはどうすることもできないんだって!」
二人の口論を見ながら口元に不敵な笑みを称える者がいた。
妖刀を手にした女、ノウだ。
「なるほど。あの墓地の方に妖刀があるんですね~」
妖刀の位置を知らないのは彼女も同じだった。
「いや~。やはり泳がせておいて正解でした。運否天賦とは良くいいます。ミコがサルからもミツからも逃げおおせたのは、我々にしては僥倖だったんですねぇ。でも……」
にたにたと笑いながら、鞘に収まったままの妖刀の切っ先を横、海へと向ける。
「どちらか一方でも、行かせるわけにはいきませんよねぇ。それじゃあ、私が喜べませんから」
そう言って、妖刀の先を空に向けてあげた。
その様子をトヨとアーニィは見ていなかった。
二人の目には唐突に日の光が遮られたように移った。何が起きてる?
口論を止めて二人は黙り、顔を見合わせた。
「おい、トヨ。頬に汗が付いてるぞ」
「む?」
アーニィに言われ、傷ついた反対の頬にトヨは手を当てた。指先に水が付く。
水。それは汗ではなかった。その他に汗などはかいていない。なのに、頬だけに水が付いている。
頬から手を離し、手を開いたまま指先を見た。その掌の上にぽたりと水が落下してきた。
「む、雨か?」
二人は同時に空を見上げた。
空は曇ってなどいない。
「ち、違うぞ! これは……!! 海水だ!!」
海水が空から落ちて来てる。アーニィも自分で言っておいて、なんとも奇妙なことを口走っていることは分かっていた。
しかし、そこには明確な理由があったのだ。
船が、自分たちの真上に浮かんでいたのだ。普段は見ることのできない、真下に設けられた金具までもはっきりと見えるように、船が浮かんでいたのである。
「これもまさか……」
「む。妖刀の力だろうな……」
トヨは悔しそうな目で視線を後ろに回した。そこでやっと、ノウが妖刀を振り上げているのに気が付いた。
物を操る。いいや、金属を、そして金属を含んでいるものを操れるのがあの妖刀の能力なのだろう。なんと厄介な能力か。
樽を動かした時点で、金属だけを操る能力でないことは推測できたはず。なのに、それを怠ったせいで、トヨはアーニィをも危機的な状況に追いやってしまった。
この状況は非常に不味い。何をしてくるのか容易に想像することができる。
トヨの脳内に浮かんだイメージをそのまま、ノウは実現させた。
ノウが妖刀を振り下ろす。
直後、船が落下し始めた。
アーニィは思った、これは避けられるのか、と。
数十メートルはある巨大な船。走ってなんとか直撃だけは避けられるかもしれない。しかし、落下した途端に破片が飛ぶ、マストが折れる、避けるとすれば一瞬も気が抜けないだろう。
「トヨ、逃げ……」
「お前はその場で絶対に動くなッ!!!」
命令するとトヨは大急ぎで走った。走った先は傍にあった建物。脇に置かれた木箱や樽を駆け昇り、トヨはあっという間に屋根の上に立つ。
そして、船にめがけて大きく跳躍した。
トヨ、お前は何をしようとしている!!?
電光石火の早業で跳び上がった少女を心配と驚愕の籠った目で見上げた。
彼の目にトヨが大剣を振り上げる姿が映った。まさか。これまでにも予想だにしないことをしてきたトヨだ。アーニィは破天荒な彼女の行動を今の今までずっと見てきた。
だから、分かる。彼女がこれから、何をしようとしているのかを。
アーニィの予想通り、トヨは大剣エンシェントを急接近している船にめがけて大きく振り下ろした。
船の横っ腹に大剣が突き刺さる。突き立てられた部分がめきめきと音を立てながら切り裂かられていく、だけじゃない!
トヨの振り下ろした大剣の軌跡が。
風のように。
衝撃波のように。
一閃の斬撃が広がった。それと同時、宙に浮かんだ船体が前と後ろに分かれ、果物を真っ二つに切った時のように、二つに輪切りになった。
なんという切れ味。なんという破壊力。トヨの姿が一瞬、化け物のように思えた。あの大剣がここまでの力を持っていようとは。
アーニィは降り注ぐ破片を両手に持った自身の剣で弾きながら、悪鬼のごとき所業を見せた少女を見上げていた。
巨大な船が真っ二つ。あまりにも現実離れした現象を目の当たりにすれば、唖然とするしかない。
しかし、ノウは違った。
アーニィもトヨも彼女の表情、動作、心情を気にも留めていなかったが、彼女は今もなお、にこにこと笑っている。
彼女の笑みは何を意味しているのか。
ノウは再び妖刀を振るった。
空中で落下していくトヨの姿を、アーニィは見上げていた。
だから、彼は一部始終を目撃してしまった。降り注ぐ破片や木箱、樽を剣で弾き、あるいは避けながら、マストは外側に向かって倒れているから、自分の真上に落ちてくることはないと一安心したりして。
完全に気が緩んでいた。
それを目にしたとき、とっさに何が起こっているのか、理解が遅れてしまった。
二つに別れた船の内、前部にあたる部分から鎖に繋がれて垂れさがっている碇。
海にさらされ、真っ黒い鉄にいくらかの錆の付いた碇。
それが、風に舞い上がる紙切れのように軽やかに、弧を描いて下から上へと動いていた。
あまりにも不自然だ。落下していく鉄製の碇が、重力に逆らって上へと動くわけがない。アーニィがそう思ったときにはもう遅かった。
碇の先が向かうのは、トヨの背中。
アーニィに何が起きているのか理解させたのは、碇の先がトヨの背中を抉り、血が噴き出したのを目撃したその時だった。
「トヨッ!!!」
あの碇は、妖刀によって動かされていたのだ。なぜそれにすぐに気が付かなかったのだろう。声を上げても、今はもう遅い。
トヨはエンシェントを手放し、体中から力が抜けてしまったように、重量に任せて地上へと落下してきていた。
アーニィは落下地点へ急ぐ。早く。早く。
もっと早く、気が付いていれば。トヨに対処させることができたかもしれない。その後悔を、自身の罪のように感じ、少しでも軽くするためにアーニィは駆けた。手から剣を離し、投げ出し。自身の周りに落ちてくる木の破片が、石の地面に落ちていく度に、砂埃のように粉を巻き上げるのにも厭わずに、落ちてくるトヨを受け止めるために、手を前に出した。
ガシャーン!! ガシャーン!! と大きな音を立てながら、二つに分かれた船が地に落ちた。
巻き上がる木の粉の中、アーニィは両手に鈍い衝撃を受け止めた。軽かった少女の体が、酷く重く感じた。
それは落下による加速度のせいかもしれない。あるいは、力の抜けたぐったりとした少女の姿が、アーニィの腕を染める少女の血があったせいかもしれない。
「トヨ! 大丈夫か!! おい、しっかりしろッ!!」
うつ伏せの格好になっているトヨに、アーニィは声を投げかけた。
ただの空洞になってしまった耳の中に、声が吸い込まれているだけなのだろうか。耳の奥で受け止めてくれる意識は残っているのか。
返事が無い。動きはあった。
トヨは力ない右手を伸ばす。開かれた指が求めるは、その先に落ちている大剣エンシェントだった。
「トヨ!!」
「すまん、アーニィ……。もう少し、前に……」
トヨが顔を上げる。アーニィには彼女の頭と後頭部しか見えない。彼女の眼は前しか見ていない。大剣エンシェントだけを見てる。自身の使命を果たす未来だけを。
例え服の背中が、肌が、肉がずたずたに裂かれ、血が吹き出していようとも。そんなものに意識を向ける気などないのだろう。
アーニィはトヨの手が届くように、エンシェントに近づいた。エンシェントを手に取ったトヨは、アーニィから離れ、自分の足で立とうとする。
意識はいかに前に向うとも。意識はいかに無視をしようとも。
伝わる痛みは着々とトヨの体を支配しようとしていた。
なんとか立ち上がったトヨだったが、エンシェントを杖のように地面に付かなければならなかった。果たして立っていると言えるのか。背中と頬と右肩。傷はそこだけに刻まれている。それだけなのに、アーニィの目には彼女はズタボロのぼろ雑巾と同じようにしか見えなかった。
トヨの目は前を見ていた。彼女の目にまだ炎は灯っている。自身の使命のため、目的のために燃やそうとしている自分自身の命だ。
彼女の真剣なまなざしは、妖刀を手にしたノウという女に注がれている。
そこが、彼女の前だ。
アーニィもそちらを見る。トヨは歩こうと足を動かすが、力が入らないようで、倒れそうになる。なんとかエンシェントで体を支えて難を逃れるも、いつ倒れたっておかしくはない。
もう、痛々しい彼女の姿をアーニィは見ていられなかった。
「トヨ。ここで待ってろ」
自分に何ができる? トヨのために何をする?
アーニィは背負った長剣と、腰に差したミドルソードを抜いた。
「アーニィ……」
トヨが何かの言葉を続ける前に、アーニィはノウを目指して走り出した。
彼女のために闘う。彼女の目的がなんであれ、もう決めたのだ。今は自分の夢も忘れ、彼女が前に進むための足となろう。今は歩けぬ彼女を前へと連れて行こう。
そのために、アーニィはノウと闘う。
ノウはアーニィが近づくまで、何もしてこなかった。待っているのか。何のために、奴は自分を舐めてかかっているのか!
急接近し、アーニィは跳び上がり、長剣をノウの頭上目がけて振り下ろした。
ノウはそれを。
鞘を抜いた妖刀で防いだ。
妖刀の刀身が初めて、アーニィの目に飛び込んできた。
まるで遺跡の中に、何百年何千年と眠っていたような、ごわごわの錆で全体を覆われたカタナだった。
なんだこれは!!
アーニィは驚愕に、一瞬立ち止まった。
「あ~あ。抜いちゃいましたね~。まぁ、いいでしょう。ミコの大剣が相手じゃなければ、抜いたって壊されませんからねぇ」
落胆の言葉を口では言うが、ノウはまだ笑っている。
「余裕ぶるなよ。そんな錆だらけのボロいカタナで何が切れるって言うんだ。俺もトヨも斬らせはしないぞ!」
「斬る? ふふふん。そんなためにこのカタナはあるんじゃないですよ?」
ノウは距離を取り、アーニィと退治する。
その直後、かしゃんかしゃんとうるさい鉄の音が聞こえてきた。
それに次いで人の声も。
「おいおい、船が落っこちてきたってホントだったのか?」
「先輩、俺は嘘なんて言ってないでしょう? ほら、見ての通りの……」
二人の鎧姿の憲兵だ。
「あそこに血だらけの人がいるぞ!! 怪我人だ!」
二人はトヨを発見したらしく、彼女の元に駆け寄って行く。
「きゃはは。この妖刀ナマクラの能力。あなただって見たはずでしょう? これから、何が起こるか、予測くらいはできるんじゃないですか?」
まさか、と言葉を失ったアーニィの前で、ノウは妖刀ナマクラを振った。
アーニィは振り返った。
「待て!! 止まれ!! 二人ともトヨに近寄るなあああ!!」
叫び声も手遅れだった。
「ぐっ、か、体が……」
「か、勝手に剣を……」
二人の憲兵の動きが明らかにおかしくなった。トヨの傍に寄った二人は、不自然な動きで、まるで下手な人形師が動かすマリオネットのような動きで、剣を抜いた。
あの妖刀は、妖刀ナマクラは様々なものを動かしてきた。それに共通するのは鉄。ノウはあの鉄製の鎧を操り、トヨに剣を突き立てようとしているのだ。
剣の切っ先が、トヨに向かって襲いかかる。
トヨは歯を食いしばった。
そして、雄叫びを挙げた。
支えに使っていたエンシェントを抜き、体を回転させるように動かして、振り切った。
鎧も斬られ、血が噴き出した。
「ああああ!!」
「ぐおっ……」
と声を上げて二人の憲兵が倒れる。深い傷ではなかったようで、血の量は多くないが、彼らはその場に倒れた。
トヨはまたエンシェントをついて支えとし、倒れるのを防いだ。
アーニィはほっとし、もう一度ノウの方を向く。
「お前、無関係な人達も使いやがって……」
アーニィは両手に持った剣の柄を強く握りしめる。
「きゃはははは!」
その力をより強くさせるほどに、苛立たせる笑い声をノウは上げた。
「何がおかしいんだ!!」
アーニィはノウへ向けて剣を振るった。それをノウはさらりと避ける。
「あなたは何と予測していますか? この妖刀の能力を」
「何を……」
「唐突ですみませんねぇ。聞いておいてなんですけど、私はこうなんじゃないかなと思うんですよ。あなたたちは私の妖刀の能力を、鉄を操るものだと考えているんじゃないですか?」
「だったらなんなんだ!!」
ノウはきゃはは! と再び大声を上げて笑った。
「外れ、なんですよ」
「……なに……」
「きゃはは。鉄を操れるんだったら、剣を操ればそれで済むじゃないですか。なのにどうして、あんな船や樽を使ったんでしょう。考えてみてくださいよ。ヒントはここ、海の近くならこの能力はより使いやすいってことで」
ノウに促されている。それは分かる。しかし、考えずにはいられなかった。
鉄を操るのではない? 海の近くなら使いやすい?
馬鹿な。これまでその妖刀の力で鉄で作られたものを操って来たではないか。
アーニィの目に、晒しだされた妖刀の刀身が目に移った。
海の近くなら使いやすい?
「まさか……錆か!?」
「ご名答! この妖刀ナマクラの力は、錆の付いたものと錆そのものを操ることができるってんです」
能力は分かった。しかし、
「なぜ俺にそれを教えるんだ!!」
「知ったところで、後ろをごら~ん下さいな」
言われ、アーニィは背後を見た。背後にいるのは離れたところにいるトヨ。
そのトヨのさらに背後に、巨大な何かが蠢いて、陸地に覆いかぶさるような高い波のように彼女へと降りかかろうとしていた。
あれはなんだ。一つ一つが蠢いているように見える。
あれも妖刀の能力なら。一つ一つが錆だと言うのか。
「トヨ!! そこを離れるんだッ!!!」
トヨも振り向き、自分のみに降りかかる錆の大群を目にした。
「くっ……」
トヨは避けようと動いた。しかし、体にダメージを負った彼女の体は、支えとしていたエンシェントと真逆の方に倒れるように動いただけだった。
錆の大群はトヨに覆いかぶさるように、四角い塊となってトヨを囲ってしまった。
「トヨおおおおおお!!!」
アーニィは急いで彼女の元に駆け寄った。
赤黒い四角いボックスになった錆はトヨを完全に覆っていた。一部に穴が開いている。そこからはエンシェントの柄を通しているだけで、それ以上の意味はなかった。
「今助けるぞ」
アーニィは四角く固まった錆へ向けて、長剣を振り下ろす。
しかし、錆はアーニィの剣を弾いた。何度も何度も叩きつけ、弾かれた。
その度に焦りが、口惜しさが口の中に嫌な味となって湧きあがってきた。
「クソッ、くそおおおお!!!」
アーニィは何もできなかった。
振り返って見れば、もうそこに妖刀を持っていたローブの女、ノウの姿はなかった。もう、どこかに入ってしまった。
どこか。恐らく、妖刀があると分かった墓地の方だろう。
自分がトヨと話したせいで、知ってしまったのだろう。
自分はなんて、無力なのだろう。
アーニィは錆の塊に頭をぶつけ、両ひざを付いた。そこに影は落ちていない。変り易い海の空が、曇り始めていたからだ。
ども、作者です。
なげぇ。




