決別と合流
ラーチイはちっとも手ごたえを感じられなかった。
「ねぇねぇ~、俺も一緒に士官学校に行きたいんだって~」
いくら言っても、イリーナはうんともすんとも言ってくれなかった。船の中では多少なりとも話せるようにはなったのに、割と乗り気なんじゃないかなと思っていたのに、今ではすっかりとしらんぷりである。
ラーチイもわざわざ王都からウェスタンブールまで来たっていうのに、尻を追いかける女を間違えたかな、と少し後悔してきた。
一方のイリーナはと言うと。
かなり、神妙な面持ちで歩いていた。
港を抜けて、士官学校に向けてのルートは大通りを半分ほど進んで、途中で右に折れるだけ。広く見渡しのいい道で、中にはこの道で歌や音楽、ダンスなんかで商売をしている者もいる。たまに小さな犯罪も起きるが、平和な場所に違いはない。
平時であれば。
今は違う。
少し、いいや、かなりヘンだ。
街行く市井の人々には大きな違いはない。違いがあるのは兵士の数だ。
ひ、ふ、み……ざっと十人は一つの道を何度も行き来している。平時であれば一人か二人しかいないはずなのに。
イリーナはこの変化に嫌な予感を感じていた。女の勘もあるだろうが、胸の奥がざわついて仕方がないのだ。軽いノリのラーチイにいつまでも構ってはいられないのである。
「ねぇ、ラーチイさん。少し黙ってくださらないかしら」
「うわぁ、結構本気ぃ~」
ぴしゃりと黙れと言われたラーチイはこりゃもうだめだ、とあきらめの表情を浮かべながらも、コミカルに両手で口を覆った。しかし、彼女には着いていく。金魚の糞のようにぴったりと後ろについている。
むろん、イリーナも気付かぬわけもない。できれば振り切ってしまいたい。士官学校に到着したところで、案内もできそうもない。今、この街で何が起きているのか、それを知り、行動する義務が彼女にはあるのだ。街に出て闘うことを許された、街を守る権限を持つ、士官学校成績優秀者、つまりはエリートの彼女には。
歩いていけばすぐに真正面に士官学校が見える道まで到達していた。
「へぇ、あれが士官学校か~、おっと黙ってないとまた怒られちゃうな~」
ラーチイはぴったりとついてきている。全く持って迷惑だ。
何か、撒くための口実はないものか。
そう思って、道を見渡しているときだった。
真正面にある士官学校、および軍事施設の正門。奥は坂になっており、そこを登る、あるいは坂の内部に作られた通路を行く必要のある場所。
その手前。イリーナたちが士官学校を目指すのならば、通らなければならないその通り。
行きかう人々。その中に、彼女は未だに忘れられないそれを目にした。
白い服の片腕の無い少女が、十軒ほど離れた先の、道を挟んだ路地から路地へさっ、と移動したのである。
しかも、その移動した先にはローブを来た身長の高い、立ち姿を見れば男と判断できる何者かがいた。
いかにも怪しい。あの白い服の片腕の少女は、船上で知り合ったリオと剣を交えた正体不明の存在。それが、いかにも怪しい男の元へと駆け寄った。
船から落ちて、どうやってここに来たかは今は問題ではない。
それ以上に今は、彼女と彼がいったいこの街で何をしでかそうとしているかだ。
二人は人の目を避けるように、路地の奥へと入って行く。
イリーナは直感し、確信した。あのローブの男を探し、警備が厚くなっているのだと。そして、あの片腕の少女はその男と関わりのある誰かで、剣の腕もなかなかに立つ。放っておけば、大きな損害をこの街は被ってしまうかもしれない。
「ラーチイさん。ちょっと、そこのお店の前でしばらく待っていて下さいますか。わたくし、急用で急がなければなりませんの」
「ええ!? そ、そこでかい~?」
イリーナが指さした店は、女性向けのドレスショップだった。しかも、娼婦用のキワドイ感じのドレスしか取り扱っていない……。
「あとで必ず、わたくしも参りますから」
しかし、イリーナのその一言で、ラーチイは目の色を変えた。
キワドイドレスショップ。後で来る。これぞまさしく、ナンパの大成功!!
「わかった、まって……」
まってるよ~ん、と言おうとしたラーチイだったが、イリーナがもう既に十軒先の路地裏に入っていたため、途中で区切り、るんるん気分でドレスショップの前で、彼女を待ち始めたのであった。
「なぁ、もう帰っていい?」
「ええ、ちょうどまさに今からにーさんは実家に帰るんですよ」
「いや、そこにじゃなくってね。王都に」
「あら? それって許されるのかしら? アタシはここに居続けるわ。アンタはアタシを見張り続けるってお仕事があったんじゃなかったかしらぁ?」
アーニィにはもう逃げ場がなかった。両腕はがっつりとリオとジュリアにホールドされて、ここを離れる理由も作れない。
このままくぐるしかないのか。木製の大きな構えの門、何度も何度も通った実家兼道場の門に。雨や風で随分と傷んでいる。アーニィが子供の頃は切りたての生きているような木の匂いがしていたのに、今じゃ気の腐った臭いがしてきそうだ。買い換えも作り変えもしていない。稼ぎばかりは変わっていないようだ。
「にしても、アンタって金持ちなの? こんな門構えの家なんて早々見ないわ」
「道場も兼ねてるんだよ。道場と家を二つ用意するほどの金が無くってね」
「じゃあ貧乏?」
「今の門下生の数次第だよ」
「にーさん、今の門下生がどれくらいいるか、気になりませんか?」
「気にならないよ。その手には乗らないからな。僕を連れ込む理由作りには加担してやんないぞ」
「バレましたか。でも、ここまで連れて来たんです。もう逃がしはしませんよ」
誰か助けてくれ、とアーニィは藁にすがる思いで、首を後ろに回した。
「トヨ、お前も何か……」
トヨは後ろできょろきょろと首を動かし、遠くを見ている。アーニィのピンチなんぞにはすずめの涙ほどの関心も抱いていないようだ。
ちくしょう、何が何でも帰るものか。アーニィは往生際の悪く、足を踏ん張り、この場に張り付こうとした。なにか、なにか妙案が浮かぶはずだ。
しかし、彼の執念は、たった一つの出来事で、見事にチェックメイトを迎えることとなった。
大門の脇にあるくぐり戸が開く。ひとりでに扉が開くことなんてさらさらなく、アーニィもリオもジュリアもトヨも、こちら側からは誰もさわっていない。
戸の内側から、女性が現れた。決して若くはない、しかし、若くは見える女性だった。
目が合う。アーニィと同じ青い目。アーニィは鼻と目の間にしわを集中させて嫌な顔をした。
「あらあらぁ、お帰りなさい~」
会いたくなかった人が、にこりと笑った。アーニィは抵抗を止めて、しおれたように大人しくなる。この人には敵うことはない。彼は知っているのだ、これまでの経験から。
「どうして。リオが教えたの?」
アーニィは子供のように訊いた。女性は笑顔を崩さずに言う。
「お母さんは、子供のことならなんでも分かるのよ~」
がっくり。
「リオもジュリアも、腕を離してよ。俺はもう逃げたりしないから」
リオ達が手を離した。宣言通り、アーニィは逃げ出しもせず、肩をがっくりと落とした。
「さ、もう家に入りなさいな。お友達も一緒にどうぞ~。リオちゃんも、連れてきてありがとう」
「いえいえ、どうってこともありませんよ」
リオが答えると、母親がくるりと背を向けた。端っからアーニィを迎えに出ただったようだ。
アーニィがリオに耳打ちをする。
「ほんとうに何も伝えてなかった訳じゃないだろ?」
「何にも、っていうのは違いますけど、にーさんを連れて帰るとだけ。時間も何も伝えてはいませんよ。それ以外は母の不思議です」
アーニィが帰らされたのは、リオの魂胆で間違いないようだ。面倒なことをしてくれる。おかげでアーニィは、会いたくもない人間に会わなければならなくなる。母親ではない。
母親が何かを思い出したかのように振り返った。
「そうそう、お父さんもさっきね、今日は帰ってくるんじゃないかって勘付いていたわよ~」
「子供のことが良く分かるのは、お父さんも一緒みたいですね」
観念するしかないようだ。門をくぐって行くリオとジュリアに続いて、アーニィも覚悟を決めて、中に入った。
辺りをきょろきょろと眺めまわしていたトヨが、彼に続いて中に入ったのは、その十秒後だった。
道場。内部の造りは、他の家々とは随分と変っている。廊下を通り、広い部屋に出る。その広い部屋はあくまでもただ一つの部屋に過ぎない。そんな部屋が四方にあり、中央部分には穴が開いているかのように、中庭が作られている。その中庭へは、部屋のそれぞれにある縁側から行けるようになっていた。縁側は、それぞれの部屋の扉から出ることが出来る。
アーニィたちがまず最初に通されたのは、正面、四角形のちょうど真下の辺にあたる縁側に出る部屋で、そこから中庭へと連れてこられた。四方の縁側に囲まれた、白い土が平坦に広がる正方形の中庭。そこの奥、アーニィ達がやってきた真正面に、一人の男が座っていた。
二本の剣を両脇に置いて、胡坐をかいて目を閉じている。
アーニィがここで出会うときは彼はいつもそうしているのだ。白くなった髪としわの増えた顔以外に、昔との違いは多くは見られない。体つきも表情も、恐らくは内面もアーニィの知る頃のままだろう。
「帰って来たか、バカ息子」
開口一番これである。アーニィはどうせこんな気がしていた。自分も望まぬ再会相手が、自分を歓迎してもらえるものか。
「俺だって帰ってきたくは……」
「リオと二人のお嬢さん方。倅が迷惑をかけた。長旅に疲れているでしょう。どうぞしばし、こちらでお休みくだされ
アーニィは口を閉じてむっとする。自分の意に介さない相手は眼中にないところもアーニィの知る父親のままだった。
「目を閉じているのに、どうして私たちがいるのが分かるんだ?」
「達人なんじゃないの? アンタが気配でいろいろ分かるのと同じよ」
なるほど、とトヨののんきな声が聞こえた。
「座ってくださいよ。家主もああいっていますから、ご自宅のようにおくつろぎくださいね」
トヨもジュリアもリオに言われて縁側に座る。アーニィはすぐには座らなかった。嫌なのだ。素直に座ってしまえば、父親に従ってしまっているようで頑なな反発心が自身の行動を制御してしまうのである。
しかし、ここまでの道中で少し疲れ気味でもあった。あくまでも、疲れ気味だから、自分がそうしたいからだ、と言い聞かせながらアーニィは座った。
それと同時に、父親が目を開いた。濁った白目を射抜くように鋭い瞳が泳いで、生じんがアーニィに合った。
「何をしに戻ってきた」
「何って、俺は……」
「ふん、どうせ浪費癖のせいで、鐘でもせびりに帰って来たんだろう。人様に迷惑をかけるばかりのドラ息子が」
父親の前では、アーニィの言葉は途中で取り上げられてしまう。いつものことだ。いつもいつも、父親の言葉に上書きされ、彼の中ではアーニィは言葉の通りの思考、行動を取る者だと認知されるのだ。
むかつく。
「迷惑なんてかけてないさ。親父たち以外にはね」
しかも、間違いも多少しかないのだから、子供のアーニィにはうまく対処できない。
「家族への態度はそのまま他人への態度に現れる。家族に対して迷惑をかける奴は、誰に対してだって平然と迷惑をかける」
「だから!」
「違うものかっ!!」
空気の震えを感じた気がした。一瞬の怯みにアーニィは奥歯を噛んだ。変わっていない。母親に見越されるのはアーニィも納得するが、父親に対してだけはごめんだ。父親に敵わない自分が情けなく、腹立たしい。
見抜かれ、誤解を勝手に真実にさてしまう。だから父親に会いたくなかった。これまでの自分が無力になっていくような気がして、さらに。
父は足を楽にし、地面に下ろした。その際にサンダルに足を通した。
「二度と敷居をまたぎはせんと言っておったのに、その誓いでさえ果たせぬ軟弱に、夢など叶えられはせん」
それは誓ってアーニィの意志ではない。リオのせいだ。リオに連れてこられただけなのだが。
非難を向けるようにアーニィはリオを見た。
「そうです。お母様が今頃、お茶の準備をしているはずです。大変でしょうから、自分が手伝ってきます」
あまりにも白々しく、アーニィは怒る気力も無くして、そそくさと部屋を立ち去るリオをそのまま冷たく見送った。
が、すぐに帰ってきた。リオは取っ手の無いカップを乗せたトレイを持っていて、後から母が入ってきた。どうやら、部屋に入ってすぐにかちあったらしい。
えへへと苦笑いを浮かべながら、リオがジュリアとトヨにカップを手渡した。
「どうぞ、お茶です」
「お茶? コーヒーでも紅茶でもなく?」
「ええ、緑茶です。海外のなんですよ、そのユノミも」
「へぇ……」
「むぅ……」
二人が同時にお茶をすすった。
「にがぁ」
二人は同時に言った。
「はい、にーさんの分もです」
次にリオは、アーニィにユノミを渡した。アーニィの隣に座り、両手で持ったユノミを渡し終えて、リオが立ち上がろうと膝をついたとき、顔をアーニィの耳に近づけて囁きかけた。
「にーさん。何も言わないで連れて帰ったのは謝ります。ごめんなさい。でも、これだけは分かってくださいね。母様も父様もにーさんのことを心配していたんですから」
アーニィが異を唱えようとする前に、リオは立ちあがった。あの父親に配るだけの心があるとは思えないアーニィは、彼女の言葉を素直に飲み込むことができなかった。
リオがトレイを持って、元の場所に戻る前に、エンシェントを背後に寝かせて置いたトヨが、リオの脛を触った。
「なぁ、どうしてあれは怒っているのだ? 父親なのだろう?」
純真無垢な質問だった。子供に答えるようで、リオは困った。その代わりを母が務めるように、リオの傍に来て、彼女にこっそりと教えた。
「父親だから怒っているのよ。ほんとうは久しぶりに会えて喜んでいるのに、不器用だから表に出せないの。昔から知っているだけにきつい言葉になっちゃうのよ」
「ヘンだな」
「ヘンでも、そういうものなのよ、父親って」
「む、父親とは複雑なものなのだな」
そう言ってアーニィへ視線を移動させたトヨは、どことなく寂しそうな、羨ましそうな顔をしていた。
「次に返ってくるときは絶対に夢を叶えてからにしてやるよ」
「男に二度目があると思っておるのか、このたわけ! お前の旅立ちは許さんぞ、。今日をもってこの道場を継ぐための修行をはじめい」
「誰がそんなことするかよ! 俺は外に出るんだ、もっともっとやりたいことをしなくちゃいけないんだ!」
「外とに出て何ができる。大したこともできんだろう。所詮キサマは世界から見ればちっぽけな存在に過ぎんのだ。広かっただろう、外は」
アーニィはつばを飲み込んだ。アーニィは短い間でも今まで出たことのなかった、知識でしか知らなかった場所に足を運んできた。
「広かったよ」
自分が見れたのはこの大陸だけ。
その間に自分は何をしてきた?
夢を、自分で剣の辞書を作ると言って、そのためにできたことはほんのわずか。金もなく、手にした剣もほんのわずか。たいしたことなどできてはいない。
夢になんて近づけているかどうかも分からない。
それでも、目的以外のこともたくさん知った。
「小さな大陸を旅しただけで、俺の知らないこともいっぱい知った。危険な目にも遭ってきた」
アーニィの目に浮かぶのは、トヨと会ったあの日のこと。あの日から全てが変わったのだ。
「でも、だからこそわかったんだよ。ちっぽけな俺でも、夢のためだけじゃない。もっとやらなくちゃいけないことがあるって。できることがあるって!」
アーニィはトヨを振り返った。
彼女のため。アーニィは自分のためではなく、彼女のために旅を続けたいと強く願った。
アーニィはもう一度父に視線を戻した。彼の目には決意が宿っている。
「俺はもう一度旅に出る。俺はまだ、この道場を継ぐ気はない」
しばらく、アーニィは父と視線をぶつけ合った。さながら剣と剣を交えるかのように、二人の思惑と意志が反発し合っていた。
「ふん。勝手にせい」
折れたのは父だった。目を瞑ってこの場から立ち去った。
アーニィはほっとしたような、問題と直面するのが約束されてしまった不安が新たに湧きおこって来たような、妙な心中に落ち着かなかった。
「無事に認めてもらえたようですね。にーさん」
なにはともあれ、父に認めてもらえた。それは間違いない。
この家を出るときは、父も十分に納得はしていなかった。型どおりの試験を越えて、免許皆伝となっても、父は一人前と認めてくれてはいなかった。アーニィにとってはそんなことはどうでもよかったのに、家族は違ったらしい。
「言うようになったわねぇ。成長はうれしくも、悲しくもあるわねぇ」
アーニィがここに連れてこられたのは、母とリオの思惑だったのだろう。この二人が余計な気を回したのだ。
母がトヨの隣でしゃがんだ。
「トヨちゃん。ウチはいつでも待つからね」
「何をだ?」
二人のやりとりはアーニィを気恥ずかしくさせた。やはり、母には敵わない。父と違って意志や言葉では闘い合うこともままならないだろう。
アーニィが立ち上がった。
「もう行くぞ」
「ゆっくりしていきなさいよ~。お友達もまだ疲れは取れていないでしょう?」
「俺だけでももう出て行くよ。これ以上は父さんにも会いたくない」
言葉にしたのはほんの一部の心境だけ。父に対しても、母に対しても、まだ心残りがある。ここに居続ければその心残りはどんどんと膨れ上がって、やっと認められた決心が隅へおいやられてしまうかもしれない。
アーニィは母を見た。
「俺達、やらなくちゃいけないことがあるんだ」
息子の宣言を母は飲み込んだ。そこにどんな気持ちがあったのか、アーニィには分からない。しかし、
「分かりました。じゃあ、いってらっしゃい」
その一言は、自分が初めて旅に出た時と変らない母の心が籠っていて、アーニィは安心して、家の外へと向かうことができた。
「で、これからどうすんのよ」
外に出て、ジュリアがすぐに尋ねた。家の外まで出たは良かったが、その後のことをアーニィは全く考えていなかったのである。
「どうしよっか?」
アーニィが三人に尋ねた。
「私は妖刀を探す」
トヨが辺りを見回しながら言った。
「妖刀の気配は感じているのか?」
「ああ。アーニィ。ここにはかなりの妖刀があるみたいだな。気配を四つ感じる」
「四つもか!?」
「む。その内の二つは動いている」
トヨの脳裏に、ローブ姿の二人が過る。恐らく、彼らがこのウェスタンブールにいるのは間違いのないことなのだろう。
「追ってみるか?」
それをアーニィも察していた。動き回る妖刀を破壊することができれば、大金星をあげることに繋がる。今は絶好のチャンスだと言える。
しかし、トヨは落ち着いた様子で首を左右に振った。
「きっとあの男もいる。アイツに出会ったら、今の私では敵わん」
あの男。ローブの三人組、現在では二人に減った内の一人だ。かつて王都で出会った際には、たったの一撃で意識を闇に沈められてしまった。あれも妖刀の力なのか。そうだったとしても、そうでなかったとしても、今の自分達の力では彼から妖刀を奪うことなどできやしない。
「だから、動いてない妖刀を探す。アーニィ、方向と位置には大体の見当が付く。道案内をしてくれ」
アーニィはそれを承諾した。
「ちょっとぉ、アタシのことはどうすんのよ。アタシにだって目的があんのよ?」
続いての問題は、ジュリアの方だ。
「すっかり忘れていた。なぁ、トヨ、妖刀の気配は一番近いのでどっちからする?」
トヨは指を差した。その方角にあるのは、港、および海だ。クイーンがいるであろう士官学校とは真逆の方向だ。
「どうしよう。ジュリアの見張りもしなくちゃなんないし、トヨの目的も果たさないと……」
「ジュリアさんって、どちらまで行かれるんですか?」
悩むアーニィを尻目に、リオが訊いた。
「どこって、士官学校よ」
「士官学校ですか。でしたら、自分が同行いたしましょうか? にーさんはトヨさんとの用事を済ませて、自分はジュリアさんの用事に付き合う。これでいいと思いますが?」
「お前は内情を知らないからそう言えるんだよ。っていうか、お前の目的はもう済んだだろ?」
「自分の目的は済みましたけど、暇なんです。にーさん、ここは自分にジュリアさんの見張りを任せて頂けませんか? きちんと士官学校まで送り届けますよ」
アーニィはトヨの妖刀探しに付き合いたい。実のところ、リオの提案は渡りに船であった。絶対にジュリアから目を離すなとエースには言われていたものの、エースがそれを見届けているという訳でもない。ちょっとくらいなら、代理を任せたって構わないだろう。
「じゃあ、頼んでいいかな?」
「はい、任せて下さい。ところでジュリアさん。士官学校にはいかなる御用で?」
「別になんてことない野暮用よ。ま、アタシは勝手に逃げたりしないから、適当に付いてくるだけでいいわ。よろしくね」
ジュリアとリオは握手をした。これならアーニィも安心してトヨについて行けそうだ。
「あ、そうそう。なんか武器貸してくんない? アタシ今丸腰だからさ~」
「丸腰だって構わないだろう?」
アーニィが言った。
「嫌よ。丸腰のまんまで何かあったら大変じゃない」
何もないって。アーニィがそう言おうと思ったとき、
「こんなものしか無いけど、いいかしら~」
と母の声がした。振り返ると母は槍を持って出て来ていた。
「母さん、なんで……」
アーニィの声を遮り、ジュリアが槍を受け取った。
「いいわねぇ、この槍。ありがたく貸してもらうわ」
どうぞ~、と言いながら母がアーニィを見た。
「さ、いってらっしゃいな。やることがあるんでしょう?」
「うん……。じゃあ、行こうかトヨ」
「む」
返事をしたトヨを引き連れ、アーニィは歩き出した。同様に、ジュリアとリオも歩き出す。それぞれがそれぞれの目的へ向けて。
母は見えなくなるまで、アーニィのことを見送った。その背中は数か月前に家を出て行ったときよりも、心なしか大きくなっているように母には思えた。
つんと鼻を突く生ごみの臭いも、路地裏で暮らす小さな生き物たちにはごちそうのかぐわしい匂いだ。
ゴミ溜めの中から一匹のネズミが出てきた。空いた腹を満たし、安全なねぐらへと帰るつもりだった。
ゴミ溜めから抜け、路地の石畳をひょろひょろの両手足で掴む。ひくひくと鼻をひくつかせるのは、辺りの安全をぴんくの鼻の嗅覚細胞で鋭敏に捕えるためだろう。人にはゴミの臭さしか感じられないここでも、ネズミはちゃんと身の安全を確信することができるのだ。
嗅覚だけではない。彼らの動き一つ一つが死に直結する厳しい世界では、嗅覚以上に気配を感じ取る能力の方がはるかに生死を分ける重要な要素だ。
空気の流れや温度、あるいは生物の意志や思惑を勘のように感じ取るそれの役目は、ネズミにおいてはヒゲが担っていた。
その髭がひくひくと動く。ネズミは進行方向を反転した。逃げた方に人がいたのだ。二人のローブ姿の男女、妖刀を持つ男と、ローブを渡されて顔を隠した片腕の少女だ。
ネズミは隠れるのも忘れて一目散に走った。
こいつはヤバい。日常的に感じるような、猫や普通の人間とは訳が違う。こりゃあどんな生物よりも残虐で恐ろしく、まがまがしい人並み外れた邪悪さを感じるぜ。
などとネズミが思ったかは定かではないが、それほどまでにネズミは必死に、自らの生命を守らんとしていた。
二人はネズミのようなちっぽけな生命には気付かず、ただ歩いていた。先の路地から、ネズミのいる方向へと歩みを進める。
ネズミはその気配から逃げようと必死になっていた。それが、命とりだった。
ネズミの上に、巨大な影が覆いかぶさった。痛みを感じる間もなく、ネズミは一匹の太った黒猫のディナーになってしまったのだった。
猫は必死にネズミを食らい続け、二人が通り去ったことにも気が付かなかった。
満腹になった猫は、二人の来た道を、鍵尻尾を高々と上げてご機嫌な様子で歩き、途中で足を止めた。
猫と目があった。
二人を尾行していたイリーナは、即座に猫から目を逸らした。人間は壁の陰に隠れてやり過ごすことはできるが、通ることも予測できない猫はどうすることもできない。
猫は背中と尻尾の毛を逆立て威嚇している。
イリーナは猫にとっては招かれざる客だ。
それは分かっている。でも仕方ないの。あなたの縄張りに勝手に侵入したのは謝るわ。だからお願い、鳴き声だけは上げないで。
そう思いながら、イリーナは必死に目を逸らし続けた。
猫と言う生き物は、自らに関心を持つ別の生き物を敵と捉える習性があるらしい。猫の立場を考えればだいたいは想像がつくだろう。猫はじいっと得物を見続け、隙を見て飛びかかり、今日のご飯にしてしまう。
つまり、自らを見続ける生き物、多くは巨大な生き物は、自分を食べようとしているのだと勝手に判断するのである。
逆に自分に関心が無ければ、ああ、こいつは俺を食うつもりはないんだな、まったくはらはらさせやがって、ってな具合で興味を失うのである。
この猫も、あくびを一つ零して、のんきな顔をしながら、また鍵尻尾をふりふりして歩き去った。
イリーナはほっと一息ついた。やれやれ、とんだ予想外のことで神経を尖らせてしまったものだ。ほっとできるのも束の間、イリーナは物陰から通路の様子を窺った。
ちょうど、ローブ姿の二人が路地の角を曲がるところだった。二人は同時に右の角へ。
イリーナはすぐに追いかける。足音を立てないように細心の注意を払いながら、小さな甕や樽なんかを蹴飛ばさないように、そして靴が汚れないように綺麗な石畳を選びながら、抜き足差し足の忍び足。
思わぬところで役だったものだ。イリーナは士官学校で、犯人や謀反者なんかのアジトを突き止めるための尾行訓練が何の役に立つのかと疑問に思っていた。もっとも、授業である以上は真面目に真剣に取り組んでいたが、その訓練というのが嫌に厳しかった。
なにせ、クイーンを相手にバレないように尾行を続けるというものだったから、緊張感もあり、見つかれば命の危険もあるのではと相当気を尖らせる羽目になった。
おかげで、今も見つからず、丁寧かつ堅実な尾行を続けられているのは感謝をしてもいいくらいだ。
二人が曲がった角に辿り着き、イリーナは角の壁に体を付けた。煉瓦造りの壁はひんやりとしていて、いやに上がった体温を引き取ってくれる。
息を殺し、奥の通路を覗きこんだ。
二人は静かに粛々と路地を歩いている。
不気味だ。全く持って何を考えているのかさっぱり分からない。会話の一つでもしてくれれば、二人の目的が分かって、早々にこの尾行からもおさらばできるのに。
なんて嘆かわしい。二人は一言も話してくれないのだ。曲がるときも合図も何もなし。まるでお互いが通じ合っているかのようにピッタリのタイミングで道を曲がるのも不気味だ。
しかし、いくつか分かることもある。
一つは、あの二人がこのウェスタンブールの街で何かをしようということだ。一般の人間ではない。先ほどのネズミではないが、彼らから感じる気配、纏う空気感は一般のそれではない。イリーナがこれまでに出会ってきた、盗みや暴力行為を働くようなちっぽけな悪人たちとは桁が違う邪悪さがひしひしと伝わってくる。
もう一つは、二人の内一人、背の高い男の方はイリーナ以上の実力を持っているということだ。こちらも立ち居振る舞いや、雰囲気などで察することができていた。
それも度を越している。イリーナだけでは到底歯が立たない。足止めにだってならないだろう。それくらいの大差がありそうだ。敵うのはもっと強い、クイーンほどの実力が無ければ難しそうだ。
仲間が入れば、イリーナと共にエリートと言われる、四人の仲間たちと一緒にいれば、少なくとも足止めくらいはできただろうに。
今できる精一杯は尾行を続け、彼らの目的を把握し、自分よりも実力のある人間に、なんとか処置を頼むことくらいだ。
気を取り直し、イリーナは尾行を続けた。
結局、二人は会話を挟むことなく、路地から通りへと抜けてしまった。
出た場所は、士官学校へと続く通路を阻む門の一つだった。この門は正面の門と比べればいささか小さく、普段は職員たちの通用口として使われている。
そのため、警備は薄い。平時に限っては。
今は三人もの憲兵が門の前に立っていた。これは平時では考えられないことだ。明らかにこの街で何かが起きている。イリーナにそう確信させるには十分すぎる程に。
そして、その何かと関わりがあるのが、この二人なのだろう。
少し離れた樽の背後から覗かせるイリーナの顔に、煩悶の表情が浮かんだ。
自分はどうすべきか。
憲兵たちは二人の悪人がその通路を狙っていることを知る由もない。彼らに伝え、何か対策を打たせるべきか。しかし、イリーナの見立てでは彼らがローブの二人組に敵うとは到底思えない。
敵わないと分かっているのなら、見捨てるのも手だ。幸い、ローブの二人がイリーナに気付いている素振りは見せていない。
彼らに気付かれない内にここを去るべきか。イリーナはもう一つ、正面の門でも通用口でもない、全く別の士官学校への裏道を知っている。
士官学校の人間でしか知り得ない、さらに知っている人間が限られているあのルートを使えば、安全に士官学校内に、ことにクイーンに現在の危機を通達することが出来る。
なんにせよ、ここであの二人に立ち向かう選択肢はなかった。分が悪すぎる。
二人が動いた。
それを機にイリーナも動く。申し訳ない気持ちに胸を痛めながら、彼女が選択したのはいち早くこの場を去ることだった。
しかし。
イリーナが背を向けて歩き出した途端のことだ。
ローブ姿の男の方が、後ろを向いた。
ぞくり、とイリーナの背筋が凍えるように冷たくなった。思わず振り向く。
男がローブの中からカタナを取り出し、鞘を抜いた。
白銀の刀身がイリーナの目に移る。何と綺麗な刀身か。輝くだけではなく、ほぼ均一に波を打つ刃紋までもが遠目に見えた気がした。
そして。
刀の輝きはまばゆく、イリーナの目から光を奪った。
イリーナの意識は深い深い、眠りの淵のような真っ暗な中へと堕ちてしまった。
ども、作者です。
なんとか日曜日の内に更新できました。




