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カタナガリ  作者: リソタソ
オニキリマル
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盗まれた剣の行方

 ピーショウ。つばも無く、柄も刀身も同じ太さの短剣。大陸のとある大国にてその剣は生まれ活躍をしたという。

 もっとも、その活躍は表舞台ではなく裏舞台が主流だった。

 暗器。暗殺者に良く用いられたのである。長くもない短剣は、隠すのに適しており、暗殺にはもってこいだったのだ。

 さて、そんな剣が何者かに盗まれたとあっては……嫌が応にもいい想像などが浮かぶはずもない。

 ただでさえ、一度の人殺しが生じた後なのだ。

 誰かがまたも殺しを起こそうとしているのかもしれない。

 アーニィもリオも、はたまたジュリアもそんな嫌な予感にさいなまれていた。

「とりあえず、トンさんの部屋に宝石はありませんでしたね」

 新たな盗みが発覚したあとにも、持ち物検査は継続して行っていた。結果としてはリオの言う通り、トンの部屋には犯人が盗んだとされる宝石も見つからず、彼は犯人ではないと判断された。

「アイアイ、ありがとうだよ~、でも……」

 容疑が晴れたと言うのに、トンの表情は曇ったままだ。

「トンさん、そんなに気を落とさないで下さいよ。大丈夫です。ピーショウを盗んだ犯人も、きっとバーバラさんの殺人犯と同一人物です。俺達が調査を終えれば、あなたの商品を使われる前に取り返せますよ」

 アーニィがトンに優しい声をかけた。

 そうすると、トンも少しだけ表情を柔らかくした。

 ひとまずは、トンの持ち物の調査は終わりだ。

 次の調査を始めるために、一旦トンの部屋を出た。

「なんか、面倒なことになってきたわね」

 部屋の外でまっていたジュリアも室内の声は聞こえており、眉を寄せていた。

「一応、自分達も武装しておいた方がいいかもしれませんね。相手が武器を持っている以上は身を守るすべを持っておいた方がいいでしょう」

「……そうだな」

 トヨ以外は自分の武器を持ち出してはいなかった。武器はまだ部屋にある。

「自分が武器をとってきますよ。にーさんの分は二本くらい適当に持ってきますね」

「ああ、頼む」

 とアーニィが答えたとき、一人の反対の声が上がった。

「……別行動、ダメ。見張れない」

 大柄の船員、ビッグだ。むっとしたような仏頂面をしているが、彼はずっと同じ表情で、顔を見ているだけでは心情を読み取るのはなかなか難しい。

 今はまだ、彼の放った言葉のおかげで、注意を喚起していることは分かる。

 彼はアーニィたち四人の見張りを命令されているのだ。

 単独行動をされてるのは、遠慮願いたいのだろう。

「あー、そうですね……でも、全員でわざわざ行くのも面倒ですし……」

「でしたら、わたくしたちがここで残る方を見張っておきますから、船員さんは部屋に戻られる方を追いかける、というのはどうでしょう?」

 そう提案したのは別の人、ロビーにいたらしい士官学生のイリーナだ。

 一緒に、ナンパ男のラーチイもいた。

「……だが」

「ロビーなら、他にも船員さんはいらっしゃいます。ほら」

 と、促されるままにロビーを見渡せば、一部の部屋の前に船員たちが立っていた。

 客の安全を守るためだろう。あるいは、客の中にいるかもしれない、

 犯人を部屋の中に閉じ込め、これ以上の犯行を行わせたり、証拠を隠滅させたりしないため、という考えもあるかもしれない。

「これだけいるんなら、俺達が犯人だったとしても、変なことはしないさ。船員さん、リオに付いて行ってやってくれよ」

 アーニィのその一言がダメ押しとなり、ビッグはこくりと頷いた。

「サンキューです、にーさん。じゃ、できるだけ早くに取ってきますよ」

 そう言うと、リオはビッグを従えて、自室へと一旦引き返して行った。

「悪いな、甲板でもかばって貰ったのに、さっきも助け舟をだしてくれて」

「構いませんわよ。こういう状況ですもの。お互いに助け合わないと乗り越えられませんわ」

「それもそうだな。ありがとう。俺、アーニィ。こっちがジュリアで、そこのちっこいのがトヨ」

「む、アーニィ。お前まで私をチビというのか」

「はは、悪い悪い。で、さっき部屋に戻って行ったのがリオだ。よろしく」

「わたくしはイリーナ、そちらがラーチイさんですの。わたくしたちからも、よろしくお願いいたしますわ。出来る限り、協力いたします」

 士官学生とは、心強い味方だ。

 と、自己紹介が終わったところで、イリーナがアーニィに尋ねた。

「先ほどの話は本当ですの?」

「さっきの?」

「また、新たに剣が盗まれてしまったことですわ」

 ああ、とアーニィは肯定にも納得にも漏れる声を洩らした。

 ロビーへのドアは開けっ放しで、しかもトンの叫び声。ロビー全体にトンの声が行届いていたとしても無理はない。

 ふと考えれば、彼女のその事実を告げて良いものかと悩んでしまいそうなところだが、もう既に耳に入っている情報である以上は、告げようが告げまいが変りはない。

「事実だよ。ピーショウって短剣が盗まれてたんだ。多分、バーバラさんを殺した犯人が盗んだんだろうって、俺達は考えてるんだ」

「そうですの……いつ盗まれたかは分かりますの?」

「明確な時間は分からないけど……少なくとも、俺はロビーでトンさんと話していたときに、ピーショウは見せてもらってたんだ」

 トンいわく、ピーショウは一つしかなかった。つまりは、アーニィに見せていたピーショウが奪われてしまったと考えられると。

「わたくしたちもロビーにいたときですわよね。そうなると、武器商人のトンさんが自室に入ってお休みされたときから、無くなったと判明するまでの間、厳密にはあなた方とトンさんが自室に戻ってくるまでも間に、盗まれてしまったと考えられますわね」

 イリーナの推理に同意するように、アーニィはこくりと頷いた。

「二人がロビーにいる間には、トンさんの部屋に誰かが入ったところは見て……ないよな?」

「ええ。ですわよね、ラーチイさん」

「そうそう、俺もそれは保証するぜぇ~」

「部屋に忍び込めたとしたら、わたしたちがロビーにいない間。トンさんがお休みになっている隙に、部屋へと忍び込んで盗んだと推測できますわね。私たちが甲板でお互いのアリバイを探っている最中に……」

「その推測通りなら、アリバイを確認し合っていた連中は……なんて言ったっけ? あの短剣を盗むことはできなかった。殺しの犯人でもなかったってことになるわね」

 ジュリアの言う通りだ。しかし、そう考えるとなると……。

「盗めたのは一人しかいませんわね」

 全員が同じ顔を脳裏に浮かべた。

 痩せ細り、目の落ちくぼんだ学者の顔だ。

 彼以外に、アリバイを探り合っていたときに自由に動けた人はいない。

 彼を疑うのはかなり自然な成り行きだろう。

「あの学者さん以外にいるとしたら、さっきの大きな船員さんだけですわね」

 イリーナだけは、さらにもう一人別の人物、大柄の船員ビッグも容疑者として疑っていた。

 ただ、誰かが何かを言う前に、

「あくまでも可能性だけですわよ。あの人は見た目だけは人を殺しそうではありますけど、あまり害がありそうな雰囲気ではありませんもの」

 と付け加えた。

「まぁ、寡黙で真面目そうって感じはあるからなぁ……」

 先ほどもそうだ。自身の仕事にはかなり真面目に取り組もうとしていて、些細ないいつけであっても守りそうな、大型犬のような人。

 それが、船員ビッグに対するアーニィの持つイメージだった。

「なんて言ってたら、帰って来たわよ」

「お待たせしました。にーさんの分も持って来ましたよ」

 リオがビッグを引き連れて戻ってきた。

 リオがアーニィに、一本の短剣と長剣を手渡す。

「ありがと」

 リオの腰にも、二本の剣が携えられていた。

「……次の、調査」

 リオの後ろをついて来たビッグは、相変わらずの仏頂面でアーニィ達を促す。

 少々時間を置きすぎた。まだまだ調査をしなければならない対象はいる。

 早く成果を出さなければ、次の犯行が生じる可能性までもある。

 急いだ方がいいだろう。

 アーニィもそう思うが、もしもビッグもそう思っているのだとしたら、やはり彼は極めて真面目なのだろう。そんな心情を抱いているかどうかは、彼の表情からは伺えないことだが。

「じゃあ、次はどうしましょうか」

「次の調査は、ぜひわたくしたちでお願いしてもよろしくて?」

 リオがアーニィたちに尋ねたところ、意外なところから声が返ってきた。

 イリーナが、自分たちの調査を依頼してきた。

「俺も賛成ぃ~、なんだったら、調査も手伝うぜぇ~」

 ラーチイも、軽い言葉ではあるが、手伝おうと名乗りを上げてくれた。

 どれだけの力になってくれるかは不明だが、ひとまずは一人でも協力者が増えるのに、異存があろうはずもない。

「なら、こちらからもお願いします」

 改めてリオが一言断りを入れて、五人に加えた二人で、まずはイリーナの部屋へと向かった。

 さて、調査の結果を端的に言ってしまえば、二人の部屋に宝石は無く、それ以外に怪しいこともなかった。

 犯人を見つけるという目的を考えれば成果はなかったと言えても、犯人をさらに絞り込むことができたと考えれば十分の成果とも言える。

「次は誰の部屋に行きましょうか?」

「次は、あの学者のとこにしないか?」

「ええ。いいですけど、突然どうしたんです、にーさん」

 アーニィは、先ほどイリーナたちと話したことを告げた。

「分かりました。あの学者さんだけが、ピーショウを盗めた可能性があったんですね」

「リオも怪しいと思うだろ?」

「一応は、怪しいとは思いますね。ちょっと、気にはかかりますが」

「何が気がかりですの?」

「あの学者さん、随分と気が立っていますし、何より自分のしなければならない本作りにだけ注意が向かっているような感じがしましたから、お金のために殺しをする、とはなかなか思えないんですよね」

「それでも、荷物の確認くらいはしておこうか」

 ええ、とリオも納得し、一同は改めて学者の部屋に向かった。

 学者の部屋はロビーのすぐそこで、あっさりと辿り着く。

 こんこん、と二度、アーニィがノックした。

「……」

 もう一度、アーニィはノックをした。

 こんこん、

「……」

 返事もない。物音もしない。まるで空室にノックをしているような手ごたえの無さだ。

 少し心配になって、アーニィはイリーナを見た。

 こちらで間違いありませんわよ、とでも言うようにイリーナが頷く。

 アーニィ自身も、彼がこの部屋から出て、入って行った姿は目撃している。

 だから、間違えようもないのだが……。

 もう一度、アーニィは再度ノックをした。

「……」

 またも、何も聞こえない。

 寝ているのか? それとも部屋にいないのか?

 気持ち、アーニィが首を傾げたところだった。

 バンっ! と大きな音を立てて、ドアが開かれた。

 アーニィは音にもびくりと驚いたが、それ以上に目の前に立っていた学者の男の容貌を見てぎょっとした。

 落ちくぼんだ目に骸骨のように痩せた細長い顔。室内の僅かながらの光を零す灯りを背に受けて、へこんだ部分を影が覆い、一瞬、幽霊か何かと見間違えそうな容貌だった。

 学者の男は軽く表を上げ、アーニィをにらむ。

「……」

 無言が訊いている。何をしに来たんだ、と。

「あ、あの……あんたの手荷物、調べさせてもらえませんか? さっきの殺人犯を探してるんです。バーバラさんから盗んだ宝石と……」

 トンから新たに盗まれた剣があるかどうかを調べたい。

 アーニィは続けて申し出ようとしたのだが……。

「帰れっ! 私は本を作っているのだ、邪魔をするでないわっ!!」

 との学者の叫び声がかき消して、またもバンっ! と大きな音を立ててドアが閉められてしまった。

 一同は呆然と立ち尽くす。

「この船のおっさんたちはどうしてあんなに怒鳴るんだよ……」 

 アーニィの耳にはまだ、扉を閉めた音と怒鳴り声が反響している。頭ががんがんして堪らない。

「この大問題に協力していただけないなんて、自分勝手な方ですこと」

「やっぱよぉ~、あいつが犯人なんじゃねぇのかぁ?」

 憤然とするイリーナに、軽いノリでラーチイが告げた。

「見るからに怪しいですけど、まだ結論は出さない方がいいかもしれませんね。協力をしてもらえない以上は、外堀から埋めていくしかありませんから」

「む、ドアを破って部屋に押し入りはしないのか?」

「そんなことしたら、俺達が余計に怪しまれるじゃないか。実力行使なんてしなくても、他の部屋から宝石を発見すればもう解決さ。発見できなくても、そん時にあの学者が犯人だって判明するからさ、今すぐに無理して調べなくてもいいんだよ。な、リオ」

「その通りです、にーさん。ロビーに船員さんもいますから、部屋を出ればすぐに分かるでしょう。なので、自分達は安心して調査を進められます。学者さんは後回しでいいでしょうね」

「次はどちらの部屋を調べますの?」

「順当に隣の部屋を見てみればいいんじゃないかしら」

 ジュリアが言った。

「そうですね。じゃあ、隣の部屋にしましょうか。隣は誰の部屋か分かりますか、イリーナさん」

「確か……大道芸人のアンマナさんの部屋だと思いますわ」

「イリーナちゃんの言う通りだぜぇ~。俺もそこの部屋に荷物を持って入って行った後に今度は手ぶらで出て行ったのを見たからなぁ~」

「きっと、部屋替えをした後に、船長室へ向かったときでしょうね。じゃ、にーさん、頼みます」

「また俺がノックすんのかよ……。まぁ、いいけどさぁ」

 また怒鳴られはしないだろうか。

 心配をよそに、アーニィがノックをする。

「……」

 返事もない。物音も聞こえない。

 これは……。

「あれ? また反応無しか……。無視してんのか? 寝てるのか?」

 学者の男と全く同じ反応に、アーニィの顔がこわばる。

 散々無視しておいて怒鳴りつけられてはたならない。寝ているのならばまだしもこちらに非があったと思えるが、それでも怒鳴りつけられてはたまらない。

 不安そうな目で、アーニィはイリーナたちを見る。

「お二人は、あれからこの部屋にアンマナさんが入って行ったのを見ましたか?」

 イリーナへ、リオが聞いた。

「いいえ、申し訳ありませんけれど、わたくしたちもあれからずっとロビーにいたわけではありませんので……」

 アンマナが部屋にいる確証はない。

 意を決してもう一度アーニィはノックをした。

 返事はない。物音も聞こえない。

 完全な無音。

「不作法だけど……」

 アーニィはドアノブに手をかけ、回す。

 すんなりとドアが開いた。部屋の中は明かりが消されていて真っ暗。

 もしもアンマナが今寝ているとすれば……強行突破を図ったアーニィは三度怒鳴りつけられてしまうことになる。

 それはさすがに嫌だ。アーニィもこれ以上怒鳴られるのは、たとえ自分が悪くなくても絶対に嫌なのだ。今回はアーニィが絶対に悪いのだが。

 部屋はまだ無音だった。

 耳を澄ます。

 ……。

 真っ暗な部屋にロビーのランタンの明かりが入る。

 一人部屋はまだ暗闇がところどころに落ちているものの、狭い部屋を一望するには事足りた。

 部屋には誰もいなかった。

「なんだ、いなかったのか。鍵も付けずに出て行くなんて、不用心じゃないか」

 アーニィは内心ではほっとしながらも、いきがったことを言う。

 正直またも怒鳴られるのではと、怖かったのだ。

 それにしても、アンマナも不用心はなはだしい。

 なんせ人が一人死んでいて、金品や何やらが盗まれているという状況で、鍵も掛けずに、しかも一人でどこかへ出てしまっている。

「リオ、あの人も結構怪しい気がしてきたぞ。こんな時に一人でどこかに行くなんて、何か裏でもあるんじゃねえかな」

 アーニィはアンマナの一連の行動に疑念を募らせ始めていた。

「にーさんもそう思います?」

「俺“も”って、お前もそう思っているんだな?」

 アーニィの胸の内にじわじわと自信が湧いてくる。リオと同意見であれば、あながち間違いでも……。

「いいえ。自分は全然」

 がくっ、とアーニィはこけた。同時にころっと湧いてきた自信もどこかへ落っこちてしまう。

「期待させといてお前ってやつは……」

「彼が犯人ではないでしょうね。証人もそこにいますし」

 リオは親指で後ろにいる船員ビッグを指さした。

 犯行があった時、アンマナは他ならぬビッグと船長に自身の芸を見せていた。それは疑う余地はないだろうし、もし仮に犯人であれば、ビッグも船長のジムも共犯と考えた方がいい。

 共犯だったら今頃この調査は打ち切られていたことだろう。利が無さすぎる。

 と言う訳で、リオは全くアンマナを犯人だとは考えていないのだ。

「でも、変な行動をしているのは間違いありませんね。うーん、部屋を出ないようにしなくちゃいけないって空気が伝わってなかったんでしょうか?」

「あの人、アリバイ聞いてたときも笑ってたもんな」

 異国風の服を着たアンマナは間違いなく外国人だろう。上手く言葉のニュアンスが伝わっておらず、状況もイマイチ把握できないままに、自由気ままに行動をしているのかもしれない。

「うーん、にーさん。こちらも後回しにしましょう」

「……だな。じゃあ、残るは……」

 リオの提案を受け入れ、さあ次の調査をしようと思ったアーニィの脳裏に、残りの二人の顔が頭に浮かぶ。

 アーニィの顔が嫌そうに歪んだ。

「商人のポンドさんと貴族のワッツ様ですね」

 リオが言う。

「あの二人か……はぁ」

「にーさん、また怒鳴られるなぁって思ってますね。先にワッツ様のお部屋に行ってみましょうか」

 ポンドの部屋を調査するのはどうも気乗りがしない。何かとすぐに怒鳴り、いちゃもんやいいがかりをめちゃくちゃに言ってくる。アーニィとしても、リオにしても、できるだけ相手にしたくない性悪男だ。

 まだ貴族のワッツの方が話が分かり、協力もしてもらえそうだ。

 アーニィはリオの提案を受け入れ、次はワッツの部屋へ向かうことにしよう。

 そう言おうとした、その時だった。

「ぎいやあああああああああ!!!」

 男の声が、頭上から天井を貫いて聞こえてきた。

「また悲鳴っ!?」

 言いながら、アーニィが見上げる。

「む、甲板からだ」

 同じように天井を見上げていたトヨが言った。

「……これは、嫌な予感がしますわね」

 顎に手を当て、イリーナが呟く。

 悲鳴はロビーだけではなく、それぞれの部屋にも響き渡っていた。

「おいっ!! 今の悲鳴は何事かっ!!!」

 大声を上げて、ポンドが奥の部屋から歩いて来た。ワッツも一緒だ。

「またか……」

 ワッツは目を強く瞑り、嘆くような声を発した。

「アイアイ! 次は聞こえたよ~。な、なにがあったのね~!?」

 トンも慌てて出てきた。

 次々と乗船客たちが出てくる中、やはり学者の男だけは出てこない。

 かといって、待つ余裕は誰にもなかった。

 外の様子が気になる。一同が悲鳴を耳にしてから思っていることだ。

「甲板を見てこよう」

 アーニィの提案を聞くと、彼らと行動を共にしない人達は続々と出入口へと向かう。

 アーニィたちも移動しようとしたとき、リオだけが立ち止まり、船員ビッグに話しかけた。

「あ、そうです。一応、全員ついてきていただけませんか? それと、ビッグさん。この辺りの船員さんに、あの学者さんが部屋から出てくることがないか、しっかりと見張っておくようにお願いしてもいいですか?」

「……分かった。でも……口下手」

「はい、自分の方から軽く言っておきます。ビッグさんからという体で話しておけば通じてくれますよね」

 こくり、とビッグが頷く。

 船員たちにリオが話しを通すのを待ってから、アーニィたち四人とビッグ、イリーナ、ラーチイの計七人は、先に出た人達よりも少し遅れて甲板に出た。


「これはつまり……ううん。したがって……認めたくないものだな」

「やいっ! 船長っ! いったい何が……」

 外に出てアーニィ達が向かった先は、先ほどバーバラの死体を発見した場所ではなく、船の後方の甲板だった。バーバラの死体があったのは甲板の中央部で、前方と後方に挟まれ、凹字のようにくぼんでいた場所だった。

 今回はまるで天井の上から降り注ぐように悲鳴が聞こえてきた。

 つまりは、客室ロビーの上部から聞こえてきたということになる。

 その部分が船体後方の甲板、事件が起こる前にアーニィ達がいた場所だった。

 そこでまた、小さな円を作るように乗船客と船員が数名集まっていた。

 話し声がざわざわと聞こえて来ていたものの、一番はっきりと耳に届いたのは、落胆したような船長ジムの声と、彼を糾弾するように騒ぎ立てるポンドの声だった。

 アーニィとリオが先陣を切って人だかりに割って入った。

 中央はすぐ近く。

 二人の目に飛び込んできたのは、鼻につんと来る酸っぱい臭いを漂わせている……。

 アンマナの死体だった。

「これは……」

 視界にそれを入れた途端、リオが近寄り、死体の顔を覗き込む。

 平らな皿のような目を見て、リオは首を左右に振った。

「にーさん。残念ですけど、手遅れですね。こちらも随分、調査が進んできているというとに、次の殺しが起こってしまうなんて……」

 リオが悔しそうに下唇を噛む。

 自分達はピーショウが盗まれていたから次の殺しが起こされる可能性を知っていたのに。

 自分達はその可能性を知っておいて、何か行動を起こせたかもしれなかったのに。

 彼は、アンマナは殺されなくてすんだかもしれなかったのに。

 後悔の色が目に浮かぶのは、リオもアーニィも同じだった。

 犠牲者を悼む二人へ、船長のジムが声をかける。

 二人が後悔をする理由を知らなく、現状の問題に対処しなければならない責任者としての、冷静な声で。

「お嬢さん。私どもから、この件に関して報告を。つまり、あなたのことを私は個人的に信用していますので、したがって、彼……アンマナ様を発見した際のことをお伝えいたします」

「はい、お願いします」

 非情なようだが、起こってしまった以上はもう取り返しは付かない。

 できることは、次の殺しが引き起こされないようにすることのみ。

 リオはすぐに調子を取り戻し、眠たそうな目でジムに説明を促した。

「発見したのは、二人の船員でした。二人とも少々気が弱くてですな。つまり、二人とも死体を発見した途端、驚いてしまい、一人は腰を抜かして、もう一人は気を失ってしまったのです。したがって、二人とも今は船員室で休ませています」

「叫び声は、腰を抜かした方が上げたのですのね、それなら」

「ええ。その通りです。したがって、私は腰を抜かした者から話を訊いておいたのですが、ご覧の通り、彼の持っていたナイフで胸を一突き……つまり、状況としては、バーバラ様への犯行と似通っていますな」

「ふむふむ……」

 と、リオがアンマナの胸に突き立てられているナイフに視線を落とす。

 ナイフは深々とアンマナの胸に突き刺さり、服に血をにじませている。夜で、アンマナの着ている服も暗いブラウンで、あまり目立ちはしない。ただ濡れているように、海の飛沫を浴びて胸を濡らしているだけにも見えなくはない。

 ナイフさえ突き刺さっていなければ。

 もはや冷たくなった血が噴き出すのを押さえる蓋は、血から体から心から温かさを奪う、冷たい凶器でしかなかった。

 じぃ、とリオは穴でも空きそうなくらいにナイフを見つめている。何も言わずに。

 説明を続けていた船長のジムも、リオにこれ以上の言葉を投げかけようとはしなかった。

 おかげで、少し静かな夜風が、あたりを漂うだけになった。

「まったく、まさかこんなに早く次の犯行が起こっちゃうなんてねぇ」

 沈黙を破ったのはジュリアだった。

 至極何気なく、何の意図もなく、ただの独り言のように。

 しかし、その言葉に素早く反応する者があった。

「おいっ! そこの小娘っ! 今なんと言ったかっ!!!」

 商人のポンドだ。

 彼は間違いなく聞いた。「まさかこんなに早く次の犯行が起こっちゃう」と。

「……やばっ」

 ジュリアは自分の口を慌てて塞いだ。

「ふぅむ、まるで次の殺しが起こることを予見していたような口ぶりだったが……」

 ワッツに指摘され、ジュリアは余計にまずいと思った。

 自分達が次の犯行を予想していた、とは知られない方が良かったかもしれない。

 知っていて防げなかった、となれば、他でもない無能の烙印を押されるのと同じ。

 よりにもよってポンドに知られることになってしまうとは……。

 彼に知られるのが一番めんどくさそうだ。

「ジュリア。お前はドジだなぁ。余計なことを言わなければ良かったのだぞ」

「チビ! アンタがそれを言うなっての!!」

 ついでにトヨも妙に面倒だ。

 ポンドがジュリアを問い詰めるような目で見る。

 迫られても、彼女に紡ぐ言葉はない。どこか遠くの宙に目を泳がせるジュリアに、リオが助け舟を出した。

「……いずれにしろ、知らなければならないことですから、気にしなくてもいいですよ。えっと。先ほど荷物の調査をしていたときなんですけど、武器商人のトンさんの持ち物、バーバラさんの殺しのときと同様に、彼の所持している商品の中から、剣が一つ盗まれてしまっていたんですよ」

「アイアイ、だから、お嬢さん方は次の殺人が起こるのではないか、と危惧していたんだよ~」

 ポンドの額に青筋が浮かぶ。

「なんだとっ!! それを早く言わんかっ!!! ワシは部屋に戻るっ!!このままここにいたら、殺されてしまうかもしれんっ!! ささ、ワッツ様も。金目当ての殺しなのですから、あなたも危険です」

 腰を低くしたポンドに言われ、ワッツは顎を撫で、リオとトンを一瞥した。

 その目に含まれるのは、懐疑だった。

 第二の犯行が起きると知って、それを知らされぬまま居続けたことへの不満、あるいはその真意を問うような厳しい目つき。

 ワッツは続いて、神妙な面持ちで言葉を継いだ。

「ふむ……すまないが、私もひと足先に部屋に戻らせていただきたい。犯人かもしれぬ者が潜んでいるかもしれないここにいるよりは、たった一人で締め切られた部屋にいる方が、安心できるのでな」

 犯人かもしれない誰か。今この場にいてもおかしくはないその誰か。

 正体が分からない以上、潜んでいる以上、いつ胸を貫かれ、これまでと同じ屍と成り果ててしまうか見当もつかない。

 ワッツが一人になると言うのなら、彼は犯人をアーニィ達を含めた全員の内にいると判断したことに相違ない。

「私は構いませぬが、というとつまり……」

 船長のジムが、尋ねるような目でリオを見た。

 ジムは今も、彼女を、アーニィ達を信じてくれているようだ。決して犯人ではないと。

「自分も構いません。何より、ここにいる全員の安全が最優先ですから。後程、荷物の確認には向かわせていただきますから、できれば、起きていてください」

 リオはすらすらとよどみなく言った。

「承知した」

「ふんっ……」

 ワッツもポンドも、甲板に不和を残して部屋へと戻って行った。

 二人がアーニィ達の部屋の傍にある、船室へと繋がる扉に呑まれたのを見届け、ジュリアがぼやいた。

「あーあー、相変わらず感じの悪いおっさんねぇ~」

 お前が余計なことを言わなきゃ、もうちょっとマシだったかもよ。

 と、アーニィは胸の内で呟いた。

 それはさておき。

「イリーナさん。一つ頼みごとをしてもよろしいですか?」

 リオがイリーナに声をかけた。イリーナは訳知り顔で、頼みを承諾するように頷いてから、訊いた。

「ええ。あなたの頼みでしたら、わたくしは喜んで引き受けますわよ。この事件に関することなのでしょう?」

「話が早くて助かります。では早速、本題に入らせていただきますが……船室に戻って、ロビーの様子をしっかりと見ておいて欲しいんです」

「ええ。構いませんわよ。……それは、さっきの二人をよぉく見張っておけ、と解釈しても?」

 イリーナが眼鏡を人差し指で押し上げた。

 一瞬、船員たちが持っているランタンの赤い明かりがレンズに反射して、目の奥までぎらりと光る。

「二人だけに限らず、あの学者さんについても見張っておいてくれるとありがたいですね」

 何やら、二人だけで話が進んでいるような気がする。

 言わんとしていることは分からないでもないが、アーニィは確認のために、二人の会話に割り入った。

「なぁ、リオ。それってつまり、客室に籠っている三人の内の誰かを疑っているってことでいいんだよな?」

 力強く、リオがうなづく。

「当然です。にーさんも調べた通り、あの人達以外は宝石を持っておらず、完全にシロですから、自然と彼らの三人に容疑者は絞り込まれるじゃないですか」

「まぁ、そうだな……でも、それならなおさらアイツらの部屋を調べてしまった方がいいんじゃないか?」

 犯人を明らかにするのなら、証拠を見つけ出すのが手早い手段だ。

 わざわざ乗船客たちの部屋で荷物漁りをしていたのは、だからこそではなかったのか。

 引き続き荷物を調査すれば、おのずと犯人は現れるはず。

 アーニィは手っ取り早く犯人を見つけ、犯人にこれ以上の犯行を重ねさせないためにも、そうすべきだと考えていた。

 彼の問いに、リオはぼさぼさの頭を搔いて答えた。

「それもそうなんですけど……ちょっと気になるんですよ。自分はこの甲板と被害者について調べたいなぁと思ってて……」

 なぜか。

 それを問う前に、イリーナに口を挟まれた。

「なるほど。分かりましたわ。でしたら、わたくしはこれから……」

「あああ! 待った待った~。イリーナちゃんの代わりに俺がいっとくよぉ~」

 今度の会話への乱入者はラーチイだ。

「あなたがですの?」

「そうそう。だってよぉ~、俺じゃあ調査の役に立ちそうにないからよぉ~。俺でもできるようなことをやっておきたいんだよぉ~」

 確かに、彼は何の役にも立っていない。いる意味すらも感じない。

「そうは言われましても……」

「じゃ、そう言う訳でぇ~」

 困惑し、リオに助けを求めようとしたイリーナを無視する形で、ラーチイはさっさと船室へと走って行ってしまった。

 待て、と言っても彼は止まらず、扉の向こうへ。

「……まぁ、予想外でしたけど、これで調査を進められますね」

 行ってしまったものは仕方がない。リオは素早く切り替えた。

「お嬢さん。よろしければ、我々も調査の手伝いをさせていただきたい」

 ジムがリオへ言った。

「ありがたい申し出です。なら、甲板の様子を見ておいて下さい。何か、手がかりがあるかもしれませんし、あなたたちの方が甲板のおかしな点に気付きやすいでしょうから」

「俺達は何をするんだ?」

 アーニィが訊く。

「できれば船員さんたちの手伝いを、と言いたいところですが……」

 リオはちらりとビッグを見た。

「……見張る」

「だそうですので、自分の手伝いをお願いします。自分はご遺体を少し見ておきたいんですよ」

 分かった、とアーニィは承諾した。

「む、死体を見て何か分かるのか?」

 と、トヨが尋ねた。確かに、死体を見てこれ以上何か分かることはあるのだろうか。

 ナイフで胸を刺されて殺されている死体。

 物言わぬ、静かな人だったモノは、甲板に横たわり続けるだけ。

「ええ、間違いなく」

 リオは即座に答え、アンマナの遺体に寄ってしゃがみ込んだ。

「いいのか? そんな断言しちまってさ」

「もちろんです。というか、今一つはっきりと分かっていることがあるじゃないですか」

「なにが?」

「彼がナイフで殺されてしまっていることです。ほら、見て下さい」

 リオはそう言って、アンマナの肩からあばらの辺りまで長く伸びた衣服、ポンチョを裏っかえした。

 そこには、何本ものナイフが、びっしりと収められていた。

 恐らくは、彼が芸に使っていたナイフは、いつでも取り出せるよう、常にポンチョの裏地に忍ばせていたのだろう。ナイフを何本もすぐに取り出せた理由がここにあった。

 しかし、アーニィは芸のカラクリなんかには、ちっとも思い至らなかった。

 彼だからこそ気付けるそれに、恐らくはリオは既に気が付いていたのであろう、小さな共通点に、目が奪われていたのだ。

「……ポンチョの裏のナイフ、全部同じだ。胸に刺さっているのも」

 彼に突き刺さったナイフの柄。どれもこれもポンチョの裏地に収められているものと、同一のものだった。

 思えば、彼の使っているナイフは全部形状が同一のものだった。

 芸に使い易かったのだろう。あるいは、それしか買えなかったのか。はたまた、同じにすることに拘りがあったのか。

 いずれにしろ、語らぬ死体はアーニィ達に一つのことを知らしめている。

 彼は自分の持っていたナイフで殺されてしまったのだ、と。

 アーニィははっと息を飲んだ。

 その様子を見て、リオが口を開く。

「ええ。そうです。気になりませんか? 自分達が第二の犯行が起こると予想したのは、ピーショウが盗まれていたからです。それなのに、ピーショウが使われておらず、被害者の持ち物が使われてしまっています。どうして、ピーショウを使わなかったのでしょう?」

 問われ、アーニィは考える。

 ピーショウが盗まれていることを知り懸念したのは、ピーショウを使われて新たな殺しが行われること。

 しかし、この殺人ではピーショウが使われていない。最悪の事態は起こってしまったものの、予想の半分は外れている。

 そうなると気になるのは、なぜ犯人はピーショウを使わなかったか、だ。

 あの剣は間違いなく殺しに向いている。長細く鋭い刀身は、容易に心臓を貫けるだろう。

 もっとも、それは今もアンマナの遺体に刺さり続けているナイフにもできたことだ。

 他のナイフを見ても、刃渡りも十分な長さがある。

 しかし、どうも刃は薄いようにも見える。所詮は芸に使っていた安物のナイフ。肉を切ることはできても、骨を断つのは厳しそうだ。

 今回は運よく心臓部までナイフが届いたようだが、このナイフなら胸に刺したときに位置が悪ければ、骨に当たって折れてしまったかもしれない。

 素人であれば、そんなことに気が付かなくとも仕方のないことだが。

 確実に殺すのなら、ピーショウを使った方がいいと、思わなかったのだろうか。

 刃渡りも強度も細さも使いやすさもピーショウが勝る。

 それなのに、あえてアンマナの持っていたナイフを使ったことに、何か意味があるのだろうか。

 そこにどんな理由があるのだろうか。

「……うーん。なんでだろうな」

 しばし考え、出てきた答えは頼りないものだった。アーニィは両手を投げ出し、お手上げのポーズを取る。

「次の犯行のため、というのはいかがですの? たまたま次に狙いを定めた相手がアンマナさんで、武器を持っていたからそれを使った、と推測できると思いますの」

 同じくしばらく思考を巡らせていたイリーナが言う。アーニィとは頭のできが違うと感じさせるような理路整然とした答えだった。

 リオも理解を示し、頷く。

「ええ。それもあるでしょう。でも、どうしてアンマナさんなんでですかね」

 リオは、次の質問を辺りに向けて言い放った。

「リオ、お前はアンマナさんが狙われた理由に……あ、そうか。確かに、そう言えばそうだな」

 返す刀に何かを問賭けようとしたアーニィだったが、またもはっとした。

 今度は、リオの問いに対して応え得るだけの答えを見つけ出したようで、喉のつかえが取れたような顔をしている。

「む、どういうことだ?」

 トヨがさっぱり分からない様子で訊く。

「単純に考えて、この殺しが金目的だったとして、アンマナさんを狙う意味ってあるのかな、ってさ。だって、旅の大道芸人だったんだろ、この人。どう考えても、金を持っているようには思えない。金目的だったら、貴族か商人を狙うと思うんだよ」

 バーバラからは見に付けられていた宝石全てを奪われていた。

 したがって、犯人は殺しの目的を“金”に定めていたのだと考えられる。

 金のための殺し。その目的にそぐう人間は、アーニィの言う通り他にもいのだ。わざわざ、アンマナから金目の物を奪うとしても……彼から何を奪えばいいのか、ぱっと見ではさっぱり判別できそうもない。

「確かにそうよね。アタシだってそうするわ。こいつからは金の臭いがしないもの」

 アーニィ達の中で、盗みを働いて来たジュリアが言う。

 その間に、リオがアンマナの体を触っていた、重点的に触っていたのは、ズボンのポケットや、何か物をしまえそうな衣服のスペースだった。

「一応、お金は盗まれてそうですね。ポケットには何もありません。でも、この人が持っていたとしても、大した額ではないでしょうね。旅にはお金が入用で、貯金している余裕なんてないでしょうから」

 リオの言うことに、力強くアーニィが頷く。

 彼自身も旅をしている最中に金を散財してしまった経験がある。

 剣を買い過ぎた、というしょうもない理由だが、船の運賃や宿代、軽く食事をするだけでも、結構な金がかかることを、アーニィは身を以て実感していた。

 たくさんの金を、自由に使うことなど、旅をしている身ではできっこない。旅は基本貧乏だ。

 大道芸人という職業柄、旅をしていたのは予想がつくし、何より外国から来た人間だ。

 もっともっとまともな、トンのような商売をしていない限りは、盗みに遭うような金を所持し続けるのは難しい。

 アーニィそれが分かるだけに、余計になぜアンマナが殺されてしまったのか、見当がつかなくなってしまった。

 アーニィが空いた右手で頭を搔く。

「うーん、余計に分からないことが増えたなぁ。なんでピーショウを使わなかったのか、なんでアンマナさんを標的にしたのか……」

何かが分かるかもしれない。そう思って始めたアンマナの遺体の調査だったが、謎を深めてしまった。

 リオはアンマナの目を閉じさせ、立ち上がった。

 もうこれ以上、調べることはない。そう言うような決意の籠った目で、集った仲間たちを見渡す。

「自分達もそろそろ船長さんたちに協力しましょうか。何か……」

 と、言いかけたとき。

「わ、わあああああ! は、犯人だあああああ!!」

 またも、静寂な海のど真ん中に、叫び声がとどろいた。

 聞き覚えのある声だ。

 船長、ジムの太い男らしい声が、驚き、あるいは恐怖に無理やり引っ張り出されたような、悲痛な響きで、空気を揺らしている。

「急ぎましょうっ!」

 リオの一言を合図に、全員が走った。

 場所はそう離れてはいなかった。甲板の中腹あたり、いくつかの木箱が置かれた、メインマストの付近だった。

 そこに、船の床に尻もちをついたまま、両手を床に付き、今にも倒れそうな姿勢で、柵の方へと後ずさるジムの姿があった。

 そして、彼の前に。

「……」

 立ち尽くす一人の少女。黒い髪が夜風になびき、肩の辺りを毛先が撫でる。

 身を包む白い服。薄汚れているが、月明かりを浴びて、鈍く怪しく光を帯びる。

 服には、赤い模様が。

 いいや、模様ではない。右半身に地図に描かれる大陸のように広がっているのは、染みだ。

 赤い、どす黒くも赤い、血。

 一番赤く染まっているのは、右の袖だ。ちょうど二の腕の辺りが、真っ赤に染まっていて、袖はそこで途切れ、固く結ばれている。袖を通る腕もその先に姿を見せていない。

 無いのだ。

 一方の袖の一番先まで腕の通った左側。その左手に、剣が握られて、ジムへと突きつけられている。

 それに、ジムは怯えているのだ。

「あわ、あわわわ……」

 後ずさるも、もうすぐで背中が柵に付く。じりじりと、少女もジムに迫る。

 その目、その顔、その雰囲気。

 全てが海の底のように冷たい。左手に握られた剣がいつジムに突き立てられても、なんらおかしくないように見える。

 その少女に、握る剣に、アーニィとジュリア、そしてトヨは見覚えがあった。

「あいつっ……」

「嘘でしょ。あの傷で……」

 ジュリアは思い出す。

 あの日もこんな深い夜だった。先の折れた槍で動きを封じた少女が、突かれ、動けなくなっていた左腕を、自らの手で切り落としたのを。

 あの、サバンナで出会った少女だ。腕を無くして逃げ延び、そして、ここまで生き延びていた。

 もう生きていないだろうと、踏んでいたのに。

 しかし、ジュリアの胸中は複雑だった。

 彼女の境遇は良く分かる。彼女は親に捨てられ、海の外に売り飛ばされてしまった。

 自分も、親に捨てられたのは同じ。厳密には違うかもしれないが、気持ちは痛いほどわかる。

 生きていてよかったとも、死んでいたほうがよかったかもしれないとも、今は思う。


「……」

 足を踏み出す度に、少女の手に持ったピーショウが月明かりを、ランタンの明かりを反射する。そのまま突き刺さってしまいそうな、冷酷な鋭い光。

 光が揺らぎ、アーニィたちにも彼女の横顔が伺えた。

 何の感情も現れていない無表情。それなのに、いや、それゆえにしんと冷え切ったように冷酷。まるで、手に持ったピーショウの温度の無い刃が、そのまま乗り移ったかのような。

 少女が大きく動いた。

 ゆったりとした動作で、ピーショウを振り上げる。

「あ、あわわわ」

 ごん、と後ずさったジムの背中に、船の縁に設けられた柵がぶつかった。

 もう、逃げ場はない。右へ左へ、避けようと動いたところで、これ以上彼は動けそうもなかった。

 そして、振り下ろされる。

 ジムは目を瞑った。自らの死を悟る。海に初めて出た日から常にいつ訪れていいものだと覚悟はしていた。いつ海に投げ出されるかもしれない。いつ船と共に沈むことになるやもしれない。

 危険と共にある仕事だ。大海に体も意識も飲み込まれる。恐怖がありつつも、それはそれで、受け入れられないものではなかった。母なる海へ帰るだけ。

 そう、思っていたのに。

 まさか、全く別のことで、人の手によって命を奪われようとしているとは……。

 犯人を捜して、木箱の裏を見た時に見つけた、怪しい人物。

 声を上げてしまったが最後、抜き身の剣を向けられ、腰を抜かしてしまった。

 これでは、逃げられない。なんと間抜けな人生の幕引きだろう。

 無念。

 その一言が胸に浮かんだ。

 しかし、死は訪れなかった。

 開いた目の先に、薄明りと共に、眼前の様子が映る。

 半月を描くように曲がった剣が、振り下ろされたピーショウを受け止めていた。

 剣の持ち手、さらにその奥へと視線を向けると、そこには、ブレードの曲がった剣を右手に持ち、左手にはブレードがまっすぐな剣を持った、リオが立っていた。

 彼女がジムを守ったのだ。

「船長さん。動けますかっ!?」

 リオが怒鳴るように問う。

 びくり、とジムは跳ねそうになったが、ぶるぶると首を左右に振った。

「だ、だだ、ダメだ。つまり、腰を抜かして……」

「……やあっ!!」

 答えを聞いて、リオが刃を交わらせた、ブレードの曲がった剣を引く。ブレードを寝かせると、ピーショウのまっすぐの刀身を滑るように動いた。

 ピーショウに鍔はない。このままリオが引き続ければ、ブレードの先端、鍵錠になった鋭い剣先が、少女に突き刺さるだろう。

 気付いた少女が、飛び跳ねるように動き、避けた。

「……連れてく」

 その隙に、ビッグがジムに走り寄り、ジムに肩を貸して立ち上がらせた。

「す、すまないビッグ……。や、やつが間違いなく犯人だ! 木箱の裏に隠れていたんだ。つ、つまり、あ、怪しい! し、したがってアンマナ様を殺し、そに潜んでいたのだっ!!」

 立ち上がりながら、ジムが叫ぶ。

 避けた少女は甲板のほぼ中央に立ち、叫ぶジムには目もくれず、リオをじっと見据えていた。

「どこのどなたか存じ上げませんが……あなたが犯人ですか?」

 リオも見返し、問う。

 少女が縫い付けられたように動かなかった口を開いた。

「……排除する」

 少女は構えず、ただただピーショウの柄を強く握るのみ。

 しかし、少女のまとう空気は明らかに変っていた。

 凪の海から、嵐の海に変わるような、荒々しく、殺気に満ち溢れたまがまがしい空気を、少女が纏う。

 望んだ答えはない。ならば、闘うしか、ない。

「答えてはくれませんか。やる気なら、こちらも抵抗させていただきますっ!!」

 リオが、両手の剣を構えた。


「なぁ、アーニィ。あいつはサバンナであった奴だな?」

 立ちつくし、二人の様子を見ていたトヨがアーニィに問いかけた。

「ああ。見間違えるもんか。あの片腕」

「自分で切ったものよ。服装も顔も、同じよ……でも」

 ジュリアの顔が曇る。

 彼女が生きていたことへの驚きでも、幼い彼女が殺しに手を染めようとしていることへの悔やみでもない。

 ジュリアの目に浮かぶのは、困惑だ。目が信じられないと言っている。

「俺も……思えないな」

 アーニィも同意した。

「む。私もだ」

 トヨが腕を組む。

 彼女と刃を交えたトヨになら、あり得ないことだと痛いほどに分かるのだろう。

 何に。

 ジュリアが胸に溜まった困惑と驚きを吐き出す。

「ええ。あの子が金のために殺しをするだなんて……思えないわ」

 

ども、作者です。お舟の上でのお話も折り返し地点です。

しかし、文の量が多い。読み応えとなるのか、はたまた冗長な文章となったのか。

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