キング
ランタンの炎が怪しげに揺らめく。まだまだ火は勢いよく燃え盛っていて、再点火はまだまだ先になりそうだった。
牢獄での看守の仕事はいつもいつも退屈だった。罪人が最後に収容されたのはいつだったか。看守の兵ももはやそれも思い出せなかった。
やったことと言えば、ランタンの火を絶やさぬようにするだけ。毎日毎日そればかり。看守の兵士はつくづく退屈していた。
しかし、今日は違う。
揺らめくランタンの火から目線を鉄格子の奥へと向ける。
「んー、お嬢さんー。あなた、山ー賊なんーだって?」
兵士の声が反響する。彼の声は間違いなく牢屋の彼女にも届いているはずだ。しかし、彼女はぼんやりとしたランタンの明かりに背を向けたままで、うんともすんとも言わなかった。
それも兵士はあまり気にしなかった。久しぶりの収容された罪人で、しかも美人の女。退屈から逃れられるどころか、思いがけない刺激が訪れたと言ってもいい。
「山ー賊のアジトをぜひとも教えていただきたいんーだ。毎日毎日こうも平和じゃ退屈なんーでな。ここはいっちょ山ー賊のアジトに乗り込んーで壊滅させてやろうじゃないかと思ってんーだ。お前から聞き出すことができれば、俺の大手柄になる。そうすりゃあ、俺もこんな退屈な看ー守の仕事からおさらばできるってんーだ……」
山賊のアジトに乗り込む。それはなんて刺激的なことなのだろう。戦乱も大犯罪も起こらないこの平和な国で、これ以上退屈な看守を続けることなぞ、この兵士は嫌で嫌で仕方がなかった。
収容されているのは山賊のボスだそうだ。そいつはいい。俺が山賊の詳しい情報を根掘り葉掘り訊き出してやって、功績を上げて階級も挙げてやる。
そう意気込んでハッパをかけてみたのだが、女はやはり背を向けたままだった。
ちぇ、と兵士は舌打ちした。
女はしゃべる気が無いようだ。いくら美人の女が罪人として収容されたからと言って、後姿を見ているだけで退屈を紛らわせるわけもない。
もっと刺激的なことがあればいいのに、そう、例えば女が服を脱ぐとか。
そんなことを思っていると、背を向けた女が、ファーの付いた上着に手をかけ、脱いだ。
「おおお、お前、何をやってんーだ!!」
思った矢先の出来事。あまりのことに兵士は面を食らった。
上着を脱いだ女の姿は、上半身は胸に巻いたさらし一枚。薄明りに照らされる背中は、ほんのりと熱を持っているようで、兵士は思わずぐびりと唾を飲んだ。
非難がましいことを言ってしまったが、兵士も男。しかも女っ気も刺激もない牢獄の看守をしていたためか、いいぞもっとやれと喜んでいる。
果たして、その彼の思いは通じるのか。
牢屋の女は背中に腕を回して、さらしに手をかける。
結び目を解くとするするする~っと、さらしが取れて、裸の背中があらわになった。
「何しようが、アタシの勝手でしょう?」
女がそう言いながら、体をじりっとわずかに回す。さらしをぽとりと手から離して、空になった手を胸に当てる。
肘のあたりが丁度胸の先端を隠していた。それ以外は、兵士の視野、ちょうど女の真横から見えている。たぷんと重たそうで、それでいて腕に押されるがままにへこむ柔らかさ。完全な球形と言ってもいい位の丸み。
兵士も男。女の恵まれた体、具体的には横乳にすっかり目を奪われていた。
「き、貴様……さ、山ー賊のくせして……」
「いい体でしょ? 見てていいわよ」
「な、なんーってことを! み、見はせんーぞ。曲がりなりにも軍ーの兵。おんーな一人の誘惑なんーぞに……」
負けてしまいそうだった。兵士の精いっぱいの抵抗だ。
「もっと、見たくない?」
女が妖艶に笑いながら、さらに体を回した。ちょうど、兵士に体の正面が向くように。
片腕に抱えられた、男を惑わすためだけにあると言っても過言ではない双丘が、兵士の目に入る。
「見たい!」
兵士の抵抗という牙城は、もろくも崩れ去った。もはや欲望に忠実なサル同然の超光速反射でそう答えた。
「正直ね。その正直さ、嫌いじゃないわ」
女は怪しげな笑みを浮べる。意味深な笑みだ。
いったい何を意味しているのか。
単純に考えれば裏がありそうだと考えるものだが、兵士の今の状況は目の前に餌を置かれた獣も同然である。頭はちっとも働かない。
ごくりと生唾を飲んで、女の胸に視線を集中させる。
ところが、女は兵士の期待に反して、すぐには手を外さず、そのまま後ずさった。
一歩二歩三歩と下がる。狭い牢屋の中、あっという間に壁際にまで到達した。
「壁際に断たれてはここからじゃ見えんーじゃないか」
牢屋の壁際には残念なことに光が十分に届いていない。おかげで女の姿も屋内の息苦しい暗闇にほとんど隠れてしまっていた。これでは、女が手を離してもなかなか見えない。兵士は兜をかぶってもいるから、なおさらだ。
「兜を取って、檻の中に入れば良く見えるわよ? ほら……」
女はそう言って、指をちらちらと動かす。片方が丁度四本の指で隠されているため、指を動かすだけでも、見えそうになる。
「確かに!」
鼻を伸ばした兵士の脳みそは仕事を放棄していた。言われるがままに兜を取って、腰に付けていた鍵で錠を開け、牢屋の中に入って行った。
さて、そこからはもう語らずもがなの出来事が起こった。
女の胸を目がけて突撃する兵士をかわし、女は兵士の首の後ろに肘を一撃。当て身に成功し、見事に兵士を気絶させてしまった。
「あっさり騙されちゃって。アンタみたいな馬鹿に見せるほど、アタシの体は安くないわよ」
女、もといジュリアは気絶した兵士を見下しながらそう言い放った。
全てが脱獄をするための手はずだったのだが、彼女自身もこうもうまくいくとは思ってはいなかった。
本当に平和ボケしきっているわね、この国の兵士たちは。
ジュリアは呆れ返りながら、準備を進める。一度取ったさらしを強めにまき直し、自慢の豊かな胸のふくらみを抑えると、兵士の鎧と服を脱がして、それらに着替えた。
兜を被れば、誰がどう見てもこの国の一兵士の姿そのものだった。不用意にしゃべることが無ければ、脱獄犯だとバレることもそうそうないだろう。
そして、これまた兵士から奪った鍵を使って、兵士を閉じ込めてしまえば、当分は脱獄も知られまい。
つまりは、安全に脱獄できる。
「さぁて、王宮の宝物庫に行ってみますか。どんなお宝があるのか、わくわくするわねぇ」
……はずなのだが、山賊女王を自称するジュリアは転んでもただで起きるような女ではなかった。
ジュリアはかちゃかちゃと鎧を鳴らしながら、牢獄の外へと向かって行った。
王宮の近くに兵舎、および牢獄などがある。何度も王都に侵入したことのあるジュリアは、それを知っていた。
まず、彼女が牢獄を出て向かった先は兵舎だった。休みの兵か非番の兵しかいない兵舎。そこに忍び込むのは容易なことだった。兵士の格好をしていれば怪しまれることもなく、堂々としながら、建物の中に入れた。
目的は、王宮の見取り図を探すのと王宮内部の宝物庫の担当が誰であるかを調べることだった。
こちらもそう難しくはなかった。残念ながら、見取り図を発見することはできなかったが、宝物庫に担当者がいないことが分かった。兵士の手帳を見つけたのだ。仕事内容が事細かに記されており、そこからこれまでに宝物庫の番をしたという記録を発見できなかった。逆に考えれば、宝物庫の番という仕事が兵士に課せられていないと分かる。
兵舎の兵士もさほど多くない。それどころか、ここに到達するまでもすれ違う兵士の数は多くはなかった。
つくづく平和ボケをしている。
これならば、見取り図はなくとも王宮内を手当たり次第で歩き回れば、宝物庫の一つや二つは簡単に見つけられそうだ。
そう思いながら、兵舎を出たところだった。
「お前、持ち場はどうした?」
一人の兵士が、ジュリアに話しかけた。ここにいることを咎めるような口調ではなく、雑談をするような口ぶりで、あの看守をしていた兵とは仲のいい相手なのかもしれない、とジュリアは想像した。
無視をしてしまうと逆に怪しまれるかもしれない。
「……これから向かうところだ」
ジュリアは極力声を低くくぐもらせながら答えた。元の兵士を知っている相手であれば、バレてしまうかもしれない。内心ジュリアはひやひやとしていた。
「早く行け」
バレてはいなかったようだ。兵士は行先を顎で示すように、かちゃりと兜を鳴らした。
ひとまずほっとしたジュリアは、兵舎の入り口から正面を見た。正面には王宮がある。白壁の四階建てで、いくつもの窓がある。
見るからに豪奢な宮殿。当然国中で徴収された税が集まった、贅を凝らしたこの場所に、金目のものがないはずもない。
これは予想以上のお宝にありつけるかも……。
その上警備も薄い。余裕ね。余裕でお宝奪ってさっさとアジトに帰っちゃいましょ。
そう思いながら、一歩踏み出そうとしたとき、王宮から歩いてきている、一人の男性を見た。
その男、鎧を着こんではいるが兜は被っておらず、顔を露わにしている。長髪の白髪に、それにも負けないほど長い白髭。同じく白い眉毛の下の三白眼。まるで威厳という文字をそのまま人の形にしたような、鈍重な威圧感がある。
思わず、ジュリアは立ち止まってしまった。
この男、できる。
ひりひりと感じる威圧感から、ジュリアはこの男がまぎれもない古強者であることを察した。
果たして、この男は何者なのか。
「き、キング!? なぜ兵舎にいらっしゃるのですか?」
先ほどジュリアに声をかけた兵士が、近づく男を見てそう言った。
キング? ってことはつまり、この国の王様?
頭を振って、浮かんだ思考をジュリアは否定する。
この国の王はこんなおじいちゃんじゃない。もっと若い男だとジュリアは知っていた。その上、王の父も祖父もすでに亡くなっている。
ならば、この男は……。
「うむ……欠礼である」
近づいた老兵が言った。欠礼、すなわち礼儀を欠いていること。
はたと思い至り、慌てて兵士が敬礼をした。どうやら、先ほどの言葉は敬礼をしていない兵士たちに行った言葉のようだ。
つまりは、ジュリアに対しても。
ジュリアも兵士に従って敬礼をした。
「うむ……結構である」
キングは満足げに目を細めて、髭を撫でた。それだけを見ていれば、好々爺のようである。しかも、撫でつけている髭に鮮やかな赤い色が付着している。
少々だらしなくも見え、穏やかそうな笑みを浮かべる老兵。
しかし、彼はただの老兵ではない。ジュリアも敬礼をしながら冷や汗をかいた。
この老兵から漂う強者の雰囲気。それだけでもジュリアは圧倒されていたが、ついにその理由に思い至った。
キング。それはあのエースと同じ、十二騎士の称号の一つだ。
この国の最強の騎士たち。そのうちの一人で、中でも特別に強い者にのみ与えられる称号、キング。
威圧感があって当然だ。
予想以上にとんでもない存在を目の前にして、ジュリアのおでこに当てた手が、小刻みに震える。
宝物庫から財宝を盗むのが余裕だなんて。その認識を改めなくっちゃいけないわね。
ジュリアはそれでも、ここで盗みを働くことを止めるつもりはないようだ。
「きょ、今日はいかようなご用でありますか」
改めて、兵士が質問を言い直した。兵士たちの会話に、ジュリアも耳を傾ける。
「うむ。最近わが軍もたるんでいるような気がしての。時間の空いている者に訓練を付けるつもりで参った」
「じ、自分は兵舎の番を……」
「仕事があるのなら、早く持ち場へ行くといい」
これはしめた、とジュリアは思った。一応、自分には仕事があることになっている。
「はっ……ところでキング。つい先ほど食事を召し上がったのでありますか?」
「いかにも……臭うかの?」
「いえ、その。口元の髭にソースが」
「うむ? これは失敬である。自分ではなかなか気付かぬの。指摘感謝である。いやはや、拭かねばなるまいな。二人とも持ち場へ行くがいい」
「はっ!」
兜をしていたおかげか、キングに自身が変装していることがバレることはなかったようだ。持ち場に向かうのを装って、ジュリアはその場を歩き去った。
うまく切り抜けられた。これって、結構運が向いてるってことじゃない? うんうん。この調子でお宝もかっさらって行っちゃうわよ~。
と、ジュリアは思わぬ大物から逃げ切ることができ、少し調子に乗っていた。
「……はて、奇妙な臭いである」
しかし、立ち去って行くジュリアの背を見ながら、キングは何やら不穏なことを呟いていた。
ひとまずは、ジュリアは無事に王宮の内部に潜入できた。宝物庫を探して、王宮を巡る。王宮の内部は、外装と同じように非常に豪奢だった。
赤いじゅうたんに、絵画やつぼ。廊下を歩いている最中に視界に入るものだけを見ても、高そうなものばかり。
期待が高まるわね。宝物庫にはいったいどんなお宝が眠っているのかしら。
わくわくしながら王宮を巡る。しかし、そう簡単に宝物庫は見つからなかった。
むろん、道中にもある程度は気を配らなくてはならなかったせいでもある。侍女や執事とすれ違う程度であれば、特に大きな問題はなかったが、気を付けなければならなかったのが兵士だ。
兵士に見つかれば、さすがに怪しまれてしまう。王宮内で巡回している兵士や、要人の部屋の前で番をする兵にはできる限り見つからないように努めた。
角に隠れてやり過ごし、チャンスを見計らってすれ違ったり、要人の部屋らしきところには近寄らないようにしたり、細心の注意を払った。
それだけの苦労をもってしても、宝物庫を見つけられなかった。
理由は非常に簡単だ。王宮の造りは四つの建物が、真四角の辺になるような形になっている。その角には見張りの兵がいて、移動することができなかった。すなわち、ジュリアが散策できたのは、王宮の一部分にすぎず、そこには宝物庫がなかっただけのことなのだ。
別の棟へと行かなければ宝物庫はみつからない。そうなると問題は、どうやって移動するかだ。
ちょうどロのような形になっているこの王宮の真ん中は中庭になっていた。そこへは今いる場所からも出られて、なおかつ見張りの兵の姿もなかった。
しめた、とジュリアは一度中庭に出た。
中庭は緑の芝生に覆われ、十字に白い石畳で道が作られた、かなり広く簡潔な作りになっていた。
ここがなぜそのような作りになっているのか、目的なんぞはジュリアにはどうでもよかった。窓はあるようだが、人の姿は確認できなかった。
一気に駆け抜ければ、たとえ人がいたとしても見つかりはしないだろう。距離的に一番近いのは、左側の建物で、出入口も発見することが出来た。
ジュリアは覚悟を決めて、走り出した。
かしゃかしゃと鎧が擦れて鳴る。その度に、建物の窓の様子を窺ったが、ひとまずは人影を見ることはなかった。
よし、これなら行ける。
あと数歩で、入り口に到達する。
その時だった。
「どちらへ行かれるのかの。お嬢さん」
突如、声をかけられた。ぴたり、とジュリアは立ち止まった。
その声に聞き覚えがあった。おりしもつい先ほど耳にした声。背筋がぞくりとする。
「うむ。軽率である。吾輩がいるにも関わらずこの王宮へ侵入する賊とは。一体どこから侵入したかは、判然とせぬが……」
振り返って見れば、先ほどジュリアが出てきた出入口の前にキングが立っていた。片方の手で髭をいじり、もう片方の手に槍を持っている。その背には先ほどは携えていなかった二メートルはあろうランスを背負っていた。
しかも、ジュリアの身なりは完全に王宮の兵士のそれにも関わらず、キングはあっさりと賊と見抜いている。
やば。急いで逃げなくっちゃ……。
「それは過誤である。逃げ出そうと考えなさるな。背を向けて走り出す瞬間に、我がランスがそなたの背中を貫くであろうぞ」
ジュリアの思考を読んだかのように、キングが言う。
本気で言っている。言葉が彼の持つ槍のように突き刺さる。そんな鋭い威圧感が彼の発言にはあった。
観念するしかない。逃げ出そうとすれば、本当に殺されかねない。
意を決してジュリアはキングをにらむ。
ただ、捕まるつもりはなかった。なんとかして、逃げる算段を考える。そのための時間を稼ごうと思ったとき。
キングが手に持っていた槍を投げた。
その槍はまっすぐに飛んで、穂先をジュリアの足もとの地面に埋め込んだ。
避けることが出来なかった。否、動くことも、キングの行動に何かの反応を示すことも一切できなかったのだ。
幸運だったのは、これが攻撃の意図を持った投擲でなかったことだ。
キングは言う。
「吾輩、おなごに手を上げるのも気乗りはせぬが、丸腰相手に、というのも大いに気が引ける。何事もなく投降してくれる気になれば、吾輩も嬉しいのだが……」
ジュリアが素直に投降に応じることはない。初めからそう確信していたのだ。そうでなければ、この槍を持ってくることはなかっただろう。
侵入してきた相手に、武器を渡すようなこと、本来ならばするはずもない。
それだけではない。武器、すなわちは抵抗力を与えても、それを組み伏せる力を持っているからこそ、このようなことができるのだ。それはキングの自信の現れであり、ジュリアを明らかに下に見ていることでもある。
随分、舐めた真似をしてくれるわね。
敵うような相手ではない。武器を交えなくとも、相手のまとう空気からジュリアは分かっていた。
しかし、こうも舐められて何もしないわけにもいかなかった。
戦いながらでも、なんとか逃げる算段を立てればいい。
ジュリアは刺さった槍を抜き取った。
「投降拒否と判断するがの」
キングも背負っていたランスに手をかけた。
「当たり前じゃない。投降するなんて馬鹿なことを、この山賊女王のジュリア様がするわけないでしょう!」
ジュリアは叫び、槍を構えてキングに襲いかかった。
ども、作者です。
次の8話分8部の1部に突入ですね。大分前の話と文章が変っている気がします。いい意味か悪い意味かは分かりませんが。




