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カタナガリ  作者: リソタソ
オニキリマル
42/104

対立

 安宿でも三人は無事に朝を迎えることができた。風呂上りに相変わらず全裸で歩き回るトヨのせいで、アーニィはまたも余計な気苦労を抱えることになった。ジュリアも本当に全裸で歩き回るバカが実在したのか、と目を疑い、服を着せるのに肉体的精神的な苦労を抱えることになった。

 そんなアーニィとジュリアばかりが余計に疲れをためただけの夜が明け、日が昇ってすぐに、トヨは目が覚めた。外の風景が唯一見える、石壁に作られた人の顔ぐらいの小さな窓を覗き込む。

 気にしているのは北の方角、崖とその上にある本町のあたりだ。昨晩は普通に寝てしまった。八分目ぐらいは腹も膨れており、長い間歩き続けていたせいか、目を瞑ってすぐに寝入ってしまうのは十分なくらいの疲れもあったらしい。

 本当は、昨晩ずっと妖刀の気配があの場所から動かないかどうかを見張り続けるはずだった。そうすれば最悪、この地から離れようとしている妖刀を持っているローブの男達に追いつくことだってできただろう。

 寝てしまったのは失策だった。その間に完全に気配が断たれていれば、完全に逃してしまう。一体どのくらいの距離まで妖刀の気配を感じることができるかは分からないから、また当てのない旅をしなければならなくなる。やっと妖刀に近づけたのに、破壊できなければ、使命の成就から遠ざかってしまう。それだけは避けたかった。

 目覚めてすぐに窓の方を気にしたのは、まだ妖刀の気配を感じられるか試したかったのだ。

 トヨは肌がぴりっとする感覚を確かに感じ取った。妖刀の気配はまだ、あの崖の向こうにあった。

 しかし、まだ安心することはできなかった。気配があるのだから、それは喜ぶべきことだ。まだ、妖刀を破壊できたわけではないので、喜ぶ、と言ってもぬか喜びになる可能性もあるが。

 ただ、安心しきれない理由が別にある。妖刀の気配は感じるが、それが弱い事、そして、複数あることだった。数にして十以上は感じる。数的に考えれば、あのローブの男達の人数よりははるかに多い。だが、心当たりはある。あのサルと呼ばれた、立体的な影を発生させ、操る能力のある妖刀を使う男。彼が今影を出しているのであれば、数の問題は解決したも同然だ。

 問題は、気配が弱い事である。すべてが同じような微弱な気配。そこにいることは分かるが、ほんの少し遠く離れてしまうだけで感じられなくなるかもしれない、と思うほどだ。

 そう考えると……。

 トヨが思案にふけっていると、もぞもぞと他のベッドから物音が聞こえた。

「ふわぁ、何ぃ、もう起きてたの?」

「ねみぃ……」

 アーニィとジュリアも目覚めたようだ。

「早く準備をしろ」

 そう言うトヨの声は、命令を何が何でも通そうとするような力強い声だった。



 トヨに急かされるままに準備を済ませたアーニィとジュリア。彼らには彼女の態度の理由がちっとも分からなかったが、自分達が急がないと一人で先に昨日足止めをされた場所まで行ってしまいそうだったので、言われるがままに行動した。

 今日は昨日とは違い、通行料を渡せばあっさりと階段の関所を通過することができた。

「昨日通れなかったのが嘘みたいだ」

 あまりにもすんなりと通れたために、アーニィが愚痴っぽく独り言を零す。

「まぁ、きちんとルールに従えばこんなもんよ」

「ルールに従うとか、山賊のお前には似合わないな」

「仕方ないでしょ。って言っても、階段のとこだけよ。本町に入ったら決まりなんていくらでも破ってやるわよ」

 アーニィの同行者たちは、どうもやんちゃな女性が多いらしい。もう一方のトヨは、一足先に階段をぐんぐんと登っている。階段は随分と長く、高くそびえており、百段も二百段も、もっともっとありそうだが、彼女は大体十段くらいは先を歩いていた。

 歩くペースも早い。それがアーニィには焦っているように思えた。

「もうちょっとゆっくりでもいいんじゃないのか?」

 トヨにも聞こえるように、大き目の声でアーニィはトヨに話しかける。

「嫌だ。急がなくてはならんのだ」

 アーニィの意見はあっさりと否定されてしまった。首だけを回して、後方にいるアーニィへちらりとトヨは顔を見せたのだが、目を細くし、もうしわが残ってしまうんじゃないか、と言う位に眉をひそめていた。この町に来てからずっとそんな険しい表情をしているな、と思いながらも、アーニィは前へ前へと進んで行くトヨを追いかけるのだった。



 階段を登りきると、遠くからこれまでとは全く違う匂いが漂ってきた。ほんのりと、口の中が塩辛く感じるような香り。鼻孔をくすぐるその匂いに、アーニィは海が近くにある港町であることを実感する。

 アーニィ達が来たのは、ちょうど港の真反対。アーニィ達にとっては入り口だが、街の顔ではなく、お尻の部分だ。それゆえに、うわさに聞いていた華やかな町、とはまだ遠い街並みをしていた。石造りの家がただただ並び、耳を澄ませば、中から子供の声や母親の怒鳴り声など、穏やかな生活音が聞こえてきそうだ。

 要するに住宅街。この港町で暮らす、商人や商店の経営者、さらにはこの町で、遠い異国からの来訪者を体でもてなす、娼婦たちの家々だった。

 そのようなことに一切無関心で、トヨはやはりぐんぐん進んで行く。地理を全くは知らないはずなのに迷いなく突き進む。トヨは妖刀の気配を的確に追いかけていた。

 近づくにつれて、やはり妖刀の気配は強くなっている。しかし、それでもまだまだ微弱であった。トヨは適当に一番近くの気配に近づいているが、正直なところこの気配が間違いなくあの影のものであるとは理解していた。けれどもその姿をこの目で確認するつもりだ。それは彼女なりの実験でもあった。

 走るトヨを追いかけるアーニィとジュリア。彼女たちを取り巻く景色は、相変わらず石造りの四角い建物ばかり。王都の時と同じく、カクカクとしたいくつも枝分かれをする道が作られており、あまりの景色の変わらなさに、自分たちが今どこを走っているのか、地理感があっても分かり辛くなってしまいそうだ。

 その道中、一つの十字路の真ん中に、影はいた。無論、真っ先に見つけたのはトヨだ。しかし、この影の様子が少々おかしい。影は突っ立っているだけで、きょろきょろとあたりを見渡すように頭を動かしている。手にはこれまた影の真っ黒なカタナを持っているが、それを使って何かをするわけでもなさそうだ。

 トヨは背中に背負った、大剣エンシェントを抜き出した。ブレードの殆どを赤さびが覆っており、ちょうど刃の部分だけは錆が無く、宝石のような真っ白い刃をむき出しにしている。

 影はこちらに気付いてはいないようだった。あいにく、顔の凹凸も無いため、正面をこちらに向けているのか、逆方向を向いているのか分からない。ただ、両手両足が左右に見えているので、横を向いていないことだけは間違いない。

 気が付いていないのなら背後。背後からなら……!

 あっという間に距離を詰め、三メートルはある大剣を上から下へ、頭から地面へ向けて振り下ろした。

 ずばっ、と影が真っ二つに切り裂かれる。手ごたえは全くなかったが、二つに分かれた影は地面にぱたりと倒れると同時に、蟻が地面を這うように霧散していった。

 それらをアーニィとジュリアも眺めていた。ただ、多少距離が開いていたため、何もすることはなく、トヨに追いついた時にはもう既に影は塵一つ残さずに、完全に消えてなくなっていた。

「これって……」

 この前の影。ならば、あの妖刀使い、サルと呼ばれていた黒髪の痩せた男がいるんじゃないか、と思い至る。

「……行くぞ、次だ」

 しかし、それをトヨに尋ねる間もなく、トヨがまたも歩き出してしまった。

「おいおい、待ってくれよトヨ!」

「そんな暇はない。これから一番遠くに感じる気配のところまで行くんだ。急ぐぞ」

「ま、まだ気配はあるのか?」

「ああ、まだまだな。だが、それはどうだっていい」

「どうだっていいって、そりゃ……」

「無駄口を叩く暇も惜しい。行くぞ!」

 説明を求めようとするアーニィだったが、ものの見事にスルーされてしまった。

「今日は一段と可愛げがないわねぇ。それにしても、お腹空いたわぁ、朝ご飯食べ損ねちゃったもん」

 ジュリアが並び立ち、先を走るトヨを見ながら、何とものんきなことを口にした。


 トヨが言うには次は最も遠くにある気配をターゲットにしているらしい。遠く、とは言ってもいったいどこまで行くのだろうか、まさか、街の外にでも出やしないだろうか、と少々不安になった。

 が、少なくとも町の外に出てしまうという懸念だけは、無事に取り払われた。

 トヨについて行き、道を進むにつれて、だんだんと地面の傾斜が緩やかに下がっている。気が付けば、あっという間に坂道を下っているようになっていた。

 それどころか、これまでは家の壁、屋根、窓ばかりが見えていたのだが、傾斜が生まれたためか、遠くの景色までもが見えるようになった。

 道の先、傾斜の執着地点の先には港が気付かれていた。いくつもの埠頭が作られた港には、何艘もの大型の船が停泊している。その手前には町が広がっているが、その家々は、ここと同じような石造りらしい四角い物から、木で作られているのか、屋根が尖っている家、さらには小さな城のような塔が作られている大型の建物までもがある。ここと向うとでは、同じ町とは思えないほど風景に違いがあることだろう。

 また、今も進んでいる道の脇にある家々も、斜面に半分が埋まっているような家がいくつもある。ここからもう既に、新たな街の風景が始まっているのだった。

 坂を下りるにつれてどんどん潮の香りも強くなり、ついに傾斜が終わると、先ほどまで見下ろしていた町にまで到達した。

 朝早い時間だが、人の姿はちらほらと見受けられる。人が起きだす時間帯でもあるが、そればかりが理由ではない。夜を眠らずに店で過ごし、日の出とともに就業を迎える者もいる。酒による夜通しのもてなし。情熱的な一夜限りの楽しみ。お天道様の下では行えない裏の取引。立ち並ぶ商店が掲げるこの国ではない文字の看板や石造りではない木造や塔のような建物などのこの国とは違う文化ばかりが入り乱れている訳ではなく、様々な人の思惑が錯綜する町。それが、この国の窓口、ノルストダムの町。

 目が覚めたばかりの重たいまぶたのままで、仕事場の港へと向かう船乗り。朝食を欲する異邦人たちを朝から持て成すために仕込みに向かうレストランのシェフ。これから眠りに向かう酒気帯びたあくびを零すドレス姿の女性。誰もが半覚せい状態で、足取りはゆったりとしている。

 そんなところを場違いなまでも全力で駆け抜けるのが、トヨであった。崖の上の住宅街では人に出会わなかったが、この港町では通りごとに最低でも一人か二人とはすれ違う。そのたびに怪訝そうな顔をされたり、驚いて眠気が吹き飛んだように目を剥く人もいた。まるで足跡のようにトヨが通った後にそんな人たちがいるのだから、追いかけるアーニィ達は赤面するくらいに恥ずかしかった。

 トヨがやっと足を止めたのは、港も港、波止場に波打つ音が聞こえるほど海の近くにある、巨大な建物の近くだった。他の建物とは比べものにならないくらい大きい真四角のその家は、作り自体は適当な石を合わせて作ったような粗末なものだった。大きさと位置から、倉庫に使用していることが推測できる。

 その建物の入り口の真ん前に、影は立っていた。この倉庫の近くにはまだ人がいないが、人がいたらかなりのパニックになっていたことだろう。

 その存在と、発生する理由を知っているトヨは、影を視界に収めた時に「やはりな」と思った。影の方はまたしても、何もしてこない。

 先ほどと同じようにトヨが影の脳天に向けて大剣エンシェントを振り下ろして、影はあっさりと消えてしまった。

 影が見えなくなり、エンシェントを背中に戻したときに、アーニィ達も追いついた。

「なんだ、またあの影だったの。残念だったわね、本物の妖刀じゃなくって」

「いやいや、ここにこの黒人間がいるってことは、近くにこの前戦った男が近くにいるってことになるんじゃないか?」

 追いついて早々、アーニィとジュリアが影について話すが、トヨにはそれらは耳に入っていなかった。

 やはり、と先ほど影を見つけて思ったことをもう一度頭の中で繰り返す。

 一番遠くの気配の正体を突き止めたが、案の定影だった。妖刀の気配には強弱がある。明らかに弱いのは、王都で感じたこともあり、妖刀から生み出された影であることは分かっていた。だが、気配を感じるかどうかは距離によっても変わる。無論、遠ければ遠いほど小さくなるし、遠くになりすぎれば、トヨでも気配は感じられない。でなければ、妖刀を探すのはもっともっと簡単で、こんなところで答え合わせのようなことはしなくてもよかったのだ。

 遠ければ気配は弱く感じる。であれば、遠くから感じる弱い気配に近づいて行って、それが強くなれば妖刀、強くはなるが相変わらず弱いと感じる程度であれば、それは影。トヨがわざわざ一番遠くに感じる気配の位置までやって来たのは、それを証明する実験のためだった。

 道中でも、気配が相変わらず弱いのも感じていたが、可能性は少しだけならばあった。それは半分以上はトヨの本物の妖刀であって欲しいとの願いゆえの期待値であったが、あいにく外れてしまった。

 気配は他にも感じる。しかし、そのどれもが弱く、全てこの港町の町中に点在している。それが示す答えに至り、トヨは下唇を噛む。

「しっかし、一体どれくらいの黒人間がこの町にいるんだ? 目的は知らんが、経った二体だけってことはないだろう?」

 アーニィがトヨに尋ねる。トヨにはそれさえもうっとしかった。いや、アーニィがそんなことをのんきに聞いたからこそ、彼女の表情はより曇ってしまうのだった。

「嫌と言うほどいる」

 トヨの声が明らかに重く、苛立っているようだとジュリアは気付いた。しかし、アーニィの方は気付いていなかったらしい。いつも話しかけるように、気軽にこんなことを言う。

「なんだ、それも気配から分かるのか。だったら、その全部を倒さなくっちゃな」

「そんな必要はない」

 ぴしゃり、と強い語気でアーニィの提言をトヨは否定した。

「そんな必要ないって、もしかしたら、本物の妖刀を持っている奴がいるかもしれないだろ?」

「いない、絶対にいない!」

 何も分からない癖に、分かったような口振りのアーニィにトヨはついに語気を荒げる。

「いないって、それも分かるのか? 昨日はいたんだろう?」

「ああ、昨日はいた。でも、今日はもういない。取り逃したんだ!」

 振り返ったトヨは、これまでに見たことのないような鋭い目つきでアーニィを睨みつける。

「お前のせいでな、アーニィ!」

 ぎり、とトヨは歯ぎしりをし、眉間にしわを寄せ、顔中で怒りを表す。その対象になっているアーニィは、どうしてそんな顔を向けられるのか、どうして自分の所為にされなくてはいけないのか、分からなかった。

「なんだよそれ。どうして俺が悪いことになるんだ?」

「昨日言っただろう。取り逃したら、お前を許さないって」

「そんなことでか? そんなわけのわからない理屈で……」

「言わねば分からんのか! 私は昨日お前の言うことを聞いた。お前が言うから強行突破はしなかった。でも、無理にでも通っていれば、逃さなかったんだ! アーニィの言うことなんて、聞かなければ良かったんだ!」

「階段のとこを通れなかったのは、そう言う決まりがあったからだろ! 俺の所為にするなよ!」

 トヨの言い分に納得ができる訳もなく、アーニィもついに怒鳴り声を上げる。

「お前が余計なことを言わなければ……」

「それを承諾したのもお前だろ! 第一、俺が説明したことにお前も納得してたじゃないか!」

「ああ、納得なんてしなければ良かった。だが、そもそもはお前が止めたのが悪い」

「止めないわけにはいかないだろうが!」

 あーあ、口げんかが始まっちゃったわね、とジュリアは肩をすくめる。自分にはそう関係はないことだし、喧嘩するほど仲がいいとも言うし、放っておくのも悪くはないんだけど、こんな雰囲気は好きじゃないのよね。と、ジュリアはアーニィの方に近づき、すっと耳打ちをした。

「とりあえず謝っときなさいよ。今だけでも機嫌取っておいてさ。相手は子供みたいなもんでしょ? アンタが大人になりなさいよ」

 感情的になっているアーニィにはそれさえも癇に障る。どうして自分の方から謝らなくてはならないのか、自分に非などはないのだが。そんな道理はないと思うアーニィではあったが、大人な対応ができるのはトヨではなく自分だけだとも思っていた。現に、トヨの言い分なんて完全に子供の言いがかりだ。

「分かった。俺が悪かったよ、トヨ」

 ならば、機嫌くらいは取ってあげてもいい。アーニィはしぶしぶ、誠意の欠片も見せてはいないような、頭も下げない口だけの謝罪をする。

「む、謝ってどうにかなることでもない」

 アーニィの態度の所為か、それとも、そもそも謝罪をされたところでどうとも思わないのか。トヨは口を尖らせて、鼻をふん、と鳴らす。

「こいつ……」

 予想の範疇でもありそうなトヨの態度ではあったが、まだまだ冷静さを欠くアーニィは、額に青筋を浮かべる。結局好転しなかったわね、とジュリアはお互いに喧嘩腰の二人にうんざりとする。

「そんなことよりさぁ、お腹空かない? ほら、アタシら朝ご飯食べてないでしょ~。言い争いをしても何も始まんないんだし、ご飯でも食べに行きましょうよ」

 何かをさせて時間を空ければ、多少は冷静になるだろう。トヨは食べるのに集中しそうだし、アーニィが頭を冷やせば昨日みたいにトヨを言いくるめることくらいできるだろう。そんな思惑もあって、ジュリアは言った。

「……む、そうだな。まずは飯を食おう」

 ジュリアの提案をトヨの方が先に承諾する。それを聞いて、ジュリアはいいでしょ、とまだ返答をしないアーニィへ、目を合わせて合図を送る。

「……分かった」

「じゃあ、決まりね」

 ジュリアは明るくそう言うが、どうしてアタシがこんなまとめ役をしなくちゃいけないのかしらね、と予想外の役目に内心では随分とげんなりとしていた。



 ジュリアが二人を引き連れて入った店は、港の間近にあった酒場風の店であった。両開きのスイングドアの先には、カウンター席と丸テーブルがいくつか。大きな規模ではないが、無法者のジュリアにとっては、どこか落ち着く雰囲気を持っていた。

「らっしゃい」

 マスター、というよりは店長と言うのが似合うような、まるまると太った中年の男性が、眠たそうな声をカウンターの向こうから寄越す。手持無沙汰に棚に置かれている酒瓶を眺めていたあたり、この時間からの客は相当珍しいようだ。

「適当に何か、食べられるかしら?」

 そう聞かれたら、店主としてはイエスとしか答えられない。それがここの店長の運のツキであった。

 がちゃがちゃ、かちゃかちゃ、ぐちゃりぐちゃり。食事中とは思えないほど、粗末な音が店内に響き渡る。下品に食べるのは案の定、トヨであった。

「ウゥ・・・・ガウッ!!」

 まるで肉食獣が得物でも喰らっているかのような、鬼気迫る表情と声であった。なぜ、そんな表情や声を食事中に表に出す必要があるのか。誰が考えてもさっぱり分からないが、普通に食べてはいないのは確かだ。まるでむしゃくしゃと八つ当たりでもしているかのような食べ方で、次から次へと空の皿が積み上がる。

「おい! 次、次はまだか!!」

 カウンターの向こうの厨房へと、トヨが叫ぶ。こちとら全速力で料理を仕上げているってのに、と店主は泣きそうな顔で独り言を言った。

「ジュリア……」

「何よ?」

 アーニィとジュリアの食事はもちろんそれぞれに一人分。魚の切り身に衣を付けてあげたものを、パンで挟んだフィッシュサンド。比較的軽い食事であった。なので、トヨがバクバク暴食の限りを尽くすのを空の皿を前にして眺めていた。

「足りるのか、金」

 トヨの前に積み上がって行く空の皿を見ていれば、アーニィがお金の心配をしてしまうのも、無理はない。

「んー、微妙かも」

 ジュリアの返答は何とも頼りないものであった。

「まぁーでも、払えない額になっちゃったら、食い逃げすればいいじゃん?」

「誰が、そんなことするもんか! おいトヨ! もう食うのを止めろ!」

 あ、とジュリアは声を洩らす。なんてことだ。アーニィとトヨに頭を冷やさせるために、しばらく時間を空けさせるために食事に誘ったのに。むしろ、一番冷静になって欲しかったアーニィの方が、かっかしてトヨに怒鳴りつけてしまった。

「嫌だ」

 そして、トヨもアーニィの命令をすぐさま拒絶してしまう。これはアレね、アタシに算段失敗しちゃったってやつね。

「金がないんだよ」

「そうか。貧乏なのは不便だな」

「昨日お前が飯を食い過ぎたから金が殆どなくなったんだろ!」

「あーあ、もうどうしようも無いわね、コレ」

 また言い合いを始める二人にジュリアはもうお手上げだった。

「いいから、もう食うのは止めろ!」

「嫌だ。お前の言うことはもう聞かんのだ」

「なんだと!?」

「お前の言うことを聞くと、私にとって不都合なことになってしまう。私はそれを妖刀を逃したことで学んだんだ」

「だからそれは悪かったって謝ったろ! つーか、今もこの前もどうしようもない事情があるじゃないか。今は金がない。これ以上食われて、支払いができなくなったら困るんだよ」

「困るのはお前たちだろう? 私は困らん。そもそも、困るのだったら、私と一緒にいなければいいじゃないか」

 そう自分で言っていて、ああ、とトヨは納得する。

「そうだ。お前と一緒にいる理由なんて私にはないじゃないか。お前の言うことを聞く理由もない。まったく、どうしてそれに早く気が付かなかったんだろうか」

「お前なぁ……」

 トヨの言うことに、アーニィはわなわなと手を震わせる。身勝手なことばかり言いやがって、こいつは……、と苛立ちに身を任せた言葉を口にしそうになったときだった。

 バン、と勢いよくスイングドアが開かれた。三人、新たな客が入ってくる。

 入って来た客へ、一瞬注意が向いて言い合いが止まった。トヨもアーニィもジュリアも、視線が入口の方へと動く。

 先頭に立っているのは、短い銀髪を撫で上げて髪形を決め、赤い服を着ている男だった。腰に剣を指しており、細長い顔に高い鼻と鋭い釣り目が目立つ。ただ、その男以上に、後ろの二人の方にアーニィとジュリアは注視した。

 なんとその二人は鎧に身を包んでいる、この国の兵士だった。アーニィはジュリアの方を見て、まさか何かしたのか? と睨みつける。ジュリアには今回この町に来てからは、兵士に目を付けられるようなことをした心当たりはなかった。首を振って否定して見せる。

「らっしゃ……ああ、あなた様でしたか」

 奥の厨房から出てきた店主が、入ってきた客を見るや否や揉み手をする。その矛先は、赤い服の男だった。どうやら、店主が取り入るほどには身分のある人物らしい。

「今朝も、いつものを食ってやる」

 常連らしい。

「はぁ、できるだけ早く準備したいんですが……」

 店主が男の方から、ちらりとアーニィ達の方を見る。

「おい、店主さっさと次を持ってこい」

 店主の心配の原因であるトヨは、男を前にまごまごとしている店主を睨みつけて偉そうに命令した。

「だから、もう食うなって言ってるだろ!」

「だから、お前の言うことは聞かんと言っているだろう!!」

 そして、またまたアーニィとトヨの言い合いが始まってしまった。店主はへへ、と苦笑いを浮かべながら、銀髪の男の方へと視線を戻す。銀髪の男は一瞬、トヨ達のテーブルへ鋭い目を向けた。

「おい、店主。何をしている。早く用意をしてやったらどうだ。そこの客が待っているぞ」

 銀髪の男がそんなことを言うのが意外だったのか、店主ははぁ? と目を丸くした。

「しかし、あなたの料理は……」

「酒と灰皿だけを持って来ればいい。料理はあそこのお嬢さんが満腹になるまで待ってやる」

 銀髪の男の注文を聞くと、店主はかしこまりました、とカウンターの方へと向かって行った。

 へぇ、偉そうにしてるけど、案外優しい男なのね。割とハンサムだし……いいカモになるかも。と、口論に加わっていないジュリアは、銀髪の男を見ながら思った。

 そのハンサムな銀髪の男が、すたすたと背筋を伸ばしながら、こちらのテーブルへと歩いてくる。気付いているのはジュリアだけで、

「だから言うこと聞けよ!」

「聞かないと言ってるだろう!」

 トヨ達は相変わらず口論の真っ最中であった。

「もしもし、お嬢さんどうしたんだい?」

 銀髪の男は、トヨに話しかけた。

「誰だ貴様」

「これは失礼。まぁ、この町の兵士たちを束ねる者で、この国一番の剣士、とでも言っておいてやる」

 相変わらず言葉の節々に偉そうな雰囲気を感じるが、トヨには優しそうに話しかけていた。なんだかいけ好かない男だ、と眺めているアーニィは思う。

「そうか。何か用か?」

「何やら口論をしているようで。よろしければ、俺が聞いてやる」

「ああ、こいつ、アーニィが金が無いからもう食うなと命令するんだ」

 びしっ、とトヨはアーニィに指を差す。理論的にはどう考えてもアーニィの方が正しいように思えるのだが、まるでアーニィを悪者にしているかのような言い方だった。

「お前なぁ!」

 アーニィが怒鳴りつける。

「なるほどなるほど。だったら、もう心配はしなくていい。キミが食べるものに関しては、俺が支払ってやる」

「本当か!?」

 銀髪のその男の一言に、トヨの表情が明るくなる。

「キミは安心して好きなだけ食べるといい。ああ、心配はしなくていい。さっきも言った通り、兵士を束ねる俺には腐るほど金があるんだ。ふっ、まぁ、そんな紙切れや金属の塊なんかより……」

 銀髪の男はにやぁ、と笑って、

「キミの笑顔の方が、よっぽど価値があるからね」

 と口説き文句を言った。言われたトヨは、その意味がさっぱり分からずポカーンとしている。アーニィはやはりこいつはいけ好かない奴、というよりトヨを口説くなんて、どんな神経をしているんだ、といぶかしがった。

 ジュリアの方は、うっへぇ、ハンサムなのにロリコンなのぉ……気持ち悪ぅ、と悪寒に身を震わせていた。



ども、作者です。話の初めを更新してから中断って、どんな判断!? と自分で見ても思いました。更新の暇もない程に忙しく、まぁ、ストックも新しく作れないから一旦停止すっか、という感じで更新していませんでした。

多分、今年の残りにあと2話か3話くらいは行進しようかな、と思います。こっちはもう、時間はあるのでできるとは、思います。

今年も残り少ないですが、よろしくお願いいたします。

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