トヨを助ける
トヨが倒れた瞬間にアーニィは動かなかった。動けなかった。それはついさっきのオニキリマルを斬りつけられたときの様子と重なったからかもしれない。また何かの冗談か、不意に起き上るんじゃないか、と邪推していた。
けれど、地面に仰向けに横たわる彼女の大剣を握った手が力なく解かれて剣を手放し、強い衝撃を受けたはずも、無反応に裸の背を空に向けるようにしてじっと動かない彼女の姿に、アーニィも次第に色を失って、人波をかき分けてトヨの元に駆け寄った。
「おい! どうしたっ!? 大丈夫か!?」
隣に立つと片膝を付いてしゃがみ、すぐにトヨの体を上に向け、首の後ろに腕を入れて肩を抱きかかえる。
だらん、とトヨの頭がアーニィの腕にもたれ、そのまま首が取れてしまいそうなほどに仰け反る。腕も力なくだらりと下がったまま。かろうじて裸の胸が上下しているのを見逃していれば、彼女が死んでしまったものかと錯覚してしまいそうだった。
「トヨっ! トヨっ!」
こめかみに冷や汗を走らせながらアーニィが必死に呼びかける。反応は無い。何をされたのかは分からないが、考えるよりも先に足が動くようなトヨがぴくりとも動かない。まず何をすればいいのか、そう考える前に、アーニィは彼女に上着を掛けて、膝の裏に手を入れてお姫様抱っこで抱える。
「んっと……そうだ、診療所を……」
次は医者に見せるべきだ。幸か不幸かこの大通りには未だにやじ馬たちがたむろして、アーニィとトヨに注目していた。誰かに適当に聞けばすぐにでも診療所の場所位は分かりそうなものだった。
「無駄じゃよ」
しかし、誰かに声を掛けようとした矢先に、やじ馬の中からアーニィ向けられた言葉が発せられた。
その人物が人ごみの間を縫ってアーニィの正面に出てきた。
「ムツキさん!」
まだ、打たれた後頭部が痛いのか、しきりに患部を摩っているがしっかりとした足取りで歩いている。眉間にしわを寄せて目を細めていはいたが、その理由は痛みなどではないらしい。抱かれている上着のかかったトヨを一瞥して、それから地面に転がっているオニキリマルを見ると「おぉ……ふむ……」と何やら思案顔で声を洩らしていた。
「小娘の奴、オニキリマルで斬られたようじゃな」
現場を見るだけで、ムツキはそのことを察した。アーニィもその場面をしかと目撃している。体は傷つかず、服だけを見事に八つ裂きにした前代未聞の衝撃的な光景だった。むろん、その目撃者なら信じられることであろうが、第三者には信じられないような光景だろう。ムツキは、カタナと裸のトヨを見るだけでそれを察したのだ。
「あのカタナ、いったいどうなってんだ。普通じゃない」
アーニィは目線をオニキリマルに落とした。鈍く光るオニキリマルの刀身は、昨日刀匠の店で見たときと何ら変わりのないものだが、今となってはその刀身の中に謎を秘めた不気味な輝きのように思えた。トヨのように気を感じる訳ではないが、アーニィも井伏せざるを得なかった。
「オニキリマルは妖刀じゃよ」
ムツキが諦めたように白状した。
「やっぱり……」
ムツキは妖刀のことを知っていて、所持していた。アーニィもトヨの言っていたことが正しかったと呟く。
「妖刀にはな、それぞれ秘められた能力ともいえるものが備わっておるのじゃが……」
視線を向けていたオニキリマルを、ムツキは腰を曲げて手に取った。
「〈殻を絶ちて核を砕く〉妖刀オニキリマル。こいつはそう呼ばれている」
「殻を……?」
「そう……人の殻、すなわち服や鎧を切り裂いて、人の核、心を絶つという事じゃ」
「心……」
アーニィがトヨを見下ろす。確かにもぬけの殻のような覇気の感じない体だけのようだった。
「じゃあ、トヨは今……心が無いってことなのか?」
「いいや。心を絶つということは、心と体が離れるわけではない。体はそのままで、心を砕かれてしまうのじゃ。生きたまま死ぬようなもんじゃ」
「……じゃあ、もうトヨは死んじまってるのか?」
「それも、違うのう」
ムツキはそう言って、盗人の方をしり目に見た。
「あいつも気を失っておるのは、奴の心がその小娘の中に入っておるからじゃ」
「トヨの心の中に入っている?」
「心を絶つためには、そうするしかないのじゃよ。……目的を達成すれば、元の世界に戻って来れる。つまりじゃ、まだ小娘の心は絶たれておらんというわけじゃ」
「じゃあ!」
「まだ、助けることはできる」
アーニィに一筋の光明が見えてきた気がした。
「でも、どうすれば助けられるんだ? そいつを起こせばいいのか?」
「ならん。そうすれば、永遠に男の元に心が戻れんようになる。そうなれば小娘も元には戻れん。救う方法はただ一つじゃ」
ムツキがきっ、とアーニィを見据えて、横にしたオニキリマルを差し出した。
「お前さんも小娘の心の中に入って、男が小娘の心を襲撃するのを防ぐのじゃ」
「俺も、オニキリマルを使えってことか……」
「三人分の心が入れば、小娘の体にも酷く負担がかかる。それでも、この小娘を助けるためにはそうする以外に方法はないんじゃ。さ、どうする?」
ムツキが選択を迫る。アーニィの回答はとうに決まっていた。
がしり、と差しだされたオニキリマルの柄を握りしめる。それを見たムツキは満足そうにオニキリマルから手を離した。
「ふふふ、いいのう、惚れた女のために意気込んで……若いのぉ」
片方の口の端を上げて、ムツキが茶化す。
「ち、違うって。別にそう言うんじゃないよ」
オニキリマルの柄を両手で持ち直しながら、アーニィが返答する。ムツキの言うような気があるわけではないが、どうしても初めて見た裸の女の子であるせいか、目にすればドギマギしてしまう。
「そう言えば、ムツキさんはどうして俺に協力してくれるんだ? 昨日はあんな失礼なことをしてしまったのに……」
ムツキはアーニィの問いに、鼻をふっと鳴らし返した。
「なに、犯人だと誤解したこともあろうて、こちらも失礼なことをした。その上、わしの持っとるカタナのせいで今まさに死のうとしとるんじゃ。このまま見過ごしたら、寝覚めが悪いわ」
「なるほど」
ムツキのことを気難しいとアーニィは誤解していたようだった。多少ツンデレ気質のあるおじいちゃんなだけらしい。
「よし……じゃあ、行ってくる」
「しくじるなよ」
アーニィがオニキリマルを構え、地面に寝転ばせておいたトヨに向かって、切っ先を向ける。
静かに眠るトヨ。いつもは考えるよりも動くことの方が早い、そそっかしくて騒がしい奴。それでいて、様々な場面で人とずれている女の子。アーニィは思う。自分はなぜこの子を助けようとしているのかを。ここで見捨ててしまってもいいのではないか。自分はただ彼女の旅に、自分の剣マニアとしての見識を広げたくて同行しているに過ぎない。助けてやる義理は皆無に等しい。
だが、見捨てることは彼にはできなさそうだ。目の前で死にそうになっている女の子を救う方法が分かっているのに見捨てることなど、ムツキの言葉を借りれば寝覚めが悪い。
「トヨ、やっと妖刀の一本目が見つかったんだ。このまま、道半ばで死んじまうなんて、させてやらねーからな!」
アーニィがオニキリマルを振り上げ、トヨに向かって振り下ろす。掛けた自分の上着が、破れるのが見えた。そして、自分の体から一気に力が抜けていく。意識も次第に薄れていき、ごつんと頭を打って地面に倒れた。
ども、作者です。こっちの方も随分とストックが無くなってきましたなぁ。早く書かないと。




