オニキリマルの真技
王都の酷く入り組んだ路地を盗人の男は右へ左へ曲がりくねって逃走を続けていた。追跡されにくくするためだ。長年の盗人人生で培った鉄板の逃走方法だった。しかし、彼の足取りは軽く、本気で逃走しているようには思えない。彼は鼻の下を伸ばしながら、久しぶりに拝んだ女の裸を思い出していた。
急に裸になったんだ、困惑と恥ずかしさで女は今頃動けないに違いない。恋人らしき男も現れたが、すぐに追いかけてくることはないだろうと予測していたし、確信もしていた。このまま逃げおおせるのは確実だと。
「それにしても、いいもんを手に入れたぜぇ~」
もう一度酒でも煽りたくなるほどに気が緩む。始めにこの妖刀と呼ばれるカタナについての話をあるカフェで耳にしたときは、眉唾物だと思っていた。最悪、盗品として闇ルートに流してしばらくの生活費にでも当てようと考えていたが、いい具合に当てが外れてくれた。女を裸にできるカタナ。とんでもない代物だ。これさえあれば、この王都中どころか、大陸中の女を裸にして回れる。ただ盗み、飲み食いする金を求めるだけの毎日からおさらばできる。これからは大陸全土の女を裸にするという使命に燃える毎日が送れる。
「くっくっく、あの情報を零してくれた男達には感謝しねーとなぁ」
盗人が鼻の下をだらしなく伸ばして、自らの手で作り上げる桃源郷を思い描いているときだった。
「待てっ!!!」
凜、とした少女の声が人気の無い路地裏に響き渡った。
「な、さっき裸にしてやった女の声っ!?」
女の声がするということは、あの少女が追いかけてきている証拠だ。あの恋人らしき男の怒号が飛び交うならまだしも、女の凛々しい声が何度も聞こえていた。しかも、わずかながらにペタペタと足音も近づいてきている。
「く、早すぎる……男の服を着て追いかけてきやがったのか……」
盗人は再び走り始めた。
「見つけた!!」
丁度その時、後方の角から女が姿を現して叫んだ。盗人も振り返る。
「待てっ!!!!」
全力疾走で走ってくるのは、全裸のトヨだった。
「何いぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!?」
盗人は目が飛び出んばかりに目を剥いていた。
「次こそは逃がさんっ!!」
しかも、トヨの手にはさっきは振るう間もなかった大剣を握り、きっさきが盗人の方を向いている。
盗人にはトヨの心情など分からない。羞恥心よりも怒りが勝り、体を隠すよりも自分を殺すことの方が重要だと判断したのか、そもそも羞恥心が無いのか。走りながら時折振り返ると見える、隠す気を微塵も感じさせない堂々とした走り姿からは雄々しさまでも感じるほどだった。
ともかく、分かることは逃げ延びないと殺される。あの手に持った大剣の餌食になってしまうことは確実だった。
「くそっ、アイツはどうして裸で追いかけれるんだ……どうすれば逃げられる……」
男は逃げながら考える。振り返れば、距離も徐々に詰められている。どれだけ急に道を変えても、トヨは迷いなく追いかけてくるため、うまく隠れる隙も無い。むしろ自分がどこにいるのか見ないでも分かるのではないか、と盗人も感付いていた。その上で逃げるには……。盗人は昔から足りないと言われ続けた頭をフル回転させて考える。
「逃げるなあっ!!!」
しん、とした人気の無い路地裏に聞こえるのは、トヨの声と盗人とトヨの足音だけだった。
「……ん? そうだっ!」
盗人は解決策をひらめいた。
「俺はあいつの裸を一度見た。一度裸を見られた相手になら羞恥心は多少薄まるものだ。奴はこの路地に人が俺以外いないことをいいことに俺を全裸で追いかけているに違いない、ならっ!!」
男はさらに走った。しかし、これまでと違うのは自分が進む道の選び方だった。
「む?」
トヨも追いかけながらそれに気が付く。盗人の足取りはこれまでより軽く、どこかへ向かっているようだった。
「む……まぁいい、どこに行こうが追いかけて、必ず妖刀を奪ってやる!」
迷いなく角を曲がり走り続ける盗人。しばらくして、彼がどこに向かっていたのかが、トヨにも判明した。
レンガ造りの建物が左右に構える狭い道にはそのどちらかの影が落ちて、薄暗くなっている。その薄暗さに慣れた目にまぶしい明かりが飛び込んできた。盗人が先陣を切ってその明りの方へと飛び出した。
無数の足音、人々の交わす声、店のガラスがまぶしい朝日を照り返す。ここは大通りだ。
盗人が歩く人の間を縫うようにして走って行く、ある時は追い越し、ある時は正面から来る人を避ける。突然大通りに現れた小汚い男の走る姿に、若い女や老婆が驚きの声を上げる。
「邪魔だっ!」
盗人の不躾な叫びに、人は道を開けてしまう。そのためにうまいこと逃走路ができていく。
「へへへ、ここならあいつも裸じゃ追いかけてはこれまい!」
男の狙いはこれだった。人が多いところにでさえすれば、トヨも羞恥のあまり自分をお掛けてくることはない。
そう思っていた盗賊の耳朶に、自分が出て来た時とは比べものにはならない大きな悲鳴が上がった。
「……まさか!?」
そんなことはありえない。そうは思いつつも、振り返らざるを得なかった。
うららかな朝日の降り注ぐ天下の往来で、褐色の肌を全て曝け出した少女の裸が自分めがけて疾走してくる。
「キャーっ!!? あの子、裸よっ!!」
「こ、こんなところでっ!? し、しかもまだ子供じゃないのっ!!」
非常識な光景に信じられないと言った声を上げる女たち。
「うほっ!! 女じゃ、女の裸じゃっ!! ばあさん以外の裸は何十年ぶりかのう」
「か、可愛い女の子の裸っ!!?」
「……ふぅ、眼福眼福」
「お前ら、何子供に興奮してるんだよ……うっ」
血圧を上げ、熱視線を向ける男達の黄色い声。トヨが歩みを進めるたびに、その歓声は大きくなる。一瞬にしてトヨはこの大通りの注目の的になった。トヨはそんなこと眼中にないらしく、構うことなく盗賊を追い続ける。
「止まれぇーーーい、少女よ!!!」
走り続けるトヨの前に、突如髭を生やした大男が現れた。彼は手に真新しい水色のワンピースを持っている。
「可愛らしいロリが、世界の宝石たるロリが、こんな大衆の中でその柔肌を晒してはいかーん!!!! そう法律が決めているのだ!! 早く、早くこの服を着るのだあああああああっ!!!」
男は立ちふさがるようにして、トヨへ手に持ったワンピースを差し向けた。
「そんなこと知らんっ!!」
その大男の直前で、トヨがジャンプする。大剣をてにしつつも、軽やかに裸体が宙を舞った。もちろん、彼の言うような法律は無い。
「なっ!?」
頭上を越えるように放物線を描いて飛ぶトヨを男が見上げる。その目に映るのは王都の石畳を走って黒ずんだ足の裏と、さらにその上の……。
「なんときれ、ぐはぁっ!!!」
大男は何もされないままに勝手に鼻血を拭いて倒れた。どうやらただのロリコンだったようだ。
すとん、と軽やかに着地したトヨは即座に走り出す。盗人は人ごみに隠れようとしているが、すでにトヨが盗人を追っていることを多数の大通りにいる人に感付かれたせいか、人々はトヨに道を開けるように移動しており、盗人の姿は丸見えだった。もっとも、そんなことをしなくても、妖刀の気を追えば、どこにいるかはすぐにわかるのだが、相手の姿が見えており、その上道まで開けているのだから、追いかけるのにはもってこいの状況ができあがっていた。
アーニィはトヨを追いかけはしたものの、すぐに見失ってしまっていた。しかし、路地にいる間に大通りの方から何やら悲鳴のような、歓声のような声高な騒ぎ声がするのを耳にして、まさか、と思い大通りに出て来ていた。
大通りに出た直後に彼の前を走って行く二人の男の会話が聞こえた。
「おい! 全裸の女がいるってのはあっちか?」
「ああ、小さい女子だけど、結構可愛いらしいぜ」
それを聞いて、アーニィは絶句した。
「……はぁ、ほんとアイツの神経はいったいどうなってやがるんだ」
ぼやきながら、アーニィも騒ぎの中心に向かって走り出す。常に新しい歓声が上がっており、それを追いかければトヨの元に着くのは容易なことだろう。
走る盗人のこめかみに、焦りの冷や汗が浮かんでいた。
「はぁ……はぁ……」
盗賊は足には自信があった。逃走生活で培った脚力は並大抵の人にそうそう追いかけられはしなかった。実際、トヨも身軽で足は速い方だが彼にならつかず離れずにいるのが精一杯だった。けれど、それはどちらの体力も万全な場合に限る。今は、盗人の方が明らかに疲弊していた。
「どけぇっ!!!」
その反面、トヨは時折現れる、自分を妨害して来ようとする、実際には服を渡そうとして来る親切な人達に怒号を浴びせながらも、息は全く上がっていない。もともとの体力の違いがここで大きな差として現れている。
「ち……ちくしょう……」
盗人の足がもつれそうになる。逃げるのは、もう限界だった。けれど、ここですぐに諦める訳にもいかない。やっと見つけたとんでもないお宝をみすみすトヨに渡してやる気など毛頭なかった。
「こうなったら、一か八かだ」
盗人は覚悟を決めて立ち止まる。そして、カタナを抜いてトヨの方を向き直った。
盗人は剣術のけの字も知らないほどのド素人だ。抜いた剣をそのまま両手で持って前に突き出している不格好な構えからも、それがすぐにわかる。武器を使うようなことは今までほとんどなかったからだ。だが、今回ばかりはそうとは言っていられない。決死の覚悟で、全裸で自分に迫ってくるトヨに切っ先を突きつけるつもりだ。いくら刃では服しかきれなかったとはいえ、尖った先端なら人を突き刺すぐらい容易なはずだった。
「やっと観念したかっ!」
トヨも大剣を両手で構える。
「こおおおおおいっ!!」
直進してくれば、あの大剣の攻撃さえ避けることができれば、トヨの勢いも込みで簡単に突き刺せる。盗人はそう踏んでその場で構え、トヨが攻撃してくるのを待った。
けれど、トヨは素直に直進しては来なかった。地面を蹴って、再び飛び上がる。走った勢いを乗せた、得意の飛び振り下ろし斬りだ。
「う、嘘だろぉ……」
見上げた盗賊は絶望する。折角一世一代の賭けだと思って、カタナを正面に突き出していたのに、その予想はあっさり外れてしまった。重力に引かれてトヨがどんどん落ちてくる。これで、もうおしまいだ。盗賊がそう覚悟したときだった。
突然、トヨの姿が二つになった。視界がぼやけたのだ。それから、体中から力が抜ける。手からはカタナが零れ落ちて、がくん、とひざから崩れて、地面に強く膝を打った。しかし、盗賊が痛みを感じることは無かった。もうすでに、視界は真っ暗。気を失っていた。
「む?」
飛び掛かりながら、トヨも突然のことに眉を顰めた。倒れた男にそのまま攻撃をかける訳にもいかず、横たわる男から標的を外して、すぐ横の地面に大剣を振り下ろした。
どすん! と地面が揺れるかのような大きな音を立て、石畳にひびが入る。トヨも同時に着地して、倒れた男の様子を伺った。耳元で大きな音が立ってもびくりともしなかった。
「どうしたんだ……死んだ……のか?」
倒れた盗人の顔を横に向けた顔を見ながら、トヨはそう口にした。男は目を瞑り、力なく口を開いていた。
「もしや、妖刀は使う人間に負担をかけるのか?」
トヨが腕を組んで考察する。そんなことは彼女も聞いたことはなかったが、現状を見ればそう推測するのが妥当のように思える。
「しかし……」
トヨの視線が、男から地面に転がっている妖刀オニキリマルに向けられた。
「服を斬る程度しかできないとは、難儀な妖刀だな」
皮肉を言うようにぼやくトヨ。男にとってはとんでもない名刀、女にしてみたらこれ以上にない凶悪なカタナなのだが、トヨにとってみれば実にくだらないものでしかない。
「妖刀とはここまでひ弱なも……っ!?」
突然、トヨは目を見開いた。
「な、なんだ……胸が……くる……頭も……い……」
胸を圧迫するような激しい動悸が、頭が割れるような頭痛が、トヨを突然襲った。視界もぼやける。明るい日差しの下にいたはずが、あっという間にぼやけた視界は、徐々に幕が閉じるように暗くなっていき、真っ暗になった途端、トヨは糸の切れた操り人形のように地面にうつ伏せに倒れた。
「トヨっ!?」
その瞬間をやっと二人の姿が見える位置にまでやって来たアーニィが遠巻きに目撃していた。
ども、作者です。この章も折り返しを始めましたなぁ。




