図書の塔
今の王都ができたのは、この大陸をトランクリット王国が統一した三百年前のことだ。もはや戦乱の世は終わり、城壁都市である理由がなくなったことから、大陸の中心地に建てられる際に城壁は造らなかった。選ばれたのは大陸南部の、大きな半円を描くように大陸を抉ったようにある入り江のほとりだった。この入り江はトランクオル海と呼ばれる、大きな入り江だった。
そこに沿う形、三日月形の都市の南西部には王宮がある。そこから離れた、都市の中心部には十字に伸びる、四本の大通りがあった。
大通り、と言うものは得てして商店が立ち並び、人の往来が激しいものだ。
「さすがは都会。見渡す限りの人、人、人。みんな暇なのか?」
トヨは、田舎者らしくきょろきょろとあたりを見渡しながら、おかしなことを平然と口にする。
「暇なもんか。みんな何かしらの目的があってこの道を歩いているんだ」
「そうなのか? でも、あそこを見ろ」
トヨが指さしたのは、ショウウインドウに煌びやかなドレスが飾られたブティックだった。ちょうど二人の若い女がドレスを見ながら忙しなく言葉を交わし、にたりと笑うと店の中に入って行った。
「服を買うだなんて、いかにも暇人らしいじゃないか。私のように使命に燃える者がいると言うのに、なんとものんきなことだ」
「あの人たちは服を買うことに忙しいんだ」
「そうなのか?」
「そうそう。彼女たちも服を買って自分を着飾って、男達に自分の美しさを知ってもらう使命に燃えているんだよ。ほら、トヨと同じだろう?」
「そういうものなのか」
「そういうものなんだよ」
全く、とアーニィは呆れる。トヨという子は、ひたすらに自分の価値基準が正しいと信じている。それが相当ずれているというのに。
「ほら、そんなことを気にしているより、早く図書の塔に行こうぜ?」
「む。だな」
トヨは頷く。急いて歩こうとトヨが足を踏み出したとき、ぐ~、と盛大な音が鳴った。発信源はトヨのお腹かららしく、トヨは足を踏み出した姿勢で、立ち止まっていた。
「ははは、先に腹ごしらえするか」
「む……そうだな」
アーニィがトヨの顔を覗くと、ほんのりと頬を赤らめていた。どうやら、多少は他人と同じ恥の価値観は持っているらしい。一応は花も恥じらう乙女のようだ。
「とりあえず、肉を使うメニューを全部持ってきてくれ」
二人が入った、テラスもあり、通りに面したガラス張りの窓から降り注ぐ光が、白く塗られた木製の椅子やテーブルを、レンガの地面を照らしている。おしゃれな雰囲気のカフェでトヨが真っ先に行った事はこれだった。乙女らしさの欠片も無い一言に、上品そうな金髪のウエイトレスは笑いを堪えずにはいられなかった。
「なぁ、私は変なことを言ったのか?」
フロアから一度姿を消したウエイトレスの溜まりに溜まった笑い声を耳にして、アーニィに聞いた。
「んー、せめてメニューを見て決めればよかったんじゃないのか?」
やんわりとアーニィははぐらかすように言った。気付いていないのならそれでも構わない、そもそもきちんと教えたところで直す様な性格ではないだろう。まだまだ短い付き合いだが、振り回され過ぎたアーニィは彼女の自由さを重々に理解していた。
届いた料理は、ハムエッグと鶏肉のささみが乗せられたサラダに、豚肉のソテーだった。
「これだけか」
女の子が食べるには十分以上な量が乗せられた三皿を前に、トヨは残念そうに呟いた。
「ははは、ここに肉料理はあんまり置いてないらしいな」
その上、この王都では肉の流通量が少ない。それは、王都の住人が入り江から出た先の海で獲れる魚を中心とした食生活を送っているからだ。アーニィはそれを知ってか、頼んだ料理は、フィッシュサンドと、サラダだった。
「むぅ……まぁいいか」
トヨは文句を言いながらも食べ始める。無論、マナーもなにもあったものではなく、がつがつと野性児のように料理に食らいつく。食器をがちゃがちゃと鳴らす音に堪らず迷惑そうな視線を向ける他の客たち。アーニィはこれもどうしようもないだろうと、ただひたすらに耐え続けた。
「やっぱり少なかったな」
数分後、トヨはすっかり食べ終わったつもりで、不満げに言った。けれど、彼女の前に置かれた皿の一枚には、まだ青々としたキャベツのサラダが残っていた。
「おいおい、まだ残ってるだろ。ちゃんと食えよ」
アーニィはむしゃむしゃと自分のサラダを食べながら注意する。トヨのサラダは。きれいに肉だけが無くなっているだけだった。
「いやだ。苦手なんだ」
「好き嫌いは良くないぞ?」
「良くないものか。肉はエネルギーになるが、野菜はならん。だからいらない」
「そんなことは無いって。必要な栄養だぞ、野菜も」
「む……でも嫌だ。食べるもんか」
トヨは頑なに野菜を食べようとはしない。
「うまいのになぁ。食べないならもらうぞ」
自分のサラダを食べてしまったアーニィが、トヨの皿を自分の方に寄せ、しゃきしゃきと音を立てながらサラダを食べた。
「うん、みずみずしくておいしい。ドレッシングが無くったっていいくらいだよ」
アーニィは当てつけるようにとびっきりおいしそうに食べて見せた。
「そんなものばっかり食べるから、お前はひょろひょろなんだ」
しかし、トヨはアーニィの意図に介さず、毒づいて見せる。お前には言われたくない、とアーニィはトヨの体を見た。女の子らしい薄く、細い体つき。肉ばっかり食べていて、よくもまぁ太らないものだ。
「お前、性格悪いぞ。まったく、親からはどんな教育を受けたんだか……」
「む……別に、どんな教育も施されてはいない」
トヨはむっとして答えた。トヨはあまり笑顔を見せたりはしない。むっとしているような仏頂面でいることが多い。するときは大抵背中の大剣をガンガン振り回しているときぐらいだ。しかし、今のトヨは、かなりはっきりとした不快感を表情として表に出していた。あまり見たことのないトヨの顔に、アーニィも戸惑った。
「……そうか」
余計なことを言ったらしい。アーニィは、気を遣って適当に相槌を打った。
「ああ……!?」
それ以上彼女も聞かれたくないらしく、返答は落ち着いたものだった。だが、トヨは頷き返した後、急にあたりを見回した。
「どうした?」
「いや……何か、妙な気配を感じた」
「妙な気配? どこから?」
「そこを、一瞬通った」
トヨが見た方向には窓があった。見える景色は人の行きかう大通りだ。
「誰かに覗かれてたんじゃないのか?」
まぁ、目的はトヨじゃないだろうけど、とアーニィは付けたす。
「いや……視線とも違う。もっと、もっと酷い、ごわごわとした黒い気配だった」
トヨは真剣そのものだった。冗談か、とも思うけれど、トヨがこんなときに冗談を言うようなことはアーニィには想像できなかった。
「気のせい……」
「ではない。一瞬だけだったが、はっきりとしていた」
アーニィは唖然と、黙っているだけだった。トヨはちらりとテーブルの上に視線を向ける。テーブルの上の皿には何も乗っていない。
「よし、出るぞ」
それを確認するとトヨは椅子から立ち上がった。
「お、おい。出るって……もしかして、その気配が何か調べるのか?」
アーニィも慌てて、椅子から立ち上がりながら聞いた。トヨはそれに首を振って返す。
「いいや。もうその気配は感じない。どうしようもないだろう。それよりも、本来の目的通りに図書の塔に行く方が先決だ」
トヨはそう言って、すたすたと出口へ向かい、レジの前を素通りして外に出て行った。
「ちょ……会計俺かよ」
アーニィは伝票を持ち、ため息を吐きながらレジに向かった。
図書の塔は、王都の東側の一角にあった。そびえたつ塔は厳めしい雰囲気を持っており、遷都以来の歴史を書籍として記録している塔としての風格を威風堂々と誇示しているようだった。アーニィは前にも来たことがあったが、始めて来たときと同じく、この雰囲気に圧倒されそうになる。
「よし、行くぞ」
その雰囲気をもトヨは介さないようだ。トヨもつくづく怖い物無しの武人娘だ。ずけずけとためらいなく塔内に踏み込んでいった。
「おお……これは」
だが、塔内に入ると、そんなトヨも感嘆の声を零した。それもそうだ、とアーニィは国民を代表して得意げな表情になる。誰しも、この図書の塔の内部、階の天井まで続く壁一面が本棚で、本がびっしりと詰まっている。さらに、すべての階層が同じ構造なので、配架されている書籍は数万冊はくだらないと言う。この数を見れば、誰だって感心するものだ。
「……探すのがめんどくさそうだ」
どうやら、さっきのは感嘆の声ではなかったようだ。
「どこまでも機能的な奴だ。ほら、上の階に行くぞ」
「上?」
「ああ、武器についての本は二階にあるんだ。カタナについてもきっとそこにあるだろう」
アーニィが先行して、階段に向かった。階段は、部屋の中央の柱の中に作られている、らせん状のものだった。
「む?」
階段の途中で、トヨが立ち止った。
「どうした?」
振り返って見ると、階段の壁に飾られた絵画をトヨが物珍しそうに食い入るように眺めていた。
「そいつは十二騎士団の絵だな」
アーニィもトヨの隣に立ち、絵を見上げる。
「描かれているのは、初代十二騎士団。この国を旧フェブラディア王国の支配から救った、英傑の騎士団さ」
アーニィの言うとおり、幾人もの鎧を身に着けた騎士が、手に物々しい武器を持って行進している姿が描かれている。
「ふーん。この先頭にいる四人は強そうだな」
他の騎士たちとは違い、先頭にいる四人だけは、同じ鎧でも金色や瑠璃色と、特別な鎧を着て描かれていた。
「そいつらは十二騎士団の中でもずば抜けて強かったんだ。それぞれキング、クイーン、ジャック、エースって呼ばれてる」
それに、とアーニィは続けた。
「彼らは使っていた武器は、今の十二騎士団まで受け継がれてるんだ。キングランス「ロンギヌス」クイーンハンマー「ミョルニル」ジャックブレイド「ティルフィング」エースアックス「ハルバード」。どいつもこいつも価値のある名武器さ」
アーニィは自分のことのように自慢げに説明した。この国の誇りである彼らは国民一人一人にとっても胸を張って語るに足る誇りなのだ。
「今の十二騎士団も強いのか?」
「ああ、もちろん。エリートの称号だからな」
「そうか。いつか、戦ってみたいものだな」
「おいおい!」
敵うわけない、と思いながらもそう漏らすのをアーニィは遠慮しておいた。なんだか、むしろ焚き付けてしまうようで逆効果な気がしていたからだ。
説明も終えて、もういいだろうとアーニィが思っていると、トヨが疑問符を浮かべた。彼女はまだ、絵を眺めていた。
「どうしたんだ?」
「……いや、この絵の騎士、十三人いないか?」
「ん? ……あ、ほんとだ」
良く見てみると、騎士の並ぶ行列の人数が、キングたちを抜かして、九人いた。いるとは言っても、そのうちの一人は、武器を持っている姿も見えず、ひょっこりと頭の兜を列の中から出しているだけだった。
「これはあれだ。間違えて一人多く描いちまっただけなんじゃないか?」
その描き方は、ミスをしているようにしか、アーニィには見えなかった。
「……かもな」
その言い分に、トヨも納得したらしく、また階段を登り始めた。
二階に上がってカタナについての本を探すと、思っていたよりもあっさりと見つかった。アーニィはこの前、完全にカタナは実用品にならない骨董品だと思っていたので、一冊も本を探そうとはしなかったから、こんなにも簡単に見つかるとは思ってはいなかった。
アーニィは古い本から、トヨは新しい本からぱらぱらとめくる。捜しているのは、妖刀という二文字だった。
しかし、数時間も費やして、数十冊の本を漁ってみたけれど、一冊の本にも妖刀という文字は見つからなかった。
「「コテツ」「クニシゲ」「ツルマル」……はぁ、どれもこれも名刀名刀って、妖刀なんて全然書かれてないな」
アーニィがぼやく。本を探していた時からずっと真剣な表情をしていたトヨの顔もさすがに疲れが見え始めていた。
「こっちもない。「オニキリマル」「ツネツグ」、カタナの名前ばっかりだ」
「ほんとに、妖刀なんてあるのかよ」
「ある。絶対にある」
意地を張るようにトヨは次の本を開く。
「でもさぁ。古い本にも全然ないんだぜ?」
「古い本が正しいことを言っている訳でないだろう?」
「新しい本でも、大して変わらないだろ」
む、と洩らしながら、トヨはうつむいた。カタナについて書かれていることで、古い本でも新しい本でも共通しているのは名刀紹介の図鑑のようだということで、誰が作ったか、いつつくられたかが更新されていたり、新しいカタナが増えているくらいの違いしかなかった。
「……十刀匠ねぇ……」
アーニィは黄ばんだ紙面を眺めながら、しょっちゅう出てくるワードを呟いた。十刀匠は、数十年前にカタナを展示するのがブームになった際に、もてはやされた十人の刀匠のことだと、解説されていた。
「あ、その言葉なら、この本にもあるぞ」
トヨはまだ若々しい白い色をした紙の本を、アーニィに見せつけた。
「なになに……十刀匠最後の一人、ムツキ、ねぇ」
書かれている内容は、あまり変わらなかった。彼の作ったカタナを紹介している。しかし、その片隅に書かれている記事にアーニィは目をひかれた。
「……この刀匠、王都にいるらしいな」
「まだ、生きているのか?」
「この本、ここ一年の間に出された本らしいから、まだ生きている可能性はあるな」
「刀匠なら、妖刀について知っている?」
「……さぁ、だけど。カタナについてのプロフェッショナルだ。望み薄だが、もしかしたら……」
トヨの言葉にアーニィが同意すると、トヨが立ち上がった。
「よし、じゃあ今から行くぞ」
「おい、今からって、もう夕方だぞ? 俺達もそろそろ宿を取らないと……」
「そんな悠長なことを言っている場合か。早く妖刀を壊したいんだ」
「物騒な事言うなよ! それに、この本も片づけて……」
「任せた。先に降りてる」
トヨはそそくさと階段の方へと向かって行った。
「はぁ……また後処理かよ」
アーニィはがっくりと肩を落として、本を本棚に戻すのだった。
ども、作者です。ひっそりと更新。長々と、もう一つの作品を書いていました。どうせなら同じ時期に投稿を再開させたいと思っていたので、5か月近く放置していました。こちらの作品はストックがあるので、またのんびり更新していこうかな、と思います。目指せ完結。