あべの小町
「やっぱし、冬は熱燗に土手焼きやなあ」
立ち飲み屋のカウンターに肩肘付いて、串のスジ肉齧る紺色のスーツの男。
「そやなあ、夏は生(生ビール)に奴(冷奴)やけど、冬はな」
と、店のオリジナルのお銚子(ガラス製)から、お猪口に最後の一滴注ぐ黒いコートの男。
キタでもなけりゃあ、ミナミでもない。ここは大阪・アベノ界隈。
五十を過ぎたリーマンが、平日の真昼間から酔っぱらう。
別に珍しいことじゃない。梅田、難波、京橋、十三・・。朝の九時には店が開く。開くから客が来るのか、客が来るから開けるのか。にわとりと卵のようなもの。外回りの営業や、年金暮らしのご老人、たまにはナマポ(生活保護受給者)もやってくる。今日はたまたまこの時間、客はおっさん二人きり。
「焼き鳥二本、タレで」
「わしはおでんの、たまごと熱燗お代わり」
たまたま今日この店で、知り合ったばかりの二人だが、バブル華やかなりし頃、同期に出世で後れを取り、昨今のアベノミクスの恩恵も、二人にとっては他人事。パッとしない二人でも、立ち飲み屋で飲むくらいの金はある。
「そやけど、アベノも変わったなあ」
「わし、アベノ銀座の辺でよう飲んどったけど、のうなったなあ」
「『アベノドック』て、覚えてるか。あったやろ、近鉄の裏にサウナ」
混んでいないのに習性で、ダーク(ダークダックスのごとく半身の姿勢)で飲んでいる二人。
「『ハルカス』の展望台、上がったか」
「上がるかいな、あんなとこ。通天閣があるやないか。通天閣上って、新世界の赤井の店で串かつ喰うほうがよっぽどええわ。高かったらええっちゅうもんやない。大阪のシンボルは通天閣や」
「『新世界の中心で愛を叫ぶ』てか。わっはっは」
どこの誰だか知らないが、酔いがまわればみな友達。あんたもあたしも、みな「社長」。
「『あべのスキャンダル』、いったことあるか」
「いったことあるもなんも、入り浸びたっとったよ。超人気のノーパン喫茶やったからな。給料、だいぶ突っ込んだな」
「ほんまかいな、わしもよういったがな。ゲリラダンスちゅうのあったやろ。千円払うたら、目の前のトップレスの乳揺らしながらやってきて、肩に手置いて股間に軽く膝蹴りをしてくれるやつやろ」
「それそれ。こんなとこで『あべのスキャンダル』知ってる人に会うとはな」
「もう三十年くらい前かいな」
「いや、もっと経つよ。インベーダーゲームがすたれたあとくらいやったから」
「わし、ゆりちゃんが好きやった。色白でボインで、なんでこんな可愛い子がこんなとこのおるんや、思たよ」
「わしはアキちゃんがよかったな。女の子のレベルが高い店やったから、沖縄から来たちょっとアグネス・ラム似のベッピンとか、いろいろおったけど、アキちゃんがいっちゃんよかった。気さくや」
「アキちゃんな・・。あんまり胸おっきないけど、すらっとした足の長い美人やったんちゃうか」
「そやそや、あの子にゲリラダンス何回してもうたか、わからんくらいや。ええ店やったけど、とっくの昔に無くなってもうたなあ」
「そやそや、アキちゃんなあ、最近何回かアベチカ(アベノ地下センター)で見たで」
「ウソやろ」
「ウソゆうても、しゃあないがな」
「アベチカて、アベチカのどこでや」
「アベチカの立ちんぼやがな。昔っからおるやろ。階段上がったら茶臼山のホテル街やさかい、昔からおるがな。ハルカスできても、まだ何人かおるで」
「あっこの立ちんぼやったら、ババアばっかりやないか」
「あたりまえや。三十年以上経っとんやから、アキちゃんかておばあちゃんになるわな。せやけど、皺だらけになったゆうても、昔の美人の面影は残っとったよ」
「人違いやろ、アキちゃんが立ちんぼにまで落ちるかいな」
「わしも、声かけられたその声が、あのハスキーな声で、物言いも『スキャンダル』の頃とおんなじちょっとあばずれっぽい感じやなかったら、そない思うかいな。小野小町でさえ、年取ったら哀れな姿になったやろ」
「いつもおるんかいな」
「いいや。わしもいつもアベノで飲んどるわけやないしな。二週間くらいまえやったかな、客引きしとったん見たんは。ヨボヨボの年寄りに声かけとったで」
「信じられんなあ・・。あのアキちゃんが立ちんぼて・・」
「信じる信じひんは、あんたの勝手でっせ」
その言葉には答えずに、黒のコートのハゲおやじ、勘定済ませて出て行った。残った男はお銚子持って店主に、
「熱燗ちょうだい」
と、呼びかける。
「信じたんかなあ、あのおっさん」
「うーん・・。信じたんちゃいますかねえ」
と、温めながら答える店主。