5話 想定外の訪問客
――やばい。仕事が手に付かない。
姉に頼んでからはや一週間。
約束の日当日となってそわそわしてる私をもし他の人が見ることがあれば普段では見られない私を見られることだろう。
しかし、レティおねえちゃんが直々に来るのだろうか。
それとも物だけ転移魔法で送ってくるのか。
その辺の相談をしてなかったので、今日は本人が来る可能性も考えて朝から自分の部屋で書類関係の整理や清掃をし続けている。
汚い部屋に案内して怒られるとかはさすがに避けたいし。
幸いなことに今日は授業も入れてなかったし、まぁ問題はない。
さすがに昼ご飯は食堂に食べに行きたいからそのへんの時間は考慮してくれると嬉しいが。
いや、姉妹で食べに行くというのも一興かもしれない。
朝から今や今やと待ちわびすぎて退屈さすら感じるようになってきたお昼にはまだ早い時間、ドアをノックする音がする。
ようやくきましたか。
姉だと思ってドアを開けると、そこには青いドレスを着た女性が立っていた。
黒髪で、緑色の瞳をしたその顔は間違いなく美女に分類されるべき女性である。
だが、私のよく知る姉の顔ではない。
――どこかで見た顔だったのだけれど、思い出せない。
「どちら様かしら……?」
「お届け物を持ってきた」
彼女は短く要件を伝える。
間違いなく聞いたことのある声である。
「――ルディールだ。ママに頼んだ品を持ってきた」
ためいき混ざりで彼女が正体をばらす。
「え、ルディール!?ちょ、うそでしょ!?」
私が驚くのも無理は無い、よくよく見れば顔や声の高さこそ蜘蛛女だった時の彼女ではあるが、彼女の姿は蜘蛛の下半身ではなく、人間の下半身である。
さらにあの時の口調とは比べ物にならないほど流暢な言葉遣いである。
「ああ、状態变化で、今は人間の体になっているからな。言葉も人間の発音に近いはずだ」
彼女の説明によってようやく納得がいった。
状態变化――亜人系のモンスターがたまに使うことがある能力の一つであり、よく人魚が人間の王子様に恋をして地上にあがって王子様に会いに行くなどという劇などで知られている能力である。
とはいえ、すべての亜人族が使えるわけでは無いようで、特殊な才能であるようだ。
少なくとも蜘蛛女で、そういう能力を有した存在を私は知らない。
「ところでママに頼んでいたものは、これでいいのか?」
ルディールが袋から取り出したのは、黒いローブだった。
いや、光に当ててみるとかすかに紫の色合いが見て取れる。
前のアクセントに使われていた赤い糸はなくなっていたが、代わりに蒼い糸で似たような感じで補強及び刺繍がされており、首周りにはまるで柔らかそうな深緑の毛が巻きつけられていた。
前回以上の出来じゃないだろうか……これ。
触るだけでわかる魔力の浸透具合。肌触りはまるでシルクのようであるが、全くほつれる感じすらしない。
手触りだけではついに我慢できず、私はそれを身にまとう。
――これはやばい。
今までのが足を引っ張っていた可能性があるという姉のいうことが理解できた。
明らかに魔力の展開される速度、伝達する速度が違うのだ。
実際にはそれは一瞬の違いなのかもしれないのだが、その一瞬の遅れが気になりはじめればもうそれは欠点であり見逃せないわけである。
そういう意味では、性能面でも前のよりはるかに向上しているわけで、更に見栄えも前のよりより好みになっている。
「ありがとう、ルディール。最高の出来だわ」
わたしは、今ここにいない姉の代わりに彼女に感謝の意を告げる。
「ミラがそう言ってくれると、私としても嬉しい。なにせ私の糸も混ざっているからな」
ちょっとまて、ルディール。頬をちょっと赤めながらそういうの言うのはどうなんだ。
「ところで、おねえちゃんは?てっきり直接届けに来ると思ってたのだけれど」
「ああ、ママなら他の仕事で忙しくて手が離せない。だから私が来たのだ」
ルディールは、状態变化が長時間持つのが家族の中では自分しかいない事も私に教えてくれた。
なるほど、まさに適任である。
まさか、蜘蛛女の姿のままこっちに来るわけにも行かないだろうし。
しかし、仕事で忙しいとは……。
これは無理を言ってしまったと少し後悔する。
姉は基本的には一件の仕事が終わるまで他の依頼は受けないようにしている。
糸の使用量や生産量や加工難易度などを計算し尽くした上で、予定日を決めているためである。
つまり、忙しくならないように予定を立てているはずの姉が忙しくしてしまっているのは私のせいと考えることができた。
これは、今度なにかお詫びでプレゼントしなくちゃいけないかも。などと考えていたところに、
「ああ、ママからの伝言とプレゼントを忘れていた」
と、手のひら大の透明な玉を彼女は取り出す。
記憶玉ね。玉の色合いと魔力からその正体を判断する。
音や映像、文字などを記録し、その記録を表示するアイテムで、そこそこの値がするマジックアイテムである。
とは言え質はピンからキリで、上等なものになれば、1年以上もの間動画を撮り続けるなんていうこともできるし、何度でもそれを視ることができる。
逆にひどいものになると、数文字程度しか保存できず、一度再生するとそれで壊れるなどというなんの意味すらなさそうなものすらある。
『あー、ミラか』
記憶玉から聞こえてくるのは、鮮明な姉の声。
どうやら音声のみを保存するタイプだったようだ。
『約束通り仕上げたぜ。俺は野暮用があってそっちに行く余裕が無いんでものはルディールに持たせる。
――でだ。今回のローブに関してはお前からもらった素材を幾つかつかせてもらっている。
ベースの糸の説明はお前も知っているだろうし省かせてもらうが、色はバフォメットの血で染めさせてもらった。色合い的にもお前の好みであると嬉しい。
次に、青い糸だが、それは金剛金を繊維状にしたもので縫っている。金属の糸でも細くすると案外使えるもんだな。
最後に首の部分は、どっから手に入れたんだか知らんが――深淵龍の毛皮だ。
実はだ、背中の部分の補強に使おうとしたんだが、鞣すのに失敗してしまってな。残った部分で首周りの補強となるようにさせてもらった。
もらった素材は、今回の依頼料としてもらっておこうと思ったんだが、ちと貰い過ぎてるんで、おまけを用意させてもらった。
――ああ、あとわがまま言ってすまないが俺はあの飴も良かったんだが、できればスーッとするようなやつを作って欲しい。
娘どもはあの甘い飴が大好評だったから、また作ってやって欲しい。
最後に、直接届けられなくて、すまん』
録音が途切れる。
――十分ですよ。おねえちゃん。
あなたの思いは十分伝わっています。
ところでおまけってなんだろ。
「ああ、これだ」
と、ルディールが出したのは黒い帽子だった。昔ながらの魔女らしい帽子だ。
色合いや青のワンポイントの刺繍などはローブと似た感じに仕立ててあるのだろう。
これでおまけって…。
「ところで、ミラ。飴はあるか?姉や妹たちとあれで喧嘩しそうになったんでもっと数がほしい」
ルディールの言葉で、ローブと帽子に見とれていた私の意識が戻る。
好評だった果物飴はこの前の三倍は用意したし、完璧である。
まぁ、問題は姉が依頼してるタイプの飴はまだ作っていないということだろう。
ハーブを主にして作ればいけそうな気もするが、それが完成するのはまだ先の話になってしまう。
申し訳ないが、今在庫としてある蜘蛛女たちのを優先ということになるだろう
「ルディール。もしあれなら森の入口までなら転移するわよ?」
ここから森までは蜘蛛女の移動速度を考えても5日で済むかどうか。
仕立て時間から考えても学園の近くまで姉が転移させたのだろう、それなら帰りは私が送ってあげるべきだ。
「いや、ここ以外にもよるところがある。その気持ちだけで十分だ」
ルディールには別の目的があったようで私の申し出を断る。
「ところで、ミラ。【人間】としての先輩として相談がある……のだが」
ほほう、聞こうではありませんか。
飴と、追加でお茶を用意し長話をする体勢は完了である。
「実はな…私は、その…人間の子に恋をしてしまったのだが……」
しどろもどろに相談するルディールは実に愛らしい。
話を聞けば、彼女は状態变化ができる数少ない存在故によく人里へ買い出しに行くらしい。
そこで、一人の少年をとある事情で助けた。
どうやら彼は貴族の息子だったらしく、彼の家にまで行くことになったそうなのだが、あなたは命の恩人だとか、彼の親たちにたいそう気に入られてしまったということだ。
ルディールも彼のことはかわいいと思っていたそうなのだが、
話を続けていくうちに、それが本気になってしまったらしい。
で、自分が蜘蛛女であることを言えぬまま、彼と家族との関係は今でも続いてる。
で自分が正体をばらすべきなのかどうかで彼女は悩んでいると。
――ごめんなさい、聞かなきゃよかったよ。どうアドバイスしろと!
蜘蛛女の性交法ってあれだよなね。あれ。
いや、案外ノーマルな方法もあるのかもしれんが、そもそも状態变化したままでもできるかもしれんし!
解決になってません。
「やっぱり、正直に言うべきなんじゃないかしら。あまり長い間言えないと向こうとしても引くに引けない状況になるかもしれないし」
「だ、だが。その――亜人と人間の愛というのはどうしてもうまく……。というか蜘蛛女と人間の恋愛話など聞かないだろう?」
「でも、いずれは話さないといけない。あなたが人間になれるなら別だけれど。それでも彼らはあなたを認めてくれるのか、それとも魔物と思って突き放すのかは正直私にはもわからないわ」
うん、私にはアドバイスなんて無理でした。
でも、相談できたことが良かったのかルディールはひとりで何か納得したようだ。
そうか、他によるところがあるって、そういうことか。
だとすると、早く彼女を送り出さなきゃいけない。
「助言らしいことが出来ない役立たずの姉でごめんなさい。ルディール」
「いや、私も決心がついた、いずれは話さないといけないことなのは間違いないのだからな」
彼女の決意を秘めた顔は凛々しくもまた華やかだ。
私は彼女の思いが無事実ることを願いつつ彼女を見送る。
今日の目的はこれで済んだ…あとはおねえちゃんのローブと帽子を着て体になじませる作業ねと思いたいところだったのだけれど、想定外の別の訪問客が私の予定を狂わせるのだった。