1話 ラディアの森
「――こんなものかしらね」
必要な道具を袋に入れて、準備は完了だ。
旅支度というには物足りない程度だが、どうせ日帰りだ。
仮に泊まる事になっても大丈夫なよう予備の服は詰め込んでおいたが。
しかしいつも外出するときに纏っていたお気に入りのローブは手元にはない。
「はぁ…」とため息をつきつつ私はローブだったものも袋に詰め込んでおく。
見るも無残なそれはもはや元がローブでしたと説明しても誰も信じてくれないだろう。
学園の職人による冥術で教官命令で優先で直してもらったのだけれど、結果的にはそれが仇となってしまった。
元々加工難易度の高い特注品である以上冥術で直すのも難易度は高いのだ。
それを更に急がせたのが問題だったのかもしれない。
返された時、黒で染められたまるで絹のような肌触りだったはずのローブは、ぶよぶよとした不思議な物質に変質してしまった。
職人さんは何度も頭を下げて謝罪してくれた。
まぁ、これがわかった上でのデメリットなわけだしどうしようもないわけなのだが。
とはいえ、あれがないと色々と面倒なのだ。
体にフィットした薄手にも関わらず防寒性も通気性もよく、防御力も高い。
派手な装飾などもない黒メインで染められた一部に編み込まれた赤の繊維が映える戦闘用のローブ。
普段、派手に動くことの多い私には通常のローブでは合わないのだ。
それを知っているからこそのあの服が重宝していたわけだし、故に今着ている予備のローブは少々動きづらい。
ということで、また作ってもらうために私はこのローブを作ってくれた人の元へ行くことへした。
土下座して謝れば許してくれると思う…多分。
転移魔法で、目的の場所へ飛ぶ。
さて問題はその職人がいるところなのだ。
わたしのローブを作ってくれたその裁縫職人はちょっとばかし面倒な場所にいる。
そして、転移魔法では、彼女のいるところまで移動することが出来ない。
場所のイメージができないのだ。
彼女がいるのは森の最深部の一軒家なのだが、いえば森の中の家をどうやって想像するのか?って話である。
故に、森の外の目印としていた看板をイメージし、そこへ移動する。
一瞬意識が途切れるが、問題はない。
眼を開くと目的の場所にちゃんと飛んできてるのを確認できた。
さすがに距離があったためか、魔力はかなり削れているが。
目標とした看板はやや朽ちつつあったがそこに残っていてくれていて安心した。
直したいところではあるが、朽ちつつあるということは人が来ないということでありあまり意味もない気がしたのでやめておく。
目の前には広大な森が広がっている。
――【ラディアの森】
危険度8のエリアである。
冒険者が今まで踏破・探索してきた場所は冒険者ギルドによって情報がまとめられ全てこの危険度で段階評価するようになっている。
数字は1~10もしくは計測不能となり、数字が高いほど危険な場所ということになる。
数字の目安としては、1で冒険者1年目のパーティーが探索するぶんには問題のないエリア、2であれば冒険者2年目と言った感じである。
つまり、ここは8年ほど冒険者としてやっていた者たちを主とするパーティーでなんとかなるといった感じなわけだ。
あくまで目安でしかないが。
危険度8を超える森林エリアは現状踏破者がいないために計測不能の【水晶の森】と【大樹海】。
10に該当する森人と闇森人の聖地【ディーウッドの森】と危険度9【亡者の森】しかない。
その4つと比較すれば、このラディアの森ははるかに狭い。それにもかかわらず、危険度8なのだ。
それは、中にいる魔物たちの強さに由来する。
その危険度を示す証として、この森の周囲には生き物がいない。
この辺りは草原で水場もあり、動物にとっては住みやすそうであるにもかかわらずだ。
草原の動物にとってはこの周囲ですらいるのが危険と判断しているのだろう。
それに、まだ森までそれなりに距離があるのもかかわらず嫌な感じがずっと身に纏わりついている。
だが、あの森の奥まで行かないと目的は果たせない。
いきますかね…と魔力の回復を確認した上で私は歩を進める。
ちなみに、朽ちかけていた看板にはこう書かれている。
『――引き返せ。これ以上進むものの命は一切保証できない』
鬱蒼と茂った木々の中をそれなりに警戒しつつも進んでいく。
そもそも、極端に警戒しても敵と出会う確率が増すだけなので、単独行動故ゆっくり進むなどは愚策だ。
とはいえ、待ちぶせにあうのは嫌なので、そこら辺の最低限の配慮はしている。
嫌な感じは更に濃くなっている。
しかし歩みを止める気もない。進んでいる方向すら適当だ。
どうせ、奥に行けば解決できる問題なので支障はない。
迷いすぎて同じ所をグルグルするのと森から出てしまう心配だけはあるが…
さすがにそこまでの方向音痴ではないと思いたい。
30分ほど歩いて、ようやく森のなかの生物に出会ってしまった。
そいつは蟷螂だった。
私はそこまで虫が苦手ってわけではないのだが、こいつにはちょっと問題がある。
――自分の倍近い体格の蟷螂を見て平然でいられる人間などそういないだろう。
どうやら向こうは餌を見つけたといった感じでこっちに首を傾けつつゆっくり間合いを詰めてくる。
巨大な蟷螂の手はもはや死神の鎌と言ってもいい。
あれがまともにあたったらひとたまりもない。
もちろん当たる気などさらさらもないが。
イメージするは、風で出来た刀。
長さは3mほどでいいか…
全部を刃にする必要はないか?長刀鉾っぽい感じでもいいかもしれない。
いや、初心通りに刀で行こう。
3mの大刀を振り回すってなんかかっこいいし。
「――創り出せ」
ずっしりとした感触が手に伝わる。
だが刃は見えない。
――見えなくともそこに存在する。それでいい。
何かを察したのかギィ!!という奇妙な音を立てながら飛び込んでくる巨大蟷螂。
だが、遅い。
私はそれを振る。
あいつの腕が届く前に、軽く腕を振ることでわたしの不可視の刃はあいつの首と胴体を切断した。
――これだからここの虫は嫌いだ。
肌を斬られた右腕の傷を魔法で繋げる。
化膿する可能性もあったが、ここで傷を放置しておくほうが怖い。
このあと毒でも持った魔物にでもこの傷を狙われたらひとたまりもない。
首と胴を切断したにも関わらず蟷螂はそのままその鎌を振り落としてきたのだ。
初撃は意識していた故回避したが、まさか思考能力がない状態にもかかわらずかわされた腕でもう一度攻撃してくるなど想像していない。
嫌な感じがして腕を引いていたのが幸いした。下手をすれば腕を骨ごと持って行かれている。
首を失ったにもかかわらず、蟷螂は腕を振り回し続けていた。
狙いは定まっていないのか、ぶんぶん振り回しているだけだったが、当たった木がまるでお菓子にナイフを入れるぐらい簡単に切られているのをみると洒落になっていない。
結果、蟷螂が完全に動きを止めたのは両腕を切断し、更に胴体を縦に二分した後だった。
この蟷螂を皮切りに、5m近い甲虫の群れや、それを丸呑みする下位蛇龍などと立てつづけに出くわし始めた。
まともに相手をすれば、並の冒険者じゃひとたまりもない化け物達ばかりである。
甲虫を丸焼きにし、レッサーヒュドラを灰にしたりしつつ先に進む。
ただ、この程度の魔物しかでないのであれば、ここの危険度は5。高く見積もっても6だろう。
そう、ここが本当に危険なのはこの先なのだ。
進むにつれて気配が変わりだした、さらにねちっこくまとわりつくような気配。
そしてあれほど見ていた蟲や蛇どもを見なくなった。
あいつらですら近づかないほどの場所ということである。
戦闘中以外はずっと足を止めなかった私の足がようやく止まる。
前には二本の樹。それ以外は見えない。
だが、私はその樹の間を進む気はない。
かすかに差し込んだ陽の光が、私の止まった理由を照らしだす。
キラキラする何かが樹の間に張り巡らされている。
網状に張り巡らされたそれは何も知らないものを捕まえ絶対に離さない。
「そろそろ、出てきてくれないかしら?」
わたしは誰も居ない森に問いかける。
――いや、いる。
「エサダ……」「ニンゲンダ……」「ウフフフ……」
かろうじて認識できる片言の人間の言葉を話しつつそれらは現れる。
綺麗な顔をした少女達。
こんな森にいるのが不敵なぐらいの美少女たちである。
ただ、彼女たちの下半身が蜘蛛の体でなければ。
――蜘蛛女である。